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季語道楽(47)虚子意気軒昂!     坂崎重盛

  • 2021年5月19日 15:20

さて、先行するもう一人の巨人・虚子︱︱“花鳥諷詠”“客観写生”を唱えて、正岡子規のあとをつぎ「ホトトギス」を根城に、俳壇を牛耳ることとなった虚人、いや巨人、高濱虚子が編者となった歳時記、そしてさらにポータブル、いやポケッタブルな(いわゆる袖珍本(ル・しゅうちんぼん)、季寄せを見てみたい。

虚子編 季寄せ 改訂版 編:高浜虚子 三省堂

虚子編 季寄せ 改訂版
編:高浜虚子
三省堂

手に取る。『改訂 新歳時記』。まずは奥付を見る。昭和九年十一月 三省堂発行、昭和十九年七月改訂 三十二版発行(10、000部)とある。戦前、戦中の時代、歳時記で、この増刷ぶり、さすが虚子宗匠の編であり「ほとぎす」同人たちの力である。

虚子編 季寄せ 改訂版 編:高浜虚子 三省堂

虚子編 季寄せ 改訂版
編:高浜虚子
三省堂

さて、「序」に目を通そう。歳時記の「序」や「まえがき」には、その編者の俳句に対する“思想”“心情”が語られる。重ねて言うことになるが、ぼくが、雑食動物のように“歳時記”と見れば捕獲し、自分の部屋に持ち帰ったのは、その「序」、「まえがき」を、それぞれ比較、チェックする娯しみを味わいたかったためである。

ここに至って、大虚子の『改訂 新歳時記』の「序」に接することができる時となった。この、葉書大、暑さ2・5センチに満たない『新歳時記』、今回初めて気がついたのだが、濃緑クロース装の表紙には、ほとんど目立たないが空箔圧(からはくお)しで、右から「花鳥諷詠」と読めた。

さすが虚子歳時記、秘かではあるが表紙に自らのモットーを刷り込んでいたのだ。︱︱(「花鳥諷詠」に意を同じくする輩のみ、この歳時記を手にすべし!)︱︱と宣言しているようなものだろう。虚子の気迫にワクワクする。さっそく「序」に当たってみよう。

一言にしていへば文學的な作句本位の歳時記を作るのが目的であったの

である

と冒頭のことばについで、すぐに

が、季題に就て多少の考もあった所から其點を明かにして一般の注意を喚

起したい心持もあり、従来の形式に囚れない革新的な意図も少しはあった

のである。

と「革新的」、歳時記編集の「意図」を明らかにしようとする。また、その前に「季題」に就いて多少の考」どころではなく、「花鳥諷詠」を唱える以上、季題に関しては強く思うところがあったのにきまっている。

「以下其等の点について少しく述べてみたい」とあり、虚子の思いが語られる。その要点を、本文引用しつつ紹介したい。

[季題の取捨] 季題は俳句の根本要素であるが、既刊の歳時記を見るに唯

集むることが目的で選択といふことに意が注いでなく、世上一般の字書の

顰(ひそみ)に倣(なら)ふことが急で作句者の活用に供するといふ用意

が欠けてをったかと思ふ。

と、すでに刊行されている他の編者(もちろん、ほとんどの編者は俳人、しかも結社の主頭)の歳時記に対し、ダメ出しをしている。そして、この、自らの歳時記は、

現在行はれてゐるゐないに不拘(かかわらず)、詩として諷詠するに足る季

題は入れる。

世間では重きをなさぬ行事の題でも詩趣あるものは取る。

語調の悪いものや感じの悪いもの、冗長で作句に不便なものは改め或は捨

てる。

等々で

要は文学的に存置の価値如何にある。

とし、

実に季題の整理といふことが此の歳時記の一つの目的であった。

と言明している。くりかえしになるが、「季題の整理」が、この歳時記の目的であり、特質であるとのこと。

[季題の決定]では

季の決定も亦俳句では重要な事柄で、従来の歳時記にも相当顧慮されてを

るやうであるが季の決め方が各書甚(はなはだ)まちゝゝで全面的に信頼

すべきものが無い。

と断定、

本書は季を決定するについてはあくまで文学的見地から季題個々について

事実、感じ、伝統等の重きを為すものに従って決定した。

とし、例として「牡丹より藤は遅いに不拘(かかわらず)、牡丹を夏とし藤を春」、「朝顔、木槿(むくげ)は夏から咲き、西瓜、蜻蛉も寧(むしろ)夏が多いのに秋」としたという。

[解説]については

簡単にして要を得るという信条の下に博物的な叙述を避け事実に即し句作

上必要なことに止めた。

[例句]は

例句は初心者の指針ともなり歳時記の実際的価値を左右する一つでもある

から其選定に重きを置いた。

以上、昭和九年、刊行時の、高濱虚子による記。

この「序」を読めば誰でも気がつくのは、この歳時記が俳句を作る人のみを対象として、いわゆる日本の季節の俳句的インデックスを避けている点である。つまり、一般読者は最初から相手にしない、という虚子の俳句に対する厳しさ、気持ちの強さの証明でもある。

本文の頁を開いて、季語や例句の拾い読みをする。「序」で、例句は初心者のための指針、また歳時記の価値を左右するため、その選定に「重きを置いた」︱︱と述べているこの歳時記の、多くの季語の例句の最後に虚子自身の句がふんだんに掲げられているのは、いかにも大虚子ならではの自信、あるいは堂々たる自慢ぶりか。

自慢といえば、この歳時記の「序」のあとに「改版に際して」という本版から五年後の、もちろん虚子による記述がある。これまた、微笑を誘う自慢ぶりで、いっそ気持ちいい。引用します。

三省堂から、あまり沢山版を重ねたから改版したい、それに就(つ)いて

は増刷訂正する処(ところ)があれば此際(このさい)にして貰いたい。

と、いうことで、この『改訂 歳時記』が新版として刊行されたことを告げている。「あまり沢山版を重ねたから」というのは、もちろん三省堂の“ヨイショ”を含めた言葉だろうが、それをそのまま「改版に際して」の冒頭一行目にもってくるところが、虚子ならではの、よくいえば素直さ、ほれぼれするほどの田紳ぶりなのだろう。

さすが、帝都東京の新名所、竣工なった東京丸ビルに“俳句の結社”「ホトトギス」の編集部を拠点にすえた虚子である。江戸や、その意気を受けつぐ東京下町的、小粋や洒脱などということとは無縁なのである。

と、つい大虚子宗匠をイジりたくなってしまうぼくなのだが、机の上に虚子の関連文庫本が、一、二……九冊積んである。いつのまに、こんなに虚子本を入手したのだろう。当然、虚子の考え方や言葉に、我知らず関心があったのだろう。カリスマ虚子の磁力か地力に引き寄せられたか。これまた、自分の覚えのためもあって、列記しておこう。

俳談 著:高浜虚子

俳談 著:高浜虚子

覚えておきたい虚子の名句200 著:高浜虚子 編:角川書店

俳句への道 著:高浜虚子

俳句への道 著:高浜虚子

俳句とはどんなものか 著:高浜虚子

俳句とはどんなものか 著:高浜虚子

虚子俳話録 著:赤星水竹居

虚子俳話録 著:赤星水竹居

風流懺法 他三篇 作:高浜虚子

『俳句への道』(一九九七年一月、岩波文庫)

『俳諧』(一九九七年十二月、岩波文庫)

『虚子五句集』(上)(一九九六年九月、岩波文庫)

『虚子五句集』(下)(一九九六年十月、岩波文庫)

『俳句の作りよう』(平成二十一年(2009)七月、角川ソフィア文庫)

『俳句とはどんなものか』(平成二十一年(2009)十一月、角川ソフィア文庫)

『覚えておきたい虚子に名句200』(令和元年(2020)、角川ソフィア文庫)

