季語道楽⑸ 貝寄風や吹きとんでゆく芸者たち 坂崎重盛
今年は春のくるのが遅かったですね。相撲の春場所が終わっても北風が吹く日があったりして。
でも、早い遅いといったって、来るものはくる。春が来れば夏が来る、夏が来れば秋が来る。あたりまえのことですが、私たち日本人は、このような四季の移りかわりを経験してゆく中で歳を重ね、そして一生を終えるのでしょう。
子供のときや、若いころにはあまり感じなかった四季折々の陽の光りやかげり、風のにおい、草木の芽吹きや開花や落ち葉に歳を古るにしたがい心動かされることになる。かえって、感受性が鋭くなるのです。
と、まあ、そんなゴタクはともかく、前回に引き続き、面白そうな春の季語をちょっとのぞいてみましょう。
まずは「東風」。もちろん「こち」と読みます。中学、高校の授業で習った人も多いのでは。俳句ではなく有名な和歌の例文で。
あの、「東風吹かばにほいおこせよ梅の花──」菅公・菅原道真の歌ですね。天神様、天満宮はこの道真をまつった社(やしろ)。
私が若いころの「東風」は、道真ではなくジャン・リュック・ゴダールの『東風』でした。この場合は「こち」ではなく「トウフウ」あるいは「トンプウ」とか言ったかしら。
それはともかく例句を少々、ご紹介。
手の地図をたたみかねつつ東風の景 阿波野青畝
なるほど実感がありますね。しかし、今日ではK・TAIで地図が見られるので、こういう光景も少なくなるかも。
暖簾(のうれん)に東風吹く伊勢の出店かな 蕪村
夕東風や海の船ゐる隅田川 水原秋桜子
そうそう、「東風」の意を書き添えることを忘れてました。
この風、文字どおり東から吹く風。いわゆる春風より少し前の季節に吹き、ときに烈しいときは「強東風(つよごち)」「荒東風(あらごち)」などという。「鰆東風(さわらごち)」、「梅東風(うめごち)」、「雲雀東風(ひばりごち)」などの季語もあるようですが、いままで自分は使ったことも、例句も見たこともありません。
春の風関連では、「涅槃西風」「彼岸西風」「貝寄風」といった季語があります。それぞれ、どう読みますか?
「ねはんにし」「ひがんにし」「かいよせ」ですね。「風」の字はあるが、これを読まない。
涅槃会(陰暦の二月十五日)前後一週間ほどに吹き続ける早春の寒さの残る西風が「涅槃西風」。「彼岸西風」も彼岸前後の西風。
「貝寄風」は大阪の年中行事に因む。旧暦二月二十二日(現在は四月二十二日)に行われた四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ)舞台の筒花を、この季節の風で難波の浜に吹き寄せられた(とする)貝殻で作ったことから。
「貝寄風」などはまだよく知られるほうでしょうが、難解季語の中には、このような地方の年中行事に因むものがある。なかには、行事そのものが消滅していたりして、いっそうなじみのないものになる。
「貝寄風」の例句として、
貝寄せや我もうれしき難波人 松瀬青々
貝寄風に乗りて帰郷の船回し 中村草田男
貝寄風や難波の蘆も葭も角 山口青邨
などとあるが、難波(なにわ)育ちではない関東者としては、アウェーな感じ。ただ、
貝寄風や吹きとんでゆく芸者たち 岸田稚魚
には、つい笑ってしまった。いいですねぇ、こういう句境。学びたいものです。
春の天文関連では、他に「風光る」、「霾る(つちふる)」、「霾風(ばいふう)」、
「霾曇(よなぐもり)」、「春霖(しゅんりん──春の長雨のこと)」、「佐保姫」(さほひめ──春の造化をつかさどる神)や、知らないと冬の季語と誤りかねない「斑雪」(はだらゆき)、「雪の果」(ゆきのはて)、「名残の雪」「雪の別れ」などがあります。
また「陽炎」(かげろう)のことを指す「絲遊」(いとゆう)「絲子」(いとし)さらには「野馬」(かげろう・やば)や、蜃気楼の別称「蜃楼」(かひやぐら)、「海市」(かいし)、「山市」(さんし)などもありますが、春の天文関連の季語は、ひとまずはこのへんで。
にしても、季語って本当に興味ぶかいですね。「絲子」という名の作家がいらっしゃいますね。この季節にお生まれになったのかしら。
それと、「海市」。福永武彦の小説の作品名にあります。(由来は中国宗代の詩人・蘇東坡の作品「海市」とか)これが、「かげろう」を意味する言葉だったとは……。
次回は、なんとか十日後には更新(のつもり)。