私の手塚治虫

私の手塚治虫(13) 峯島正行

ロボット法とロボット工学三原則   フランケンシュタイン・コンプレックス 私の少年時代は、あの怖い、恐ろしい顔をしたフランケンシュタインの話を読んだり、映画で見たりして、恐怖におののいたものであった。みなさんそういう経験...

私の手塚治虫(12) 峯島正行

「RUR」から鉄腕アトムへ 「ロボット」の誕生 チェコスロヴァキアの思想的作家で、おなじみのロボットという名称の創始者、カレル・チャペックが、ロボットを主題にした戯曲「R U R」を発表したのは、一九二一年(大正九年)で...

私の手塚治虫(11) 峯島正行

戦争で鍛えられた愛の精神 修練所のしごきに耐えて 手塚の漫画を描く根本思想は,まず生きとし生けるものを愛する心である。もう一つが、反戦である。全体主義、独裁的権力によって戦争が起こされ、愛すべき多くの人や生物が殺される。...

私の手塚治虫(10) 峯島正行

「人間ども集まれ」の完結    漫画集団の筆法   手塚治虫は成人漫画の作成には、彼のいわゆる、シチュエイション・マンガ手法を、多用したということを、前回、詳しく述べた。 手塚は成人漫画を描く場合、もう一つの特徴ある手法...

私の手塚治虫(9) 峯島正行

「天下太平」いずこへ 漫サンへの挽歌 暮れから正月、八七歳になった私が、公私にわたっていまだ経験したことのない大小の事件が、身の回りに起こって、ついついと、この文章を書くのが遅れてしまった。 その間に、この文章にも関係す...

私の手塚治虫(8) 峯島正行

 漫画家と権力との戦い それは銀座裏の飲み屋で始まった 前回は新漫画派集団の動きと、その実態は、アナーキズムの思想の影響下にあったことを書いた。ナンセンス漫画を描く専門の漫画家が、アナーキズム思想の影響下にあった、という...

私の手塚治虫(7) 峯島正行

 漫画集団とはなんであったか    評論家の浅薄な誤謬   手塚治虫が「COM」(四三年二月号)誌上で「石子順造氏への公開状」という文章を書いたことは、前回、のべたが、COMは同年六月号において、石子に「手塚治虫氏への反...

私の手塚治虫(6) 峯島正行

 成人漫画を描く   週刊誌ブームと漫画   手塚の大人漫画の執筆は、前回紹介した「兵隊貸します」(「漫画読売」昭和三一年三月五日号)以後、本格的な成人向け漫画の執筆は、特殊な例外を除いて、「別冊週刊漫画サンデー」昭和三...