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季語道楽(35)春夏秋冬、名句60句をめぐる   坂崎重盛

  • 2020年3月25日 16:58

字多喜代子著『名句十二か月』(角川学芸出版刊)

この著者の俳書はすでに一冊、この連載で紹介している。同じく角川選書に収められている好著『古季語と遊ぶ』である。この本では、珍しい季語と例句、そして遊戯的センスに富んだ実作の例句と文章を楽しませていただいたが、この『名句十二か月』も著者ならではの“実感的エッセイ”の中に、季節ごとの名句が数多く(約六百句)はさみ込まれ紹介、解説される。

 

この『名句十二か月』の最初に登場する季語は「去年今年(こぞことし)」、もちろん新年、一月。去年今年となると、それはもう高浜虚子の、

去年今年貫く棒の如きもの

でしょう。この句は俳句と無縁の人でも知っている人が多いのでは。種々の歳時記の新年、一月の項で、この虚子の句が載っていなかったりすると、ぼくなどは(ほう……)と、かえって、その歳時記の編者に妙な関心を抱いてしまったりする。

著者の字多喜代子さんも、

高浜虚子の代表句というより、新年の句の代表としてまず思い出すのが、

この「去年今年貫く棒の如きもの」である。

といい、さらに虚子の同じく新年の季語「初空」二句を紹介する。

初空や大悪人虚子の頭上に

初空や東西南北其下に

そして、この二句の解説として、

前句は大正七年の作、後句は昭和三十年の作である。「初空」は元日の空

のことだが、もっと限定して元朝の空のことと思いたい。それにしてもめ

でたい初空に「大悪人虚子」を取り合わせるとは、なんともすごい。

とし、さらに、

そのすごさが歳月を経て自身より空の大きさのほうを立てた違うすごさに

変わってゆく。

と、二句を並べた上での“読み”を披露する。このあたり、著者“うた”(宇多)さんの力量の一辺を垣間見せますね。

ぼくは、虚子の自らの俳号の上に「大悪人」と付けたスタイルに、虚子の余裕というか、自然主義的なスタイルを借りて、その実オシャレなモダニズムをかぎとってしまう。ちょっとやんちゃなナルシズムというか。

 

ちなみに高浜虚子の本名は「清(きよし)」。それを先輩の正岡子規がーー「きよし」だから「虚子」でいいんじゃないーーと命名してしまったとか。俳句界の巨人、虚子のの誕生が、いかにも青春のアバウトな(=俳諧的な)感じがして、好きな逸話だ。

逸話といえば子規が同郷の河東碧梧桐とともに虚子(そのころはまだ清)を自分のもとに誘ったのは、俳句の同人としてではなく、そのころ子規が熱中していた野球のメンバーとして、という話もいい。

ちなみに上野公園の一隅にあるグラウンドには、子規らがプレイした野球場跡という碑が立っている。

 

話が横道に入ってしまった、本題に戻す。

著者・うたさんは先の虚子の二句と、その解説のすぐ後に、松瀬青々(ホトトギス派、ということは子規、虚子を師とする関西俳壇を代表する一人、明治二年生まれ)の、いかにも関西人ならではの剽軽(ひょうきん)な正月句を掲げる。

正月にちょろくさいことをお言やるな

これに対する、うたさんの評がまたいい。

マジナイのような口調の句でとくに名句というのではないが、知っておく

便利である。

「便利である」ってーーなるほどね、「知っておくと便利」な句って、あるんですね。うたさんによる便利な教えでした。

 

さて、この稿を楽しんでいる今の季節は早春、小石川植物園の梅もほとんど終わってしまったが、桜の開花は例年より早いようで、今週末とか。早春から春にかけての句を見てみたい。

まず、「二月」から。

初っぱなに出てくるのが、こんな句だ。すごい!

寒からう痒からう人に逢ひたからう

子規の句だ。前詞が付されている。「碧梧桐天然痘にかかりて入院せるに遺す」。「天然痘」に、失礼ながら、つい笑ってしまった。このころは天然痘という病気がまだ健在だったのですね。

句友というか、子規の弟子、虚子の盟友であり、後のライバルとなる河東碧梧桐(へきごどう)が天然痘にかかり一ヶ月ほど入院した(明治三十一年一月のこと)ことを思いやってのーー見舞い句。

うたさんの解説。

前詞あっての句で、もしそれがなかったら何のことやらわからないという

人もあるが、必要あって置かれた前詞なんだから、ともに吟味したらいい

んじゃないの、と思う。

「いいんじゃないの」が、いかにも“うた節”。自在な精神の文体じゃ、ありませんか。ぼくは、この句、前詞がなくても全然いい。

寒からう痒からう人に逢ひたからう   —

︱︱アトピーの思春期の娘(知り合いの娘さんでもいい)を思いやっての早春の句でもいいじゃないですか。しかし、子規、やっぱりすごいですね。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」だけの子規じゃないね。

