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季語道楽⑹ 「遠足」「ぶらんこ」「しゃぼん玉」──春爛漫の季語です 坂崎重盛

つい先週、桜が満開と思っていたら、一週間ほどで一気にちり、今は八重桜が重たい花房を垂らしている。

それにしても、今年の春はいつもより遅かったためか、木蓮(モクレン)も雪柳(ユキヤナギ)も花海棠(ハナカイドウ)も、そして桜も一斉に咲き競った。

明治中頃のお花見風景。仮装行列で盛り上がる集団もいる。常夜灯と「さくら餅」ののぼりが見えるから当然、隅田川・向島の堤。対岸をよく見ると屋根は浅草寺、塔は浅草12階。

明治中頃のお花見風景。仮装行列で盛り上がる集団もいる。常夜灯と「さくら餅」ののぼりが見えるから当然、隅田川・向島の堤。対岸をよく見ると屋根は浅草寺、塔は浅草12階。

四日前の朝は気温6度という寒さでしたが、今日の昼間は十八度。なんだか、とにかく、ねむい。まさに「蛙の目借時」。と、思っていたら、遠くでゴロゴロゴロと雷の音が。春雷です。

手元の歳時記をめくって「春雷」の項を見ると「一つ二つで鳴りやむことが多い」とか「たいがい一度か二度で止んでしまうことが多い」と書いてある。

こちらは「大阪名所」。桜の枝の短冊を見ると「桜の宮より造幣局を望む」と読める。中央の枠内は「天神橋の図」。明治30年3月の版画。

こちらは「大阪名所」。桜の枝の短冊を見ると「桜の宮より造幣局を望む」と読める。中央の枠内は「天神橋の図」。明治30年3月の版画。

なるほど、こうして原稿を書きながら、次の雷は? と耳をすましているのですが、あれっきり音はない。春の雷の特性を歳時記によって今日、初めて知りました。

とかなんとか言っている場合ではない。モタモタしていると春が終ってしまう。例によって面白そうな季語を拾っていってみよう。

ところで「春雷」に似たのに「初雷」がある。立春後初めて鳴る雷ということだが、これが「虫出しの雷」とか、略して、ただの「虫出し」ともいう。「啓蟄(けいちつ)」の頃によく鳴くことから「虫出し」となった。

──えっ? 「啓蟄」って?──ですか。この季語、あまりにも有名、知らなかったら歳時記か辞書を開いてみて下さい。ちなみに「蟄(ちつ)」は「虫が地中にかくれ、冬ごもりする」意で、「蟄居(ちっきょ)する」などの「蟄」でもある。

先に進みます。「遠足」、これが春の季語なんですね。季節がいいからでしょう。

もう一つ、学校関連で「種痘」。例のジェンナーが発見した天然痘の予防接種。学童が四月に実施されることが多かったので春の季語となった。

学童といえば「ぶらんこ」もなぜか春。かつて学童だった青春の世界では、たしかロココの画家・フラゴナールの作品に、森の中で若い女性が大きな樫(?)の樹の枝から垂らしたブランコに乗って遊んでいる図がありました。ま、それはいいんですが、彼女のスカートが大きくめくれて……それを下から見上げているのは彼女の恋人? が、じつに典雅な筆致で描かれている。

そんな絵画を見ると、なるほど「ブランコ」は春か、と納得してしまいます。季語としての「ぶらんこ」の興味深いところは、その表記のしかた。「鞦韆」はなにやらむずかし気だが一番知られている。これと同じ音で「秋千」ともいう。秋の季語と間違えないように。

その他「半仙戯」というのもある。空に舞う半分仙人のような様子からでしょうか(間違っていたら教えて下さい)。「鞦韆」や「半仙戯」は中国渡来の雰囲気ですが、ひらがなで「ふらここ」「ふらんと」もあります。友人の、「おたんこナース」の原作者・小林光恵さんの会社名は「フラココ舎」です。三十年ほど前はめったに歳時記など手にすることがなかったので、彼女の社名の意味がわからなかった。失礼しました。

それはともかく中国渡来といえば「曲水」、これも春の季語。王羲之の「蘭亭の序」には、この曲水の宴が詠われている。庭園の小さな流れに酒杯を浮かべ、杯が流れてくるまでに詩歌をつくる。もし、それができなかったら杯をほすという優雅な遊び。日本でも中国にならい中世の宮廷人の遊びとして今日、古式にのっとって太宰府天満宮や京都の城南宮などで催されている。

「曲水」はまた「流觴(りゅうしょう)」とも表わされる。この「觴」とは何ぞや? なんのことはない「杯」(さかずき)の漢語です。

行事に関連して「雁風呂(がんぶろ)」という春の季語がある。「雁供養」ともいう。これは、秋に渡ってくる雁が波上で翼を休めるためにくわえてきた小枝が海岸に散らばり落ちている。これを集めて風呂をわかし入浴するという、青森県外が浜あたりの風習。

野趣に富みつつ、雁の旅路に思いを馳せるところが雅ともいえる。

都会の風景も見てみよう。

「ボートレース」「凧(たこ)」「風船」「風車」「石鹸玉(しゃぼんだま)」すべて、これ、春の季語。

「ふうせん」とか「しゃぼん玉」は句会でも題として出されることも多いのでは。身近ではあっても作るのは意外にむずかしいかも。まずは風船から。

風船の子の手離れて松の上       高浜虚子

置きどころなくて風船持ち歩く     中村苑子

風船の中に顔あり風船屋        沼田一二三

風船が乗って電車のドア閉まる     今井千鶴子

なんとなくユーモラスな句が並びました。これも、あの風船の形や触感のイメージからくるものでしょうか。

渡し船に乗った人たちが空を見上げているのは風船が子供の手から離れて、空に上がってしまっったため。対岸の土手は桜並木。しかも鳥居の頭の部分が見える。ということは、隅田川・向島の堤。いわゆる墨堤です。

渡し船に乗った人たちが空を見上げているのは風船が子供の手から離れて、空に上がってしまっったため。対岸の土手は桜並木。しかも鳥居の頭の部分が見える。ということは、隅田川・向島の堤。いわゆる墨堤です。

ところが、

日曜といふさみしさの紙風船      岡本眸

となると、妙に、しんみりとした気配があります。「日曜といふさみしさ」がいいですね。ひょっとして、会えぬ人を思う恋の句なのでしょうか。春という季節でもありますし。

では「しゃぼんだま」。

流れつつ色を変へけり石鹸玉      松本たかし

しゃぼん玉吹いてみずからふりかぶる  橋本多佳子

しゃぼん玉山手線の映り過ぐ      藤田湘子

空に出て消ゆ焼跡のしゃぼん玉     金子兜太

例句はいろいろありましたが、私の好きな句だけ選んでみました。

「しゃぼん玉」というと、森繁久彌の歌っていた、あの声と調子を思い出します。

しゃぼん玉飛んだ

屋根まで飛んだ

屋根まで飛んで

こわれて消えた……

なんか、はかなく物悲しい歌ですね。

野口雨情の作詞、中山晋平作曲というゴールデン・コンビによる唱歌、大正十一年に雑誌「金の船」に発表されて以来、今日まで歌いつがれてきました。

「しゃぼん玉」──それは長淵剛の歌だろう って? あなたは若い! しかしそれを言うならモーニング娘の「しゃぼん玉」もあるそうです。作詞は、つんく、とのこと。

しゃぼん玉は歌心を刺激するのでしょうか。

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