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新・気まぐれ読書日記 (39)  石山文也 奇妙な孤島の物語

  • 2016年7月8日 19:52

新刊コーナーで珍しく衝動買いした一冊である。『奇妙な孤島の物語―私が行ったことのない、生涯行くこともないだろう50の島』(河出書房新社)。著者のユーディット・シャランスキーは、1980年に旧東ドイツの北東部、ポーランド国境近くのバルト海に面した港湾都市グライスヴァルトに生まれた。彼女は作家で、ブックデザイナーでもあったから地図の製作から装丁までを自身で手がけ、2009年の「もっとも美しいドイツの本」賞と「ドイツデザイン賞」の銀賞を受賞した。訳者の鈴木仁子は著者があるインタビューで「幼年時代は遮断されていた西側世界へはもちろん、故郷の外へすら出ることも許されず、行ったことも、行けるはずもないはるかな場所への想いが、自宅の居間にひろげた地図のうえではぐくまれた。港町とはいっても目の前に果てしなく広がる海だけがあり、東ドイツ全体がひとつの<島>でした」と語っていたのを知り日本語版の題名に「奇妙な」を付け加えた。私が目にしたのも真夏の海を思わせる表紙のブルーとこのひと言だった。

ユーディット・シャランスキー著、鈴木仁子訳 『奇妙な孤島の物語』(河出書房新社刊、本体2,900円)

ユーディット・シャランスキー著、鈴木仁子訳 『奇妙な孤島の物語』(河出書房新社刊)

「文学の棚なのか、紀行エッセイの棚なのか、地図の棚なのか、書店が置き場に悩むような本である」と鈴木は「訳者あとがき」に書いている。続けて「できるならどこにも置いてほしい。けれど孤島のロマンティシズムにあふれたエッセイ、きれいな地図のついた秘境ガイドだと思って手に取るとちょっと拍子抜けするかもしれない。未知の土地への憧れをかきたてるような旅の本とはいくぶん趣向がちがうのだ」とも。たしかにそうだ。それならわが書庫のように「島宇宙」というコーナーをつくって並べればいいと思うけどそんなのどこの書店でも見たことがないか。

著者を孤島への探索に向かわせたのは「はるかな世界」へのあくなき憧憬からだった。ベルリン州立図書館の地図閲覧室で「人の高さほどある地球儀のまわりを廻り、米粒ほどの大きさの島々の名を目にした時に、大洋にぽつんと浮かぶ僻遠の島のありようにひどく心をそそられた」という。ひところ私もパソコン画面で「Google Earth」に夢中になり、思いつく限りの地名を入力して楽しんだことがある。なかでも孤島探しは、はるか上空から海へと一気に落下していくような不思議な体験だった。インド洋や南太平洋、カリブ海などにはそれこそ無数の島があり、何もない海のど真ん中を指すアイコンをググって(=拡大して)いくとようやく島のかたちが現れる。さらに操作すると道路や集落や港などが・・・。もっとも地球儀には最初から島が書かれているのだからそこは少し違うかもしれないけど。

文学の世界では孤島を舞台にした『ロビンソン・クルーソー』や『宝島』、『ユートピア』、『テンペスト』、『ガリバー旅行記』などで<ここではないどこか>を繰り返し描いた。小説にとどまらず映画やアニメなどは古今東西、数知れない。漂流・漂着の果て、不幸にも置き去りにされたケースもあっただろう。手つかずの原初そのままの自然のなかで生命をかけたサバイバル、そこは既存社会から隔絶した理想国家でもあり、あるいはその逆も。「島は天国だ。また地獄でもある―」と帯にあるように島は世界の縮図であり、日常世界から逃れた「別世界」としてイメージされる。現実にも19世紀から20世紀にかけて野生の生命力にあこがれた画家ゴーギャンがタヒチに最初に移住した。地図だけが世界を知る術だった少女は、自らの想像力と地図を<道しるべ>にして行ったことのない孤島の物語を書き上げた。