 

おや、さっきの河東碧梧桐の句が出てる。

赤い椿白い椿と落ちにけり

これまたぼくでも知っている有名な句である。さすが俳句に写生句の態度を主張した 子規の高弟の句である。うたさんの評。

椿がポトリと落ちる様子を言葉で表現する場合、もうこうとしか言いよう

がないと思われるほどに贅肉をそいだ表現がなされている。

この後の椿の句が、またすごい。この本で初めて出会った。

老いながら椿となって踊りけり     三橋鷹女

一読、ぞくっと鳥肌の立つような、女人俳人ならではの句ですね「老いながら椿となって」がコワスゴイ。作者、鷹女の作句に対する思い、も紹介される。

「一句を書くことは、一片の鱗の剥奪である。一片の鱗は、生きて鑄るこ

との証しだと思ふ」

一片の鱗ですか! 男性の表現者からは絶対に出てこない言葉でしょう。余計なことは書かず、次の句を見よう。これまた、不可解ながら、とても有名な句。

 

梅咲いて庭中に青鮫が来ている     金子兜太

安易すぎる言葉で言ってしまえばシュールリアリズムの絵を見るよう。当てずっぽうに喩えていえばヒエロニムス・ボッシュかブリューゲルの版画と岡本太郎の初期作品の合体のような。ま、これまた半可通のコメントなど控えておいたほうがよいでしょう。

「三月」に入ってみよう。

うわぁ〜、なんか大丈夫? 感じようによっては、やたらエロくないですか?

戀人は土龍のやうにぬれている    富澤赤黄男

もちろん季語は「土龍(もぐら)」。「戀びと」「もぐら」「ぬれている」︱︱落語、人情噺の傑作「芝浜」が寄席の客から受けた「よっぱらい」「財布」「芝浜」の三つのお題から即興で生み出した三題噺だったように、この赤黄男の句の先の三つのキーワードで、誰か艶笑噺を作れないかしら、なんて考えてしまったりする。

にしても「戀人は土龍のやうにぬれている」、初見ながら一発で憶えてしまう。

 

エロティックといえば、やはりこの人、日野草城。

をみなとはかかるものかも春の闇

ちょっと室生犀星の世界を連想してしまうが、草城、の例の「ミヤコホテル」の連作から。

草城、この「ミヤコホテル」が原因でか、「ホトトギス」同人から閉め出されることになる。昭和十一年、軍靴の音が次第に近づきつつあった時世。

 

この項の最後に、春、四月から。

さまざまの事おもひ出す桜かな    芭蕉

さすが芭蕉、横綱相撲。

うたさんの『名句十二カ月』、読み出したらやめられない止まらない。

 

 

 

季語道楽(34)季語が学べる懇切な実作講座 坂崎重盛

  • 2020年3月18日 17:43

角川書店発行の月刊句誌『俳句』で三年間にわたる連載をまとめた今瀬剛一による『季語実作セミナー』(角川書店刊)

まず、この本の袖に載っている著者略歴を見て、ちょっと驚いた。昭和十一年茨城県生まれ。そのあと、昭和四十六年「沖」創刊とともに参加、能村登四郎に師事︱︱とある。

俳句結社の動向にうとく、興味ある特集のとき以外は俳句専門誌などもめったに入手しないので、この『季語実作セミナー』の著者と『秀句十二カ月』の著者が、句誌「沖」をともに立ち上げた同人で、しかも師弟関係であったとは気にもとめずにいた。ただ、目にとまった歳時記関連本として買いおいた二冊であった。ぼくは、少しでも興味あるテーマの本は、“積ん読派”以前に、とりあえず“買っとく派”なのだ。

ま、そんなご縁があった今瀬剛一の︱︱「季語という俳句のもっとも重要な要素がわかりやすく学べる。総合誌『俳句』の大好評連載、待望の選書化!」と帯に唱われた、この『季語実作セミナー』を開いてみよう。

