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蚤の眼 大世界史 ❶ 9月1日の出来事

9月1日
高級煙草ゴールデンバット 新発売(1906・明治26年)
関東大震災(1923・大正12年)
午前11時58分44秒、関東地方にマグニチュード8の大激震が起こった。火災・津波などにより死者91,344人、行方不明者13,275人、全焼家屋381,090戸。全壊家屋83,818戸という大惨事となった。
「9月1日午前6時富士山爆発したるものの如し」(「台湾日々新聞」) 「上野から長野まで一望の焼け野原」(「京城新聞」)
翌日の2日は第2次山本権兵衛内閣が成立したが、12月の末には虎ノ門事件の影響で総辞職した。今更ながら年中総理大臣を取り替える国なんですな。この年の流行歌は「枯れすすき」で、幸田露伴は震災が起きたのは、「このような退廃的な唄が流行ったからだ」と言って物議をかもした。えらいよ日本人は。この添田さつきの「復興節」を聴いて下さいよ。
♬家は焼けても江戸っ子の/意気は消えない/見ておくれ/アラマオヤマ/忽ち並んだバラックに/夜はねながらお月様眺めて/エーゾエーゾ/帝国復興/エーゾエーゾ
芥川賞、直木賞の第一回受賞者が決まった。(1935・昭和10年)
○芥川賞・石川達三『蒼氓』受賞の言葉
「名誉ある芥川文芸賞を受けるに当たって私は何と言へない一種の逡巡を感ずる。それは自分の作品に自信が持てないからであらう。又、息苦しい様な責任の
重さを感ずる。故芥川氏の名を辱めないだけの仕事をしなければならない義務を負うたのであるから。
今後どれ程の立派な作品を創る事が出来るか、自分では内心忸怩たるものがあるが、俊才芥川氏の後塵を拝して、浅学非才の自分はたゆまざる帑婆の努力をして行きたいと思ふ」
直木賞・川口松太郎『鶴八鶴次郎』
「私は故人直木と因縁が深い。直木賞の制定が発表された時にも,力作を書いて自分が貰ひたいと思った。直木は生前、私の書いたものなぞ軽蔑してゐて読んでもくれなかったが、たった一つ『脱走兵』を読んで『説明が多い。もっと描写でいけ』と注意してくれた。あれだけ長い交際のうちで文芸的な注意を貰ったのは後にも先にもこの一言だけであった。私が直木賞を受けたと聞いたら、地下の直木は、あの禿げ上がった額の先に皮肉な苦笑を浮かべてゐる事だろう」
なんだか昔も今も変わらず編集者風の言葉が、作家を奮起させているわけですね。

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