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私の手塚治虫(12) 峯島正行

「RUR」から鉄腕アトムへ

「ロボット」の誕生

チェコスロヴァキアの思想的作家で、おなじみのロボットという名称の創始者、カレル・チャペックが、ロボットを主題にした戯曲「R U R」を発表したのは、一九二一年(大正九年)である。原稿はその前年に脱稿していた。第一次大戦が終わった直後である。一九一八年に、ベルサイユ講和条約が締結されたばかりのときである。

この大戦中、機械工学の発達が著しく、軍事科学が頂点に達したと思われるほど、次々と新兵器が開発され、両軍の兵士の損害は夥しいものであった。戦車、戦闘機、化学兵器などが戦場を暴れまくった。

チャペックの研究家、田才益男はこれまで人間が営々と育て上げてきた「機械文明が実は、人間虐殺の優れた道具になり得ることを第一次大戦が証明したのを目の当たりにして、機械文明に疑問をもつようになる」(チャペック戯曲全集 八月社 二〇〇六年 訳者あとがき)という。

チャペックは、その一方朝夕、神に額づき、額に汗して、耕す古い伝統の中にもいいものものがあるという心境にもいたる。チャペックのそんなところは、後年の手塚治虫にも通ずるところがあると思われる。

そしてドイツ帝国は崩壊、ソビエト連邦の誕生、国際連盟の進展などがあり、二度とあのような人間の大殺戮は行われないでほしいと全世界の人々が願っているとき、このロボット物語は発表されたのだ。

「R U R」の正式な名称は「Rossum‘s universal  robots―ロッサムズ・ユニバーサル・ロボッツ」で、タイトルは英語になっている。本国ではエル・ウー・エルと、チェコ語読みの表記で通用しているそうだ。ロボットという言葉はこの時初めて使われた、全くのチャペックの造語で、この戯曲が発表されてから、一般語として世界に通用することになったのである。わが手塚治虫の「鉄腕アトム」もそのロボットの一つである。

ロッサムズ・ユニヴァーサル・ロボッツとは、未来のとある孤島にあるロボット製造会社の名称なのだ。この企業ではすでに多くのタイプのロボットを製造し、世界中に輸出している。人々は、このロボットをありとあらゆる生産労働に従事させている。その社長、ハリー・ドミンは、劇中で次のように言う。

「……10年後までに、ロボットはたくさんの小麦を生産し、多くの織物そしてほとんどすべてのものを生産するから、いわば物にはもはや価値がなくなる。さあ、みんな欲しいだけ取れです。貧困はありません。そうです、労働ななくなるでしょう。そして仕事は存在しなくなります。すべてを生きた機械がやってくれます。人間はただ好きなことやればいい。ですからひたすら自分を完成させるためにだけ生きることになるでしょう。やがて人間が人間に仕えるということはなくなり、物質に対する人間の隷属もなくなるでしょう。もはやパンの代価を生命と憎しみで支払う必要もなくなります。」(田才益夫訳、チャペック戯曲全集、RUR)

と、ロボット製造会社のドミン社長の言うことは、最初の段階では正しかったといえよう。

ロボットに滅ぼされた人類

かくして労働から解放された人間はどうなったか。女性は子供を産まなくなり、出産率は0パーセント、出生率0パーセントの日が続く。

やがてロボットが世界中にあふれんばかりに行き渡った。ロボットの人間に尽くす姿に対して、ドミン社長の夫人、ヘレンの、ロボットにも人間的な心の働きを与えるベきだという主張が通ってしまった。

ロボットは泣きもし笑いもして、自己主張をするようになってしまった。その為にロボットは人間に抵抗することを覚え、ついには人間に対する反乱がおきて、圧倒的に数において優勢なロボットによって、人類は滅亡する。

ところが思いがけない、ロボット世界に衝撃が走る。ロボットは機械工学の産物だから、自然摩耗して末期にいたる。その生命は二〇年程度しかない。しかしロボットたちは,自分自身を製造する方法を知らない。その製造法を記した膨大な書類は、ロボットをこれ以上造ってほしくない、という社長夫人ヘレナによって焼却されていたのだ。

