おとなはみんな子どもだった

至福と苦痛の七分間

和氣元  まだ麻雀も知らぬ小学五年のころ、四人組のガキどもはいつも一緒でした。 「ジャラ」は質屋の長男で、親父さんが笑いながら言うには、逆子で産まれそうになったので、これはまずいと親父さんは、手元にあった何枚かの小銭を掌...

きみが嘘をついた

坂崎重盛  ちょっとした言い逃れのためや、さらに悪質なオレオレ詐欺、議事堂でのお偉いさんまで、大人の嘘は日々、アクビが出るほど見聞きしているが、どっこい、子供だって嘘をつく。  いや、現実と想像の世界が、きちんと分化して...

夕陽ふたつ

 山田幸伯   この八月で満六八になる。ちょうど四〇年前に死んだ父は五八だったから、親よりまる一〇年生き延びた勘定になる。 この歳になっても少年時代の夢をよく見る。ほとんどは中学、高校の頃の情景で、なぜかそれよ...

ターザンと蝮と母のこと

 中村幸雄   ボクが生まれた育ったところは、埼玉県南西部にある所沢市です。自慢できる産業も名物もなく、極めて地味な土地柄です。初めて会った人たちの前で自己紹介するとき、「生まれは有楽町です」というとかなりの確...

甘くならない記憶

金盛噤次郎 兎追いしかの山、というほどではありませんが、昔、子ども時代を過ごした街並みや遊び場所の記憶を、あれこれ思い起こす作業は、たとえ懐古趣味と笑われようと、甘く楽しい作業ではありませんか。 久しく米国出向が続いてい...

三角ベース

森 紘一  昭和25~26年ころ(わたしの小学生時代)、横浜の下町には空き地があちこちにあった。メンコやベーゴマ、相撲や竹馬乗りなど、近所の子どもたちと暗くなるまで遊んだものである。なかでもバットを使わない、三塁ベースの...

我が初恋の行方

                      長富忠裕  昭和一九年。私は生まれました。  小学校に入るまで私の町には幼稚園がなかったので、ほぼ無菌状態で小学生になりました。  同じクラスにとても可愛い女の子がいました。私...

松江城が遊び場だった

                      内藤伸之  昔、女ありけり。病親の介護とて西の国出雲へ・・・。祖父・伸の世話をしに松江へ行くという母に、父は「東京を離れたくない。別れよう。」父・四郎は師匠の長女をもらい養子に...