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新・気まぐれ読書日記 (41)  石山文也 旅の食卓

北海道の石狩鍋から九州屋久島の焼酎を使った豚骨まで、紹介される「忘れられない味」はどれもが思わず<食欲が湧いてくる>のが不思議だ。エッセイストでドイツ文学者、池内紀のおとなの旅日記『旅の食卓』(亜紀書房)は、写真ひとつないのにそう思わせるのはなぜだろう。高級旅館や一流ホテル、料亭などはいっさい登場しない。ふるさとの風土と人々が育て守ってきた<庶民の味>ばかり。さあ、あなたならどれを味わう旅に出ますか?

池内紀著『旅の食卓』(亜紀書房刊)

池内紀著『旅の食卓』(亜紀書房刊)

著者は1940年生まれであるという。

食べざかりが戦後の窮乏期ときている。ひもじい思いをかみしめながら成長した。腹がへると、おなかが声を上げることをよく知っている。「グー」とうなったり、「クエー」と叫んだり、「グワー」とうめいたりする。子ども心にカラっぽの胃袋の中で腹の虫が七転八倒している姿を想像した。だから、グルメ自慢ではなく庶民の味をおいしく食べることに人一倍情熱を傾ける。「おいしく食べる秘訣は何?」と聞かれれば迷わず「腹が減っていること」と答える。少年期に身にしみて知ったとおり、空腹はいかなる料理にもまさる味つけをする。

たしかにそうである。著者がいう「わがルール」の一つがそこから生まれた。

「食事は三度ではなく朝夕の二度、省いた一度分は、空腹をもたらす調味料」。

そ、そこまではちょっと・・・

『石狩川と鮭』は、石狩川の下流域、石狩平野のまん中あたりにある当別町のビジネスホテルを足場にして3泊の取材行である。石狩川はアイヌ語の「非常に屈曲する川」を意味するイ・シカリ・ベツに由来するそうで北海道中央部の石狩岳を水源にして平野部に入って蛇行を繰り返しながら日本海に注ぐ。長さは信濃川、利根川につぎ国内3番目、流域面積は利根川についで2番目、日本を代表する大河である。道内きっての穀倉地帯となった現在からは想像できないが、探検家近藤重蔵が明治政府に提出した報告書には「水源までおよそ百里の間、左右うち開け候は平地沃野のみにて樹木鬱茂、夷人所々に住居、川上まで夷人粮魚(りょうぎょ)おびただしくこれあり」とあると紹介する。

ここでいう粮魚の代表はもちろん鮭である。ビジネスホテルのフロントには、第二、第三のおつとめといったタイプの年輩者がおられるもので、土地のこと、また夜の居酒屋にくわしい。そんな人の助言をかりる場合は知ったかぶりをしないこと。素直にきいてメモをとったりしていると、親身になって教えてもらえるというのが池内流の極意だ。「アキアジ(=鮭)ならここ」、「石狩鍋ならこちら」と地元イチ押しの店を地図にしるしをつけてもらうと、いざ出陣!

石狩鍋は漁師が食べていたのをそれぞれの料理店がメニューに取り込み工夫をこらした。はじめは単に鮭鍋、あるいはドンガラ鍋と言っていたものが、いつのころからかこの名前に落着き、北海道の鍋料理の代表になった。一番の特徴は、鮭の身だけでなく、頭も背骨も内臓も全部入れこむこと。生鮭の「あら」がうまいのだ。その点でいくと、「ドンガラ」の言い方がもっとも合っていた気がする。

ここまで書いたら何度か味わった店自慢の「合わせ味噌」と適度に煮込んだ野菜、蓋を取ったらグツグツ煮立つ音と鮭のあのじんわりした香りを思い出した。人気番組の裏アナウンサーではないが「もう、たまりませーん」。

二日目は少しはりこんで鮭料理のコース。はじめに背ワタの塩辛「めふん」、鮭味噌、塩引き鮭の焼物、飯(い)寿司、かじ煮、焼き漬、骨せんべい、酒びたし・・・。すべて鮭づくし。欲ばって平らげたので、腹を撫でながら、軒につるされた鮭のように口をアングリあけてホテルに戻ってきた。

