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蚤の眼 大世界史 365 ⓱ 9月17日

  • 2010年10月26日 15:29

黄海の海戦で清国艦隊を撃滅(1894年・明治27年)
8月1日に宣戦布告した日清戦争は平壌占領の後、この日黄海海戦が行われた。日本の連合艦隊が清国の誇る北洋艦隊に正面から戦いを挑んだ。清国の主力は世界的な戦艦と言われた定遠と鎮遠でともに7.300余トンで34センチ砲4門を装備していた。対抗する我が方は日本景観といわれた松島、厳島、橋立ての各4,300トンで、大砲だけは負けないつもりで32センチ1門を装備していた。ところが、まだ戦艦装備技術もともなわない 時代のこと、この大砲を撃つと、自艦が大きく振動してあちこちに故障が生じたという。そのためにかなりの苦戦を強いられたにもかかわらず、大損害を与え、これにより日清戦争は日本の優勢に進んでいくことになる。この巨砲は結局たった2発だけであった。戦争ばかりやっていた中で連戦連勝のような気分で、いけいけドンドンと喜んでばかりだった日本のあの時代は良かったのかどうか。後世から振り返る世界の流れにいい加減なことはいえません、ね。
神田錦輝館で尾上松之助の「本能寺合戦」公開(1908年・明治41年)
若山牧水死去(1918年・昭和3年)
「白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒はしずかに飲むべかりけれ」旅を愛し、酒をこよなく愛し、歌を愛し全国つづうらうら、友を求めて歩いた人でしたね。この季節になるとふと浮かんでくる心のうたです。享年44歳でした。

蚤の眼 大世界史 ⓰ 9月16日

  • 2010年10月21日 19:56

新撰組の芹沢鴨暗殺さる(1863年・文久3年)
京都の町中で人殺しをしてあるていた集団のボスは、どうやら合間には女の子とわいわいがやがや、宴会ばかりやっていたのと違いますかと思うくらい、色町に出入りしている。芸者にいうことを聞かせようとして、振られた腹いせに虐めたりしてる。この馬鹿騒ぎの後で、仲間内かもしれん連中に殺された。しかも、素っ裸で逃げまわった末に惨殺された。一緒に寝ていた女も殺されよった、こちらは気の毒。 かっこ悪い。
モース大森貝塚を発見(1877年・明治10年)
アメリカの動物学者エドワード・S・モースが6月ころに横浜から東京に向かう電車の中から発見、この日に確認した。わが国における初めての学問的な発掘が行われた。
大杉栄伊藤野枝惨殺(1923年・大正12年)
関東大震災の後、さまざまなデマや混乱が人の心を乱れさせていた。誰かを犠牲にして鬱憤を晴らそうとする不逞の輩もかなりいた。文明開化の勢いにそろそろ陰りが見てきていたのだろうか。以前から、殺害の機会を狙っていた陸軍憲兵大尉・甘粕正彦は、大杉栄と伊藤野枝を東京憲兵隊本部へ連行し、絞殺、死体を本部内の井戸に投げ込んだのである。甘粕は裁判の法廷で危険人物を自分の意志で殺害したと、証言。懲役10年の刑を受けたが4年後に仮出所し、満州にわたり、満州映画協会の理事長についた。大正デモクラシーが暗い時代へ入っていく 象徴のような事件でした。この大杉さんて女にもてたし、ちょっと軽くて面白い奴だったみたいで、ちゃらんぽらんな性格が、なんともいいです。大それたことをやるとんでもない策士ではないと思う。もうすこしトリックスターとして生かしてもらいたかった、ね。

キッコーマンの労働争議、最長記録を達成(1927年・昭和2年)
千葉県の野田で創業した野田醤油(現・キッコーマン)の労働者の待遇を巡っての争議は、遂にストライキに発展し、全国に話題が沸騰、ついには商品の不買運動にまで発展した。翌年の4月19日まで続いたんですよ。よく頑張ったね、昔の人はエライ!