ロボット社会に生き残った、たった一人の人間がいた。ロボットとともに労働することに生きる意味を見出していた建築技師、アルキストであった。ロボット社会の滅亡を前にして、ただ一人の人間となった彼は全ロボットの崇拝の的になるが、彼とてロボットの、再生はできない。

そのうちに犠牲者たらんとするロボットが名乗りでた。自らに、その体を解剖して、新しい生命しい命を作ってくれと嘆願した。アルキストたちが努力してようやく生命を持つ一対ができたが、ロボット社会は既に消え失せ、あらたなアダムとイブによって人間再生の第一歩が踏み出される。

というのが物語の骨子であるが、これを読んでゆくと、当時のチェコ国民の不安というよりチャペックの時代に対する反発が、物語の背景にあるように私には思えるのだ。

この物語が描かれて十年語には、ヒトラーのナチスによって侵略的独裁主義政治が確立された。やがてチェコスロバキアが、最も強くその影響をうけ、チェコ固有の地、ズデーテン地方をヒトラーにむしりとられ、ヒトラーの侵略欲はとどまるところを知らず、チェコ全土の占領のまで発展し、ついに第二次大戦に突入してゆくのである。こうしてチャペックの最も恐れた事態へと、全人類は突入させられてゆくのである。

第二のロボット「山椒魚戦争」

チャペックはもうひとつ、RURと並んで、恐ろしい警告の物語を発表している。それはナチスが隆盛を極め始めた一九三五年に新聞に連載され、翌三六年に出版された小説「山椒魚戦争」である。来栖継の翻訳で、岩波文庫に入っている。今それによってこの小説の内容を概観してみる。

東南アジア一帯の海域で、仕事をしていたオランダ船の船長が、偶然インドネシアの小島で、人間の言葉を理解し、道具を扱ええる山椒魚の群れに遭遇する。彼らに教えると真珠貝を海底から探してくることが分った。

船長は彼らを使って真珠の採取を事業化する可能性を見出し、本国の大事業家と連絡し、その協力で、この事業化を創める。

この島にやってきた青年たちによって山椒魚の存在が喧伝され、山椒魚の学問的研究も行われ、また見世物などにも登場させ、彼らが会話できることが世界に知られていった。

山椒魚の発見者の船長が死ぬと、大事業家は、真珠採取という一事業から撤退し、山椒魚が海中でのあらゆる作業に使えることに着目し、その力により海底の大開発に着手した。それが、成功をするのだが、この時点で、山椒魚は六〇〇万頭を数えた。

そして山椒魚の利用は世界に広まり、山椒魚の方もその間に、多くのことを学び取り、彼らの生活も向上した。そして彼等を利用することで人類にも多くの富がもたらされた。だが一方、山椒魚の独自性の意識も向上した。

世界の各国は山椒魚を武装させ、海面下で戦争を起こさせるに至った。既に山椒魚の個体数は、人間をはるかに超え、人間社会は山椒魚に強く依存するようになっていった。

そのことを危惧する識者も現れ、山椒魚は人間の未来にとって危険だという意見もでてきた。

ある日アメリカの海岸線で大規模な地震が起き、陸地が広く埋没した。つづいて、中国、アフリカで同様な現象が起こり、世界は動揺する。すると山椒魚総統が、人類に対する反抗声明をだした。それによると、今までの大事件のすべては山椒魚の手によるものだというのだ。山椒魚は生存上、浅い海域が必要であって、人間はそのための技術供与を惜しんではならないと主張していた。

人間への革命であり、反逆であることがここにはっきりした。世界各国は、これに対抗して、山椒魚への攻撃を試みるが、ことごとく失敗し、さらに海上封鎖が行われて、窮地に人間は陥る。そして陸地の水没は続く。かくて人類は滅亡に向かう。

この長編では、山椒魚が人類を滅ぼした後山椒魚は二つの、グループにわかれ激しく抗争し、果ては食うか食われるかの戦争を起こすが、化学毒液や培養した殺人用バクテリアを平気に使ったために、世界中の海洋が汚染され、結局、山椒魚は全滅してしまう。

