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池内 紀の旅みやげ⒃ モダン役場──長野県駒ケ根市

信州・伊那谷は巨大なV字形をしており、西に木曽山脈(中央アルプス)、東には赤石山脈(南アルプス)がつらなっている。V字の底を流れるのが天竜川だ。「天竜」とはみごとな命名であって、北から南へ、しだいに川幅をひろげながら走るさまは、まさに天に昇る竜というものだ。

名うての暴れ川であって。人々は川とはへだたりをとり高台に集落をつくってきた。伊那谷を走るJR飯田線の車窓から注意してながめていると、よくわかる。谷がふくらんで盆地状になると比較的大きな町に入り、傾斜のきびしいところには村が点在している。

駒ヶ根市はそんな伊那谷のほぼ中央にあって、標高三〇〇〇メートルにちかい駒ヶ岳(木曽駒)の東の斜面の町である。キャッチフレーズは「アルプスが2つ映える町」。伊那谷全体が二つの山脈にはさまれているから、どこからでも二つのアルプスが望めそうに思うが、実はそうではなく、傾斜とV字のひろがりが合致しないと両方は見えない。駒ヶ根市は伊那盆地のいい位置にあって、木曽駒、甲斐駒の両雄を見はるかすことができる。

市全域が西に高く東が低い傾斜地にあるわけだから、南北に動くぶんには平地だが、東西となると厄介である。西に用があるときは上りづめ、東へは下る一方。かなりの坂だから、へたに下り坂を走ったりすると、そのままスピードがついて天竜川にとびこみかねない。

西の高台にある名刹光前寺には「早太郎伝説」がつたわっている。中世のころだが、寺に山犬が飼われていて、走ること風のように速い。旅の僧がいうには、遠州に化け物で悩まされている村があり、祭りの日に娘を人身御供に出している。早太郎に化け物を退治してもらえないか。光前寺が承知して犬をやったところ、老ヒヒと格闘のすえ退治した。みずからも深い傷を受け、寺にもどるなり息を引きとったーー。

精悍な山犬の像が拝殿に据えられている。もしかするとオオカミだったのかもしれない。それとも西の山並みから吹きつける強風が、風のように走る山犬のイメージを生み出したものか。

寺の裏手が散歩コースになっていて、なんの気なしに歩いていくと、思いがけない建物と出くわした。白亜の二階建て、正面にバルコニーをもち、屋根に六角の小さな塔がのっている。明治初期の和洋折衷の建物と似ているが、あきらかにそうではない。小塔を除くと、どこかアメリカ西部のハイカラな町でお目にかかるような感じ。

白亜の洋館。見事な和洋折衷の建物。オシャレです。

白亜の洋館。見事な和洋折衷の建物。オシャレです。

直感的に思ったまでだが、まんざらまちがえてもいなかった。駒ヶ根市役所のある辺りを赤穂というが、かつての赤穂村で、その村役場として大正十一年(一九二二)に建てられたもの。当地出身に伊藤文四郎という建築家がいて、帝国ホテルや日本郵船本社の設計に加わった。村役場の新築にあたり、当時の村長がアメリカ在住の建築家に依頼したところ、近世コロニアルスタイルの設計図ができあがった。開拓期に流行したもので、伊藤工学博士は伊那谷の村の発展を、アメリカ大西部の開拓に見たてたらしい。村の総予算が一九万円余だったころ、その四分の一にあまる五万四千円をかけて建てたというから、大胆なことをしたものだ。雄大な二つの山嶺の間の高台に、忽然と白づくりの庁舎があらわれた。村長の道楽的英断という以上に、これはこれで大正モダニズムの時代精神をあざやかにあらわしていたのではなかろうか。

現在は「駒ヶ根市郷土館」として市の教育委員会が管理している。どうして市中から、まず人の来そうにない山あいに移築したのか知らないが、つまらないことをしたものだ。町なかにあって人が出入りし、子供たちが遊び、部屋で町おこしの会議がなされたりしてこその建物なのだ。市民の往来こそ建築家の望んだところであって、そのとき発展期コロニアルスタイルが一段と映えるだろうし、毅然と両雄の連山に拮抗する。保存という名で死物にしてしまうには、あまりにも惜しい建物ではないか。

地方都市におなじみのとおり、駒ヶ根の目抜き通りもシャッターがめだっていて、坂を上り、つぎに下り、又上りして、やっと遅い昼食にありついた。「ソースカツ丼」というフシギな食べ物が名物だそうだ。ふつう丼は卵でとじるが、ソースカツ丼は丼の上に刻んだキャベツをのせ、その上に特製ソースをくぐらせた揚げたてのカツをのせる。最近の創作料理かと思ったが、実は歴史があって、昭和十年代に洋食を取り入れた食堂の主人が考案したとか。まだなじみがうすかったカツを丼物に応用したらしい。現在は「駒ヶ根ソースカツ丼会」が組織され、市中の四十五軒が加盟して味を競っている。

せっかくだから「こだわりの特製ソース」の丼をいただいた。カツとキャベツがビールのお伴にもなって、こころなしかアメリカ西部風洋食の気分である。旧村役場がタウンホールにでもなっていて、そこの一階レストランで食べたら、どんなにか旨いだろうと考えた。

【今回のアクセス】JR駒ヶ根駅よりタクシーで十分ばかり。ずっと上り坂なので、歩くのには不向き。

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