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書斎の漂着本  (16) 蚤野久蔵 北支方面戦闘経過要圖

わが書斎に漂着してきた本や資料のなかでは、間違いなく<いちばん大きい>のがこの地図である。『北支方面戦闘経過要圖』といい、広げればほぼ2.5畳分になる。写真に撮るのも一苦労で、下のほう、黄河の南方にある河南や鄭州、開封や軍歌「麦と兵隊」の、徐州、徐州と人馬は進む~の歌詞の徐州などの都市もあるが、入りきらないし、イメージを伝えるのが目的だから “割愛”させていただく。

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地図コレクタ―でもないのになぜこんなものがあるかというと、歴史ライターとしての「?」がきっかけだ。いきつけの古書店に置いてあった透明フィルムの袋に添えられた内容説明に(昭和20年9月、帝国在郷軍人会本部編)とあったから。ご存じポツダム宣言受諾で終戦を迎えたのは前月の8月15日だ。それで「あれっ、彼ら(=帝国在郷軍人会)はまだ戦争は続くと思っていたのか」と。さる旧家の蔵の大きな長持ちの中にあったそうで、不要になった他の本などと一緒に引き取ってきたという。「ご関心があるなら、お貸ししてもいいですよ」というので、最初は「中身チェックでもしてみるか」と思っただけだったのに、この地図はわが書斎に<居座って>しまった。

こうした「軍事地図」に関心のある方もおられるだろうから細かい寸法を紹介しておくと、全体の「仕上がり寸法」は幅2,145mm、高さ2,245mmでほぼ正方形。B全判(1,085mm×765mm)の地図印刷専用紙を横に2枚、縦に3枚の計6枚を貼り合わせるいわゆる「6枚はぎ」で、継ぎ目部分に25mmの「のりしろ」がある。郵送のしやすさを考えて受け取ったほうで貼り合わせて使うようになっていたらしく「仕上がり寸法」と書いた。まだ貼られてはいないので<未使用>なのだろう。

最初にチェックしたのはもちろん発行年月日だが、これは当てが外れた。なぜかというと右から「昭和十二年十一月九日」と印刷されていたのを「二十年九月」と間違えた単純ミスだったから、なーんだ、の結末ではある。正しくは十月二十五日印刷、十月二十九日発行、十一月九日第四版発行で、東京市麹町区九段1丁目5番地にあった財団法人軍人会館の印刷所、出版部がそれぞれ担当している。出版部:電話4101~4108とあるから、出版部だけで電話が8回線もある結構大きな組織だったか。

ここで昭和12年(1937)はどういう年だったかというと、6月に軍・官・民の挙国一致内閣といわれた第一次近衛文麿内閣が成立した。翌7月7日、北京郊外で日中両軍が衝突する蘆溝橋事件が発生、軍部の戦争拡大派が主張した日中全面戦争へと進んだ。8月になると戦線は北支(黄河以北=華北)から中支(華中)に拡大、上海で海軍陸戦隊と中国軍が交戦する第二次上海事件が起きた。同じ8月には戦争に協力する国民精神総動員運動がはじまり、映画には「挙国一致」「銃後を護れ」のタイトル字幕が登場。9月、内閣情報部が「愛国行進曲」の歌詞を募集、10月、国民唱歌の第1回ラジオ放送は「海ゆかば」だった。12月には占領まで2カ月以上もかかった日本軍の南京攻撃が始まった。<銃後>の国民の生活に戦争がひたひたと迫ってきた時代でもあった。

この前年の12月には共産党討伐を督励するために西安を訪れた蒋介石を張学良が監禁して内戦停止と一致抗日を迫った西安事件が起こる。張学良は関東軍によって爆殺された満洲軍閥・張作霖の息子で抗日運動家である。張が「まず先に日本軍と戦い、そのあとで国内平定を」と主張したのに対し、蒋介石は逆に国内平定を譲らなかった。北支には鉄や石炭、綿花、塩などの重要資源が豊富で、関東軍を<先兵>とした日本がどうしても欲しかった地域である。さらに多額の<秘密資金>を稼ぐアヘンの産地でもあった。

そういう視点からこの作戦要図を見るとなかなか興味深い。ご覧のように基本は黒、赤、青の3色刷りである。

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中央の少し上にあるのが北京、その北東にある密雲の北は満洲国である。満洲にいた関東軍は南へと進軍してきたようで、北京の上に7/17-18、天津には7/19という日付がある。そこからは線路沿い、あるいは主要道路沿いに戦闘が拡大していく。そして10/30の日付が最終である。次に赤線は中国軍(共産党軍?)の前線、青線は日本軍の前線と思われるが、保定などは、ぐるりと青線が町を取り囲んでいるのはなぜだろう。日本軍が周囲から攻撃しているが攻めあぐねている<膠着状態>をあらわしているのだろうか。印刷日が十一月九日となっているので青色の部分は、版を重ねる都度、新しい戦況に差し替えられた。逆に赤線がいくつか青線の位置関係と入れ替わっているのは赤色の版の「校正もれ」と見る。だが、青の点線は何を指すのかなども含め、自信がないので<研究中>としておく。

ところで、この地図の左上の余白に「陸軍認可済」とあるのに、地図には肝心の縮尺がない。北京―天津間は110キロあることから換算して地図は「250万分の1」とわかったが、縮尺はなぜないのか。日本地図を重ねたイメージで紹介すると東京以西、下関あたりまでがこの地図にすっぽり横向きに入りそうだが、広さが具体的にわかる縮尺がないのは進軍の困難さを隠したかったのだろうか。

もうひとつはいちばん右下の「定価金九拾銭、送料金十銭」のところ。有償頒布だったからこそ注文したこの旧家に納品されたとしても、こんな大きな地図を何に使おうとしたのだろうか。子息が北支戦線に出征して無事を案じていたとしてもそこまではしないだろうし。

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余談ながらこの地図と同じようなものが「売り物」として全国の古書店などに現存しているのかをネットで検索してみたが「ヒットせず」だった。ご関心ある方、当方これ以上の探索はできそうにないので地図の活用になるなら昔の広告ではないが<惜譲=惜しいけど譲ります>ということでいかがかな。いやいや、これは冗談ですけど。

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