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“8月7日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*紀元前338年  ギリシャの明暗を賭けたカイロネイアの戦いが決した。

多くの都市国家=ポリスが離反していくなかでアテナイとテーバイのギリシャ連合軍が戦った相手は北方に勃興したピリッポス2世と初陣の王子アレクサンドロス率いるマケドニアだった。戦さの前、ギリシャではマケドニアは敵か味方かと国論が揺れた。雄弁家デモステネスはアテネの街で「警戒せよ!」と叫び続けた。一方で学者イソクラテスは「マケドニアに援助を求めて再びペルシャに進攻せよ!」と説いた。

で、どうなったか。マケドニア軍の勝利でマケドニアは周辺の都市国家群と「コリント同盟」を結んで全ギリシャを統一した。ピリッポスはペルシャ遠征を進めようとした矢先の前336年に暗殺された。急遽王位を継ぐことになったアレクサンドロスは弱冠20歳。テーバイが再び反旗を翻したがアレクサンドロスはこれを撃破、街を破壊して覇権を確立した。

ご存じだろうがアレクサンドロスはギリシャ語読み、英語ではアレキサンダー。どちらにも「大王」がつく。ハンニバル、カエサル(=シーザー)、ナポレオンなど歴史上の人物からも大英雄とみなされていたから<世界史講義>なら優に10講分では終わらないだろう。後世『プルタルコス英雄伝』を書いたプルタルコスがこのカイロネイアの出身で、アレクサンドロスには紙幅を大きく割いている。なかでも臨終の場面には多くの<異読>つまりさまざまな解釈がある。

高熱を発してうなされ続けて8日後に死んだことや死の6年後に「毒殺だったという密告があった」とされたことも検証されて「毒殺死の兆候はなかった」と断じている。
<異読>のなかには病状の検証からインド遠征の際に蚊に刺されたことによるマラリア感染説がある。「大英雄、一匹の蚊に倒される」――だが肝心の遺体はバビロンから王都ベラへ運ばれる途中に部下の将軍プトレマイオスに“強奪”されエジプトで復活を願ってミイラとして埋葬されたとされるがその墓はいまだに発見されていない。

*1831=天保2年  『東海道中膝栗毛』で知られた戯作者の十辺舎一九没。67歳。

駿河国府中(現・静岡市)の町奉行の同心の子として生まれた。幼名は市九、江戸に出て武家奉公をしたあと19歳で大坂へ。町奉行小田切土佐守に仕えたが浪人、義太夫語りの家に寄宿して浄瑠璃作者になった。

「何で?どうして?」と聞いてみたいほど方向違いの大転身じゃありませんか。香道を学んでいたこともあって正倉院に伝わる「蘭奢待=らんじゃたい」の別名をもつ名香・黄熟香が十遍焚いても香りを失わないところから十遍舎、幼名の市九から一九をとって筆名として享和のころに「十辺舎一九」に定まった。

30歳で再び江戸へ戻ると日本橋の出版商・蔦屋重三郎方に寄食して用紙の加工や下絵描きから割付けも手伝った。合間に手がけた黄表紙に人気が集ったことから以降は毎年、20以上の新作を20年以上も書き続けた。しかも<書くほう専一>にしたのかというとそうではない。洒落本、人情本、狂歌集から肉筆浮世絵まで。冒頭紹介した弥次喜多が珍道中を繰り広げる滑稽本『東海道中膝栗毛』は1802=文化元年から21年間も続編を出し続け押しも押されない大流行作家になった。

当時、仕事は<ナリワイ>とされていた。鳶職は火消しでもありナリワイでもあった。お百姓は自らの手で農産物も生産すれば衣類や諸道具や家さえも調達したからナリワイの数はさらに多い。一九にいたってはそれこそ筆名の数=19はあったのではないか。わが国で最初に<文筆のみで自活できた>のもナリワイの多さからだった。

『東海道中膝栗毛』がヒットした理由は、江戸時代も安定期を迎えて庶民の識字率が上がったからとされるが、逆にこのシリーズから字を学んだ庶民も多くいたはず。それに応えようと一九自身も頻繁に<取材旅行>に出かけた。交友関係も山東京伝、式亭三馬、鈴木牧之らをはじめ広かった。

辞世の句は
此世をば どりやおいとまにせん香と ともにつひには 灰左様なら
戒名は「心月院一九日光信士」。火葬の際の遺言で弟子が棺に仕込んでおいた花火に点火してそれが上空で見事に開いて参会者を驚かせたというのは落語家の初代林家正蔵の創作とか。ドッカーン、パパパーンというなかなかの<オチ>ではあります。

*1720=享保5年  「江戸町火消いろは四十七組」が定められた。

それまで試行錯誤していた地域割を修正し隅田川から西を担当した。東の本所・深川担当は「16組」が担当しでそれぞれの目印に纏(まとい)と幟(のぼり)が作られた。混乱する火事場での目印の役割だったのが次第に<象徴>としての存在になって行く。ではいろは全てがあったのかというと「へ=屁」「ま=摩(羅)」「ひ=火」「ん=終り」に通じるからとそれぞれ「百」「千」「万」「本」に置き換えられた。

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