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新・気まぐれ読書日記 (21) 石山文也 北緯66.6°  

大型書店の新刊コーナーで『北緯66.6°』(森山伸也、本の雑誌社)が目についた。副題は「北欧ラップランド歩き旅」である。歩くのは嫌いではないし、健康のためにはなるべく歩くようにしているが近年、なにやかやといいながら歩行距離が減っているのも事実。著者のように「キャンプ道具を背負ってひたすら長く歩くロングトレイル中毒」にはこれからも間違いなく無縁だろうが、舞台となったラップランドの荒野に興味がわいた。新潟県三条市生まれ、1978年生れで明治大学探検部OBのフリーライターが旅をしたのは<人生節目の30歳>を迎えたばかりだったからぎりぎり「青年は荒野をめざす」というところか。
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著者によると日本は国立公園内でキャンプしたらダメとか、登山道を外れたらいけませんよとか、やたらとルールがたくさんあって不自由なのだそうだ。誰もいない、山小屋もない、情報も少ない、とてつもなく広い荒野で景色がよく、探検部時代に「もう二度とこんな旅をするものか」と思ったインドネシア・カリマンタン島のジャングルのように湿度100%というような暑い場所より寒いがいい。そう考えると必然的に足は極地に向かう。候補地は北米大陸のアラスカと南米大陸のパタゴニア、それにこのラップランドの3カ所で、情報が少ない、つまり日本人がほとんど行かないとなると必然的にラップランドということになったという。ではどんなところかをこの本の地図で紹介しておく。
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ヨーロッパ北部に位置するスカンジナヴィア半島北部からロシアのコラ半島までひろがる地方で、先住民族サーミ人が住んでいる地域のことをさす。その大部分は北緯66.6度よりも北、北極圏に属しているとある。さらにこの地域は氷河におおわれていたので地形がのっぺりとしていて、寒冷な気候のため大地のほとんどが森林限界を越えており、高木がなく地衣類などのツンドラが広がるばかりだから「山道がなくても自由に歩ける」ことになる。さらにどこにテントを張ってもいいし、焚火もOK。氷河から流れ出た水はゴクゴクとそのまま飲めるし、唯一の危険な動物といえるクマも個体数が少ないのでほとんど出会うことはない。晩夏にかけてツンドラはブルーベリーで赤く染まり、トナカイを放牧するサーミ人の簡易住居がときどき大地にポツンと建っていて、運が良ければ北極イワナやトナカイの肉をお裾分けしてくれるらしい、とも書く。

めざす総延長850キロのロングトレイル「北極圏トレイル(ノルド・カロット・レーデン)」はフィンランドとノルウェー、スウェーデンの三国にまたがり、それぞれの国境を15回も跨ぐ。日本でいうと東京から広島までの高速道路を繋いだ距離、佐渡島なら約三周、東京のJR山手線なら23周というから毎日平均20キロとしても約1ヵ月半かかる計算になる。しかも生活道具一式や食糧などをかついでの過酷な旅である。そんな旅なら綿密に調査して装備品のリストを何回、いや何十回も書き換え<準備周到>にして出掛けるのかと思ったら「たいした準備もせずに北極圏に飛んで」いってしまう。探検部時代の経験や体力があるとはいえなんと楽天的な、と言いそうになる。

とはいえ安上がりのモスクワ経由のアエロフロートだからフィンランドのヘルシンキ国際空港まで28時間もかかった。しかも市内のアウトドアショップを2軒回っても「そんな道は知らない」という反応だった。苦労して探し出した地図専門店でも国内の地図しかなかった。こうした<つまずき>をいちいち紹介するときりがないが著者は細かいことなど驚くほど無頓着なのだ。約200キロずつを4区間に分けて中継地点の村で食糧などを買うことができそうと分かったものの最北のスタート地点、キルビヤスクに持ちこんだのは食糧10日分に悪天候での停滞日5日分など40キロ、容量80リットルのザックにかろうじて詰め込んだ。ようやく買いそろえた1万分の一地形図8枚やカメラ2台、フィルム20本、蚊取り線香、文庫本3冊も。気になる方もあろうから紹介すると『北極海へ』(野田友佑)『荒野へ』(ジョン・クラカウアー)『世界最悪の旅 スコット南極探検隊』(チェリー・ガラード)だからベストチョイスだろう。テントやストーブ、時計はすべてここラップランドでフィールドテストした物を選んだのは唯一の<こだわり>だった。