手元の辞書を引いてみると【孤島】には「大陸や他の島から隔絶されて、海上にただ一つある島、絶海の―」(新明解国語辞典、第五版)、「海上遠く離れて一つだけある島」(広辞苑、第六版)、「陸地や他の島から遠く離れて、海上にただ一つある島」(明鏡国語辞典、携帯版)などと「一つだけある」と、用例の「絶海の―」が共通している。ところがこの本に紹介された孤島は必ずしもそうとは限らない。表紙のセント・キルダ島はご覧のようにいくつかの島から構成されている。イギリススコットランドの北西に位置する。(57°49′N、8°35′W)とあるから、ご関心があればググってみては。

聖(セント)キルダ、という聖人は実在せず、この群島の名の由来ははっきりしない。絶海に営巣する鳥のかすかなさえずりほどにおぼつかない名前である。イギリスの最果て、アウター・ヘブリディーズ諸島のいちばんはずれの島々だ。北西の風が吹くときでもなければ、とうてい渡る勇気の起きないところ。ひとつしかない村は、16軒の小さな家と、3軒の大きな家と、1つの教会からなっていた。島に未来があるかどうかは墓地をみれば一目でわかる。つまり、こういうことである―島の赤ん坊は、出生直後はみんな元気だった。4日目か5日目か6日目の夜に、ほとんどの子が乳を吸わなくなった。7日目と9日目のあいだに、新生児の3分の2が死んだことから、いつからか「8日病」と呼ばれ、原因は島民が常食にしているフルマカモメの肉や卵が母乳の味を苦くするとか近親婚、あるいは暖房に使う泥炭の煤に原因があるという見解もささやかれた。島民はといえば、これも全能の神のご意思だろうとつぶやくばかり。
(中略)
1876年6月22日、ひとりの女が船のデッキに立っていた。島に戻る船だった。セント・キルダの女がみんなそうであるように、この女も肌が柔らかく、頬が赤く、驚くほど澄んだ目をし、若い象牙のような歯をしていた。彼女は無事に子どもを産んだのだった。ただし故郷の島ではないところで。そうやって難を避けたのである。北東の風が吹いていた。故郷の浜からその姿が見えるようになる前から、女は生まれた子を潮風のなかに高々と差しあげてみせた。

もうひとつ紹介しよう。ラパ・イテイ島(27°36′S、144°20′W)フランス領ポリネシア、南太平洋オーストラル諸島。

フランス、ヴィージュ山脈の裾野にある小さな町で6歳になる男の子がしきりと夢を見るようになった。まったく知らない言語を誰かからおそわっているという夢だった。やがてこの男の子マルタ・リブランは、その言語がどこの言語なのか、そもそもそんな言語があるのかどうかも知らないまま、現実でもすらすらと話せるようになった。

ブルターニュ地方で暮らしていた33歳のリブランにレンヌ大学の研究者が目をつけた。彼らは2年間にわたりリブランが夢で学んだ言語を解読し、翻訳することを企てた。一風変わった発音を巨大コンピュータに入力してみたが成果は出なかった。港の酒場で船乗りたちに聞き回るうち、海軍にいたという男が反応した。「その言葉はたしかに聞き覚えがある。ポリネシアの孤島のなかでも、いちばんへんぴな島の言葉じゃないか」と。そして軍人と結婚してフランスに来たが離婚して郊外の福祉住宅に住んでいる女が同じ言葉を話すのを告げた。

女の住まいを訪ねたリブランが例の言葉で挨拶すると女は即座に挨拶を返した。彼女の生まれ故郷のラパ語で。

せっかくだから後日譚を書いておく。

ヨーロッパから一度も出たことのなかったリブランは、彼の言葉を理解してくれたたった一人の女性と結婚し、彼女とともに1983年、彼の言葉が話されている島に移り住んだ。

とまあ、こうした「奇妙な<実話>」が他の48の島にもそれぞれあって飽きさせない。

著者は「ここにおさめた内容の真偽を問うのは混乱のもとである。島はつねに現実の地理的座標を超えた、人心を投影する場所であるということからしても、学術的手法ではなく文学的な手段でしか捉えることができない」と書いている。当初は、眠りに就く前にいくつかの孤島を(読むことで)訪ねるのもおもしろいじゃないか、と始めたもののあれこれと想像が広がり、かえって眠れなくなることがわかってからは昼間に読むことに変えた。私の場合、聞いたこともない言語や<実話のその先>は夢には出てこなかったけれど孤島はやはり人間にとってそれだけですでに非日常的な、幻想の空間なのであろう。