科学技術の進歩は幸福を呼ばない

このように人間は自ら作り出し山椒魚によって滅亡され、その山椒魚もまた戦争で、自ら全滅してしまう。まさに先のロボットの二の舞である。

「山椒魚戦争」の文庫版の巻末に訳者来栖の解説が掲載されているが、その中で訳者は次のように述べる。

「私は『山椒魚戦争』をチャペックに描かせた最大の要因は、人間は自ら作り出したものによって滅びるのではないか、という恐怖ないしは危機感ではないかと思う。つまり「R・U・R」のロボットが山椒魚に姿を変えただけのことなのである。そしてその山椒魚は、その後、現実の原水爆・核兵器となって、我々人類を死滅させようとしている。科学、技術の発展は、さらに『公害』をいたるところにまき起こし、このままでは地球上の人間の生存そのものが危ぶまれるほど」だといい、さらに次のことも付け加えている。

チャペックが生きていた時代の様相から見て、かれは「人間自ら創り出した科学・技術によって滅びるというよりも、やはり、人間の中から生まれた全体主義的な思想、哲学、体制によって発展を阻害され、滅亡する危機に立っているということの方が、より強調したかったのではないか、と思えてきた」

とも述べている。これはヒトラーのナチス、ロシアの一党独裁共産革命をさしているといえよう。

山椒魚が出版されて二年後、チェコはナチスドイツ軍のために、全土を占領され、反ファシズム、反ヒトラーを露わにした、この書が、ドイツからにらまれるのは当然であろう。「山椒魚」の終わりに近く、人間と戦争する山椒魚軍の総指揮官が、実は人間であって、その男は本名をアンドレアス・シュルツェといい、第一次大戦中はどこかで曹長を務めていたと、さながらヒトラーを思わせる記述をしている。これだけでもナチスとしては、許せなかったに違いない。

チャペックは幸か不幸か、祖国がドイツに蹂躙される前年のクリスマスの朝、肺炎でこの世を去った。翌年、チェコがドイツに占領された時、早速、ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密警察)が、チャペックの自宅にやってきた。

作家であり俳優でもあったチャペック未亡人オルガ・シャインブルゴバーは「残念がら、チャペックは昨年のクリスマスになくなりました」と皮肉を込めて言ったという。

チャペックの世界では、ロボットにしろ、山椒魚にしろ、機械的に、科学によって実現された、あるいは養成された最高の機械であり家畜である。それによって人類は滅亡したしたのだが、チャペックの研究家、田才益夫は、さらにその先を心配して、以下のように書く。

「チャペックと言えども、まさか将来、人間が生きた人間を生産できるようになろうとは、想像もできなかっただろう。ところが、今、クローン技術によって、生殖によらずして人間が人間を再生産することができるようになった。」

このことに説明を加えると、人間の生殖細胞を取り出し、人工的に人間を生ますことをクローン技術というが、それにより、同じ遺伝的特徴を持つ子を人工的に生産することができるのである。つまり同質人間の大量生産が可能になったのである。まだ人間は、はその実行には移っていない。人類の倫理がそれを許さないからだ。

田才は続けて言う。

「ロボットが機械である限り、それがどんなに人間に近づいても、人間は恐れる必要はないだろう。生きた人間のロボットが、出現した時、つまり怖いのは人間が機械になる時だ」というように語っている。

以上要するに、人間は今に科学知識を向上させても、その為に自らに首を占める結果になるし、また科学が生み出したものを政治的、独裁的権力者の手に渡るときは、戦争は尽きない、したがって人間の衰亡に導かれる……。チャペックの考え方を推し進めると、このように要約できるのではないか。

そうして、わが手塚治虫の心情の奥においても、ほとんど同じような思想が隠されていたのではないか、と私は思う。おいおい、それを作品の上から探ってゆくのであるが、ひとまず、この問題を棚の上に置いておく。

「鉄腕アトム」は何をもたしらたか

この回の初めから、ロボットという言葉が何回も出てきたが、単純に日本で「ロボット」という言葉からまず連想されるのは、『鉄腕アトム』であろう。この手塚治虫の作品の内容は、だれでもご存知だろうから説明の用もあるまい。

そしてそれがアニメ化され、あのかわいい無敵なアトムが、軽快な小気味よい主題曲のメロデーに載って、大空に、宇宙の果てに飛んでゆく姿を、茶の間のまのテレビで、眺めた頃を思い起こすだろう。