季語実作セミナー 著:今瀬剛一

季語実作セミナー 著:今瀬剛一

「はじめに」を読む。「五月、いま私の周囲は全くの青葉である」と、始まり、季節の変化の早さにふれてゆく。そして、

こうした自然の変化、季節の移り変わりのなかにいると、俳句は有季定

型の詩であるという主張には全く疑いをはさむ余地はない。たかだか十七

文字の俳句、何もものを言えない俳句という側面に立つとき、この「有季」

「定型」という二つのことが私にどれほどの力を与えてくれるか、このこ

とを考えないわけにはいかないと思うのである。

と訴え、さらに「とりわけ季語には歴史を経てきた力がある。膨らみがある」としたうえで、高浜虚子の、

遠山に日の当たりたる枯野かな

という、たしか教科書にも載っていた虚子の代表句の一つを提示する。そして著者は、

「枯野」の力強さ、広がり、そしてその強さ広がりは単に表面的なものに

とどまってはいない。それは清浄たるかつての人間全てが見聞した枯野、

生きて泣いた枯野、歩き疲れた枯野……、そのような意味から人生そのも

のの象徴の響きも持っている。

と解説する。とても説得力のある読みだ。さらに著者は、

ただ気をつけなくてはならないのは季語に纏(まつ)わる既成概念であり、

そうした意味からは、季語を一つ一つ洗い直してみることも大切であると

思う。

と、この本の目的の一つが“季語の洗い直し”見直しであることを明らかにしている。

さて、本文、第一章は「季節の移ろいを詠む」早春の季語【二月】からスタート。〈︱︱ さあ春だ、句帳を持って外へ出よう〉と始まる。例句として、

春なれや名もなき山の朝がすみ     芭蕉

枯れ枝に初春の雨の玉円か       高浜虚子

を挙げ、解説を付しているが、︱︱「春だなあ」という感嘆の声は芭蕉の作品に比べて静かである。それは作品の背後から聞こえてくる︱︱と語り、つづけて、

山深み春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水

という新古今集、式子内親王の和歌を引き、

古来こうした情景は短歌にも詠まれているが、「円か」とまではとらえて

いない。ここに物を確かに見るという俳句の特性、あるいはもっと大きく

言えば実際に対象を外に出してみているかいないかの違いがあると思うの

である。

と同じ季節感の中で、それを詠むにしても観念でとらえる和歌と、実際の観察を通して表現する俳句の差を指摘する。

次が〈二 春を見よう、聞こう〉ここで著者は「要は自分の目で春を見付けること、自分の耳で春を聞くこと」とアドバイスし、

鎌倉の古き土より牡丹の芽      高浜虚子

みつけたる夕日の端の蕗の薹     柴田白葉女

山川のとどろく梅を手折るかな    飯田蛇笏

の三句を示し、虚子の句に対しては︱︱この作品の全ては「牡丹の芽」を見付けたところから始まっている︱︱とし、白葉女の句には、作者はまず「みつけたる」と直叙した︱︱そして、「蕗の薹」を提示しているだけで、読者のその感動を自由に味わわせている、と解説し、この一文の締めとして、

俳句とは述べるものではない、これは俳句を作るときの鉄則である。

と、われわれ初学の人たちにとって、句作のもっとも重要な“肝(きも)”を伝えてくれている。

二作目の蛇笏の句に対しては、

山々に響き渡る川の轟音(ごうおん)の中、一枝の梅を手折ったのである。

ぽきりという音は小さい音ではあるが確かに轟音のなかに一瞬響いたこと

と思う。その確かな音。

と解説する。なるほどなぁ、春近く雪解けとなる季節、山川の大自然の轟音に対して、手折った梅の枝の、小さな、しかし確かな、生命の証のような音、俳句はたった五・七・五の十七文字で、こんな、真実の、臨場感のあるスケールの世界まで描き出してしまうのだなぁ、といまさらながらの感慨。

そして〈三 春を行動してみよう〉〈四 私の推薦する早春の季語〉〈五 そのたの早春の季語、作句してみよう〉と、実作セミナーは進んでゆく。

また、初心者のための〈こんな作り方はいけません〉〈晩春の作品の失敗例〉〈どんなときに失敗するか〉〈晩春の作品、失敗三つの例〉などと、それぞれ例句を挙げながら、その問題点と改良句(添削句)を示す。

親切な季語活用、まさに実作セミナーとして構成され、同時に歳時記であり、季寄せの俳句入門書となっている。

(この項つづく)

季語道楽(31)『歳事記』というと、…坂崎重盛

  • 2020年1月22日 15:52

 

 『歳事記』というと、つい手が出てしまうが

 

サイジキ︱︱といえば、俳句の世界に親しい人ならば、当然のこと、春・夏・秋・冬そして新年の季語に、解説や例句が添えられ編集、構成された「俳句歳時記」を思い浮かべるでしょう。

しかし、これもまた、世によく知られているように、本のタイトルに「歳時記」という文字はみえるものの、また、確かに、季節の移り変わりに関わる内容のものではあったとしても、俳句とはまったくか、あるいは、ほとんど無縁の書物であったりする例も少なくない。

たとえば︱︱ということで、二步ほど歩いて、我が貧しい書棚の前に立って手を伸ばす。まず、困ったことに、歳時記ならぬ「歳事記」と表記した本が目についてしまった。目に入ってしまったからには、これに触れないわけにはいかないでしょう。手に取る。