ではまた

新・気まぐれ読書日記(38) 石山文也 ムーンナイト・ダイバー

  • 2016年4月27日 21:36

東日本大震災から5年、熊本地方を二度もの大地震が襲った。その後、熊本だけではなく大分などにも震源域が広がり一向に収まる気配が見えないなかで読み終えたのが天童荒太の『ムーンナイト・ダイバー』(文藝春秋)である。舞台は大震災から4年半を過ぎたフクシマ。自身も震災直後の津波で両親と兄を亡くした41歳のプロダイバー瀬奈舟作(しゅうさく)は月光を頼りに立入禁止の海に潜る。津波が町のすべてのものをさらっていった海底で人々が生きていた証拠となる「何らかの<遺品>などを探して持ち帰る」という目的のためだった。

天童荒太著『ムーンナイト・ダイバー』(文藝春秋刊)

天童荒太著『ムーンナイト・ダイバー』(文藝春秋刊)

舟作は漁師をしながら20代でスクーバダイビングのインストラクターの資格を取った。震災当日は漁で無理して腰を痛めたため自宅で休んでいた。代わりにセメント工場の夜勤シフト明けだった兄が、両親と一緒に港にあった持ち船の掃除と船室内の模様替え、エンジンのメンテナンスを引き受けてくれた。地震直後に舟作は妻や幼い子どもふたりと高台に避難して無事だったが港にいた3人は助からなかった。地方公務員の珠井準一は異動の辞令を受けて高校生の長男と内陸部の町に住んでいたが舟作と同じ町の自宅に残していた妻と長女が行方不明になった。しかも震災後に町全体が立入禁止地区に指定されてしまう。珠井は長くためらっていた死亡届を出すことで手に入れた生命保険を使い、同じ思いを共有できる仲間を集めて禁断の海へ潜って行方不明になっている人たちにつながる遺品や海中の写真を持ち帰ってもらう秘密のプロジェクトを立ち上げようと考える。

生き残った人たちは慟哭とともに「なぜ私が、私たちが生き残ったのか」というサバイバル・ギルトと呼ばれるある種の罪悪感めいた思いを抱えて生きて来た。珠井もそんなひとりだ。計画を引き受けてくれそうな漁師を何人も当たるうち、ようやく見つけたのが「報酬次第なら引き受けてもよい」という66歳の漁師の松浦文平だった。文平の一人息子は借金を重ねて町に居づらくなって行方不明になっているがその幼馴染が舟作である。あの日以来、手つかずのまま<封鎖されて>いる海底は住宅や家財、車の残骸、電柱や電線などあらゆるものが大量に沈んでいる。その後の地震で様変わりしているし(放射能)汚染の危険もある。いかにプロのダイバーであるとはいえ危険すぎる任務である。事故を起こすことは命を失うことにとどまらないから厳禁で、万一、海上保安庁や警察などの臨検を受けたとしても一切、その理由は明かしてはならない約束だった。