『虚子俳話録』(著者は赤星水竹居/昭和六年(1978)六月 講談社学術文庫)

『風流殲法他三編』(一九三四年、岩波文庫)

︱︱以上だが、『虚子俳諧録』の著者、赤星水竹居とは三菱地所の社長で、かの丸ビルのオーナー!。また『風流殲法』は俳句本ではなく、虚子が、句の世界から、漱石の影響もあって小説の世界への脱出を試みたときの遺産。のちに、知られるように虚子は俳句の世界に立ち戻り、心機一転、俄然、存在感を示すこととなる。

せっかく、積んである虚子関連文庫本、しばらくマス目を埋める筆はおいて、一夜、これらの本のつまみ読みを楽しむこととする。当然、原稿はストップだ。

 

季語道楽(46)金子兜太『わが戦後俳句史』 坂崎重盛

  • 2021年5月19日 14:48

戦後の前衛俳句のリーダー、しかも宗匠的権威主義ではなく、直情的、真摯でであるものの、どこか朗らかなガキ大将的キャラクターの金子兜太の単刊歳時記等にふれ、今回は、その対極的ドン、近代俳句史の大黒柱的にドカッと存在した虚子(高濱)の、ハンディな季寄せと歳時記に進むつもりが、つい視界に入った兜太『わが戦後俳句史』(岩波新書・一九八五年刊)を手にとってしまった。しかも前回、話の流れのなかで兜太大人の雄渾な書のことなどにも訳知りのコメントをしたが、なんと、その兜太自筆の色紙まで出てきてしまったのだ。

こうなるともうご縁だ。例によって、少しだけ兜太さんの項、追加、寄り道させていただく。

『わが戦後俳句史』、この書は著者がミクロネシアのトラック島で敗戦を迎えたときから始まる。主計科中尉として戦地におもむいていた青年将校・兜太は「この戦争は日本もアメリカもどちらも帝国主義戦争だ」と思いつつも「この戦争でもし日本が負ければ民族の壊滅になりかねない」「民族防衛戦争という一面を持っているーー」と「半ば肯定的に体を張っていた」という思いだったようだ。

それがついに敗戦、と言う結末。このとき隊には二百人ばかりの仲間(実際はほとんどが部下だろう)がいたというが、中尉という立場、責任感から、「自分はたったひとりだ」という思いに落ち込んだという。ところが、そのあとがいかにも金子兜太らしい記述に接することができる。このとき金子主計は、

天井からぶら下げておいたバナナがちょうど熟(ル、う)れてきたのを一

房ちぎってむしゃむしゃ食べながら、ベッドの下に飼っていたマスコット

の大きなトカゲをながめたり、そんな状態でぼやーっとベッドに腰掛けて

いたのです、

ーー親しいペットの、大きなトカゲのなじみぶかい顔に視線を向け、見やるしかなかった兜太エリート青年将校の孤独が静かに伝わってくる。と、同時に、どこから持ち前の生命力というか、ユーモアさえも感じてしまう記述ではありませんか。

時計を少し逆戻しする。業俳(プロの俳人)になることなど、まったく考えてはなかったものの学生のころから句誌にかかわり、ずっと俳句は作りつづけるだろうと自ら思っていた兜太青年は、三人の俳人を自分の師と思い定めている。

一人は、学生俳句仲間の母、竹下しづの女(じょ)。この「ホトトギス」の「有力な同人で、たいへん男まさりの句」を作る女流俳人の兜太はファンであったようだ。

そしてあとの二人が、中村草田男と加藤楸邨。

兜太は「人間としては楸邨、俳句の目標ととしては草田男」と、「開戦のときの草田男句、楸邨句の印象と、私が敗戦直後に二人の句集や序の記憶をたどって考えた両者の比較」を考えて、「自分のこれからの道をおもうと、やはり楸邨に師事するしかない」と決めたという。

そこから兜太の戦後俳句史はスタートする。以後、昭和三十五年の安保闘争、樺美智子国民葬までの社会的背景と、その時間のなかでの俳句体験が語りつがれる。くわしくは、本文にあたられたし。まさに兜太のリアルな人生史であり、俳句生活史。

わが戦後俳句史 著:金子兜太 岩波新書

わが戦後俳句史 著:金子兜太
岩波新書

巻末には、文中で紹介された自句が五十音順(時代順ではなく)で索引として付されている。この中から十分の一ほどの十句にしぼって選んでみた。

朝にはじまる海へ突込む鷗の死

海に青雲生き死に言わず生きんとのみ

華麗な墓原女陰あらわに村眠り

きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ

死にし骨は海に捨つべし沢庵噛む

青年鹿を愛せり嵐の斜面にて

デモ流れるデモ犠牲者を階に寝かせ

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子

湾曲し火傷(ル かしょう)し爆心地のマラソン

以上、昭和中頃までの著者・金子兜太の生から吐き出された句だが、この今日、ITとかデジタル化社会とかいって、無臭、無色透明なふうを装いながら、なにか、あちこち、電気コードが焦げているような不快、不穏な臭いただよう時代こそ、兜太句はよみがえる力を持つのではないだろうか。

ピコピコとか鳴るデジタルの軽快(?)音ではなく、直撃的な、背骨に響くような、時代への生(なま)の警戒音として。

ところで、この十句の他にも、どうしても挙げておきたい数句を。

暗黒や関東平野に火事一つ

猪が来て空気を食べる春の峠

陰(ほと)しめる浴みのあとの微光かな

谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな

梅咲いて夜中に青鮫が来ている

すでに、この間の稿で重複紹介している句もあるが、こうして並べてみると、なにかスゴイ。野性の視覚、動く生き物、原初の皮膚感覚からの訴えというか。兜太さんは、やはり予定調和の俳句形式を越えた短詩系表現者だった。

 

兜太さんに関わる蛇足は、先日見つけ出し、いま本棚に立てかけてある色紙の件。例の野太い筆文字でーー「俳句の友だち」ーーとある。これは、もう二十年ほど前に企画した本のタイトルを兜太先生に依頼して墨書していただいたもの。(その色紙を掲げておく)。(多分、嵐山光三郎氏のご縁だったと思うが)

これが、このタイミングで、積み重ねた本の間から、わいたように出てくるとは……。なにかの福音か? はたまた……。

 

とにもかくにも、敗戦色濃い南の島で、大きなトカゲを心許せる、ペットとしてベッドの下に棲まわせ、同床異夢? で心を慰めた俳人・兜太中尉は、先達の「花鳥諷詠」で自然と対した高濱虚子の自然観とは、また異なった原始のイメージのある自然との対し方、いや、むしろ、兜太自身が自然児のDNAを有する、“自然兜太”と呼びたくなる、特異な、戦後俳句史を代表する俳人であった。

(2018年9月23日九十八歳没。9月23日は兜太の忌日であり、以後刊行の歳時記に載ることになるだろう)

 

 

 

 

 

 

季語道楽(45)さすが!兜太歳時記の独創性    坂崎重盛

  • 2021年3月28日 16:39

さて、金子兜太がかかわった単巻(一冊本の歳時記)を手にとることにしよう。

と、その前に、各種ある歳時記のなかで、一冊にまとめた書籍を、ぼくは仮に“単刊歳時記“、「春・夏・秋・冬・新年」などと複数册で一揃えのものを、”複刊歳時記“とする^ーーなどと記してきたが、なにか、しっくりこないな、と心のどこかに引っかかっていた。

ふと気づいた。“複刊”という言葉が、まぎらわしかったので。つい“複刊”つまり複刻刊行と混同する。途中からで申し訳ありませんが、“複刊”を今後は、もたつこいけど、“複数册”歳時記と表記させていただきます。

 

