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“5月19日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1560=永禄3年  今川義元が桶狭間で織田信長の軍勢に討たれ42歳の人生を閉じた。

義元が駿府の城を出たのが12日、せっかく服属していた尾張の鳴海城と大高城が織田勢の攻勢で苦境に立たされているのを打開するのが第一の目的だった。順調に自領を進み、18日に10キロ手前の沓掛城に入ると諸将を集めて指令を出した。松平元康(後の徳川家康)には大高城に兵糧を運び入れ、その後直ちに織田方の砦を攻撃するよう号令。自らは鳴海城に向かい、織田勢が抵抗すれば決戦で撃破すると宣言した。

駿河、遠江、三河の三国に合わせて尾張の一部を支配下に置く義元に馳せ参じたのは2万余騎。動員力が5、6百の織田勢がどうあがいても勝ち目はないと踏んで自信満々だった。
19日は早朝から松平元康らが大軍で織田勢の丸根砦と鷲津砦を攻撃、午前中かかって両砦を攻め落とした。同じく早朝に沓掛城を発った義元は正午前に桶狭間山の麓まで進み陣を敷いた。すべてが順調、自分の矛先には<天魔鬼神>も防げまいと高をくくって昼食後はくつろいでいた。

一方の信長は前夜も清州城にいた。義元の軍勢の規模などは伝わっていたが動かなかった。ところが夜半に目覚めると幸若舞の『敦盛』の一節を吟じた。
  「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり・・・」
すぐに戦装束を用意させ、暗いうちに主従6騎で熱田神宮に戦勝祈願をすると前線に移動し善照寺砦で2千騎を集めたがまだ動かなかった。傍観していたわけではなく義元の圧倒的軍勢を観察して状況を掴むことに専念した。そして敵の戦線が拡大しすぎていると<読んだ>のである。

正午過ぎ、一天にわかにかき曇り激しい雨が降り出す。急雨(むらさめ)といわれる雷を伴う豪雨で「石や氷が降った」とまで伝わるがそのくらい激しい雨だったか。信長自身も「熱田大明神の神軍(かみいくさ)か」とつぶやくほどで、日頃は神仏など信じないのに戦勝祈願の早速の効果を感じたわけだ。嵐のような雨が進軍を隠しすべての物音を消した。

義元の本陣に接近した信長は槍を取り上げると大音声で「すわ、かかれ、かかれ」と号令した。いくら2万余といっても義元の周囲に陣取るのは数百人だけで雨宿りに気を取られていたこともあって急襲に大混乱、服部小平太の槍が義元を貫き、毛利新介がその首を討ちとった。<劣勢でも遭遇戦になれば狙うのは敵の大将の首ひとつ>をまさに地で行く結果だった。

戦いの後、信長は義元の霊を慰めるとともに戦利品の刀「義元左文字」に「禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持持刀織田尾張守信長」と刻印し本能寺の変にあうまで自分の愛刀として側に置いたと伝わる。

*1910=明治43年  ハレー彗星が最接近し流言飛語が大衆の不安をかき立てた。

ハレー彗星は一定の軌道を回ることを発見したイギリスの天文学者エドモント・ハレーにちなんで名付けられた。約76年周期で地球に接近する。そんな科学知識など普及していなかった時代、天体望遠鏡も当時は東京麻布にあった東京天文台や天文愛好家くらいしか持っていなかったのであやしげな噂だけが駆け巡ったわけである。

「尾に含まれるシアンなどの有毒成分によって地球上の生物はすべて窒息死する」、「地球上の空気が5分間なくなる」からはじまって「こんどは地上に落ちてくるらしい」まで。
「口内清涼剤カオール」という薬の一種の<ハレー彗星の尾のように売り上げが伸びる>というキャッチコピーなどはかわいいものだったが、金持ちがタイヤチューブや空気ボンベを買い込んでいるとか、水を張った桶に顔を突っ込んで息を止める訓練をする者が現れたと話題になり、心配が高じて自殺するケースもあった。そんななか酒でいやな気分を吹き飛ばそうと歓楽街は連夜の大賑わい。花柳界では「嗚呼ありがたきホーキ星様」と歓迎した。もっともその明るさはいちばん明るかった5月11日でも0.6等級だったから肉眼では全く見えなかった。

アメリカの作家で『トム・ソーヤの冒険』の作者として知られるマーク・トウェインはその前に彗星が接近した1835年に生まれた。周囲の人たちには「私はハレー彗星とともに地球にやってきた。だから私はこんどハレー彗星がやってきたらともに旅立つのだ」と吹聴していたがその通りになった。

*1952=昭和27年  白井義男がボクシング世界フライ級のチャンピオンになった。

東京・後楽園球場の特設リングで行われた世界タイトル戦でアメリカのダド・マリノを判定で下し日本人初の世界王座に就いた。

すでに前年4月にホノルルで行われたノンタイトル戦で白井はマリノを7回TKOで破っていたため試合前から期待は大きく、白井の正確なワン・ツーがマリノの顔面にヒットするたびに沸いた。午後9時25分に勝利が決まると会場は大きな歓声に包まれた。敗戦を引きずっていたなかで戦勝国のアメリカを破った白井は一躍“国民的英雄”になった。

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