潜水は舟作が震災後からインストラクターをしているダイビングスクールの休日の火曜日の夜明け前に一回45分だけ行う。照明はまったく使えないので「月あかり」が期待でき、かつ海が穏やかなことが絶対条件になる。持ち帰るのは一辺が20cm以内、貴金属や、現金、有価証券など金目なものはダメ。バッグや財布も中身を抜き取られたかも知れないと疑われるから除外される。たとえおもちゃであっても指輪やティアラ(髪飾り)などは紛らわしいので海に戻す約束である。しかも場所がどこであるのかは作中には書かれてはいない。フクシマ(=福島)は帯に「3.11から5年目となるフクシマ」とあるだけ。舟作が身につけるインナーベストも「肩から股間まで胴部を完全に覆う形で、薄手の防弾チョッキに似ていた。ある種の物質から、内臓器官を防護する目的で開発されたものだという」と紹介され、珠井が米国から取り寄せたことになっている。昼夜を徹して廃炉への工事が進む福島第一原子力発電所も具体的な名前ではなく「海からは防波堤の向こうに巨大な建造物が望める<光のエリア>」として描かれる。フル装備の舟作を漁に使っていたモーターボートに乗せて現場まで送り迎えし、自宅に戻ると舟作の身体に「表面汚染検査計」を当てて異常がないかを確かめるのは文平、持ち帰った品物が基準値以下なのを調べるのは舟作の仕事だがあえて「放射線量」とは書かれない。町の場所も含め固有名詞、まして心情的にも聞きたくもない放射能などと具体的に書くことで傷を受けた人たちに一定の配慮を欠かさないのは直木賞を受賞した『悼む人』や『永遠の仔』などに共通する著者が自身に課した<約束事>にも思える。

非合法な<裏仕事>であるがゆえに高い報酬を貰いながら「もっと色をつけてもらえないかと頼め」とけしかける文平に送られて舟作が出かけるのは仕事を依頼した珠井が待つ人口30万人の街のホテルのスイート・ルームである。ここで品物と写真データの引き渡しが行われ、採集場所の詳しい説明が要求される。ひとつひとつの品物は小箱に詰められていく。そのあと時間を置いて会員たちへの「報告会」が珠井によって開催され、自分につながる品物であると申し出た会員は小箱を持ち帰ることになる。舟作が会うのは珠井だけで、他の会員にはダイバーの名前さえ明かされず、まして会うことはできないと固く申し合わされていた。

そんなある日、駐車場から出ようとした舟作の車の前に、女が飛び出した。あわててブレーキを踏んでかろうじて停車したがその女が助手席の窓をせわしく叩く。ドアロックを外すと女はドアを開いて乗り込んできた。それが東京でアクセサリー・デザイナーをしている眞部透子だった。別のホテルの喫茶室で舟作はダイバーであることを隠したが透子は実家の母を見舞っていた夫が未だに行方不明であると告げる。「わたしがデザインしたもので、夫がはめているものです」と言って結婚指輪の写真を見せた。「なので、わたしには願いがあります」と聞いて、舟作は夫の指輪を探してほしい、ということだろうと思いかけたが、透子は「わたしの願いというのは、ダイバーの方に、夫がしていた指輪を探さないで欲しい、ということです。たとえ見つかったとしても、写真にも撮らないでください。そのときの状況を話すこともしないでください。何も見つけなかったものとして、無視して欲しいのです」と懇願する。貴金属を持ち帰ることは禁じられているにしても広い海でたったひとつの指輪を見つけ出すのは・・・。と思いかけた舟作は「それにしても逆だろう!」と耳を疑った。

以前、天童は読者が想像できるような結末なら書き直すこともいとわないと書いていたのを思い出す。執筆前の取材で線量計を手にしてまったく復興が進まない町々を回り、港では打ち寄せる波に手をつけて「(自分なりの物語を)書かせていただきます」と誓ったという。表紙の装丁写真は物語がアイデア段階であったときに出会い、大切なイメージの一つとしていつも机のそばにあった。書店でこの本を見つけたのも表紙写真を目にしたからだが、この先を読んで私自身が深く引き込まれていったのも写真から想像が触発され膨らんだことも大きかったたのではあるまいか。「慟哭の夜から圧倒的救済の光さす海へ。鎮魂と生への祈りをこめた著者の新たな代表作誕生」という帯の惹句そのままに私は月下の海底へどこまでも潜降して行った。