さて、本題。金子兜太の歳時記(しかも“単刊”一冊本の)。

  • 『現代俳句歳時記』(平成元年・千曲秀版社刊 本文七八〇頁・函入り)
  • 現代俳句歳時記 編:金子兜太 千曲秀版社

    現代俳句歳時記 編:金子兜太
    千曲秀版社

チェックしたいのは金子兜太による「あとがき」なのですが、まあ、せっかく手にしている歳時記ですから、アタマからページをめくってゆくことにする。いまさら、急ぐ旅じゃあるまいし。

やっぱりよかった! これまで、まったく気づかなかったけれど、装丁扉の裏に、ほんの小さな文字(一〇級、明朝だろう)、クレジットが入っている。

装画/オーブリエ及びクリスチャン・ヤコブによる

装丁/斎藤愼爾

外箱の繊細な植物画は十七世紀末葉から十八世紀前半まで活躍した王室植物画。さらに注目したのは、「装丁/斎藤愼爾」だ。そうか、この兜太歳時記、かねて親交のあった、あの自らも俳人である「深夜叢書」の斎藤氏がかかわっていたのか。やはり本は隅から隅まで注意深くチェックしないと、細かい(ここが“キモ”だったりする場合も)ところを見逃す。

「凡例」は、ざっと読み流す。見出し語二千百余、季語・雑語計約八千四百語を収録。巻末索引に主季語約二千語、関連語など合わせれば約五千五百語の検索が可能、とある。ほんとに歳時記の編集、執筆はかなりタフな作業が要求されます。

さて「あとがき」を見てみたい。ぼくがこれまで、歳時記といえば、あまり、あれこれ考えずに、とにかく入手してきたのは、歳時記の「あとがき」を読みたかったからである。ここに編者の俳句世界に対する思い(「思想」といってもいい)、編集の苦労や愚痴、協力をあおいだ結社や同人へのあいさつ、またセールストークといった俗気もうかがえて興味ぶかいからだ。

さて、兜太歳時記の「あとがき」。一行目は、

この歳時記には二つの特色がある、ひとつは、「四季・新年には属さない」

「雑(ぞう)」の部を設けたこと。「雑」は「季節とは言えないが季語同等

(傍点)の含蓄を期待できることばを集めて」(傍点・坂崎)「これを

補完」したという。

そして、兜太は、芭蕉の「名所のみ雑の句もありたし」の句をひき、「地名が十分にはたらいていれば、さらに季語を加えて用いる必要はないと考えた」と説明している。

“得たりや応!”ーーこの「名所」と「無季語」の関係を知っているか否かで、その人の俳句理解への深度が計れるーーと、ぼく自身、代表的な季語すら誤って用いて恥をかいている半可通のくせに、他の人に対しては、そう思ったりして、自慢気に説明してきたりした。

 

編者・兜太はーー「雑の部を設けるに当たっても、やみくもに無季語を拾うということをしないで」季語に「見劣りしないことばを集めることに努めた」という。

そして、その理由は「先達の物言いを尊重したから」とのこと。兜太先生、句は、前衛かもしれませんが、さすが、お考えは、じつに正統派ではありませんか。

さて、もう一つの特色ーーそれは「例句の鮮度を考慮したところ」という。そして、「古典俳句をはじめ、明治期以前の作品は一切はぶいて、明治以降の近日現代俳句に限定し、とくに現代俳句、そのなかでも昭和後期の作品にかたむけて選んでおいた」ーーと。

なるほど、これぞ兜太歳時記ならでは本領発揮の編集方針。ところが……これに続く一文はしっかり心して読まなくてはならない。

「終わりに、季語についての私の理解を簡単に記しておきたい」の記述。

私は季語を季題と同じと受けとっていて、それは〈作られたことば〉(人

造語といおうか)なり、と考えている。ここに蝉という夏の季語がある

が、これは生き物そのものの蝉でありつつ、しかしそれとは別のものな

のである。

では、なんなのだ? と問いたくなる。それはーー

生きものである蝉そのものに、人の想い(思念や想像そして感覚など)が

加わって、その双方が溶け合ったところに生まれたことば、と見ている。

と、さらに、

これをしも蝉の美意識化と私はいうのだが、季語は、ものや現象そのもの

ではなく、それを美意識化したところに現出した〈人造語〉なのだ。

かっこいい。一種の定義であり、名文ですね。つづけたい。

だから、たくさんの蝉の声を「蝉時雨」と造語する。「空蝉」ということば

が、ただの蝉の抜殻(ぬけがら)ではなく、生死無常の想(おもい)の込

められた、透明感を背負うことばとして生れかわる。造語される。

えっ? あの反体制戦後前衛俳句の頭目のような兜太先生のこの言説は? とちょっとびっくりする 句界内外の人たちがいるかもしれない。無理はない。兜太先生、そのへんの経緯(いきさつ)を自ら語っている。

二十年前の私もその一人であって、季題趣味などと称して、その陳腐に馴

染むまいとしたものである。

と告白するが、

しかし今は違う。拒絶する以前に、季語という美意識化による造語の豊

潤を味得して(私は〈しゃぶる〉という言い方をしている)、これを大いに

活用したいと願っている。

そして、この後にも再度、「季語を大いにしゃぶりたい」とくりかえしている。〈しゃぶる〉ーーそこは兜太先生、凡百の、優等生的俳人から出る言葉ではありませんね。ただ深刻ぶった純文学ならぬ“純俳人”から発せられる表現ではないでしょう。根が“不逞”なのでしょう。心強くも“俳”の字が似合うお人柄ですね。

 

本文も見てみる。季節はこれから、いよいよ春なので「春」の章の、そうだな「春の夜」。

そうそう、この兜太歳時記は俳句の季語の源ともいえる和歌の引用紹介もある。

春の夜の夢の浮き橋とだえして

峰に別るる横雲の空

藤原定家の、「新古今和歌集」の有名な和歌ですね。このあとに挙げられている三句が、

春の夜や土にっこりと寂しけれ    永田耕衣

木曾の春白壁にふとわが影が     金子兜太

母を訪いし春夜の鉦(かね)は母を打つ   赤城さかえ

といったぐあい。古典俳句を一切はぶいたというのに、和歌が多く挙げられている編集方針もユニークといえばユニーク。ーーと、いうより、ここの兜太先生の句、ぼくは素人句会で、この句を見ても〈白壁に、ふと、わが影かよ、取らないな、あまりにもイメージが陳腐でしょ〉で片付けてしまっただろう。いくらあたまに「木曾」を出して、それが実際の体験であったとしても。とくに「ふと」は、ねぇ。

しかし、陳腐をおそれていたら、俳句など作れませんでしょう。それは正岡子規の句を見れば納得できる。いわば、ただのアイサツ。贈答句。駄句の山でしょう。それで、いいのです。どだい名句を作ろうなんて、魂胆がいやらしい。

三句の中では、耕衣の「土にっこり」が「土ほっこり」をすぐに連想させるが、それはともかく。ぼくは、意味はきちんと受けとれないが赤城さんの「鉦(かね)は母へ打つ」が好きですね。なにか心に訴えてくるものがある。

 

もう一つ見てみましょうか。キャンディーズの歌もいいけど、「春一番」。例のごとく、短歌が。こちらは現代歌人、俵万智さんの師の佐佐木幸綱。

荒く逆立つ春一番の金髪を抱きて熱き男盛りの山

紹介されるのは、こちらも三句。

春一番がんじがらめが好きな指   的場まなみ

春一番堂のかめむし落ちて出る   曽野克平

春一番月ずぶ濡れて木の肌に    高山子果

なるほど! 三句とも好きです。とくに一句目が。ちょっと万智チャンの短歌を思い出してしまいましたが、独創がありますよね。

それより幸綱センセーの、例の美丈夫というか、女性のお弟子さんたちの♡マークの瞳で見つめられ慣れたような二枚目短歌がムカツキます。もちろん嫉妬に決まっています。「金髪を抱きて」ですよ! で、いじけて、返歌というより返句(変句)みたいなものが頭に浮かんでしまった。

春一番ぼくに男盛りがあったっけ   露骨

もともと、「春一番」と「男盛り」が付きすぎではなかったですか? 幸綱センセー。で、ぼくは「春一番」を、さりげなく「沈丁花」に変えて、トボケてみました。

沈丁花ぼくに男盛りがあったかしら

字余り御免!

