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季語道楽⑻ 「麦秋」「氷雨」「御来光」すべて夏の季語? 坂崎重盛

すごいですねぇ、この五月の中ごろから下旬にかけての気象。

晴れていたかと思うと、一点にわかに掻き曇り、なにやら湿った風が吹いてきたな、と暗くなった空を見上げていると、ゴロゴロゴロと雷の音。と、バラバラと大粒の雨が。

テレビをつけると、雹(ひょう)が降ったとか、落雷で樹の下にいた親子が被害に合ったとか。

先日、日本橋を歩いていたら、祭の提灯が下がっていました。壁に貼られていたポスターを見ると、山王の祭、そうか、ここ日本橋も永田町の日枝神社の氏子になるのか、と知らされました。絵は明治中葉の石版画。男髷に右肌ぬぎ、伊勢ばかまに、手甲、脚絆、背に花笠、左手に鉄棒、右手に扇の手古舞スタイル。

先日、日本橋を歩いていたら、祭の提灯が下がっていました。壁に貼られていたポスターを見ると、山王の祭、そうか、ここ日本橋も永田町の日枝神社の氏子になるのか、と知らされました。絵は明治中葉の石版画。男髷に右肌ぬぎ、伊勢ばかまに、手甲、脚絆、背に花笠、左手に鉄棒、右手に扇の手古舞スタイル。

いよいよ夏の到来です。夏の季語を見てみよう。

まずは、単なる「夏」。

夏は旧暦では、立夏から立秋まで。月でいえば五月、六月、七月。この夏のことを、「九夏」(夏の九十日間のこと)、「三夏」(初夏・仲夏・晩夏の総称)とも、また、漢名として「炎帝」「赤帝」「朱明」「朱夏」ともいう。

同じ音の「しゅか」でも「首夏」と書けば、これは「初夏」、「夏初め」のこと。

さて、夏の季語で、前にも少しふれたが、知らないと間違いやすい季語の一つに「麦秋(ばくしゅう・むぎあき)」、「麦の秋」「麦秋」がある。

「秋」という文が入っているので、つい、秋の季語と思い違えるかもしれないが、農家の人ならご存知のように、麦は夏の梅雨期の前に穂が黄金色となり刈り入れどきを迎える。

これも「秋」の字が入るので誤りやすいのが「夜の秋」あるいは「秋隣り」。これらは晩夏、どこかに秋の気配を感じる時候の季語。

「凉し」とあれば、これも秋ではなく夏の季語。「晩涼」(ばんりょう)、「夜涼(やりょう)」、「月涼し」「星涼し」ももちろん夏の季語。

夏の句会でよく登場する季語の一つ「半夏生(はんげしょう)」。最初、この言葉を聞いたときに、(なんだ、このハンゲショウという、なんとなく禍々(まがまが)しさを感じさせる言葉は)と印象に残った。

「半夏生」、「半夏」とも「半夏雨」ともいう。夏至から十一日目の新暦の七月二日ごろ。この後の五日間も指す。農家では、この梅雨が上がるこの時期に田植えを終るように努める。

この日に雨が降ると大雨が続く、とか、稲作の豊凶を占う地方もあるという。

インターネットで、検索すると、「半夏生」、ラッカーの白ペンキを葉に半分吹きつけたような、ドクダミ科の多年草(別名、カタシログサ)の姿を見ることができる。しかし、これとは別種のサトイモ科のカラスビシャクのこともあるようで、植物の呼び名が地方によって多種にわたることは珍しいことではない。

それにしても「半夏生」、時候としての季語と、植物名があるので、ちょっと混乱する。

例句を見てみたい。

風鈴の夜陰に鳴りて半夏かな        飯田蛇笏

昼前に雷もありたり半夏生         肱岡千花

卓上日記いま真っ二ツ半夏生        鈴木栄子

いつまでも明るき野山半夏生        草間時彦

半夏生草のはみ出す縁の下         若井新一

一般には耳慣れない夏の季語に「三伏(さんぷく)」がある。「三伏の猛暑」などともいい、夏の最も暑い期間をいう。陰陽道からの言葉で、第三の庚(かのえ)の日を初伏、第四を中伏、立秋後最初の庚を末伏、この三期を「三伏」という。

明治期の「東京名所絵」のひとつとして多く描かれた「堀切菖蒲園」。現在も、この時期は行楽客でにぎわいます。といっても、この絵に見るような、粋な茶屋は望むべくもありません。

明治期の「東京名所絵」のひとつとして多く描かれた「堀切菖蒲園」。現在も、この時期は行楽客でにぎわいます。といっても、この絵に見るような、粋な茶屋は望むべくもありません。

夏の風では「南風」、「黒南風」、「白南風」、「青嵐」がある。

「南風」は、ただ「みなみ」とも、「はえ」「まぜ」「まじ」とも。「黒南風(くろはえ)」は梅雨どき暗い空に吹く風。「白南風(しらはえ)」は、梅雨明けの天が明るくなってから吹く風。

「青嵐(あおあらし・せいらん)」は、夏の青葉繁れる時期に、葉をゆらし吹く風。視覚からの季語。

これに対し「薫風」あるいは「風薫る」は、嗅覚による季語。歳時記は、日本人の五感のイメージ事典でもある。

これも句会に、よく登場する季語。「卯の花腐し(うのはなくたし)」。この時期、降り続く雨で、旧暦四月ごろ白く咲く卯の花も腐ってしまうという表現。

ちなみに、卯の花の咲くころの雨を「霖雨」(りんう・長雨の意)という。

雨でもう一つ。「虎が雨(とらがあめ)」、あるいは「虎が涙雨」。この雨は一日だけの期間限定雨。旧暦の五月二十八日、この日は曽我十郎祐成(すけなり)が討たれた日で、大磯の遊女・虎御前がその死を悼み、彼女の悲しみが雨を降らせる、という言い伝えによるもの。物語が季語となった一例。

さて、間違えやすい夏の季語の例として、すでにふれたつもりだが、「氷雨(ひさめ)」、これは「雹」(ひょう)のことなので、当然、夏の季語。ただ、冬のみぞれまじりの雨も氷雨というので、(「氷雨」という歌謡曲の名曲があります。こちらは歌の背景は冬です)、注意がかんじん。

もう一つ。「御来迎」または「御来光」。これは今日、普通に考えれば、富士山や木曽御岳などの日の出(とくに正月元旦)と思いがちだが、季語としては夏。

高山で日の出を迎えたとき、前方の霧に自分の影が映り輝くのを、昔の人は、仏様が自分を迎えにきてくれたと考えた。

スケールが大きく、神々しい季語だが、こういった圧倒的体験を句にするのは、かえってむずかしいのでは?

それにしても、この「御来迎」、一度は体験してみたいものです。

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