ではまた

新・気まぐれ読書日記 (37) 石山文也 東京煮込み横丁評判記

  • 2016年3月18日 14:08

「不良隠居」を自称する坂崎重盛氏はいまも夜な夜な「ルート253」沿いの横丁に出没しているはずだ。逍遥記は『東京煮込み横丁評判記』として光文社から出版され、同社の知恵の森文庫に収録された。今回、書き下ろしの番外編2作とBS放送の人気番組「酒場放浪記」でおなじみの酒場詩人・吉田類との対談を加えた新刊を中公文庫から出版した。253は、ニ・コ・ミと読み、グツグツ煮えている居酒屋の「煮込み」である。「煮込みの美味い店は、いい居酒屋。そして、煮込みの美味い、いい居酒屋のある町は、愛しい町」という坂崎氏が足で歩いた選りすぐりの煮込み居酒屋を紹介してくれる。いずれも「ルート253」沿いの横丁にある。というか、横丁を結ぶと「ルート253」が浮かび上がる。

坂崎重盛著『東京煮込み横丁評判記』(中公文庫)

坂崎重盛著『東京煮込み横丁評判記』(中公文庫)

不肖・石山、氏(以下、同)に初めてお目にかかったのはこの本で「ホッピーロード」と紹介される浅草の公園本通りの「浩司」か、その先の「正ちゃん」だったか。「そこははっきりしろ」と言われても先に行った店が満員だったのでハシゴしましたから。氏がアロハ風の粋なシャツだったから夏場だったのでしょう。もちろんホッピーで乾杯し、つまみは煮込み、だったはず。だって氏はいちいちウンチクを披露したりする人じゃないから、こちらの記憶も(いつものことだけど)あいまいで。たしか、この通りにあるJRA=日本中央競馬会のウインズ浅草は間違いなく休みだった。観光客でにぎわう観音様の参道とは違い、このあたりは昭和レトロを残す<さびれ感>があって、競馬の開催日以外は閉まっている店もあったから。

冒頭に紹介した前作を<道案内>にして浅草橋、阿佐ヶ谷、小岩、新橋、立石、赤羽、北千住、町屋、三ノ輪と続く(もっとあるが)「ルート253」を巡ったという方も多かろうから、今回は「番外編」を紹介する。

最初は「いつも素顔の巣鴨の古典居酒屋に最敬礼」。ところが巣鴨に直行するかと思うと「悲しいことに、人は慣れる。最初のころは、あんなにドキドキ心ときめいていたのに。そのうち、なにごともなかったような平気な顔をして、やり過ごす。たとえば街に対しても」と書き出して、神楽坂の思い出から。飯田橋に事務所をもって、隣町の神楽坂の路地を歩きはじめたときは、ほんとうに嬉しかった。三十年以上も前のこと。石畳の入りくんだ路地、料亭の黒塀、暗い入口の朽ちかけた木造アパート・・・。普段は、これといった思い入れもなく、ただ人と会ったり、用事で行き来したりしているのに、最近はテレビの町歩き番組などで、この神楽坂が脚光を浴び観光地風にとりあげられたりされているのを見ると(なにをいまさらながら)などと、ぷいと横向く気分になる。スレッカラシになっているのだ。この町に対して。初心を忘れ、ワケ知りの半可通というやつ。慣れてしまったのだ。

自分に喝!初心に戻るべし!というわけで、初心の町へ行く。勝手知ったる安心と慢心のホームではなく、未知の初心と無心のアウェ―の町へ行こう。巣鴨だ。

「・・・例によってなかなか煮込みの話に入らない。この本は煮込みのガイドブック、といった親切本ではないので、ストレートに煮込みや煮込みの旨い店に直行、とはならないのだ。人生も、散歩も、文章も、寄り道しなくっちゃ。毒蛇は急がないし、クネクネ蛇行する」。これも氏の文章から拝借した。

巣鴨といえば「とげぬき地蔵」の高岩寺、ひょうたん形のもなかやどら焼きが人気の「千成もなか本舗」、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三匹のお猿さんの石像のある庚申堂などを寄り道しながら駅方面に戻る。「目指す店は巣鴨駅からスキップ踏んで一、二分。スキップができない人は歩いても三分とかからない」とようやく最初の老舗居酒屋にたどり着く。こうなるとすっかり氏のペース、そこらあたりがなにより面白いのだけれど。同行は、ブラジルから一時帰国中の酒場ライターに「色白の美女で、呑ん兵衛文化人たちのマドンナという雑誌編集長」、「とてもキュート&エレガンスな出版社編集者の女性」と氏としては最上級の表現が続く。「大人の飲み会、巣鴨の夜はゆったり、ほんわか、和気あいあい、オマヌケ話と、オトナのお色気話でふけてゆくのでありました」。

