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新・気まぐれ読書日記 (17) 石山文也 石の虚塔

わが読書スタイルを、前回うっかり<寝ながら読書>と紹介したら妙に受けてしまった。そんなことより紹介した本のことを聞きたかったのに。今さら、ではあるが「資料として読む本は机に座って!それ以外は寝る前に」と言い直しておく。とはいえ<寝ながら本>がほとんどだから、眠くなると読みかけのところにしおりを挟んで「続きはまた」となるのだが、珍しく目が冴えて夜更けまでかけて一気に読了した一冊だ。わが国の考古学会にかってない大激震を起こした14年前の「旧石器発掘捏造事件」を“再発掘”する上原善広のノンフィクション『石の虚塔』(新潮社)である。

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<寝ながら読書>を蒸し返したのは、細分化した考古学の基本となるのは地下に<眠る>遺構や遺物の発掘から始まることからの連想だからお許しいただきたい。なかでも歴史伝承のまったくない縄文時代なら土器や住居跡などがそこに古代人の住んでいた証拠になる。さらにそれ以前の石器時代なら、戦後間もなく無名の考古学マニアだった相澤忠洋によって発見された群馬県の岩宿遺跡のように石器の発見がそのスタートとなる。その地に初めて「人の歴史」が印されるとともに誰が石器を発見したのかが「考古学界の歴史」となる。表紙を飾る人物は左が相澤、石器を手に持っているのが終生の師であり盟友となって旧石器研究をリードすることで「旧石器の神様」といわれた東北大学の芹沢長介である。

旧石器研究はさらに時代を遡る「人の歴史」を探ることでその発展が試され、マスコミなどからも新発見が期待される。そこに遺跡捏造に手を染めた人物が登場する素地があった。それが「神の手」と持ち上げられた人物、藤村新一である。かねてから考古学に関心があった私自身も、平成12年(2000)11月5日(日曜日)の毎日新聞朝刊の「旧石器捏造事件」の大スクープには驚いた。まさかという思いもあったし、長期間にわたって専門の研究者たちがなぜ騙され続けたのか。以来、関連報道や本が出るたびに目を通すようにしてきたから友人たちからも旧石器ウォッチャーぶりをからかわれたこともある。出版前に行きつけの書店に予約しておいたのは「事件のその後」がどうなったのかという好奇心もあったからでもある。

著者の上原は、事件後に妻子と別れ、再婚することで名前を替えて福島県内に住んでいた「藤村」を探し出すとアポなしで訪問する。東日本大震災の起こる1年も前だった。自宅には電話もなかったし、あったところですぐに切られただろうからそうするしかなかった。ようやく自宅から出てきた藤村は身長も180センチと大柄で事件当時より体重も増えて100キロを超す巨体でおまけに丸坊主だった。もっとも名前は変わっているから、元・藤村だがそのまま藤村で登場する。何度かの訪問で心を許してくれようやく部屋に上げてもらうようになるが、大量の薬でかろうじて日常生活を続ける藤村はもはや一種、穴ぐらの中で咆哮する<怪物>で、肝心のところは「忘れた。思い出せない」で押し通す。上原は考古学にはズブの素人だった藤村が、どのようにして芹沢たちに認められ、結果的にここに至る<怪物>に育っていったのかという彼の人生に迫る長い道程を探る旅に出る。それにとどまらず旧石器の虜になった研究者や考古マニアの一人ひとりにまでも、である。

原点は相澤が発見した岩宿遺跡にあった。昭和24年7月、行商途中の相澤は坂道の切り通しに露出した関東ローム層という赤土の下の粘土層から黒曜石の矢じりを見つけたことがきっかけになった。赤土は主に富士山の噴火によって積もった火山灰の痕跡で、鹿児島湾ができるきっかけになった姶良(あいら)火山の噴火による火山灰も含まれていた。一連の噴火の火山灰で草木や樹木も枯れたから、列島に人間が住み始めたのは火山活動が終息したせいぜい1万年前からであると考えられていた。相澤は伝手をたどって当時は明治大学の学生だった芹沢に石器を見てもらう。それまでの独自調査で発見した石器コレクションは芹沢によって考古学研究室の助教授だった師の杉原荘介に報告してようやく正式な発掘調査が行われることになった。