あだしごとはさておき、兜太歳時記で本人がこの際時期の特色の一つとした四季の季語以外の「雑」の部を見てみよう。

季語に「見劣りしないことばを集める」「季語同等の含蓄を期待できることばを」としているのだから否応なく興味がわく。

 

「雑」の部は、当然「時候」をぬくとしても、他の「天文」「地理」「生活」「行事」「動物」「植物」といった項目別に「雑」のことばと、それにときに短歌(和歌)、詩文、あるいは川柳が添えられ、次に例句が紹介される。たとえば〈天文〉の項目の中の「闇(やみ)」ということば。類語として「真(ま)っ暗、暗黒(あんこく)、暗闇(くらやみ)、常闇(とこやみ)、夜陰(やいん)」が挙げられ、

竹は内部に純白の闇育て来て

いま鳴れりその一つ一つの闇が

という、またもや佐佐木幸綱の『夏の鏡』からの歌を掲げている。よほど気合いが合いますか。そして解説は、

青年の混沌とした内部世界、それは闇であるが、純粋の闇といえるも

のだ。闇の色である〈玄〉は、あらゆる色、純白さえも含んでいるという。

とあり、例句は、

闇よりも暁さびしい息の緒よ      中村苑子

闇こぼれる鈴よりもたしかで震えて   渡辺政士

「地理」の項目、「山」。類語は二十もあるので略す。解説の前に『月山』唐の引用があるが、これも略して例句を見てみる。

まずは筆頭に編者、兜太先生の句。

暗闇の下山くちびるを分厚くし

「くちびるをぶ厚くし」に誰しも魅かれるだろう。他に、九句から四句選んでみた。

道のないところが山のひかりかな    関口比良男

山裾に一人娘(こ)を生み継ぎ生みつぎ 大間知 君

朝のガラスに富士がきており暗し    森下草城子

二上山(ふたがみ)暮れふたがみ明ける愛掠め 小日 保

 

「人間」の項。「頭」「脳」「毛髪」「顔」「耳」といった人体にはじまり、老若、家族、感情などの、季語に代わることばが列記されるが、たとえば「目」。これも、類語として「両眼(りょうがん)」「義眼(ぎがん)」「近眼」「垂目(たれめ)」「血眼(ちまなこ)」など二十以上挙げられているが略。例句は四句。

目を病めば片目淋しく手紙書き居る    尾崎放哉

引き廻されて草食獣の眼と似通う     林田紀音夫

犬交る街へ向けたり眼の模型       田川飛龍子

まなこ荒れたちまち朝の終わりかな    高柳重信

挙げられた四句、僕はぜんぶ好きです。やはり「目」、「眼」のイメージの力なのでしょうか。まさに「目力(めじから)」。

 

キリもないので、このへんで切り上げたいのだが、「生活」の項目に「サラリーマン」があった。例句だけチェックしたい。八句挙げられているが、

水少したまる便器サラリーマンの連帯感  上月 章

銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく    金子兜太

夜は暮の青さで部長課長の椅子      堀 葦男

タイプライター覆えば室は死んでいる   横山白虹

この四句選びました。なんか、戦後の職場の雰囲気が伝わってきませんか。サラリーマン社会のエレジーも。ところで兜太先生の「銀行員等ーー」は比較的よく知られた句で、代表句のひとつといえる。ちなみに作者は東京大学経済学部を飛び級で卒業、日本銀行に入行。飛び抜けた秀才だ。

さて、そろそろ、この千曲秀版社版『現代俳句歳時記』の紹介を閉じて、次の、やはり金子兜太の関わる、

  • 成星出版『現代歳時記』(一九九七年刊 本文768頁)

    現代歳時記 金子兜太、黒田杏子、夏石番矢 編 成星出版

    現代歳時記 金子兜太、黒田杏子、夏石番矢 編
    成星出版

に移らねば。こちらは兜太に、黒田杏子、夏石番矢の二俳人が加わっての三者による共編。念のため御三方の生年を記しておこう。二人の参加で、編者の平均年齢もぐっと若がえった歳時記となる。

先稿の兜太歳時記では、金子兜太の経歴などに、まったくといっていいくらいふれなかったので、ここで、他の二人の編者の横顔とともに、この『現代歳時記』巻末の「編者紹介」を引きつつ、紹介しておきたい。

[金子兜太(かねことうた)] 大正八年、埼玉県生まれ。父は医師で水原秋桜子の「馬酔木」に所属した俳人の金子伊昔紅(ル、いせきこう)(本名・元春)。この父が傑物で患者さんたちからは「赤ひげ先生」といわれ、故郷で、戦前、その歌詞が風紀を乱すとして秩父で消えかかっていた「秩父音頭」を一部改良(?)復興、現在に保存されることとなった。いわば「秩父音頭」再興、普及の父。この父の俳句がすごい。

元日や餅で押し出す去年糞(くそ)(昭和十六年)

ですもんね。そして、その息子の兜太の句がまた、

長寿の母うんこのように我を生みぬ

ですから、父は「糞(くそ)」にして子は「うんこ」。この親にしてこの子あり?いや、この子ありて、この親あり、か? まさに人間讃歌。(そこらの結社主宰のセンセー気取りの二枚目句とは大違い!)

例によって、脇道に迷い込みついでの話になりますが、この句を、この句を、あのビートたけしが「オールナイトニッポン」の記念すべき第一回(1981年一月元旦の放送で、なんと、

元旦や餅で押し出す二年糞

として披露したという。一部、原句とは異なるが、そんなことはどうでもいい。“殿”どこで、この句を仕込んだか、たけしの感覚と教養は、やはりスゴイ。に、しても、あまりにたけしにピタリの句ではありました。

兜太の経歴の話に戻ろう。

一九四三年、東京大学、すでに記したように繰り上げ入学、経済学部卒。日本銀行入行。戦時下、帝国海軍主計中尉。一九四七年、日銀に服飾。日銀労働組合に力を注ぐ。職場では「窓際族どころではなく窓奥」、日銀の座敷牢か?

俳句は“人間探求派”の加藤楸邨に師事。一九六〇年頃より前衛俳句の旗手に。句誌「海程」主宰。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。また、その書は専業書道家にはない、そぼく、豪快、野太くあたたか味のある筆勢の書のファンも多く、九十歳を過ぎて「アベ政治を許さない」の書のコピーを国会前の多くのデモの人々が手にしていたことなども、いんしょうぶかく、記憶される。

[黒田杏子(くろだももこ)]1944年東京生まれ。東京女子大学入学と同時に「白塔会」に入り山口青邨主宰「夏草」に入会。同大学心理学科卒業、博報堂に入社。テレビ、ラジオ局プランナー、雑誌「広告」の編集長などもつとめ、文化人、各界著名人との親交を得る。平成二年、俳誌『藍生』創刊主宰。教育テレビ「NHK俳壇」主宰。自ら“季語の現場人”を称する。夏井いつきは、この黒田杏子に多くの影響を受けたと公言している。字多喜代子と並んで今日の女流俳人を代表する人物。

[夏石番矢(なついしばんや)]一九五五年兵庫県生まれ。本名乾 昌幸。東京大学教養学部フランス科卒業。大学在学中から東大俳句会ほか東大能狂言観世会にも所属。句作は十四歳からはじめ中学生学習雑誌の選者をしていた金子兜太の選を得る。東大時代から、“多行書き”の前衛俳人・高柳重信“を師とする。規制俳壇、とくに角川俳壇を否定と。従来の季語によらぬ俳語の世界を模索、日本語だけでなく多言語での朗読や器楽演奏とのコラボレーションなど旺盛な活動を展開している。

