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“6月30日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1908=明治41年  帝政ロシア時代の中央シベリアで「ツングースカ大爆発」が起きた。

爆発が起きたのは現地時間の午前7時2分過ぎだった。この年はアメリカではフォードが初めての量産車「T型」を発売、わが国では「笠戸丸」が781人の移民を乗せてブラジルへ渡っている。場所はエニセイ川の支流のさらに上流、永久凍土層におおわれた広大な森林地帯で、現在のクラスノヤルスク地方にあたる。繁栄を誇っていた大国も革命前の混乱期でもあり無人の僻地のことなど報じられもしなかった。

いったい何が起こったのか。爆発で半径30キロにわたって森林が炎上、2,150ヘクタールもの樹木がなぎ倒された。爆風で千キロ離れた住宅の窓ガラスが割れ、炎上でわき上がるきのこ雲は数百キロからも見えた。イルクーツクでは衝撃によるとみられる地震も観測され、その威力はTNT火薬に換算して10-15メガトン(1メガトン=100万トン)というとんでもない量になる計算だ。原因は隕石説、彗星説、メタンガスなどのガス爆発説とさまざまあるが未だ特定されず。なぜかというと<痕跡>が見つかっていないから。紹介した現象は確かにあったが、隕石や彗星の落下なら地表に巨大でないにしても穴が開くだろうし、何らかのガスが爆発したのなら残存ガスの噴き出しなどがありそうなのにこれもない。いまのところ有力なのは地球の空気層に突入した小彗星が空中で大爆発を起こしたのではという説らしい。

これがもし人口密集の場所で起きたら、などは考えたくもないが、最近ちょっとした<有力情報>を聞いた。中心部はちょうど「蝶」の形に残っていて「ツングース・バタフライ」と呼ばれていると。つまりこの部分を除いて森林は元通り復旧しているので上空からは蝶が羽を広げているように見えるのだそうだ。

「北緯60度55分00秒、東経101度57分00秒だからグーグルで検索して」というから、とりあえず「ありがとう」と礼だけは言っておいた。便利な時代ですなあ。

*1872=明治5年  わが国で初めての駅構内レストランに営業許可が下りた。

「東京市京橋弓町、上田虎之助に新橋停車場構内において場所を借り受け、家屋を造作し、西洋食物店を営業することを許可する」とある。『東京名勝図絵』には新橋停車場の説明のなかに「館中掲示するに汽車の規則書あり、出車の時限表あり、又洋物洋酒を売る店ありて毫(すこし)も待車の乗客をして倦むこと無らしむ。開業ありてより、日に繁盛し衆庶大に便利を喜べり」とある。

活字だけで絵はないが「規則書」「時限表」「待車」「出車」などが時代を感じさせます。

*1929=昭和4年  東京・有楽町の邦楽座がこの日、楽士全員を解雇すると発表した。

人気弁士の徳川夢声が「早晩そうなりますよ」と予想した通りだった。邦楽座はいまの丸の内ピカデリーの前身、4月に輸入されたアメリカ映画『進軍』から映画はトーキーの時代に突入した。それまで楽士はスクリーン横でオーケストラとして音楽を伴奏しこれに活動弁士(=活弁)が自由奔放にストーリーを語っていた。映画はそれほどでなくても弁士の人気と楽士とが興行を支えていたのが<音楽付>になって楽士がまず要らなくなった。

首の皮1枚でつながる弁士のほうも台詞を翻訳する役目があればこそだったから夢声は「弁士はどうなりますか」の質問に「おそらく生き延びても数カ月でしょう。トーキーが外国映画に限定されているうちはどうにかやりくりがつきます。しかし松竹、日活の大資本を始めとして内地映画がどしどしトーキーを作り始めたら大変なことです。弁士という我国にのみ限られた珍商売が現れてわずか30年だけ存在した職業であったということになります」と冷静に分析している。

邦楽座も弁士4人を3人に、新宿松竹館でも5人が3人になったから地方の映画館への<都落ち>も含めて弁士・楽士受難の夏だった。

*1966=昭和41年  日本武道館でのビートルズ初公演に熱狂的ファン1万人が詰めかけた。

作家・大仏次郎は「多分、ボクが最年長だな。ナニ、哲学的思索にふけろうと思ってやってきた。こりゃスポーツみたいなもんだ」と記者に。たしかにそうおっしゃったのだろうが、それはそれとして肝心の公演内容のほうの感想はどうだったのだろう。

<収入の部>総売上:1億円
<支出の部>ギャラ:6,000万円、会場使用料:1,000万円
<その他の部>動員された警官:延べ8,370人、経費:9,000万円、補導された若者:6,520人

7月3日の離日まで<ビートルズ旋風>が列島を吹き抜けたのであります。

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