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池内 紀の旅みやげ ⒀ 謎の狛犬─埼玉県吉田町(現・秩父市)

神社に行くと狛犬(こまいぬ)がいる。拝殿の前方左右に威儀を正して控えたぐあいで、石の台座にのっており、通常は石づくり。ごくおなじみなので、誰も狛犬などには目もくれない。鈴を鳴らし、柏手を打ち、手を合わせて拝むとそれでおしまい。

コマイヌというから、犬が番犬のように番をしていると思いがちだが、犬ではなくて獅子である。タテガミ、特徴のあるギョロ目、ひらべったい大きな鼻、阿吽の「阿」のほうの開いた口からキバがのぞいている。あきらかにライオンなのに、どうして狛「犬」なのだろう?

それがまず一つの不思議であって、注意していると、ほかにもいろいろと不思議と出くわすものだ。たとえば大田区蒲田に近い六郷(ろくごう)神社には「都内最古」の狛犬がいる。拝殿前ではなく、かたわらの木立の中に保存されている。貞享二年(一六八五)、石工三右衛門の銘が入っており、関東一円でも、これより古い狛犬は見つかっていないという。すると少なくとも関東の神社に狛犬があらわれたのは江戸初期ということになる。そもそも神社にはつきものとばかり思っていたが、そうではないらしい。六郷神社は源頼朝が安房から鎌倉に向かう途中に立ち寄った記録があって、社殿はそのころからあったわけだが、狛犬があらわれるのは四百年ばかりもあとのことである。

さらに狛犬そのものが奇妙であって、ふつう見かける獅子スタイルとは大きくちがう。腰を落とし、前脚をそろえた姿勢は同じだが、目のへこみ、ダンゴ鼻、大きな口、犬というよりも人間とそっくりなのだ。古面などに見かける顔と似ており、日本人の顔の原形ともいえる。もしかすると石工三右衛門は、身近な誰かをモデルにして刻んだのではあるまいか。

狛犬巡歴二十年の科学史家・橋本万平著『狛犬をさがして』(私家本・一九八五年刊)によると、狛犬に関心を払うようになったのは、たまたま石巻市の羽黒山公園で異様な狛犬に出くわしたからだという。それまで「狛犬とは獅子というイメージを心に持ち、一つのきまった姿を心に描いていた」というから、たいていの人が身におびている狛犬観だった。

「異相の狛犬は一つのショックであった」

写真がついているが、獅子とは見えず、一対の一方が小振りにつくられていて、たしかに「人間の老夫婦」を思わせる。年号も何も入っていないのでわからないが、忘れられたような小祠のわきに置かれており、古いものであることはたしかである。科学史家もまた古狛犬に人間の顔を感じとり、以来、各地の神社に詣でるたびに狛犬をよく見て、写真をとるようになった。

いかにも学者らしく、その本には巡歴篇に加えて「狛犬の歴史と分類」の章があって、そこにくわしく語られているが、中国経由で仏教が入ってきたとき、守護の獅子もお伴をしてきた。飛鳥、奈良朝の寺には、木彫りの獅子や、宝塔に刻まれた獅子像が見える。

ところがなぜか、そのあと寺からはプツリととだえ、江戸になってやにわに神社にあらわれた。まるで「狛犬ブーム」のような現象が起きて、またたくまに全国の神社に狛犬がつきものとなり、現代にいたっている。

寄進者と石工がいて、石造りの狛犬が誕生する。姿かたちと石工の仕事場を追っていくと、スタイルや石からおおよその分類ができる。浪花狛犬、出雲狛犬、尾道狛犬、伊部狛犬、丹後狛犬、肥前狛犬……。『狛犬をさがして』には一応の分類がされている。いずれ全国十万対(推定)の狛犬をみてまわってから本格的な一書にまとめるつもりだったようだが、ひと区切りの私家本を出したのちに、地道な研究者は世を去った。

埼玉県秩父市の椋神社の狛犬は遠吠えをする!

埼玉県秩父市の椋神社の狛犬は遠吠えをする!

ここでお目にかけるのは埼玉県吉田町(現・秩父市)の椋(むく)神社正面にいる狛犬である。ごらんのとおり獅子ではない、犬、それも精悍な山犬、つまり狼を思わせる。「狛犬」の名称から犬とまちがえて作ったというのではないだろう。あきらかに石工は通常の獅子像のことなど一切考えず、もっとも強い生きものと考える姿で刻んだ。

埼玉県吉田町の椋神社の狛犬はオオカミのようだ

埼玉県吉田町の椋神社の狛犬はオオカミのようだ

日本の狼は明治三十年代に死滅したといわれているが、はたしてそうか。以後もずっと各地で、眼光鋭く、威風堂々としたケモノを見かけたり、地鳴りのような遠吠えを聞いた話がつたわっている。秩父地方の守り神、三峰神社はオオカミがお仕えをして、お札(ふだ)には山の王のようなたくましいオオカミが刷りこまれている。

明治十七年(一八八四)十一月一日の夜。この椋神社の境内に白鉢巻、白いタスキの人々が三千あまり集結して、厳しい誓いを立て、そののち小鹿野、秩父市中へと押し出した。世にいう「秩父困民党蜂起」である。ほんの数日で鎮圧されたにせよ、民衆による民衆のためのコミューンを実現した。なにごとにも「おかみ」の指図に従うのが通例の日本人社会にあって、およそ希有(けう)な事件だった。二匹の狛犬はそんな人々の出発を、じっと見守っていた。

狛犬は歴史から忘れられ、江戸になってわけもわからずブームのようにひろがったせいか、研究もほとんどされていないそうだ。名称はもとより、古い狛犬が異相をしていて、なぜ人間に似ているのか、興味深いテーマではなかろうか。

【今回のアクセス:西武秩父駅よりタクシーかバスで椋神社前、約二十分】

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