⚫『「半七捕物帳」大江戸歳事記』(今井金吾著 ちくま文庫)

これは、『定本 武江年表』(ちくま学術文庫)ほか江戸物の著作で知られる今井金吾による、岡本綺堂『半七捕物帳』に描かれた︱︱江戸の人々の生活ぶりを、四季の月別に綺堂の文を引用しつつ解説したもの。

江戸・明治の本から図版も多く転載され、半七ファン、また、江戸マニアには嬉しい編集ではあるが、本文に俳句の紹介は、四月の「卯の花くだし」で久保田万太郎の「さす傘も卯の花腐しもちおもり」や江戸中期の俳人、山口素堂の、あまりにも有名な「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」などが、ごく、たまに。

というのも、著者による「追記」をチェックしてみると、元本の原題は『江戸っ子の春夏秋冬』で「文庫化」にあたり書名を『「半七捕物帳」大江戸歳事記』とした、とある。そして、このタイトルは「『東都歳事記』にならったものである」とあった。

改題で「歳事記」とはしたものの、初めは「歳事記」でも「歳時記」でもなかったのである。となると、「ならった」という『東都歳事記』が気になる。すぐに棚から引き出す。もちろん「歳時記」ではなく「歳事記」本。

⚫『新訂 東都歳事記上・下』(市古夏生╱鈴木健一校訂 ちくま学術文庫)

これは江戸・天保の時、斎藤幸成・月岑(げっしん)によって著された、江戸の年中行事、四季の物見雄山、庶民の生活等を正月から月ごとに豊富な図版を添えて案内する︱︱「詳細なイベントガイド」(下巻・帯のコピーから)。

著者・月岑は、かの『江戸名所図会』を著した祖父・斎藤幸雄、父・幸孝を父祖とする。つまり、この斎藤祖父、父子幸孝、幸成(月岑)は三代にわたって江戸名主という任務のかたわら詳細な江戸の地誌、歳事本の刊行にそれぞれその生を費やしたことになる。

ところで『東都歳事記』には、『江戸名所図会』同様、本文中のところどころに、俳句が挙げられ、また挿絵の中の詞書の中にも江戸漢詩とともに俳句も添えられている。つまり、この本は「歳事記」とは銘打つものの江戸の「俳諧歳時記」の性格も大いに備えていることになる。

︱︱とここまで書いてきて、何か気になることがある。このちくま学芸文庫版『新訂 東都歳事記』、いつか同様のものを手にしたような心おぼえが……。わが悪癖、関連本探索症の気持ちを抑えかねて(ここか?)と思う箇所を前列の本、積み重ねた上の本をどかしながら探しはじめる。二〇〜三〇分も経過しただろうか(見つからない、ということは、ぼくの思いちがいだったのか)とほとんど諦めかけた時、、ふと、明治二〇〜三〇年代の「風俗画報」の臨時増刊シリーズを思い出す。(たしか「風俗画報」の臨時増刊の中に、明治の歳事記があったはず。その挿絵は「風俗画報」の特派画家といえる山本松谷。とすると、この上下巻本と一緒にセロハンの袋に入れたのは……東都歳事記の類だったのでは?)と、思いついて、重ね積んだ「風俗画報」の臨時増刊本を1束ずつチェックしてゆく。

ありました! まず、明治の歳事記、正しくは『新撰東京歳事記・上・下』(明治三十一年・東陽堂発行)。そして、もう1束、やはり臨時増刊、『江戸歳事記 上・中・下 』(明治二十六〜二十七年?東陽堂発行)。

この明治の東陽堂版で『江戸歳事記』と表題された刊行物が、じつは江戸に刊行された月岑の『東都歳事記』そのものだったのだ。

東陽堂刊のものには、編者・渡部乙羽と大槻修二(如電)の序が巻頭に付されているが、本文は『東都歳事記』と、挿絵も含め全く同様。(ただし、先のちくま本には『江戸名所百景』からの挿絵も随所に加えられている)。

江戸の『東都歳事記』が明治版の『江戸歳事記』に変題された理由などは序文でも他でも明らかにはされていない。多分、東陽堂の意向で「東都」から、もっと購読者に受けやすい「江戸」としたのではないだろうか。

と、まあ、とにかく目出度く探し出せた『東都(江戸)歳事記』と『新撰東京歳事記』を久しぶりに手にしてページをめくったのでした。

に、しても、こういう経過もあり、資料の探索、また本文のチェックと、費やされる時間は本と執筆に費やす時間は8、いや9:1の割合といったところでしょうか。これは愚痴、また執筆遅延の言い訳でもありますが、執筆の1より本との触れ合い、9の方が、きっと9倍楽しいためでもありましょう。

