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新・気まぐれ読書日記(48) 石山文也  平家物語

本を「厚さ」や「重さ」で論じるべきではないことは重々承知しているが、あえてそこから始める。古川日出男訳の『平家物語』(河出書房新社)は、厚さ4.5センチ、重さ860グラム、解説を含め、全905ページもある。池澤夏樹=個人編集「日本文学全集」(河出書房新社)第Ⅱ期の<しんがり>として昨年12月30日に出版され、年初に書店に並んだ。「諸行無常のエンターテインメント巨編、完全新訳!」「シン・へイケ爆誕!」という出版予告の惹句を目にして大いに期待していた。たかだか数日違いとは思ったが京都に出かけたついでに購入しようと立ち寄った書店で手に取ったものの、これ一冊でカバンがふさがりそうなので断念、後日、行きつけの系列書店へ車で出かけて入手した。多少ともおわかりいただけるようにいつものスキャナーでの表紙カットではなく写真でお目にかけることにする。

 

平家物語は平安後期から鎌倉前期にかけての源平争乱を描いたいわゆる軍記物語である。平清盛を中心とした平家一門の興亡が仏教的無常観を基調とした壮大な抒事詩として描かれる。それが無数の琵琶法師によって連綿と語り継がれ、謡曲をはじめとして後世日本の文学や演劇などに大きな影響を与えた。過去、多くの現代語訳が生まれたが、思いつくだけでも作家では尾崎士郎、永井路子、木下順二・・・変ったところではフランス文学者の杉本秀太郎もいる。物語本編では「俊寛流罪」「一門都落ち」「宇治川先陣争い」「木曽殿最期」などはくり返し読んできたし<国民作家>といわれた吉川英治が物語に想を得て7年間がかりで書きあげた『新・平家物語』も手元に置いている。ほかにも平家一門の若武者の「逃亡記」になぞらえた井伏鱒二の『さざなみ軍記』に涙し、ラフカディオ・ハーン(=小泉八雲)の『怪談』では盲目の琵琶法師が平家の亡霊から「壇の浦合戦の段」を所望される『耳なし芳一のはなし』は読むたびにぞくぞくした。とはいっても全編を通して読む機会はこれまでなかっただけに、古川が「<現代の平家>として訳したい。幸い僕はその答えを持っている」と語っていたのに興味をそそられもした。

 

全12巻に加え、清盛の娘で高倉天皇の中宮となった徳子=建礼門院が、壇ノ浦合戦で子の安徳天皇とともに入水したものの助けられて京の都に戻り、尼となって大原・寂光院で一門の菩提を弔う余生を描いた「灌頂の巻」まである文字通りの完全版であるから、一気に通読とはいかず、珍しく「机に座ったら平家物語」の毎日が数か月、ようやくのことで読了した。あらためてその魅力をあげれば、琵琶などの演者は原作の文語文をそのまま語るのに対し、古川訳は「語り手」がまるでこちらにしゃべりかけるように訳されているところであろうか。

 

おなじみである物語冒頭の「祇園精舎」を例にあげると「耳を用い、目を用い」として

 

祇園精舎の鐘の音を聞いてごらんなさい。ほら、お釈迦様の尊い教えを説かれた遠い昔の天竺のお寺の、その鐘の音を耳にしたのだと想ってごらんなさい。

諸行無常、あらゆる存在は形をとどめないのだよと告げる響きがございますから。

それから沙羅双樹の花の色を見てごらんなさい。ほら、お釈迦さまがこの世を去りなさるのに立ち会って、悲しみのあまりに白い花を咲かせた樹々の、その彩りを目にしたのだと想ってごらんなさい。

盛者必衰、いまが得意の絶頂にある誰であろうと必ずや衰え、消え入るのだよとの道理が覚(さと)れるのでございますから。

はい、ほんに春の夜の夢のよう。驕(おご)り高ぶった人が、永久には驕りつづけられないことがでございますよ。それからまた、まったく風の前の塵とおんなじ。破竹の勢いの者とても遂には滅んでしまうことがでございますよ。ああ、儚(はかな)い、儚い。

 

語り手は「ほら」などの間投詞や「ああ」などの感嘆句を交えつつ、ときに饒舌に話しかける。多用される「ございました」や「ございます」も清盛が死んだ途端に一転してぶっきらぼうな「だった」に変る。その清盛を帯に描いたのは漫画家でイラストレーターとしても活躍する松本大洋で、ポストカードとして付けられた挿画がこちら。清盛は緋色の衣をまとい、扇で口元を隠す。一門の隆盛はすべてがこの男から始まった。

 

そして原因不明の熱病にとりつかれた清盛の突然の死。それからは雪崩を打つように暗転する平家一門の運命、名を轟かせた武将たちそれぞれの最期。源氏の嫡流でも一瞬の栄光ののちに消えて行った木曽義仲や、兄、頼朝に最後まで許されなかった九郎判官義経は都落ちしていく。権力争いの奥には天皇や法皇の存在も大きく仏門といえども時の権力者におもね、あるいは造反し僧兵や荒法師も暗躍する。戦場は馬のいななきや具足がぶつかり合い、刀合わせの金属音に矢音、兵たちの阿鼻叫喚で満ち溢れる。逆に静かな場面で耳を澄ませば琵琶をかき鳴らす撥(ばち)の音までが聞こえてくる。まさに静と動の混沌としたダイナミズムが全編を貫く。そんな一大スペクタクルを読み終わるのに数カ月かかった。朝から晩までこの一冊だけに根をつめれば数日もしないうちに読了したはず。それがどうしてそんなにかかったのかをあえて告白すれば「気になるシーン」にぶつかるたびにわが書庫の『日本古典文学大系』(小学館)や吉川『新・平家』などを拾い読みしたから。道草しながら平家物語の世界にどっぷりとつかり楽しむという私流の<至福の読書時間>を過ごしたという次第である。

ではまた

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