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“6月6日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1944年  第二次世界大戦における連合軍最大の戦い「ノルマンディー上陸作戦」が始まった。

おととい、6月4日の「ダンケルクの戦い」のところで紹介したからもういいか、と思っていたらリクエストがあって。だってコーネリアス・ライアンの戦記『The Longest Day』(邦題:史上最大の作戦)にしても相当な厚さだし、映画『史上最大の作戦』も3時間の大作ですからとりあえず図書館に出かけた。ヴェルレーヌの詩などつぶやきながら。

  秋の日の ヴィオロンの ためいきの
  身にしみて ひたぶるに うら悲し

上田敏の翻訳詩集『海潮音』に「落葉」というタイトルで紹介され別名が「秋の歌」。この第1節の前半部分「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」がその月の1日か15日にBBC放送のニュースで流れるとヨーロッパ大陸にいるレジスタンスの全グループへの「連合軍の上陸近し。準備して待機せよ」という暗号メッセージだった。

6月1日、午後9時のニュースの「個人的なおたより」でこの暗号が放送されたが当然ながらこの情報は<漏れて>いた。ベルリンのドイツ国防軍情報部は最高司令部と上陸の確率が高いと踏んでいたカレー方面守備軍に連絡した。ドーバー海峡の最狭部で、ダンケルクの西80キロにある。ところが情報は北部防衛軍の総指揮をとるロンメル元帥には伝わらなかった。戦車隊を中心とする最強の機甲部隊の配備を完了し、最高幹部のほとんどが「商業ラジオで作戦を予告する軍司令部など、この世にあるはずがない」と<思い込んで>いたから。想定された<最前線>からの連絡はこの日も「本日もなお進攻切迫の情報なし」だった。

ロンメルは3日、妻への誕生日プレゼントとして<サイズ5半>のグレーのスェード皮の手作りシューズを買いにパリへ出かけた。4日は激しい暴風雨をついて午前7時過ぎに、副官らを連れて数ヶ月前から日程調整して総統ヒトラーにも許可をもらっていた妻への「誕生日休暇」で前線本部を離れた。「この分じゃ敵も当分攻めてこない」と思いながら。

5日午後9時、BBC放送から「秋の歌」の後半部分「身にしみて ひたぶるに うら悲し」が流れた。傍受した国防軍情報部は最高司令部と関係すると思われた各部隊へ警報を発したがどの部隊も表立った対応は取らなかった。

詩に隠された意味は「放送された日の夜半から48時間以内に上陸は開始される」だった。
こうして作戦決行日「Dデイ」を迎える。現地時間6日午前0時を期して「いちばん長い日」が始まった。

先頭はアメリカ、カナダ、イギリスの空挺部隊1万8千人で、それぞれが「デトロイト作戦」「シカゴ作戦」「トンガ作戦」と名付けた内陸部への降下作戦により敵の背後をかく乱する重要な役割だ。緊急発進したドイツ軍戦闘機を避けながら短時間のうちに確実に地上に降り立つ危険極まりない任務で、それを予想したドイツ軍は川や運河をせき止めて沼沢地を広げていた。足元はるか下の暗闇が<陸地>であることを信じて飛び出した多くの兵がそのまま沼地に沈み、あるいはドーバー海峡の荒波に吞まれた。

図書館で何を調べようとしたか。アメリカ陸軍第82空挺師団第505空挺歩兵連隊第2隊長ベンジャミン・バンダ―ボルト中佐の部下、ジョン・スティール2等兵の<その後>である。彼は運悪くドイツ軍がうじゃうじゃいるサン・メール・エグリーズ村の中心部にある教会の尖塔の屋根にパラシュートが引っ掛かってしまう。1962年に製作されたアメリカ映画『史上最大の作戦』の見せ場のひとつで、バンダ―ボルト中佐をジョン・ウェイン、スティール2等兵を喜劇俳優のレッド・バトンズが演じた。彼はドイツ兵に見つかり、足を撃たれたが2時間以上「死んだふり」を続け、捕虜になった。これは本当にあった<実話>でその後、ここにできた「エアボーン博物館」の目玉展示のひとつとして教会の同じ場所にスティール2等兵そっくりの人形がいまもぶら下がっている。

夜明けを期して海を埋め尽くした本隊がめざした上陸地点はカレーからは南南西に350キロ離れたコタンタン半島の裏=西側のノルマンディー海岸だった。
海岸に殺到した上陸用舟艇には「瞬時の間にフィルムというフィルムを撮りつくした。フィルムのない空っぽのカメラが手の中でふるえていた。予期しない、新たな恐怖が頭のてっぺんから、足のつま先まで私をゆさぶって、顔がゆがんでいくのが自分でもわかった。見渡す限りの死んだ兵隊たちは、いまは身動きひとつせずに横たわっていた。波打ち際の彼らはただ、打ち寄せる波に転がされていた」と自伝『ちょっとピンぼけ』に書いた写真家のロバート・キャパもいた。

題名を『史上最大の作戦』と名訳したのは当時、日本ユナイト映画の宣伝部にいたのちの映画評論家で日本テレビ「金曜ロードショー」の解説者になった水野晴郎だ。
肝心のスティール2等兵のその後。いったんは捕虜になりながら脱走し他の部隊を転戦して終戦を迎えた。まさしく強運の人だった。

「映画って本当におもしろいもんですね」の水野サンへ。「いやいや、人生も」です。

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