とはいえ、俳句のほとんどが登場しない明治刊行「歳事記」の興味深い図版等をいつまでながめていても仕方がない。時代は現代、昭和、それも戦後に出版された「歳時記」と銘打たれた本なのに俳句の登場しない本もあげてみよう。

⚫『東京生活歳時記』(社会思想社編)

「歳時記」と書名にあるものの、四季の年中行事や生活祭事を構

成し編んだ本で俳句の登場しない本は数限りなくある。たとえば、この一冊、昭和四十四年刊 社会思想社編とあり、「年中行事」「生活風俗」を宮尾しげを、「東京の味」「たべもの」を多田鉄之助、「歴史メモ」を川崎房五郎といった、懐かしい名の執筆人によるものだが、パラパラと見た限りでは俳句の気配すらない。むしろ東京の四季折々の伝統行事、風俗習慣の事典という趣き。

次に昭和ではなく平成の例を出してみよう。

⚫『歳時記考』(長田弘・鶴見俊輔・なだいなだ・山田慶兕著 岩波書店)

共著者の名前を見れば、最初から、?と疑問を抱く人もいただろうが、そそっかしいぼくは、(これは、いわゆる俳諧歳時記に関わる本だろう)と勝手に思い込み入手した。神保町の古本屋のワゴン売りの一冊だったせいもある。

ところが、季語はもちろん俳句もほとんど出てこない。詩人と哲学者と精神科医と科学史家の四人による座談シンポジウム、つまり、話の饗宴(シンポジオン)。

(なんだよう、『歳時記考』と題しているので、高浜虚子や山本健吉のような歳時記周辺の考察かなと思うじゃん)と、少々、肩すかしを食った気分ながら気をとりなおして読んでみると、これが当然と言えば当然のことながら面白い。しかも、あれこれ好奇心が刺激され、また、うんちく満載でためにもなる。

構成は三月、つまり春の章から始まり、二月、冬の章で終わる。たとえば、三月は「卒業」「春眠」「猫の恋」「小林多喜二」と、一応、四つの季語が各項の見出しとなっている。(多喜二が築地警察署で拷問の末、命を奪われたのが二月二十日、つまり多喜二忌は歳時記的に言えば早春。

しかし、季語がタイトルとなっていても、話は俳句のこととはほとんど関係ない。談論風発というか、それぞれの知見と語り口で、いうなればジャムセッション風に進行してゆく。とはいえ、着地すべきところには、ほぼ共通認識で着地する。

「卒業」では、日本の学校での卒業は資格を意味するのではなく、「身分証明」でしかない。また優等生というのは、「服従する能力の証明」であり、「春眠」では、寝ないこと、休まないことを重視されるのが近代合理主義の理想で、革命もまた「不眠の思想」だから困る。『「眠ろう!」という第三の勢力』が必要と説く。

と、まぁ、こんな調子で、︱︱まさに「四季の移り変わりにかこつけて語る知的で愉しい四賢人一大座談会」(本書、背表紙コピーより)一冊で、歳時記という俳諧用語にかこつけて編まれた好企画。

 

とはいえ、道草ばっかり食ってはいられない。所期の目的の、きちんと季語、例句の収められたテーマ別種歳時記のルートに戻らなければ。

季語道楽(30)季語はどのように生まれたのか  坂崎重盛

  • 2019年12月17日 16:11

“地貌“論を提唱する宮坂静生の『季語の誕生』に戻りたい。

くりかえしになるが、宮坂は“地貌”とは、「風土の上に展開される季節の推移に基づく生活や文化までを包含することば」とし、“地貌”と、季語の重ね合わせを説く。

まさに、すでに紹介した正岡子規の、

「盛岡の人は盛岡の実景を詠むが第一なり」ということになる。しかし、その上で宮坂は必ずしも実現をそのまま詠んだところで、当然のこと、それがそのまま俳句にはならない、とクギを刺すことを忘れない。本文から引用する。

季語の誕生 著:宮坂静生

季語の誕生 著:宮坂静生

私はその一方で、俳句を作るとは現実の世界から一尺(三〇センチ)上が

ったところに舞台を設けて、そこでドラマを演じることだとつねづね説い

ている。

俳句を︱︱現実世界から三〇センチ上に舞台を設けて、そこでドラマを演じること︱︱という俳句世界を説明する宮坂の比喩は解りやすく、また的を射ている。カッコイイ。

さらに言葉をつづけて、

俳句という詩型は十七音ときわめて短い。ことばを選びぬき短く集約し

て表現することは、すべての対象から少し距離をおいて反リアリズム、フ

ィクションの世界のことばで構成することだ。

と、実景(や実体験)というリアリズムと、俳句という短詩であり、フィクションの関係を確認する。

“地貌”という概念は、おおよそ理解できたとして、季題の誕生に戻ろう。研究者でもなく、句作に精進する俳人でもなく、ただ楽しみで句を作ってみたり、興味ある俳句関連書を手にしてきたぼくなどは、「季語」というものは、なんとなく、俳句や俳諧連歌とともに生まれた言葉だとずっと思っていた。