当然ながら<食レポ>に留まらない。北海道に移住した元佐賀藩士で開拓者の子としてこの地に生まれたプロレタリア作家、本庄陸男(1905-1939)を取り上げる。肺結核により35歳で亡くなる前年の昭和13年(1938)に『石狩川』を発表した。これが代表作になる。本庄は石狩川を一つの川ではなく、生死のはじめから語られた大いなる生きものであって、野の生きものと同じように季節ごとに姿を変える存在と書いた。冬は冬眠である。

「イシカリの原野を二つに区切るこの大河も冬は眠って了うのであった。水は底ひくくもぐって鳴りをひそめた。その上に雪が降り積っていた。川も全く姿をかくしていた」

そっと春の息吹がただよってくると、川がムックリと目をさます。雪が沈んで川筋を見せ始める。

「ぶきみな音を、うおンうおンと響かせる。閉めつけた凍氷を呪うような叫びが聞こえる。やがて春は、下から、地のなかからも来るのであった」

三日目もまた鮭料理、いささか食傷気味だったが教わった店に出かけた。鮭の店で鮭を避けるのは失礼なので三日続きであることを断わって「とびきりをちょこっと」と注文した。頭に白い鉢巻をした主人は頬をふくらませて思案してから、小皿をいくつか並べてくれた。串に刺した鮭の心臓の塩焼き、軟骨の「ひず」、皮とすり身とはらこを一緒に煮た「こかわ煮」、白子の刺身、みそ汁には内臓が入っていた。

なんともうらやましい「鮭修行」ではないか。

『播州のそうめん丼』では生まれ故郷だけに、生産地の中心の「龍野そうめん」のうんちくが面白い。銘柄は市中を流れる揖保川にちなむ「揖保乃糸」だけ。手延べそうめんは播州のあちこちでつくられているが、龍野にある兵庫県手延素麺協同組合が一手に製品を管理して、合格したものをこのブランドで出荷するからだ。もうひとつ、龍野で有名な醤油は協同組合の大工場が、麹づくり、仕込み、醗酵、圧搾までの工程を一手にやって「生(き)揚げ」と呼ばれる醤油のもとにする。そののち、配分された各社で独自の味つけをしてそれぞれの銘柄で市場に出荷する。地場産業ならではの知恵だ。私の知る奈良大峰山の登り口、天川村に共同の製造所がある伝統薬の「陀羅尼助(だらにすけ)」は醤油方式に近い。下痢止めや胃薬として用いられ<和薬の元祖>といわれる。丸薬にしたのが飲みやすさから今は製造の主流となった「「陀羅尼助丸」である

「そうめん丼」は龍野のうどん屋でたまたま食したそうで、丼鉢にごはんを盛り、上から野菜をたっぷり入れた味噌汁仕立のそうめんをぶっかける。「冷や飯に熱い汁がしみて、なんともうまい」という。ふー。

もうひとつ、『長崎のカツ丼』はこうだ。

まず容器がいい。丼は丼鉢がつきもので、大ぶり、厚手、まん丸い蓋付き。全体がお多福の頬のように福々しい。おいしく食べるということの幸せを、まさしく容器であらわしていて、アツアツを、しばらくうれしく撫でまわしている。蓋をとると、フワリと湯気が立ちのぼる。いっしょに仄かな匂いが鼻をくすぐりにくる。知られるとおり丼物は上の具と下の飯からなりたっており、正確にいうと、下の飯は二種類あって、おしるのしみたところと、しみていない白いごはんのところとがある。わが独断であるが、その比率七・三といったところが望ましい。おしるのしみていない白いごはんが大切なのだ。三くち四くちとしみたのが続くと、舌が重くなる。そんなとき白いごはんを口に運ぶと、舌が浄められたぐあいで、味覚が再び活気づく。

おしんこをつまんでひと息入れ、目分量で勘案する。具の残り、おしるのしみた残り、白いごはんの残りと、せわしくかきこんでいるようでも、きちんと味と量の配分をしながら、一つぶ残さず、きれいにたいらげた。丸い丼物はそれ自体が胃袋の形と似ており、中身がそっくり鉢から袋に移動した。手にした鉢の重みが胃袋に移り、鉢にしたのと同じように、われ知らず腹を撫でていた。

おっと忘れるところだった。巻末に特別付録:イケウチ画伯謹製「旅の絵はがき」3葉が付いている。旅先で思い出した誰かさんにあなたの「旅日記」を出すというのも一興かもしれない。

(こちらもお腹が空いたので)ではまた

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