チャペックのロボットと違って、あれだけ人に愛されたロボットはなかった。アメリカをはじめとする外国でも、あのアニメは放送され、いわば世界のアイドルであった。

「鉄腕アトム」は昭和二六年に雑誌「少年」(光文社)誌上で生まれた。最初連載は「アトム大使」という題名で一年続いたが、その中の登場人物として、アトムというロボットが出ていたが、強くてかわいいという主張でアトムを主人公として、新たに連載が始まった。

「ロボットが主人公になるが」

という手塚に対して、編集部ではそれも面白いだろう、という返事だった。新しいロボット漫画として、手塚は期するところがあって「鉄腕アトム」を描きだした。

それが圧倒的な人気が出て、昭和四三年(一九六八年)まで、掲載が続く。その後もいろいろな形で、雑誌に掲載され、それらが様々な形で、出版された。昭和五六年の段階で、その発行部数は、1億冊を突破したというから、驚く。

一歩映像化の方は、昭和三三年から、初めての国産テレビ・アニメーションとして、手塚が主催する「虫プロ」で制作、フジテレビで放映された。

この虫プロ第一作は、平均視聴率30%を超える人気を博した。やがてはカラー版の二作目も登場した。その後もいろいろな形式で、映像化されている。「アトム」は日本人全体の心の奥底に浸みこんだといえよう。手塚が国民作家たるゆえんである。

この物語の中では、アトムはいつの頃活躍したのか。ロボット製作技術が進歩し、プラスチックから、人造皮膚が発明され、それをロボットに取り付けて、それまで金属製だったロボットがやっと人並みの体になった。それは1978年ごろであった。そのころから、世界各国では自分の国のロボットの技術を隠し始め、ロボットの輸出も禁止された。

しかしロボットの技術は日に日に進み、、普通に話もでき、怒ることも笑うことも、人間並みとなり、人間の仕事は何でもできるようになった。

政府の科学省では、年に五千体のロボットを生産するに至った。かくしてロボット人口は増えてゆき、学校でも、人間と同じように勉強するようになった。そして、ロボット法という法律ができた。

その内容は、例えば第1条は、ロボットは人間を幸せにするために生まれたものである。第13条では、人を傷つけたり、殺したりできない。

これらの法律は厳重に守られ、ロボットと人間の関係は、緊密なものになっていった。

手塚はこのロボット世界の進行について、「『鉄腕アトム』は昭和26年に始まりましたが、以上にのべたロボットと人間の関係は昭和二六,七年頃ぼくが未来を想像してかいたものです」といっている。(アトム誕生 一九七五年6月20日 朝日ソノラマ『鉄腕アトム』①)

アトムというかわいい少年ロボットは、そうした中で生まれた。だがある事件で、アトムは商人の手で、売られ点々と苦労の放浪しいていた。

そのアトムを救ったのはお茶の水博士だった。サーカスに出ているアトムを一目見て、ただ物でない天才的能力を秘めていることを見抜いた。博士は直ちにアトムを引き取り、深い慈愛のもと、親代わりとして勉強させ、訓練し、あの強くてかわいい鉄腕アトムを完成されたのだ。

そうして出来上がった能力を列挙すると、1、ジェット噴射で空を飛び、身体が宇宙ロケットにかわる。2,六〇か国語を自由に操る。3、人間の心の善悪を感じ取る能力がある。4、聴力を千倍に出来、目がサーチライトになる。5,お尻からマシンガンを発射でき、6、その体力は十万馬力に達する。

このような超能力を発揮して、正義のため、平和のために、人間への愛情のため、あのかわいい姿を以って、大空を、宇宙のかなたに、ががたる山中に、深い深い大海の底まで飛び回り、走り回る姿に、雑誌のうえで、茶の間のテレビの前で、日本中の、いや世界中の人の心を躍らせたのであった。

だがしかし、手塚は前掲漫画書の中で、自画像に語らせている。

「昭和二六年からもう三〇年近くたっています。コンピューター文明はひましにすすんでいます。

しかし科学全体から見たらどうでしょうか。

ロボット法の第一条の「ロボット」を「科学文明」に置き換えてみたとき、「科学文明」は、はたして人間を幸せにできたでしょうか……」

この手塚の言葉を押し詰めてゆくと、カレル・チャペックの懸念、憂慮と同じことになりはしないだろうか。(つづく)

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