ーーと、まあ、こういうどちらかといえば戦後の伝統的というか既成俳壇とは俳句に対する思いを一つにしない“個性的”な編者による『現代歳時記』、当然のことながら、これまでの歳時記とはちがった編集方針が期待できる。しかも、この編集チームの年齢、経験を考えると、柱は最長老の金子兜太であるとしても、実質、編集の中心となったのは夏石番矢ではないだろうかと予測される。内容を見てみよう。「まえがき」は無し。「凡例」より。

  • この歳時記は「陽暦による」「月別」と「雑」に分類されている。「春・夏・

秋・冬・(新年)」は一般的だが「月別」は新らしい。

  • 「雑」は、天文、時間、地理、空間、人間、社会、生活、文化・宗教、動

物、植物、物質の物理、固有名の九項目を配列。これは先の金子兜太単編とされる千曲秀版社版『現代俳句歳時記』と同じ編集理念である。つまり、

この三者にある歳時記の基本理念は金子兜太にあると見ていい。

  • 季語と「雑」の見出し語は計二、三六四語。巻末五十音索引は主季語と類

語の約一一、三七三語を掲載。

本文を開く。「時候」。例によって、今、この原稿を書いている、この季節。歳時記では「二月」(冬・春)とある。精読せず菜の花畑のモンシロチョウのように、好きな季語、気になる季語を、ひろい読みしてゆく。

この歳時記(巻のトップの季語は「春」。一茶ほか、例句は五句。うち、

うさぎ小屋に春を陰気な兎たち    上野美智子

吾が英語通じて春の目玉焼き     鈴木鷹夫

「うさぎ小屋」の句、兜太好きで兎物コレクターの泉鏡花先生が見たらどう思うかしら。

「立春(りっしゅん)」やはり五句のうち。この歳時記、挙げられている例句はすべて五句でした。この方針も珍しい。

立春を五分遅らす長電話       有馬英子

春立つと影が勝手に動き出す     萩原栄二

「二月(にがつ)」

断りの返事すぐきて二月かな     片山由美子

自在な句境ですね。精神が自由、柔軟。

「早春(そうしゅん)」

早春の飛鳥陽石蒼古たり      金子兜太

飛鳥(あすか)、斑鳩(いかるが)の里まで行って、“陽石”つまり男根石に目をやるのが、いかにも兜太大人。もちろん近くにあるはずの“女陰石”にも視線はいったはず。こちらは“蒼古”ならず、濡れ艶めいて、輝いていたりして。兜太先生の、飛鳥での陰陽のシンボル俳句、見てみたかった。

ももいろのペリカン抱え早春の駅をすぐ  深町一夫

ペリカン⁉ ギリシャのミコノス島の浜辺をうろついていたペリカンの大きさにびっくりしたことを思い出した。あれを「抱え」られる? ペリカンの子か?

早春の漁夫からもらふ丸き石      米沢恵子

いるんですよね。ぶこつ、自然児にして素朴、根がロマンの男。いい感じの句ですね。早春だし。

ま、こんな具合の季語と例句の配列です。

では、本命の「あとがき」に行きたい。これは当然、長老・金子兜太による。書き出しの一行目から。

〈いまの暮らしに合った歳時記〉ーー別の言い方をすれば、いまの生活の

なかで俳句をつくろうとするとき、すぐに役立つ歳時記。あるいは、俳句

をつくらない人でも読んでおもしろい歳時記。

そして、そのために、先に紹介したように従来の季の区分ではなく「月別」の季語分類とした。そして、これもすでに記したが、たとえば「二月」を「冬・春」と両立させ構成する。

季節が、二季に、またがるのだ。その理由が述べられる。

日本人は季節の移りにはことに敏感で、さまざまな物思いにとらわれる。

移りの季節感にはっきりスポットを当てたところも自慢のひとつなのだ。

さすが、いいですねぇ兜太先生、堂々と“自慢”するところが。また、この歳時記でも「雑」の部で「季語以外の言葉を集めるようにしたことが特徴の大なるもの」と自賛。おおらかで人柄のよさですね。そして「雑」の中のことばであっても

これも季語の場合と同じで、よい作品によってその語は歳時記のなかに定

着(傍点・坂崎)するのである。

と、季語の誕生の資格、ルールに、きちんと言及する。

もう一つ、これも兜太が関わる歳時記の特色が、「古典俳人では、芭蕉、蕪村、一茶の三人に絞り」「現代俳人は昭和中心とし、これに三人の編者が推薦する俳人約六百名を加え」「例句に新鮮且つ充実したものを備えた」と明らかにしている。編集の方針をオープンにしたフェアーな姿勢といえよう。

例句、一頁に約二十句。少なめで六〇〇頁として一万二千句。やはり歳時記を編む方も読む方も(こちらは拾い読みとしても)、並々ならぬエネルギーが注入されなければ成立しません。しかも、しかも、単巻歳時記にして、この姿なのです。

俳句歳時記︱︱考えてみれば、空おそろしき出版物です。この紙による媒体は、令和なる世、いまや絶滅に瀕(ひん)しているにちがいない。これまでの紙による壮大な伽藍が崩れ去るときに面しているわけです。

というわけで、俳句歳時記という、いわばナンセンスともいえる出版物の臨終の立ち合い人たらんとしているわけです。

もちろん、俳句歳時記というものが、この日本文化から消え去る道理はなく、「電子歳時記」といったものが普及されることとなるでしょう。この歳時記の「あとがき」でも最後に兜太万年青年俳人は、このことに言及しています

ところで、この歳時記の編集人の一人、夏石番矢といえば、雄山閣出版から「Series俳句世界3」『無季俳句の遠心力』と題する一冊特集で、佐佐木幸綱を迎え、夏石と共に編集の復本一郎と「無季俳句」をテーマとしている。

Series俳句世界3 無季俳句の遠心力 無季俳句100選 編:佐々木幸綱、夏石番矢、復本一郎 雄山閣出版

Series俳句世界3 無季俳句の遠心力 無季俳句100選
編:佐々木幸綱、夏石番矢、復本一郎
雄山閣出版

巻頭は佐佐木幸綱、夏石番矢、復本一郎による『広がりゆく「俳句」野フィールド無季と有季の新思考』や、酒井弘司による「無季俳句一〇〇選」他、興味ぶかい構成となっているが、ここに立ち寄るのは控えよう。他の歳時記の群れが「まだ待たせるのか!」……こちら、ぼくを見つめている気配がただよってきて……。

 

 

 

季語道楽(44)俳句嫌いだった著者の俳句啓蒙書 坂崎重盛

  • 2021年2月8日 15:19

今回は、戦後の前衛俳壇を引っぱってきた頭目のひとり、金子兜太が編集にかかわる単巻歳時記を見てみようと予告したが、あることが心に引っかかっていたので、やはり、まずはそれを取り上げたい。この稿、もともとまるで俳句を即席で作るように、ジャズのアドリブ演奏のように、ころころ変わる。

前回の山本健吉の単巻歳時記の補足。

意識して集めたわけではまったくないが、俳句関連本の一隅に、山本健吉著の詩歌関連本の群が目にとまる。もちろん、前回、ちらっと書名だけ記した文藝春秋刊の代表的歳時記の一つとして評価されている山本健吉編『最近俳句歳時記』(全五巻)や、これまた画期的な中央公論刊『地名俳句歳時記』(全八巻)とは別の単著である。