蚤の眼 大世界史 365 ⓯

  • 2010年10月8日 19:20

天下分け目の関ヶ原の合戦(1600年・慶長5年)
東軍・徳川家康方は14万4千、西軍・石田三成方は8万5千、関ヶ原の戦いは8時間続いた。4時間目の正午頃に西軍が優勢だったが、小早川秀秋の裏切りにより家康方が勝利した。いろんな小説で様々に書かれている大事件だが、こんなにたくさんの人が竹槍とか、刀で本当に斬り合いをやったのだろうか。雑兵のたぐいなんかは、あちこち逃げまわって、殺されないようにしてうまい飯にありついて、どっちに転んでも「俺たちには関係ないしょ」と、高をくくっていたんじゃあるまいか。テレビや映画の影響でいろいろ言うけど、きっちりと庶民のドラマなんか見たいねぇ。
英国軍に初めて戦車登場(1916年・大正5年)
ソンムの戦いは壮絶を極めたがここでイギリス軍に戦車が登場してドイツ軍を驚かせた。死傷者は100万を数えた。
国産代用品普及協会設立。(1938年・昭和13年)
代用食品の奨励。米→麦、麦→粟、ヒエ、醤油製造用大豆・小麦→蚕のさなぎ、え? マジすか?

蚤の眼 大世界史 365 ⓮ 9月14日

  • 2010年10月1日 18:57

ナポレオン、モスクワに入城(1812年・文化9年)
1789年のフランス大革命の後の1799年のクーデターによって第一統領となったナポレンは、軍事独裁を強め、1802年終身統領となった。圧倒的な支持率でまさに英雄とはこの人物といえた。ここから破竹の進撃が始まる。しかし、アウステルリッツの会戦で勝利したけれどかなり苦戦。ヨーロッパ全域を敵にまわして、この日遂にモスクワに入城した。しかし木造の家の多かったモスクワは既に焼尽し、からっぽで補給もままならず、10万を超える軍に冬将軍が 襲いかかった。この兵隊さんが帰ってみると5千人しかいなかったというんだから、凄いや。寒さにゃ英雄も勝てませんぜ。今年みたいな熱さもフランス人にはだめだろうね。
コレラ東京に発生。全国に流行(1877年・明治10年)
コレラが東京にも猛威をふるい、患者が随分死んだ。まだこの国の衛生状態も悪く、ろくな薬もない状態で、この年だけでも6817人の死者が出た。近代文明の有り難さをしみじみと感じるのはこんなことでもありますね。二年後の明治12年には、東京府の深川、浅草、愛宕下にコレラ伝染病の避病院が設立されている。
零戦の試作機完成(1938年・昭和13年)
第2次世界大戦において無敵を誇った零戦が三菱重工の工場で完成した。初陣の重慶爆撃は昭和15年の9月13日、中国戦闘機と猛烈な空戦を行い、ソ連製のイ15、イ16の二十七機をすべて撃墜した。零戦に被害はなし。

蚤の眼 大世界史 365 ⓭ 9月13日

  • 2010年9月27日 17:30

乃木大将殉死す(1912年・大正1年)
7月20日明治天皇崩御。30日には皇太子嘉仁が践祚し大正となった。この日大喪の儀が東京青山で行われた後、乃木大将夫妻が割腹自殺した。武士の鑑と謳われ、号外が出た。殉死の是非について世論が沸騰、「中央公論」は特集を組んだ。5日後、森鴎外は『興津弥五右衛門の遺書』を執筆して、その意味を問うた。直接的な部分は後ほど、かなり書き換えているけれども殉死の意味を考える重要な動機となった。歴史に材をとる小説『阿部一族』『渋江抽斎』など一連のものが発表されきっかけになったのではなかろうか。
砂川基地拡張反対闘争始まる(1955年・昭和30年)
東京都下・砂川町で立川基地拡張反対総決起大会が開かれ砂川闘争が始まった。町民ほとんどが加盟するという「砂川基地反対同盟」が結成され,立ち入り調査を拒否したが、第一次強制測量が行われ反対派と学生に負傷者がでる、流血の事件となった。立川基地の滑走路を広げて大型ジェット機 を飛ばそうという目論見が結局、反対闘争のあまりの激しさに挫折した。五日市街道の砂川7番のあたりの野っぱらに面影が少し残っている。今見ると昭和公園などと平和風な場所に変わって、まぁいいんでないのなどとのんきに思うけど、町中によくまあ、飛行場を広げようなんて、いい気なもんだったわけだ。