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“2月25日” 「蚤の目大歴史366日」 蚤野久蔵

*1969=昭和44年  初の駅売りタブロイド版夕刊紙「夕刊フジ」が創刊された。

創刊号の一面は当時、参議院議員だった石原慎太郎・東京都知事が「慎太郎新党躍り出る!」の大見出しで飾った。コマーシャルのキャッチコピーは<オレンジ色のニクい奴>。創刊にあたって精鋭の記者を集めたという触れ込みの記事と電車のつり革を持ちながら片手で読めるところがサラリーマンに受け、通勤帰りには電車の1列全員が「夕刊フジ」だったのを何度も見たことがある。

翌日の日付で発行されるので翌朝読んでいても“違和感がない”のもミソだったが、昭和天皇崩御の翌日は元号が平成になったのに「昭和64年1月8日」のままで<幻の発行日>になってしまった。それにしても<書き立てられた人>にとっては“ニクい奴”だったか。

*903=延喜3年  菅原道真が配流先の九州・大宰府で無念のうちに亡くなった。

宇多・醍醐の両天皇に重用され、右大臣にまでなった。ところが天皇の外戚として全盛を極めていたライバルの左大臣・藤原時平らがめぐらせた排斥の策略により都を追われ、配所の月を眺めて過ごすこと2年有余、59歳の生涯を閉じた。道真を慕って梅が大宰府まで飛んだという「飛梅伝説」など徳を伝える多くの逸話が残る。

一方で、左遷された道真が詩文を作りながら幽閉同然の打ちひしがれた日々を送り、あげくに死を遂げたことで、その後に起こった飢饉や疫病、干ばつなどの災いも<怨霊と化した道真のたたり>とされた。道真を陥れた張本人の時平が39歳の若さで病死、貴族にも早死にが相次いだうえ、雨乞い儀式を巡る朝議の最中に宮中の清涼殿に落雷があり多くの死傷者が出た。このなかに排斥にかかわった面々がいたため<怨霊=雷神説>が高まった。

朝廷はそれを鎮めるため京都に北野天満宮を造営、道真に正一位左大臣、さらに太政大臣の位を贈るなど復権に躍起となった。生前すぐれた学者、歌人であったことから道真を天神様として祀る天神信仰が全国に広まり「学問の神様」となっていく。命日には北野天満宮境内で「天神さん」の縁日が開かれ各地の天満宮や天神社で行事が行われる。ちょうど受験シーズン、必死に祈る受験生諸君はそれどころではないだろうが。

*1948年  「2月事件」と呼ばれる政変でチェコスロバキアに共産党単独政権が誕生した。

東西冷戦が避けられなくなったひとつの象徴的事件として西側諸国に強く印象付けた。1960年には社会主義共和国となり「プラハの春」と呼ばれる自由化・民主化路線はソ連軍の介入で挫折、ようやく1989年からのいわゆる「ビロード革命」によって共産党体制は崩壊する。チェコとスロバキアに平和的に分離して現在に至る。

中央ヨーロッパの工業国で自動車産業などが盛んで伝統のボヘミア・ガラスも知られる。文学では「変身」のカフカ、「ロボット」という言葉を作ったといわれるカレル・チャペック、音楽ではスメタナとドヴォルザークがいると書けるのは昔の部下がチェコの工場に赴任してからの<ついで知識>に過ぎないが日本人の3倍以上を消費する国民飲料の「チェコ・ビール」はバドワイザーなどのブランドが有名だ。

*1890=明治23年  日本麦酒醸造会社が「恵比寿ビール」を発売した。

国産ビールは18年前から小規模に製造されていたが当時は外国からの輸入ビールが幅を利かせていたからそれに対抗する意味合いもあった。工場は東京府荏原郡三田村247番地にあり貨物用の専用出荷駅として作られた「恵比寿停車所」が現在の山手線の恵比寿のはじまりである。2年後にはのちに「ビール王」といわれた三井物産理事の馬越恭平を社長に迎えた。馬越は西宮の恵美須神社からご神体を迎えて工場内に安置し、初荷には恵比寿様を染め抜いた印半纏を着て陣頭に立ち正月の名物行事にするなど宣伝にも力を入れ東京ではトップのビールとなった。

馬越は明治・大正・昭和と病没した1933=昭和8年までにキリンを除くほとんどのビール会社を傘下に収めた。エビス、サッポロ、アサヒが合同したのが1906=明治39年で社名が日本ビールになった。市場占有率79%という記録もあるがキリンは当時、外国人経営で孤高を保った。

工場跡地が恵比寿ガーデンプレイスに生まれ変わって久しいが、恵比寿の駅名の由来はビールのレーベル(商標)からというおハナシ。立て続けにビールの話でにぎわせてしまったが今夜あたりグイと飲るのもいいかもしれませんなあ。

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