ところが、じつは、そうではなかったのですね。

このことは、歳時記の「まえがき」や「あとがき」に寄せられた山本健吉の季語論の文章などで、すでにうっすらとは知っていたもの、本書によって、しっかりと頭にたたき込まれることとなる。自分の“おぼえ”のためにも、本書の「季語(そして歳時記)誕生」の歴史を簡略にメモしておこう。

⚪平安後期(ほぼ一〇〇〇年ころ)勅撰和歌集が出されるまでに“雪・月・

花“に代表される主な「季の題」(のちに「季題」という)、つまり、その

言葉によって喚起される“共通の情感”が成立していた

とされる。

これらは当時の、貴族らの美意識から生まれたもので、季節の移り変わ

の実景に対しながらもより美しい言葉で表現し、またそれを理解しようと

した優美な約束ごととして作り上げられてきた。

そして、この一〇〇〇年ころに形成された、季節の主な題目と、それ以

後増殖、追加されていった季題を集め、季題ごとに分け、編集したものを

「季寄せ」といった。この季寄せの季題に、さらに解説を付し、ときに例

句を示し構成したものが、すでにわれわれが知る「歳時記」である。

⚪平安後期、季の題が成立する世界は、主に京都、また畿内であった。だか

ら“雪・月・花”といっても、それらは京都や畿内の貴族の感覚の中から

生まれ、洗練されてきた“雪・月・花”なのであった。

⚪それが時代を経て、和歌、歌謡から俳諧が成立する江戸時代となって江戸

や東海道の季語や、その土地や文化の理解が加わり、今日の歳時記の姿を

とりはじめることとなる。

⚪その、もっとも本格的、充実した編集内容の歳時記として曲亭(滝沢)馬

金により『俳諧歳時記』(亨和三年╲一八〇三)が刊行され、さらに藍亭青

藍により馬琴『俳諧歳時記』の増補版『俳諧歳時記栞草』が出版される。

この、通称『栞草(しおりぐさ)』こそ、今日のほとんどの歳時記のネタ

本であり、以後、明治、大正、昭和と、さまざまな形で復刊されている。

(今日、もっとも手に入りやすいのは岩波文庫の堀切実校注『増補 俳諧

歳時記栞草』上・下)

 

この『季語の誕生』では、さらに「季語はどのように生まれたか」で和歌から連歌、そして俳諧に至るまでに季語の“成長”“変化”の過程に、詳しく触れていく。

そして「雪・月・花という季語はどのように生まれたか」の項では、「雪」は「吉事の象徴として」、「花は」は霊力の象徴として」、「月」は「命のあり方を規定」つまり︱︱「人間の出産と月の結びつき」、「人間の原初から生存する本質に関わり」「月以上に人間の生存を規定するものは存在しない」︱︱ (以上本文より)と、月のイメージの重要性を説く。

続く節では「雪」「花」「月」の季語のそれぞれの初源的イメージからの歴史的変遷がさらに解説されて、門外漢であっても知的な好奇心が存分に刺激される。たとえば漢詩からの影響からか和歌の世界では、「雪を花と見立てる」一方「花を雪と見たてる」ことにより、冬籠りのとき草木にとどまった雪が「春に知られぬ花」とするならば、晩春、はらはらと花の散りゆくさまを「空に知られる雪」と見立てたこと。和歌に詠われた「月」の季題が主に中国の古典や民間伝承の知識に由来すると説きつつ「月」という季語のイメージの誕生を、なんと縄文土器の文様を手がかりに考察する。

となると、われわれ二十一世紀の文明肥大社会。コンピュータが新しい神となった時代でも、夜、月を仰ぎ、その光を浴びて、ものを思い、何か無窮の時間や生命のあり方を感じつつ句を作るときは、ひょっとして縄文時代の人間と共通の感覚や意識を抱いているということになる。

たとえば、二人の人間が並んで夜空の月をボーッと眺めているとき、その一人がぼくであり、すぐ隣りに立つ人が縄文人であっても不思議ではないのではないか。これは愉快である。

 

そんなことまで人に思いおこさせる宮坂静生による労作『季語の誕生』、余談ながら、実は自分で買い求めたものではない。ちょっとしたことで知遇を得た岩波書店のH氏から新刊のときに、贈られたものなのです。この書の「あとがき」(二〇〇九年八月)にはH氏の名が挙げられている。