番外編もうひとつは「古町・麻布十番の老舗居酒屋と納得の泡酒」。ここでもそば屋の話、麻布十番温泉の思い出などをたっぷり。ジェラートの店で店員のおすすめをお腹に収めて・・・。あっちこっちと歩き回ったあとようやく一軒目、付き合うときりがなさそうだから気になった泡酒とは、氏の想像した<枝から落ちたぶどうから作った?>ではなくグラスになみなみと注いでくれることからきた「こぼれスパークリング」だそうで。

シメはトレードマークのハンチング帽でも知られる酒場詩人・吉田類との対談。

吉田:一休なんかそうだけど「痴にして聖」な人間を、江戸時代は生かしたわけですよね。いまの時代も「痴にして聖」なる存在を否定しちゃいかんのですよ。否定したら世の中がきな臭くなる。そうなったら、いちばん先に粛清されるのは僕たちですからね。

坂崎:ちょっときれいごとを言いますけど、われわれはカナリアなんですよ。

吉田:炭鉱で空気が薄かったり、ガスが出てたりしないかどうか確かめるための、あれですか?

坂崎:そうそう。僕たちは世の中の空気が悪くなったら最初に死んじゃうテスターなんです。われわれみたいな道楽人間がなんとなく生きているうちは、まだ世の中大丈夫。

吉田:僕たちが否定されるような世の中は、真っ暗闇に落ちていきます。

坂崎:全面的に賛成です!吟遊詩人の類さん、最近は吟遊哲学者っぽくなってきたなあ。

そういえばつい先日、私、<酒場詩人風>の黒ハンチング、黒のタートルネックセーターに同色のブレザーという服装で京都の居酒屋で飲んでいると隣の席のおじさんから「あなたテレビに出ている人?」と声をかけられた。「いやいや、詩人なんかじゃありませんから」と、否定したつもりだったのに???の反応だったが、「人違いですよ」だけでよかったのか。

ではまた

新・気まぐれ読書日記(36)  石山文也 忍者の教科書

  • 2016年3月16日 18:57

ここのところ教科書を読みながら眠りにつく毎日である、と書き始めると「えっ、学校にでも通い始めたの?」と突っ込みを入れられそうだ。はまっているのは伊賀忍者研究会編の『忍者の教科書』(笠間書院)。ブックレットほどの大きさだからベッドに持ち込むにはかさばらないし、軽くてちょうどいいのもありがたい。

伊賀忍者研究会【編】『忍者の教科書』(笠間書院)

伊賀忍者研究会【編】『忍者の教科書』(笠間書院)

「なんでまた?」と聞かれる前に明かしておくと、書斎に眠っていた忍術関係の本を、研究会を主宰する池田裕氏に進呈した際にいただいた。池田氏は三重県の伊賀を拠点に活動する忍者愛好グループを<束ねる>「上忍」で忍者文献の解読やフィールドワークによる学術研究、国内外での講演やイベントなどで広く活動している忍者研究家である。どこで会ったのかというと伊賀の山中、は冗談だが私の自宅がある大津市内の某所で落ちあい色々な話を聞いた。<忍者>だけに、職業、住居地などは秘しておくが年齢は40歳前後とお見受けした。

ちなみに「忍者」は歴史的には「しのびのもの」が正しい読み方であるが、昭和初期から人気となった小説や映画、ドラマなどで「にんじゃ」が使われ、一般的になったから史実に基づいて書かれたこの本も「にんじゃの」と読む。標題下の新萬川集海(しん・まんせんしゅうかい)とは江戸時代に書かれた『萬川集海』(国立公文書館蔵)をベースに、現代風にわかりやすく紹介するねらいを込めている。<忍びの根拠地>である伊賀と北隣りの滋賀県甲賀には「伊賀甲賀四九家」という49流派があったと伝わる。『萬川集海』は「万の川の流れを集めた大海」という意味で、甲賀に隠棲していた忍者頭領の藤林保武が書いた序文に延宝4年(1676)の年号が残っている。「上忍」を分かりやすくまとめたカットが<巻物風>になっているので紹介する。真の忍者とは、姿を見せず、音も立てず、名はもちろんのこと、勇ましくて強いという評判すら残さない。しかし、天地を造るかのような偉業を成し遂げるという意味という。