自分の覚えのためもあり、手に取ったものから列挙してみる。

  • 平畑静塔/山本健吉共著『俳句とは何かーー俳句の作り方と味い方』(昭和二十八年 至文堂刊)
  • 山本健吉『俳句私見』(昭和五十八年 文藝春秋刊)
  • 山本健吉『現代俳句』(昭和三十九年 角川文庫初版 昭和六十一年改版十八版)
  • 山本健吉『俳句鑑賞歳時記』(平成十二年刊 角川ソフィア文庫)
  • 山本健吉『ことばの歳時記』(平成二十八年刊 角川ソフィア文庫)
  • 山本健吉『芭蕉三百句』(昭和六十三年刊 河出文庫)
  • 山本健吉『大和山河抄』(昭和四十四年 角川選書)
  • 山本健吉『こころのうた』(一九八一年 文春文庫)
  • 學生教養新書 俳句とは何か 俳句の作り方と味い方 著:平畑静塔、山本健吉

    學生教養新書 俳句とは何か 俳句の作り方と味い方 著:平畑静塔、山本健吉

    俳句私見 著:山本健吉

    俳句私見 著:山本健吉

    俳句鑑賞歳時記 著:山本健吉

    俳句鑑賞歳時記 著:山本健吉

    芭蕉三百句 著:山本健吉

    芭蕉三百句 著:山本健吉

    ことばの歳時記 著:山本健吉

    ことばの歳時記 著:山本健吉

    大和山河抄 著:山本健吉

    大和山河抄 著:山本健吉

    こころのうた 著:山本健吉

    こころのうた 著:山本健吉

いま脇に積み重ねたものだけ挙げたが、文庫などまだ数冊はどこかに埋もれているに違いない。なお『大和山河抄』と『こころのうた』は俳書ではなく、前著は大和路を行く紀行文で、それに伴う万葉集からの和歌の手引きであり、後者は文芸評論家としての山本健吉による近代詩のガイドブックである。

季語の誕生と成立の考察や各種歳時記の著述など、とくに戦後の俳句啓蒙に大きく寄与し、また多くの一般読者を獲得した山本健吉は、改めて考えてみれば、非常に例外的なというか特異なポジションにいる著述家だった。そのことを、山本自身の言葉によってみてみよう。

いま列挙した本の中の一冊、『俳句私見』の中の一文を引用する。つづけて山本健吉の実感を聞こう。

俳句がわかるためには、よく言われるように自分で作ってみるという専

門的な修練を必要とするのであろうが、そういう垣がぼくの前には何時の

間にかはずされて、自分は作らないながらにその藝苑に出入りすることの

自由さと大胆さを身に附けるに到ったのだ。

と、これは山本健吉が、はじめ改造社に入社、「俳句研究」の編集にたずさわったことの経緯をのべたものだろう。“自分が作らなければ俳句のことは語れない”に対する異論は、例の桑原武夫の『第二芸術』での言及が知られている。

第二芸術 著:桑原武夫

第二芸術 著:桑原武夫

學生教養新書 俳句とは何か 俳句の作り方と味い方 著:平畑静塔、山本健吉

學生教養新書 俳句とは何か 俳句の作り方と味い方 著:平畑静塔、山本健吉

僕も毎月のように何百何千という俳句を読まされ、寝ても覚めても「俳」

という字が生活についてまわっていた間は、俳書と言えば手に取り上げて

みる気もしなかった。僕の書架は久しい間俳書だけを欠いていたし、人に

もあからさまにこの俳句集の厭わしさを口にしたのである。

「俳句集の厭わしさ」の言葉がリアルである。実感を伝えてくる。しかし、その山本の毎日の仕事は俳句雑誌の編集であった。

僕は俳句びたしになり、自然と俳句をそらんじ、俳句を厭い、俳句から逃

れた。このような希有な体験は、人を決して作者にはしないであろう。

山本健吉が俳句を作る人、俳人になり得なかった理由を吐露している。そして、

臭いがすっかり去ったのは、雑誌から離れて一年ほど経ってからである。

僕は芭蕉や蕪村の句集を再び手に取ることが多くなり、七部集(*芭蕉七部

集)は枕頭の書の一つになった。厭わしいものが心の堰を切って反動的に

好ましいものとなる力の大きさ。

——文芸評論家、俳句啓蒙家、山本健吉の誕生である。たしかに、山本健吉以外に、あれだけの力仕事となる歳時記や俳書を著した人は職業俳人でもいないだろう。ましてやーー「名句、代表句の一句ももたない人間が、どうして俳句の世界をかたることができる」——が、“常識”の俳句社会で。

『俳句私見』は、かなり読みごたえのある一冊だが、ここでは深入りすることはひかえよう。ただ、章立てだけは記しておく。著者の俳句評論へのよき野心がうかがえる。

  • 「軽み」の論——序説——
  • 余呉の海、路通、芭蕉
  • 挨拶と滑稽
  • 俳句の世界
  • 純粋俳句  写生から寓意へ
  • 俳諧についての十八章

以上だが、「挨拶と滑稽」は、角川ソフィア文庫の『俳句とは何か』に収録されている。

 

もう一冊だけ。もちろん山本健吉本これは新しい帯のかけられた文庫で、帯のコピーに目がいった。じつはこのことは、しばらく前の稿でもちょっと記したはずだ。そのコピーとは「上皇陛下と上皇后陛下がおふたりで音読している本」(宮内庁「上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)より」

うーむ。たしかに宮内庁からのコメントがあったのだろうが、それを即、いただいて文庫版の帯に刷り込むとは! おそれ入った編集社魂というか、売らんかなスピリット!

もちろん、文化勲章も受けている著者の著作物、しかも日本の風土、四季、また日本人が古来より育んできた日本のことばを、名句や名歌を挙げながらの随筆なので、いわば“お墨付き”。「おふたりで音読」されてもなんの危惧する心とてないが、(それにしても……)と感じて入手した。

 

ところで、巻末のあとがきに代わる「歳時記について」を見てみよう。昭和四十年の記。元本は文藝春秋から刊行されたようだ。その一行目、

これは私の、季(き)の詞(ことば)についてのノートである。

「季の詞のノート」、つまり歳時記。引用をつづける。

私は昔から、俳句の歳時記をときどき開いてみるのが好きだった。べつ

に俳句を作るために開くのではない。俳人たちがこの書物を実用的に読む

ところを、私はしごく趣味的に読んだというに過ぎない。

あちこち読んでいるうちに、私は歳時記というものが一千年以上にわた

って持ちつづけてきた美意識と生活の知恵との、驚くべき集大成だという

ことに気づいたのである。

と、ひとことで歳時記の存在意義をのべ、このあと季語に関する少々専門的、学問的な考察がされるが、この一文は次の言葉でしめくくられる。

私の歳時記に対する興味には、二つの面があることになる。それは国語と

国土という二つの言葉に帰着する。

——なるほど、「おふたりで音読して」、なんのさしさわりのない、日本人のための良書のようだ。じつは、わたし、まだ本文をほとんど読んでいない。改めて通読せねば。

ただ、読まずとも、この俳書からは、俳諧の「俳」(この字は「人に非(あらず)」。「俳」の字を左右入れ替えれば「非人」となる)や「謔」(調和する。おどけたわむれる。ユーモア(諧謔(ぎゃく))といった雰囲気は、あまり伝わってこない。

日本の伝統文化の中の「美しい日本の私」を再認識することはできるだろうが、また、やはり日本の伝統文化の重要な一要素である滑稽(ユーモア)やなんせんすといった、上下(かみしも)脱いだ庶民文化の、生きる楽しさ、切実さといったものはあまりかんじられない、とつむじまがり的な気分を抱いてしまう。

山本健吉の季語論については、彼が編集したライフワーク、俳句歳時記のなかで、少しくわしく見てみることとして、お待たせしました! 所期の、金子兜太の関わった歳時記を手にしよう。