しかしこの手柄は結果的には師の杉原のものとなる。杉原との意見の相違もあって明治を追われた形となった芹沢は東北大に移り、仙台の地から旧石器、なかでも前期旧石器の存在を証明しようと東北大の門下生をはじめ、在野のアマチュア考古学研究者をも次々に登用しながら猛烈な発掘調査を行っていく。しかし前期旧石器は、もはやホモ・サピエンス=新人の文化ではなく、未知の人類である「原人」の文化となるわけで<日本創世>という究極の“神の領域”に足を踏み入れることになった。こうした学界あげての狂騒の中で<怪物・藤村>が発掘現場を手伝うようになる。藤村の行くところには必ずといっていいほど旧石器の大発見が続く。「出たどーっ」の声で調査員が集まると藤村は誇らしそうに石器を<掘り出して>見せ、やがてマスコミからも「神の手」とか「ゴッド・ハンド」と持ち上げられる。多くの遺跡捏造は誰もが気付かないまま、あるいは気付こうとしないまま平成12年の毎日新聞の「旧石器捏造事件」の大スクープにつながっていく。

しかし上原は取材の旅を相澤だけでなく、多くの考古学者や考古マニアに至るまでこれでもかというほど掘り下げていく。出生からの人生、生活苦のなかで彼らを支えてくれた妻や支援者たち。そんなことまでもと思うところまで取材が続くのは、まさしく上原のブログ「全身ノンフィクション作家」を地で行くようでもある。

最終章「神々の黄昏」で相澤忠洋になろうとした藤村が再び登場する。藤村は捏造発覚から1年後、精神科への入院中に右手の人差指と中指をホームセンターで購入したナタで切断していたという衝撃の事実が明かされる。「人差指は、オレのこと慕ってきてくれた中高生、大学の考古ボーイたちに、中指は芹沢先生はじめ考古学の先生たちに詫びるため・・・。この手が<ゴッド・ハンド>とか<神の手>と呼ばれたんですよお。切ってしまわないとダメだったんですよお」という叫びは刑事事件として罰せられなかった藤村なりの自己処罰だったのだろうが精神の闇をかかえた哀れさが心を打つ。

近くにいて藤村の犯行を見抜けなかった考古学者は、発掘捏造ですべてが「幻の遺跡」になったことを「遺跡というものはね、発見した人の人生、そのものが出るものなんだ。相澤さんは学者にはない純粋な目と不屈の精神で岩宿を発見した。藤村のは全てがニセモノの遺跡だった。それを近くにいて見抜けなかった我々はまさに『石の虚塔』にいたんだ」という証言を紹介し、これが題名になった。
上原は取材の長い旅をこう結ぶ。

「前期旧石器研究は、芹沢が活躍した1970年代へと戻り、一から組み立てていくことになった。それはバベルの塔を築くようなものかもしれない。入念に選んだ場所に賭け、そこに辛苦の果てに石を積み上げ、登りつめたはずが、何かが間違っているとわかると、また一から場所を選んで、そこに石を積み上げ、登り直す。自ら石を選び、築き上げた石の塔の頂きに登り詰めた者は、きっとそこにいまだかって誰も見たことのない、素晴らしい神々の世界を見ることになるだろう。そうして一分の隙もなく完璧に築かれた石の塔の荘厳さは、多くの人々を感動させることになるだろう」。

「石の虚塔」、たしかにそうかもしれないなあと頷きながら、登場した旧石器に取りつかれた人々の人生をあらためて思い浮かべている。                                                                   ではまた

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