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池内 紀の旅みやげ(27)仁科の赤鬼ー長野県・信濃大町

信濃大町はJR大糸線で松本から約一時間。夏場は北アルプスや立山への観光客でごった返すが、シーズン外れは閑散としていて気持ちがいい。駅前から鉄道と平行にメインストリートがのびている。車の大半は西寄りの国道を走るので、商店街はゆっくり歩いて買い物ができる。裏手の駐車場は、時間刻みで駐車料金を取ったりしない。そのせいだろう、二キロちかくある商店街はシャッター街にならず、新旧さまざまな店が通りを埋めている。

造り酒屋の建物が立派なのは各地でおなじみだが、ここでは何てことのない商店が重厚なつくりだったり、小路の両側に蔵が並んでいたりする。ショーウィンドウにマネキン二体が仮縫いの服を着て並び、ガラスに「紳士服仕立て」の金文字が見えた。ガラスごしにのぞくと、老店主が鼻先に眼鏡をズラして新聞を読んでいる。目を上げると、軒の上に古ぼけた石膏の像がのっている。デッサンの練習に使う両腕のないヴィーナスとそっくりだ。ためしに店主にたずねると、たしかにデッサン用の石膏像だそうだ。以前、二階がアトリエで、仕立ての片手間に絵を教えていた。高名な画家を講師に招いたところ、自作をプレゼントしてくれた。

「よかったら、どうぞ」

店をひやかしていて、山岳画の名作に出くわすとは思わなかった。

大町は日本海側の糸魚川と城下町松本を結ぶ糸魚川街道の中継点にあたる。これが「塩の道」とよばれたのは、海辺の貴重な産物が牛の背に荷なわれて運ばれたからだ。古絵図には塩袋を背にした牛の列が砂漠のキャラバン隊のように描かれている。険しい山間部を抜けて町へ入った。塩商人の運送方は、「大きな町」で財布の紐をゆるめたにちがいない。大町の商店街がシャッター街を免れているのは、かつての富の蓄積がはたらいているのかもしれない。

駅前ではなく、通りの中ほどの十字路近くに銀行や大手企業の支店が集まっている。もともとの中心部であって、それを過ぎると、急に郊外の雰囲気になる。

「別表神社 重文 若一王子(にゃくいちおうじ)神社」

標識に誘われて西へのびる参道に入った。「別表神社」とは聞きなれないが、神社の「格」によって特別の言い方があるのだろう。杉の古木は参道につきものだが、ギッシリ繁ったのではなく、まばらにそびえていて、空がひらけ、古木のあいだから北アルプスがのぞいている。

参道が逆L字に折れ、鳥居は南に向いている。すぐ右手に三重の塔、奥の本殿わきに観音堂。典型的な神仏習合型であって、カミとホトケが同居している。明治初年の神仏分離令の際、仏殿、仏像は多くが打ちこわしにあったが、当地ではそんな乱暴狼藉はなかったらしい。

由緒書きによると、昔、仁品王という豪族がいて、イザナギノミコトを奉じていた。その後この地を治めた仁科氏が祖先神を合祀して創建したのが神社のはじまりという。嘉祥二年(八四九)というから古い話である。鎌倉時代になって、何代かのちの仁科氏が若一王子を勧請した。熊野権現の第五殿に祀られている王子だそうだ。現在の本殿は戦国時代末期の造営だが、仁科氏が滅びてのち、松本城主が江戸の初めに大改修した。宝永年間の一八世紀初頭に観音堂、三重の塔があいついで造られ、今に見る形になった。

まあ、こういった由緒は各地の古い神社に通例のことだが、観音堂の横手から本殿をながめていて、へんなものが目にとまった。歌舞伎に出てくる「赤っつら」と瓜二つ。茅葺きの大屋根のてっぺんに瓦の小屋根がのっている。そのはしっこ、ふつうなら鬼瓦のあるところに朱色の異様な顔がある。太い眉、大きな耳、丸い大鼻、引きあけた口、白いキバ、額にツノ。ツノと口元のキバによって、それが鬼であり、変わりダネの鬼瓦だと気がついた。

若一王子神社の茅葺き大屋根のてっぺんで睨みをきかせる赤鬼がいた。

若一王子神社の茅葺き大屋根のてっぺんで睨みをきかせる赤鬼がいた。

反対側にまわって見上げると、こちらにも赤鬼が端座している。同じ面ではなく、表情がちがっていて、キバの出ぐあいも異なる。かりにいうと、一方は陽気な鬼、もう一方は陰気な鬼といった感じ。江戸初期の大改修のときに取りつけたのだろう。どのような技法によるのか、顔の朱色、黒々とした眉、白いキバとも彩色が古びず、いたって生々しい。高いところにあるので推測だが、一メートルは優にあると思われる。

役まわり自体は鬼瓦と同じで、威嚇して宮を守る。赤い守護神というものである。しかし、見つめていると威嚇ばかりとはかぎらない。しだいに表情が変化して、陽気なやつは酔っぱらいの赤ら顔にそっくり、それがニヤリと笑った。陰気なほうは、目をショボつかせ、バツ悪げにそっと辺りをうかがっている。つづいてまた表情がとりかわり、ニヤリ笑いが消え、思案顔でじっと虚空を見つめている。

太い眉、大きな耳、丸い大鼻、引きあけた口、キバ、ツノ、もの凄い表情。変わりダネの鬼瓦が妙に愛嬌もあって…。

太い眉、大きな耳、丸い大鼻、引きあけた口、キバ、ツノ、もの凄い表情。変わりダネの鬼瓦が妙に愛嬌もあって…。

どんな理由があって、こんな奇抜な鬼をのせたのかは知らないが、首が痛くなるほど長々と見上げていた。フクロウの鳴く夜ふけともなると、仁科の里の赤鬼は大屋根の左右からそれぞれ、昼間見た人間世界のあれやこれやを、笑いやからかいをまじえてしゃべっているのではなかろうか。

【今回のアクセス:JR大糸線信濃大町駅より徒歩二十分】

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