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“5月6日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1627年  ニューヨークのマンハッタン島がわずか60ギルダー相当のガラス装身具と交換された。

オランダの植民地司令官だったピーター・ミニュイットが原住民のアメリカインディアンとの交換で入手した。60ギルダーは約7,400円で、そんなバカなの話ではある。もともとこの島は古くからレナベ族(デラウェア族)などの部族が狩猟や魚介類の採取やトウモロコシ、豆類などを栽培する移動生活を営んでいた。

マンハッタンは彼らのことばで「丘の多い島」とか「我々が皆、酔っ払いにされた島」の意という。ならば<酔わせて安く買いたたいた>のか。昔は摩天楼、いまは超高層ビルが建ち並ぶのがその同じ場所とは想像もできないけれど。

1524年にアメリカインディアンたちが乗るカヌーをイタリアの探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツアーノが目撃し、雇い主のフランス王フランソワ1世への手紙に残したのでここを<最初に発見した>ヨーロッパ人とされている。1609年にオランダ東インド会社に雇われたイギリスの探検家ヘンリー・ハドソンが、ここを初めて地図に記載した。このとき遡った川がその名前からハドソン川と名付けられた。1613年に東インド会社は毛皮交易所を建設、当時ヨーロッパで人気のあったビーバーの毛皮を集める拠点にした。これが「9.11」の攻撃目標とされた世界貿易センターの場所=ポイント・ゼロだ。

もっとも彼ら原住民には<物々交換の習慣>はあっても<土地を売買する文化>そのものがなく、その後のオランダ人入植者とのたび重なる戦争の火種になり多くの血が流された。
「摩天楼前史」はこのくらいにしておくが、統治そのものもオランダからイギリス、そして独立戦争を経てアメリカへと変わった。

ところで紹介した探検家たちは悲惨な末路をたどることとなった。
ヴェラッツアーノはカリブ海のバハマ諸島で食人種に襲われて落命。ハドソンはカナダ北部で氷に閉ざされてひと冬を越し、さらに探検を続けようとして帰国を主張する乗組員たちの反乱にあい息子らとともに小舟に<置き去り>にされてしまう。のちに彼の妻がスポンサーになって捜索隊が派遣されるが痕跡すら見つからなかった。行方不明になった場所がのちにハドソン湾と名付けられたのは皮肉である。

*1937年  飛行船・ヒンデンブルグ号が着陸に失敗して炎上し乗員乗客など多数が死亡した。

ヒンデンブルグ号は3日夜ドイツ・フランクフルトを出発、2日半をかけて大西洋を横断、アメリカニュージャージー州のレークハースト海軍基地への着陸しようとしていた。ところが現地時間午後7時25分に尾翼付近から突然爆発、機体は燃えながら墜落した。この事故で乗員乗客97人のうち36人と地上作業員1名が死亡した。

着陸の瞬間を報道しようとして映画会社やラジオ局が待ち構えるなかでの事故だったため<悲劇の瞬間>が映像やラジオ中継で世界に伝えられた。事故原因は帯電した静電気の放電で気球内部の水素に引火したとする事故説が有力だが、陰謀による爆破説などもある。いずれにせよこの事故により飛行船の安全性に対する信頼は一気に打ち砕かれ、日本にも寄港、世界一周の偉業を達成した姉妹機の「ツェッペリン伯号」だけは博物館に収蔵されたが他の約200機はすべて破棄される運命となった。こうした大型の硬式飛行船には内部の構造材としてアルミ合金のジュラルミンが使われていた。当時この技術はドイツの最高機密だったが、たまたま事故現場に居合わせた日本の技術者が破片を持ち帰り分析、のちに零式艦上戦闘機に使用された「超々ジュラルミン」の開発に役立てたという裏話もある。

イギリスの豪華客船タイタニック号沈没事故(1912.4)、スペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故(1986.1)とともに20世紀の世界を揺るがせた大事故のひとつだけに映画にも登場した。飛行船内部の忠実な再現や実際のニュース映像などを組み合わせたユニバーサル映画の『ヒンデンブルグ』(ロバート・ワイズ監督、1975)は話題を集めたが、こちらは<爆破説>がとられていたと記憶する。

*1973=昭和48年  人気4歳馬のハイセイコーがNHK杯で1着になり10連勝を達成した。

この日の東京競馬場の入場者数は16万9174人と発表され中央競馬史上最多記録となった。超人気馬だけに単勝支持率は83.5%で配当金はそのまま100円の<元返し>となった。

ハイセイコーのデビューは地方競馬の大井競馬場だった。2着以下を大差で引き離しての無敵の6連勝で中央競馬に移籍されたから当初から話題を集めた。デビューは田中角栄が第64代の内閣総理大臣に就任した時期と重なった。そしてハイセイコーが22戦13勝の成績で引退した時期も田中の辞任とほぼ重なる。

ブームを担ったそれぞれの引退で「地方の時代、野武士の時代」が幕を閉じた。

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