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池田氏の解説は「忍者の主な仕事は情報を収集することで、情報を得るためには、敵に知られないよう、目立たずに行う必要がありました。だから忍者たちは常に歴史の舞台裏にいました」と。「私もなれるでしょうか」と尋ねたら笑って答えなかったのは「単に好奇心旺盛なだけの人物」と見抜かれていたからかもしれない。

堅い話はこのくらいにしておくが、近年はなかなかの忍者ブームで「忍者・忍術」を冠した町おこしイベントがどこでも大人気である。そういえば、ニャン・ニャン・ニャンで「猫の日」と思っていた先日の2月22日は、ニン・ニン・ニンで「忍者の日」にすっかり“変身”したようで市役所職員らが忍者装束で勤務するニュース映像が流れていた。

教科書だけに「忍者の歴史」、「忍術と忍具」がくわしく紹介されている。息抜きには「松尾芭蕉忍者説」、「観阿弥忍者説」などのコラムや特別寄稿の「忍者エッセイ」もおもしろい。なかでも吉丸雄哉・三重大人文学部准教授は『NARUTO』と『ONE PIECE』を取り上げ『NARUTO』がハリー・ポッターシリーズに似ているとすれば『ONE PIECE』はトム・ソーヤーと似たヒーロー像であると分析する。『NARUTO』の世界は日本とは明言されていないが、忍者が登場するので日本と同じく伝統のある世界を背景にしている。海賊少年ルフィが“ひとつなぎの大秘宝”を求めて大海原を巡る『ONE PIECE』は、新世界的なヒーロー。父的な存在が不要、あるいは拒否するアメリカン・ヒーローで、スーパーマンもバットマンも親や先輩、先生は助けてくれないなかでそれぞれ魅力がある。人間には独立心や自立心があるが、その一方で、自分のあこがれとなる人を設定して、その人に近づきたい、その人から学びたいという気持ちがある。多くの人にとってのスターがいるはずで自分も『NARUTO』に出てくるSENSEIである大人として頑張らないといけないと。

現在は注文して届いたこの『忍者の教科書2』(同)を<学習中>だが、末尾には「忍者になるための十カ条」が掲げられている。

伊賀忍者研究会【編】『忍者の教科書2』(同)

伊賀忍者研究会【編】『忍者の教科書2』(同)

その8.マラソン(42.195km)を完走できる脚力をつける。

その9.スマートフォンを駆使し、あらゆる情報を収集する

その10.英語力をつける

とあって英語力については「忍者は世界のNINJAなので、英語を使いこなし海外に情報発信、情報収集をする」とある。そういえば池田氏からいただいた『忍者の教科書』にある「現代版 忍者十ヶ条」に

その4.言葉に堪能になる!

「日本語をしっかり学習し、英語を使えることで、多くの情報が入ります」があった。現代の上忍には英語が必須条件なのかもしれないがひょっとして池田氏は英語のSENSEIかも。

ではまた

新・気まぐれ読書日記(35) 石山文也 たらふくつるてん

  • 2016年3月2日 22:58

奥山景布子(きょうこ)の『たらふくつるてん』(中央公論新社)は「江戸落語の始祖」といわれることになる鹿野武左衛門のおもしろおかしく波乱に満ちた半生を描く。

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奥山景布子著『たらふくつるてん』(中央公論新社)