季語道楽(43)いよいよ「季寄せ」「歳時記」本の本丸へ① 坂崎重盛

  • 2021年1月28日 16:19

吟行などの携帯のための「季寄せ」は後でふれるとして、いわゆる「歳時記」本(歳時記的事典や辞典も含めて)には、本造りの形として、大きく分けて二種類ある。

一巻完結編集もの(仮に単巻歳時記、単巻本と呼ぶことにする)と、われわれがよく目にして入手、利用する文庫版によるような「春・夏・秋・冬」の四冊型と、それに「新年」が加えられての五冊型である。(これを、複刊歳時記、複刊本と呼ぶこととしよう)

と、いうことで、まずは単巻歳時記から見てみることにする。手元の各種歳時記関連本のなかから単巻歳時記を抜き出し並べてみた。ざっと二十一冊ある。ページ数でいえば千二百ページを超えるものから、もっとも薄い歳時記でも三百ページ近く。仮に平均五〇〇ページとしても一万ページ。もちろん全巻読破、などという無謀にして酔狂なことはしない。いやできないし、意味もない。

ただ、この際、一巻一巻わが手に取って、ページをめくり、ぼくの関心のある個所や掲げられている例句をチェックしていきたい。

まずは四六判でドカンと分厚い単巻本から。

  • 石田波郷・嶋芳次郎 共編『新訂現代俳句歳時記』(一九八八年 主婦と生

活社/全1216頁)

新訂 現代俳句歳時記 石田波郷・志摩芳次郎 共編

新訂 現代俳句歳時記 石田波郷・志摩芳次郎 共編

新訂 現代俳句歳時記 石田波郷・志摩芳次郎 共編

新訂 現代俳句歳時記 石田波郷・志摩芳次郎 共編

『広辞苑よりは、ちょっと判も小さく、重さも少し軽い。しかし手にしていると、つらくなる重さだ。机上に置いてチェック。この、分厚い歳時記本のカバー絵や扉絵が、なんとも洒脱で軽みのあるイラストレーション。戦後、政治家の似顔絵で人気を博した文人的漫画家・那須良輔の禅味のあふれた画である。

本文を見てみよう。じつは、ぼくは各種歳時記の「序文」や「あとがき」を読みたいがために、あれこれ入手してきたフシがある。

この際時記の序文は加藤楸邨による「二人の友人のこと——新訂版の序にかへて」と題する一文。書き出し二行目から、引用する。

実は私は序文は書かないことにしてゐるので、今度も辞退したのだが、

社と志摩(注・芳次郎)君の方から強っての話だったので、今は亡き波郷

(注・石田)との永い交流も考へた上、序文といふやうなあらたまったも

のではなく、両君との間の気楽な気持ちでの随想とでもいったらよいやう

な小文をかかせてもらふことにした。

と、歳時記の「序文」というよりは、年長の加藤楸邨と、この歳時記編者の石田波郷・志摩芳次郎の思い出というか、楸邨以下、三者の交流の逸話を紹介している。これはこれで興味深いが、しかし『歳時記』らしい序は、次の波郷による「初版のはしがき(抄)」にある。

俳句は自然と生活との調和の上に成立する詩だと言う考え方は、もっと

も広く認められている。

と、この一文は書き出されている。

先の明治三十八年生まれの楸邨の文と大正2年生まれの波郷の文章の差に気づかされる。楸邨の文は旧仮名づかいに対し、波郷は、今日の文のように新仮名である。ただ、波郷の文は昭和三十八年記。

楸邨の文は、それから二十五年もたっての昭和六十三年の記なのだ。旧い文体と今日の文体が時間的ネジレ現象を起こしている。時流は変わっても、易々と新仮名に移行しない楸邨の人柄がうかがえて興味深い。

ま、そんなことはともかく、波郷の「季語」に対する考えを見てみよう。引用する。

季語として採択されるには、次の三つの条件を備えていなければならない。

イ、季節感があること  ロ、普遍性があること  ハ、詩語としてすぐ

れていること

とし、

洗練され安定した季語たるには、厳しい選択の目をくぐらねばならないの

である。長い歴史を持つ季語は三条件をそなえ、万人の深い共感を呼ぶの

である。

と定言する。そして歳時記が「俳人だけのものでなく」「私たち日本人の伝統的な生活史を背負って、豊かな遺産の宝庫であるという意味こそは大きい」と語り、「その意味では、むしろ高校生位の若い世代から歳時記に親しんでほしい」と望んでいる。波郷による、平易でまっとうな、初学の人向けの序文といえる。

「あとがき」は波郷より五歳ほど年上でありながら波郷に傾倒した志摩芳次郎による。はじめに、共編者であり、師であり、この新訂刊行時には、すでに世を去っている波郷へのあいさつがあり、結語近くでは、一文の結びで俳句歳時記への思いを強い言葉で訴える。

 

俳句に携わる携わらないにかかわらず、俳句歳時記は国民必読の書であ

ると叫びたい。それゆえ、本歳時記が数おおくの人びとの座右の書となる

なることを望む。日本および日本人がほろびないためにも。

と。

本文を見てみよう。例によって、この原稿を書いている正月、新春の季語で気になるものを眼で追ってゆく。「食積(くひつみ)」、「礼者(れいじゃ)」、「寝積(いねつ)む」といった、ほぼ死語に近い季語に目が止まる。

まず「食積」は正月料理を詰め合わせたもの。今日風に言うと「おせち」。例句に、

食積みに添えたる箸も輪島塗   上野たかし

食積の蒔絵の塗りに映える顔   會津龍之

食積の黒豆だけがのこりけり   本土みよ治

「礼者」は三か日の「年賀客」。新年のあいさつだけを玄関先からして辞するのを「門礼者(かどれいじゃ)」、また、女性の年賀の客を「女礼者(おんなれいじゃ)」といい、花柳界の芸妓の新年のあいさつまわりも含まれる。

病床をかこむ礼者や五六人    正岡子規

一門の女礼者や屋にあふれ    石田波郷

「寝積む」。「元旦に寝ること」。昔、正月は縁起をかついで、病気で寝込むことを連想する寝(いね)という言葉をきらって、「寝(いね)」が稲と同音であることから「稲積む」としたという。今日、ほとんど死語。

寝積や布団の上の紋どころ    阿波野青畝

寝積や煙草火つくり独言     角川源義

この「寝積」=「稲積む」の季語に少し興味を持ったので、すでに紹介した夏井いつき先生の『絶滅寸前季語辞典』にあたってみる。「稲積む」でありました。

「秋の季語だと勘違いする人が九割いても不思議ではない」「収穫した尾根を積み上げていくさま」と思ってしまうからと説明したあとで、「このところ稲積み損ねてばかりいるせいか」という夏井先生の愚痴的(というか、当たりちらし的自句を例として挙げている。

稲積みたしかれこれ二十時間ほど

二十時間も稲積みますかぁ。しかし、夏井先生の句にはユーモアがあるなぁ。

次の単巻歳時記にうつろう。

  • 山本健吉『基本季語五〇〇選』(一九八九年 講談社学術文庫/全千二十頁)

    基本季語五〇〇選 著:山本健吉

    基本季語五〇〇選 著:山本健吉

文庫本という判型と基本季語五〇〇 というタイトルのためか、この季語集がいつも本棚で目にしていながら千頁を超える大著とは、とくに意識していなかった。考えてみれば季語五〇〇だって相当の数だ。紹介されている例句を見れば、少なくても平均二〇句、いや平均三〇句はあるか、仮に二〇句としても、一万句だ。

著者・山本健吉は和歌や俳句といった短詩系文学に少しでも関心を持つ人ならば、親しい著述家で、著書の一冊や二冊は書棚にあるだろう。とくに俳句歳時記、季語の成立に対する考察は説得力があり、今日も一つの定説の位置を得ている。

本書を開く。「序」や「まえがき」「凡例」の類いはなく、いきなり「春」の季語から始まる。しかし、例によってぼくは、この原稿を書いている新年・新春のページから、とりあげられている季語と例句をちぇっくすることに。