ずいぶん後になって気づいたのだが、やはり岩波新書の坪内稔典著『俳人漱石』(二〇〇三年刊)の「あとがき」にも 氏への謝辞が記されていた。平田氏はすでに岩波を退職されているが、どのように日々を送っておられるでしょうか。お目にかかって、いろいろお話をうかがい、ご教授をお願いしたいものと思いました。

『季語の誕生』は、ぼくに“季語意識”の誕生をたすける一冊となりました。

なお、『季語の誕生』を読み進めるあいだ、しばらく前に入手していた井本農一著『季語の研究』(昭和五十六年 古川書房刊)をそばに置いておいたものの、ほとんど未読。ページを開くのがさらに楽しみとなった。

 

次回は、『歳時記』と名を冠した、手元にある種々の書物に触れてみたい。まずは、いわゆる本格的な歳時記ではなく、ジャンルをしぼったいわゆる企画ものから。あれも歳時記、これも歳時記、これがなかなか興味深いのです。妙な歳時記もありますよ。

 

季語道楽(29)宮坂静生の『季語の誕生』と虚子 坂崎重盛

  • 2019年12月3日 17:11

宮坂静生の“地貌”論と『季語の誕生』と虚子の横綱相撲

 

北海道の最北端、稚内(わっかない)に近い浜頓別(はまとんべつ)に住む俳句作者からの、自分の住む土地と一般歳時記の季語感のズレに対する悩みを訴えられた『季語の誕生』の著者宮坂静生は、あらためて歳時記と実景の関係について考えざるを得なくなる。

季語の誕生 著:宮坂静生

季語の誕生 著:宮坂静生

そして、

私たち俳句を作る者はいつのまにか、歳時記に囚(とら)われ

てしまっているのではないか。歳時記を開き、季語を探し、季

語の解説と現実に見たものとを比べ、そこに違いがあれば現実

の実景よりも季語の解説を優先し、一句にまとめる。

と、“中央集権的”歳時記優先で、作者の立つ目の前の実景がおろそかにされてしまってきたことを指摘する。

「市販の歳時記はどれも浜頓別の季節には合わない」という一

言がズシリと私の胸にこたえた。

という言葉とそして、

私自身、実景よりも歳時記の季語から連想される世界のほうが

いつか実感が伴って感じられたことに気づかされた驚きである。

と、自らのこれまでの作句態度と歳時記の関係を明かしている。

「実景と詠まれる世界との関わり」に関して、著者は、明治期「写生」を提唱した正岡子規の「実景第一」の姿勢を伝えるエピソードを紹介する。

それは、みちのく盛岡の俳人からの問いに対する子規の対応である。︱︱盛岡では、梅も桜も同時に咲く、桜が散るまえにホトトギスが鳴き、卯の花の中に桃、菜の花、バラ、スミレも一斉に咲きはじめ、この実景を読もうとすると、(歳時記的には)春夏混同の句となってしまうが、それでも差しつかえがないのだろうか︱︱という盛岡在住の句作者の悩みに対して、子規は、少しも差しつかえがない、

『盛岡の人は盛岡の実景を詠むのが第一なり』

と答えた、というのである。

なんともスッキリとした、子規らしい答えである。というか、それまで、実景に対することをおろそかにして、約束事のイメージになれ親しんだ江戸末期から明治中期に至る月並み俳句を批判し、「写生」の重要性を訴えた子規にとっては、当然といえば当然の言葉といえる。

この、子規は句友でもあった夏目漱石の句にも、ズケズケと、指導というか口出しをした、直言居士の句界のリーダーである。

著者は、盛岡の俳人と子規のやりとりを紹介し︱︱盛岡のようなふるさとを“地貌”と称している︱︱と、その土地、土地の実景、実感を“地貌”という言葉で、あらためて見直そうとし、一般には見慣れぬ用語を採用した理由を説明する。

地貌とは地理学で、地形が陸か島か、地表が平坦か斜面かなど、

土地の形態をいう用語である。俳人前田普羅(ふら)が句集

『春寒(しゅんかん)浅間山』(増訂版、昭和二一年刊)の序文

で「自然を愛すると謂(い)ふ以前にまず地貌を愛すると謂は

ねばならなかった」と述べていることに感動し、私も使わせて

もらっている。

と“地貌”使用の由来を語っている。さらに、

「自然」と称して風景を一様に概念的につかむのではなく、そ

れぞれの地の個性をだいじ(ルビ点)に考える見方である。風

土の上に展開される季節の推移やそれに基づく生活や文化まで

包含することばとして私は地貌を用いてきた。

とし、先の浜頓別の句作者に対しては、

歳時記の季語の解説や季節分類よりも、浜頓別の地貌をだいじ

にしてほしいといいたい。

と、地貌重視の考えを伝えている。

 