京都のしがない漆塗り職人・塗師(ぬし)の志賀武平は何よりも興行好き。人と話すのが苦手、猫背気味でまだ三十過ぎなのに白髪交じりの小男のうえ胡坐をかいた鼻の穴が上を向いている醜男で、女房から「お前さんの陰気な顔があかんわ。なんとかならへんのかいな」と言われている。きょうも立ち寄った北野天満宮の境内で、お目当ての露の五郎兵衛の辻咄(つじばなし)の人垣を見つけると最後まで聞いてしまい、女房の不興を買う。大阪・生玉社で一昼夜かけていかに多くの句を詠むかを競う井原西鶴の矢数俳諧が行われると聞くと仕事も身に入らず、親方に頼み込んで休みをもらうと女房には内緒で伏見から大阪行きの三十石船に乗ってしまう。ところが上りの船に乗り遅れ、さらに一晩過ごしてようやく自宅に戻ると女房は実家に帰っており、二度ほど詫びを入れに行ったが、結局本人には会えずじまいで泣く泣く離縁状を書くことになった。悪いことは重なるもので仕上がった刀の鞘を納品に行った武家の屋敷で、応対に出た奥方に誘われて酒を飲み、目を覚ますと奥方らが血まみれで死んでいるというとんでもない事件に巻き込まれ、追手を逃れて江戸へ向うことになる。

途中、増水で川止めになった大井川では旅芸人の一座の子どもたちに聞かせていた辻咄のまねごとを親方が気に入り、幕間にやらせてもらうことで宿代がかさみ路銀が乏しくなった窮地を救われる。辿りついた江戸では仕事仲間と吉原に出かけた際に宴席を隣り合わせた浮世絵師・菱川師宣の弟子、石川流宣(とものぶ)らに話芸の才能を見いだされ座敷などで小咄を聞かせる新商売を始める。付けてもらった芸名は本名をもじった鹿野、名前は武左衛門と決まった。やがて三味線弾きのお咲とめぐり合いコンビを組むこととなる。「百人一首」や「伊勢物語」にある本歌を狂歌でからかった話のあとはお咲の三味線の入る芝居仕立ての長い咄がうけた。例えば本歌はよくご存じのこんな咄である。

毎度ばかばかしいお噂を・・・ええ、なんでも昨年の大地震で東照宮さまが壊れたそうで、日光街道沿いのあたりは諸式万事高値で、お困りの方が大勢おいでやそうですな。そんな所を二人の歌詠みが通りかかりまして。『秋の田の刈るまで待たぬ我が命 賤(しず)が体は雨に濡れつつ』。おお、ようできた。では、こんなのはどうや。『田子の底うちのぞき見れば白搗(しろづ)きの 米の高値に我こそ折れける』。おお、ようできた。互いにこう自賛しておりますと、どこからか声がいたします。『起きもせず寝もせで橋に明かしては 薦被(こもかぶ)りとて眺め暮しつつ』宿なしの坊主が近くで寝ておったんですな・・・。

妻の仇討ちを誓って江戸にやってきた武士兄弟とのスリリングなやりとりも収まり、やがてお咲と一緒になった武左衛門は娘、お花に恵まれる。時代は元禄年間に入り、五代将軍綱吉の「生類憐みの令」をはじめとする締め付けはさらに厳しさを増す。それをからかった絵入り狂歌を販売した知り合いの絵師が死罪になると、犬などの動物を使った「落ち」さえ憚れるようになど咄家にも暗い影を落とす。それでも客の「笑い」を取りたい武左衛門はとうとう役人に捕まり、伊豆大島への遠島を言い渡される。ところが出帆した船は大船に辿りつく途中で浸水し、全員が海に投げ出されてしまう。手が縛られ、おまけに猿ぐつわをされた彼ら囚人たちの運命は・・・。

もちろんとっておきの「落ち」が楽しめます、とだけ書いておくが一風変った題名は、冒頭に紹介した露の五郎兵衛の辻咄に出てくる。

「海の底で音曲をいたしまするは、どの魚かな」
「お客人、ようく、三味線の音というものを思い出しなされ。答えはこうじゃ。“たらふくつるてん”、鱈(たら)河豚(ふく)つるてん。ぼってり太った鱈と河豚がヒレで三味線を抱えて、つるてーん!つるてーん!と。おわかりかな」。

おあとがよろしいようで。

ではまた