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新・気まぐれ読書日記 (43) 石山文也  酔眼日記

<緑陰読書>にちょうど良さそうと購入したが、ヒマな日に限って雨。キャンプのお誘いもこないうちに読了した。本山賢司の『酔眼日記』(東京書籍)は建設業界誌などに寄稿した約100作を一冊にまとめた。「旅と酒」なら当方も負けはしないだろうが、遠征も含めてあくまで遊び=自腹だから帯にあるように「あっちこっちで酒のんで、文とスケッチ」がシゴトというのはホント、うらやましい。

本山賢司著『酔眼日記』(東京書籍刊)

本山賢司著『酔眼日記』(東京書籍刊)

著者の本山は私が<アウトドア・野遊び系>と勝手に名付けているイラストレーターのひとり。書庫を探すとデビュー作の画文集『海流に乗って―僕と九つの島』(山と渓谷社、1987)が見つかった。他にもあるだろうがこれだけでいい。『「宝島」探訪記』を読んでいるうち、「そういえば」と思い出したからである。「宝島」は鹿児島県の屋久島と奄美大島の間に連なるトカラ列島のひとつで、北から口之島、中之島、諏訪瀬島、悪石島、小宝島、宝島、横当島と並んでいる。この7島が住民の住む有人島で、残りの無人島3島を含めて十島(としま)村といい鹿児島市内に村役場がある。

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なぜ詳しいかというと私も宝島に行きたいと資料を集めたもののどうしても休みが取れず断念したから。島に渡るには鹿児島と奄美大島の名瀬間を結ぶフェリー「としま」しかない。鹿児島を出るとそれぞれの有人島に寄港しながら名瀬へ。名瀬からは同じように折り返す。もちろん鹿児島と奄美大島には空路があるがフェリーに乗り継ぐには運航日の確認だけでなく、空港から港までのアクセスにも気を配る必要がある。いまは週2便だが当時はたしか週1便だけで、海が荒れたら欠航し、島まで行っても入港できずに通過することもあるからスケジュールによほど余裕がなければとんでもないことになる。『海流に乗って』では運航日の変更などトラブルに見舞われたと紹介しているが今回はすんなり渡れたようだ。

島には新しい住人がいた。大物釣り師のKと、画家のKの両氏だ。かって泊った坂本さんの離れは廃屋になっていたがオバさんは元気だった。むろん僕のことは覚えていない。小柄なオバさんはプロレス好きで、テレビを見ながら「この野郎!殺(や)っちまえ、そこだ」と大声で怒鳴る。ふだんは大人しい人で、毎日おいしい料理を作ってくれた。大物釣り師のKはザルの飲み助で、毎晩ふたりで「さつま白波」をあびるように飲んだ。

そのKから「すっかり禿げてしまったが島の娘と結婚した」と便りがあった。手紙と一緒に、トビウオの干物や、島の野生のミカン、今や名物になった落花生を送ってくれた。甘味が苦手なのを知っていて、黒砂糖も荷に入れてくれた。「今年あたりか来年か、はたまたいつになるかはわからないが、三度目の宝島行きを考えている。そんな計画が頭に棲みつくと、旅の虫が騒ぎだす。あの亜熱帯の島が懐かしい」とある。なぜか画家のKのことは何も書かれていないが、あこがれの島へシゴトとはいえ何度も行けるというのはいいですなあ。

『下山家宣言』は、山の雑誌からの原稿依頼を「登山はしないので」と断ろうとしたが断れずに「下山家第一号」を宣言したオハナシ。下山に開眼したのは富士山という。登山口の五合目まで早朝新宿発の富士急行バスで行って、ひたすら下山する。高尾山は頂上まではケーブルカー。それから参道脇の道を下山する。どんな手段を取っても登らずに下るだけ。これが下山の条件。ありそうだがなかなかないと。たしかに、下りといっても多少の凹凸はあるだろうし。

おもしろかったのは『大岩の真実』だ。山梨と静岡の県境を流れる佐野川上流部で渓流釣りのエキスパートの友人が見つけたという<謎の大岩>に心を動かされてその友人を引っぱり出して探索に出かける。

富士宮市の浅間神社を横手に身延線と合流、南へ5キロほど下り、富士川沿いに北へ。県境を超えると山梨で、ここで佐野川が富士川と合流している。井出から佐野川の上流を目指す。ダム湖の天子湖をやりすごし、さらに上流へ向う。岸辺にしげるマタタビの葉の一部が白化し、木漏れ日を浴びて輝く。梅雨入り前のぐずついた空模様。太陽が雲間にかくれて、道路が意味ありげに陰る。と、その大岩が忽然と姿を現した。全体はひしゃげた五角形。一部が岸にかかり、片側は流れにえぐられている。流れは清冽で、苔むした巨岩があちこちの岸にゴロリと寝転がっている。大岩の中心には太陽らしきものが描かれ、プリミティブな線が表面をのたくっている。

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あたりは緑が濃く、空気がねっとりと重い。天候のせいか、不気味な気配がしないでもない。スケッチをすませ、大きさの目安になるように岩に乗って証拠写真を撮った。帰り道、川下の無人だと思っていた店先で、オバさんがムシロを敷いて赤ジソの葉を取る作業をしていた。昭和16年創業のタバコ屋のオバさんに大岩のことをたずねてみたら・・・。

著者が50年来、続けてきた居酒屋とバー通いは、焼酎のホッピー割りでスタート。おおよそ1時間で神輿をあげ、仕上げは50.5度の七面鳥のレッテルの酒をストレートでダブルというのがお決まりのコースという。「酩酊はしない。鼻歌のひとつやふたつ出るぐらいに飲んだ翌日、宿酔いにはならないが妙に涙目になり、うるうるする。これを酔眼というのである」とわざわざ「追記」に書いている。

「50.5度の七面鳥のレッテルの酒」といえば<バーボンの王道>と言われるアメリカ、ケンタッキーを代表するワイルド・ターキーですな、サントリーの巨額買収で話題になった。今夜も著者のいう獣道をいそいそと辿り、どこかの店の片隅で飲っているかな。

ではまた

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