子規の「盛岡の人は盛岡の実景を詠むが第一なり」また、これにならった宮坂の「浜頓別の人は浜頓別の実景を詠むのが第一なり」という言葉に接して、ぼくは、ある俳句書を思い出しました。それは高浜虚子の『俳談』(一九九七年刊 岩波文庫)。

この、虚子による大正末から昭和十年代中頃にかけて、主催する俳誌『ホトギス』誌上における発言を抜粋、編集した俳句に関連する談話集は昭和十八年、虚子の古稀にあたって刊行されている。

『俳談』を読んでいて、印象に残ったテーマの一つは、他でもない、季語、歳時記と地域性の問題である。虚子もまた、北海道を例に出す。さらに、日本列島ばかりでなく、遠くブラジルの地まで視野に入れる。剛腕虚子の面目躍如というところか。引用する。タイトル「国際歳時記」の項。

俳句というものは、もと日本の風土から生まれた文芸である

のだから、歳時記というものは日本の風土の気候を基準として

出来て居るものである。だから北海道とか九州とかいうやや辺

鄙(へんぴ)な処になるといくらか本土を基準とした歳時記で

は不便を感じるということは今まででもたびたび聞いておった

事である。

とのべている。虚子の、この発言は戦前の昭和十年、時代ということもあってか表現に多少、違和感を抱かせる部分もあるが、意だけを読み取れば、従来の歳時記を是としている。それは当然で、虚子自身が歳時記を編み、季寄せ(季語集)を刊行しているのですから。

しかし、この言のすぐ後に、「しかし」と虚子は言葉をつづく。

「しかし、北海道の梅と桜と一緒に咲くということを句にすれ

ばかえって其処(そこ)に面白い味があるとも考える。

革新的姿勢というか、したたかな虚子の懐の深さを見せつつも、

︱︱やはり北海道に住まっている人々も、内地の気候によっ

て編まれた歳事記に拠るということは、俳句を統一する上にお

いて必要であると考える。

と、あくまでも従来からの歳事記が基であるという考えを語っている。「しかし」と、またここで「しかし」が出る。引用します。

しかしこれが北満州とか台湾とかいう処になるとその不便が多

くなってきて季題を内地の歳事記通りに考えることができない、

という事が悩みの種となってきたのである。それが赤道以南の

ブラジル辺りになると、気候が如何(いか)に変化しているか

想像の外に思っておったのであった。

ブラジルですか。たしかに日本からの移民も多いブラジルでは、ハワイにもまして句を読む人が多かったのかもしれない。遠つ国にあって、歳事記に収められている言葉は、母の国の季節や風土を思いおこさせてくれるものでもあったろう。

もう少し虚子の言葉を聴こう。

今ブラジルの新聞を見ると六月が秋である。(中略)七月十日締

切の題が冬の蝶(ちょう)であり、八月十日の題が枯芝である

(中略)ブラジルはブラジルの十二ヶ月に割り当てた歳事記を

新たに作ればいいわけである。

と、言ったうえで、さらに、

俳句というものは、時候の変化によって起こる現象を詠う文学

であるから、春夏秋冬の区別は必ずしも重きを為(な)さない。

ただ、時候の変化その物が重要な物である。

と、あたりまえといえばあたりまえ、しかし作句のもっとも重要な肝(キモ)を伝えているように思える。

虚子の、この「国際歳事記」と題する一文は、次のような一節で締められる。

アメリカ人のブロバン・一羽(いちう)という人は日本字で

書いて雑詠に投句して来ますが、読んで見て向こうの景色が現

われている句は面白い。私はアメリカを知りませんがね。想像

するアメリカが現れているから面白い。

……うーむ、余裕ですね。まるで北の富士親方の相撲解説を聞いてるみたい。他の項でも、虚子は、ブラジル人の句に、

鸚鵡(おうむ)が群れをなして渡るというのがあった。鸚鵡が

渡り鳥とは面白いですね

とブラジルならではの鳥の生態で、それを詠んだらしい句に興味を示している。

 

︱︱と、『季語の誕生』での“地貌”に少しくわしくふれるつもりが、例によって、横丁に迷い込んでしまいました。迷い込みついでに、神保町で見つけた一冊『Series俳句世界3無季俳句の遠心力』(平成9年 雄山閣出版)の本扉には︱︱

オランダでは、「月」は絶対に冬のものなのだ  佐佐木幸綱

(『本号・鼎談』より)

とあった。

僕の感じるところ、無季俳句の人達の方が、季語・歳時記に関して、敏感で意識的ではないのだろうか。

ひょっとして、今後、スルドイ歳時記を編むのは、むしろ無季派の人たちではないか……と思ったりして。そんな歳時記、季語集があっても面白いじゃありませんか。