ところが、新年の章は季語が「新年」、「初春」、「去年」、「初日」、「初風」、「初富士」、「若水」、「初詣」などと、当然のことながら、あまりに伝統的な季語が並び、少々、新鮮みに乏しい。

では、ということで、少し先の「初春」の章をチェックする。最初に登場するのが「春浅し(はるあさし)」。傍題、つまり関連季語として「浅き春」、「浅春(せんしゅん)」が示されている。解説文の一例を見てみたい。引用する。

二月ころ、春になってもまだ寒く、春色なを十分にはととのわぬ季節

である。

季語としてはある新鮮な語感があり、江戸時代には見かけない季語だ

った。(中略)子規派で初めて季語として立てられたのだろう。

と碧梧桐(河東碧梧桐)や鬼骨(?)の句が紹介され、さらに『新撰朗詠集』からの白楽天の詩が引用され、俳句の季語としては比較的新しいものの、

詩語や短歌には古くから意識されたとしている。そして、解説の〆(しめ)は、

早春、初春(しょしゅん)とほぼ同じ時期を現すが、「浅し」と言った

ところに、特殊な感情が籠る。

と、季語とそれ以前の詩語の関係に心を配りつつ、親切で香気のある文で解説される。例句は十三句挙げられ、山本健吉による歳時記や伝統の詩歌解説書が多くの読者を獲得したのも得心がゆく。

つづく季語は「冴返る(さえかえる・さえかへる)。傍題は「冱返る(いてかえる)」・「しみ返る」・「しみ返る」・「寒返る(かんかえる)」・「寒もどり」。

解説は、この「冴返る」の類似した季語として「冴ゆる」を挙げる。ところが、こちらは冬の季語で、

「光、光沢、色、音響、寒気などが澄みとおることで、そこから転じて

頭脳や面貌やわざのあざやかさなどにも言う。冬の季語とされているの

は、特にあざやかな寒気や冷気について言ったので、光や色や音につい

て言う場合も、冷たさが伴っている。

とし、対し「冴返る」は、

春になって、いったんゆるんだ換気が、寒波の影響でまたぶりかえすこ

とがある。余寒、春寒を意味する。

と解き、ここでも和歌の藤原家隆や藤原為家の歌を紹介と、時代は下って、連歌の時代には一月(初春)のもの、あるいは二月あたりまで季題とされたと記されている。例句は、こちらも少なく十八句。うち、

神鳴や一むら雨のさえかえり    去来

三日月は反(そ)るぞ寒さは冴返る 一茶

衰へし命を張れば冴返る      草城

冴え返る面魂(つらだましい)は誰にありや  草田男

といった句が目にとまったが、中でもぼくが面白いと思った句は、楸邨の、

冴え返るもののひとつに夜の鼻

であった。「夜の鼻」とくるかぁ、と脱帽した次第。掲げられている例句の中から勝手に自分で選句遊びをするのも歳時記を読む楽しみのひとつ。

寒中から早春にかけての季語「猫の恋」も人気のある季題で、素人句会でもよく題として出される。解説では、

生活の上ではきわめて親しい季題でよく、和歌、連歌では、このような

卑俗な世界は忌避(きひ)されていた。(中略)「妻恋う鹿」が和歌の題、

「猿の声」が詩の題、「猫の恋」が俳諧の題と、それぞれのジャンルの特

質を見せている。

と、これまた季題の歴史をふまえた、ありがたい解説。掲げられている例句は二十四句。

寝て起て大欠(あくび)して猫の恋   一茶

色町(いろまち)や真昼ひそかに猫の恋   荷風

恋猫の身も世もあらず啼きにけり     敦(安住)

という句が目にとまったが、耕衣(永田)の有名な、

恋猫の恋する猫で押し通す

が、やはり脱帽。また「木場」として春樹(角川)の、

恋猫や蕎麦屋に酒と木遣節(きやりぶし)

も、下町の気配が横溢していて、うれしい句である。

「白魚」も、この季節の題で、解説も例句も心ひかれるが、キリもないのでこのくらいにして、「あとがき」をさっとチェックして、次の歳時記本に移りたい。しかし、じつは、この山本健吉による「あとがき」季語の成立にとっての重要な姿が浮かび上がってくる。

「あとがき」より。

私は前に、季語の集積が形作る秩序の世界をピラミッドに喩えたこと

がある。頂点に座を占めるのは、いわゆる五個の景物(花・月・雪・時

鳥・紅葉)であり、それから順次に、和歌の題・連歌の季題、俳句の季

語と、下降しながら拡がってゆく。これだけで数千項目が数えられるが、

それらは日本の風土の客観的認識を目ざしたものであることはもちろん

ながら、それに止まらず、それは日本人の美意識の選択であり、しばし

ば美意識が客観的認識に優先することがあるということだ。

と説き、また

季語を季題と化すものは、ある作者によって名句が詠まれたかどうか(傍

点、坂崎)ということで、芭蕉が新しい季の詞の一つも見出すのは後世

へのよき冥加と言ったのは、新しい季題で人の口に上るほどの名句を一

句でも作り出すのだ。

と芭蕉の言葉をひきつつ、新しい季語誕生の消息について語り、つづけて、

そのときそれは、新しい季題として正式に登録される(傍点、坂崎)の

であって、近代

の例では、「夜の秋」「万緑」「春一番」「釣瓶落とし」「乗込鮒(のっこみ

ぶな)」その他、幾つかの例が挙げられるはずだ。

としている。この中の「夜の秋」は、秋の季節とする説もないわけでもなかったが、いまや(というか原石鼎の「粥すする杣が塀の腑(ふ)や夜の秋」を虚子が夏の句と定めたことによって)、好もしい夏の季語として定着したようだ。例句三十二句のうち石鼎の句は当然として、

手花火の香の沁(しむ)ばかり夜の秋   汀女

簪屋(かざしや)と向きあふ小寄席(よせ)や夜の秋   寒々(?)

海わたる魂ひとつ夜の秋         信子(桂)

などが目にとまったが、以前からこの季題で好きなのは、

西鶴の女みな死ぬ夜の秋         かな女(長谷川)

である。「西鶴の女みな死ぬ」がすごい。とここまで書いて、かな女の、西鶴の句については、すでに一回紹介したかに気づく。

それはともかく「夜の秋」と並んで挙げられている「万縁」、これが新しい夏の季語として認知されたのは中村草田男の、

万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初(そ)むる

によって「たちまち全俳壇的に共感されて」意向、多くの俳人から数々の句を生むこととなる。ちなみに草田男は、戦後創刊した自らの句誌名を『万緑』としたーーというのも俳句に親しむ人たちの間ではよく知られたこと。

芭蕉の先に紹介した「新しい季の詞の一つも見出すのは後世へのよき冥加」という言葉ではないが、草田男は「吾子の歯生え初むる」で「万緑」を新しい季語として今日に残したのである。

恐るべし、一句の名句の誕生。

この山本健吉による単巻、一冊本の歳時記の傍らにハンディーな「季寄せ」(昭和四十八年・文藝春秋)があるが、こちらは上・下巻本なので、今回はとりあげず。また、複刊本となると、歳時記の決定本のひとつ『最新俳句歳時記』(全五巻)や、『地名俳句歳時記』(全八巻)があるが、これらについては、この後の山と積まれた複刊歳時記について総覧するときにふれてゆきたい。

さて、次は金子兜太へんによる『現代俳句歳時記』と兜太・黒田杏子・夏石番矢といった現代人気俳人の編となる『現代歳時記』を見てみたい。

前衛俳句運動を牽引してきた、また「銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく」「おおかみに鶯が一つ付いていた」といった句を作る俳人の季語感を知りたいじゃありませんか。

興味津々。