はじめに

2023.07.25 2022.12.22

山あいの町

伊藤謙介  私は山あいの町で生を受けました。 中国山地の奥深く抱かれ、清流に沿って縫うように走る街道の両側に、張りつくように民家が立ち並んでいました。   そんな田舎町に、日華事変の年に生まれ、太平洋戦争の開戦を四歳で...

『みんな、子供だった』

『みんな、子供だった』 Toutes les grandes personnes ont d'abord été des enfants, mais peu d'entre elles s'en souviennent...

最近の記事

書庫

おとなはみんな子共だった

おとなはみんな子共だった

『みんな、子供だった』
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。」
(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、
 いくらもいない。)
『星の王子さま』 サン=テグジュペリ

「恋」の記憶というものは、その時の「あなた」を思い出せる、思い出したいということだ。だから、思い出せない「色の事」は…(色は匂へど散りぬるを我より)

続きを読む

『みんな、子供だった』
Toutes les grandes personnes ont d’abord été des enfants, mais peu d’entre elles s’en souviennent.
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。」...

続きを読む

私の幼少期を語るには父のことに触れざるを得ません。なにしろ、私が誕生した時、父はすでに50歳でした。父は明治27年、日清... (昭和の大家族の風景 より)

続きを読む

おとなはみんな子共だった

WEB遊歩人

WEB遊歩人

時を越えて、世代を越えて
技術や情報、先人の叡智や知識、知見を
後世の人々に伝えるために

ほしい人に必ず読んでいただける本として

本は、時代とともにその形を変えてきました。
パソコンが各家庭に普及し、インターネットのネットワークがどんどん広がる中、本や読書のスタイルは変わり続けています。
2002年「新しい本」の世界を作り上げたいという思いから『遊歩人』が生まれました。
ほしい人に必ず読んでいただける本としてあり続ける ―
『遊歩人』の挑戦はこれからも続きます。

WEB遊歩人

三百字小説

三百字小説

たかが300文字、
されど300文字。
一息サイズの小説世界を、お楽しみください。

たかが300文字、されど300文字。

「小説」を名乗っていますが、虚構(フィクション)に限らず、内容は自由。
ある種の実話や夢日記のようなノンフィクション…世間話や日々の生活にまつわる感想、批評…面白目撃談やあるあるレポート…
文字数が300以内であれば、何をどのように表現するかは、作者の着想、着眼、アイデア次第です。

三百字小説

脱腸帯と天花粉事件

阿部年雄  広島への原爆投下当日、建物の疎開作業に動員されていた母が爆心地からわずか1.5キロで被爆、顔や手などに大やけどを負った。前年に17歳で陸軍中尉だった父と結婚、わずか1週間の新婚生活もつかの間に父は任地の満州へ...

思い出すままに

鎌倉勤(猿楽町の長老)   小生、当会例会の定席である蕎麦の名店浅野屋さんのすぐ裏手に住んでいるが、神田っ子でも江戸っ子でもない。但し、オカアちゃんは生粋の神田っ子。小生はサザエさんのマスオ。九州は宮崎の山出しである。...
広島原爆ドームの画像

戦争の風景

寺本幸司(音楽プロデューサー) 昭和十二年(一九三七年)七月七日、中国の北京市郊外の永定河にかかる盧溝橋で日中両軍が衝突し、太平洋戦争に繋がる日中戦争の発端となった。妻子ある者を問わず、日本全土に徴兵令が下り、多くの男た...

山あいの町

伊藤謙介  私は山あいの町で生を受けました。 中国山地の奥深く抱かれ、清流に沿って縫うように走る街道の両側に、張りつくように民家が立ち並んでいました。   そんな田舎町に、日華事変の年に生まれ、太平洋戦争の開戦を四歳で迎...

B29を見た男     浜井 武

一九三八年(昭和十三年)生まれの私は、敗戦の日を、小学一年生のとき、二度目の疎開地だった愛知県の山奥で迎えました。 祖父が日本の植民地政策に乗っかって、満州と朝鮮に、「大阪屋号書店」という出版社兼取次業(戦後の取次店・大...

ガキのころ       土山勝廣

「おまえ、俺の子供の頃の話、聞きたいか?」 「別に、聞きたかねえな」 「そりゃそうだろう。他人のガキの頃の話なんて、興味ないからな」 「なにか、特別面白い話でもあれば別だが」 「面白い話って、どういうことだ?」 「たとえ...

パンツ泥棒          藤野健一

小学五年生の夏休みの事だ。 家の近くにある私立の中学校が、夏の期間中プールを安い料金で一般に開放した。昭和二十年代のことで、まだプールは珍しく、おとなも子供も涼を求めて押しかけた。大盛況で、泳ぐというより水に浸かるだけの...

コロナ感染でよみがえるあの日あの頃   阿部剛

7月4日アメリカ独立記念日、バカでかい星条旗をグランドいっぱいに広げ、さあ、大谷翔平がアストロズ戦先発投手だあ。例によって奪三振ショーで浮かれていたが、エンジエルスのアホ打線が鳴かず飛ばず。結局ボロ負け。毎度のことながら...