地図を手に入れ、食糧を買い増しして準備が終わったのは午後8時を回った。太陽は沈んだが北極圏だけにまだ明るい。先が長いのだから宿を探して翌早朝にと思ったらそれが出発だった。小さな丘を登っていくと前方のスカイラインに動く大きな物体が目に入った。いきなりトナカイの群れである。2時間後にテントを張り、第一夜を迎えたが興奮でなかなか眠れなかった。分かるような気もするなあ。
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同じトレイルを歩く人間に出会ったのは二日目、逆方向に向かうスウェーデン人の男性二人組だった。三日目には雨がテントをバチバチと叩く音で目覚めた。ところがこれは飛びまわる蚊の集団で日本の蚊の三倍はある。しかたなく蚊を<蹴散らしながら>出発した。天気さえひどくなければ朝7時に歩きはじめ、夜7時に歩き終えるというスケジュール、行動時間は12時間だったがやがてそのツケが来た。右足のかかとにマメができ、水がたまって枝豆サイズに膨らんでいる。川の渡渉や湿地の横断もあるしザックも重いのにくるぶしの上まですっぽり覆う登山靴ではなく、新品だが軽いが一度水が入ったら乾きにくい防水素材のトレイルランニングシューズを選んだのが災いした。それでも我慢を重ねて最初のセクション200キロを歩き通した。ここで大枚をはたいて登山靴を新調した。マメもそうだが<痛い>経験だった。結局、最初の1年で歩いたのは450キロだった。最後は足の痛みをかばうためにふくらはぎから太ももに痛みが広がり歯を食いしばりながら我慢したがそこまでだった。

翌2009年はスウェーデンのサーレフ国立公園の道なき道を100キロ歩いた。前年の反省から装備も見直したがそれでも色々な失敗があった。大げさな表現やトラブルもさらりと書くからそこがおもしろい旅行記になっているが旅に持参した本を紹介しておく。同じく文庫本3冊である。『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治)『日本奥地紀行』(イザベラ・バード)『先導者・赤い雪崩』(新田次郎)である。前年より1か月遅い9月で蚊は少なかったが雨による停滞もあって3冊はすぐに読み切ってしまう。そこで考えたのが<将来的には電子書籍を持ってラップランドを歩く日がやってくるのだろうか>という命題だった。電子書籍なら好きな本を好きなだけ持っていける。かつ、かさばらずに軽い。夜でもヘッドランプなしで読める。電源はソーラーパネルでなんとか日中に充電できそうだ。かなり便利そうだが・・・というところで思い直す。本というものは重さがあるからいいのだ。かさばるからいいのだ。どれを持っていこうか悩むからいいのだ。寝袋やテントと同じように生活道具のひとつとして、一か月も二カ月も体に重くのしかかり、食べ物みたいに読み終わっても軽くなるわけでもないし、小さくなるわけでもない。まったく困ったヤツだ。だからこそ持っていく意味があるのだ。歩き旅をともにする本は、一文字一文字の重みというか、温もりを確かに持っているものなのだ。
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次の2010年、再び残りの北極圏トレイルと別のトレイルの計850キロを2カ月かけて歩き、2013年にはアイスランドの北海岸から南海岸までの火山地帯300キロを踏破した。雄大な大自然に身を置くことは壮快感もあれば常にトラブルや危険と向き合うことでもある。「自身の歩き旅は30代後半にして少しずつ変わりつつあるようだ。体がクタクタになる身体的なものから、頭がヘトヘトになる心理的なものへ」という<永遠青年>はことしも世界のどこかの荒野を歩いているかもしれない。歩くことは誰にも邪魔されず、考え続けることなんだとつぶやきながら。                            ではまた

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