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季語道楽(44)俳句嫌いだった著者の俳句啓蒙書 坂崎重盛

  • 2021年2月8日 15:19

今回は、戦後の前衛俳壇を引っぱってきた頭目のひとり、金子兜太が編集にかかわる単巻歳時記を見てみようと予告したが、あることが心に引っかかっていたので、やはり、まずはそれを取り上げたい。この稿、もともとまるで俳句を即席で作るように、ジャズのアドリブ演奏のように、ころころ変わる。

前回の山本健吉の単巻歳時記の補足。

意識して集めたわけではまったくないが、俳句関連本の一隅に、山本健吉著の詩歌関連本の群が目にとまる。もちろん、前回、ちらっと書名だけ記した文藝春秋刊の代表的歳時記の一つとして評価されている山本健吉編『最近俳句歳時記』(全五巻)や、これまた画期的な中央公論刊『地名俳句歳時記』(全八巻)とは別の単著である。

自分の覚えのためもあり、手に取ったものから列挙してみる。

  • 平畑静塔/山本健吉共著『俳句とは何かーー俳句の作り方と味い方』(昭和二十八年 至文堂刊)
  • 山本健吉『俳句私見』(昭和五十八年 文藝春秋刊)
  • 山本健吉『現代俳句』(昭和三十九年 角川文庫初版 昭和六十一年改版十八版)
  • 山本健吉『俳句鑑賞歳時記』(平成十二年刊 角川ソフィア文庫)
  • 山本健吉『ことばの歳時記』(平成二十八年刊 角川ソフィア文庫)
  • 山本健吉『芭蕉三百句』(昭和六十三年刊 河出文庫)
  • 山本健吉『大和山河抄』(昭和四十四年 角川選書)
  • 山本健吉『こころのうた』(一九八一年 文春文庫)
  • 學生教養新書 俳句とは何か 俳句の作り方と味い方 著:平畑静塔、山本健吉

    學生教養新書 俳句とは何か 俳句の作り方と味い方 著:平畑静塔、山本健吉

    俳句私見 著:山本健吉

    俳句私見 著:山本健吉

    俳句鑑賞歳時記 著:山本健吉

    俳句鑑賞歳時記 著:山本健吉

    芭蕉三百句 著:山本健吉

    芭蕉三百句 著:山本健吉

    ことばの歳時記 著:山本健吉

    ことばの歳時記 著:山本健吉

    大和山河抄 著:山本健吉

    大和山河抄 著:山本健吉

    こころのうた 著:山本健吉

    こころのうた 著:山本健吉

いま脇に積み重ねたものだけ挙げたが、文庫などまだ数冊はどこかに埋もれているに違いない。なお『大和山河抄』と『こころのうた』は俳書ではなく、前著は大和路を行く紀行文で、それに伴う万葉集からの和歌の手引きであり、後者は文芸評論家としての山本健吉による近代詩のガイドブックである。

季語の誕生と成立の考察や各種歳時記の著述など、とくに戦後の俳句啓蒙に大きく寄与し、また多くの一般読者を獲得した山本健吉は、改めて考えてみれば、非常に例外的なというか特異なポジションにいる著述家だった。そのことを、山本自身の言葉によってみてみよう。

いま列挙した本の中の一冊、『俳句私見』の中の一文を引用する。つづけて山本健吉の実感を聞こう。

俳句がわかるためには、よく言われるように自分で作ってみるという専

門的な修練を必要とするのであろうが、そういう垣がぼくの前には何時の

間にかはずされて、自分は作らないながらにその藝苑に出入りすることの

自由さと大胆さを身に附けるに到ったのだ。

と、これは山本健吉が、はじめ改造社に入社、「俳句研究」の編集にたずさわったことの経緯をのべたものだろう。“自分が作らなければ俳句のことは語れない”に対する異論は、例の桑原武夫の『第二芸術』での言及が知られている。

第二芸術 著:桑原武夫

第二芸術 著:桑原武夫

學生教養新書 俳句とは何か 俳句の作り方と味い方 著:平畑静塔、山本健吉

學生教養新書 俳句とは何か 俳句の作り方と味い方 著:平畑静塔、山本健吉

僕も毎月のように何百何千という俳句を読まされ、寝ても覚めても「俳」

という字が生活についてまわっていた間は、俳書と言えば手に取り上げて

みる気もしなかった。僕の書架は久しい間俳書だけを欠いていたし、人に

もあからさまにこの俳句集の厭わしさを口にしたのである。

「俳句集の厭わしさ」の言葉がリアルである。実感を伝えてくる。しかし、その山本の毎日の仕事は俳句雑誌の編集であった。

僕は俳句びたしになり、自然と俳句をそらんじ、俳句を厭い、俳句から逃

れた。このような希有な体験は、人を決して作者にはしないであろう。

山本健吉が俳句を作る人、俳人になり得なかった理由を吐露している。そして、

臭いがすっかり去ったのは、雑誌から離れて一年ほど経ってからである。

僕は芭蕉や蕪村の句集を再び手に取ることが多くなり、七部集(*芭蕉七部

集)は枕頭の書の一つになった。厭わしいものが心の堰を切って反動的に

好ましいものとなる力の大きさ。

——文芸評論家、俳句啓蒙家、山本健吉の誕生である。たしかに、山本健吉以外に、あれだけの力仕事となる歳時記や俳書を著した人は職業俳人でもいないだろう。ましてやーー「名句、代表句の一句ももたない人間が、どうして俳句の世界をかたることができる」——が、“常識”の俳句社会で。

『俳句私見』は、かなり読みごたえのある一冊だが、ここでは深入りすることはひかえよう。ただ、章立てだけは記しておく。著者の俳句評論へのよき野心がうかがえる。

  • 「軽み」の論——序説——
  • 余呉の海、路通、芭蕉
  • 挨拶と滑稽
  • 俳句の世界
  • 純粋俳句  写生から寓意へ
  • 俳諧についての十八章

以上だが、「挨拶と滑稽」は、角川ソフィア文庫の『俳句とは何か』に収録されている。

 

もう一冊だけ。もちろん山本健吉本これは新しい帯のかけられた文庫で、帯のコピーに目がいった。じつはこのことは、しばらく前の稿でもちょっと記したはずだ。そのコピーとは「上皇陛下と上皇后陛下がおふたりで音読している本」(宮内庁「上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)より」

うーむ。たしかに宮内庁からのコメントがあったのだろうが、それを即、いただいて文庫版の帯に刷り込むとは! おそれ入った編集社魂というか、売らんかなスピリット!

もちろん、文化勲章も受けている著者の著作物、しかも日本の風土、四季、また日本人が古来より育んできた日本のことばを、名句や名歌を挙げながらの随筆なので、いわば“お墨付き”。「おふたりで音読」されてもなんの危惧する心とてないが、(それにしても……)と感じて入手した。

 

ところで、巻末のあとがきに代わる「歳時記について」を見てみよう。昭和四十年の記。元本は文藝春秋から刊行されたようだ。その一行目、

これは私の、季(き)の詞(ことば)についてのノートである。

「季の詞のノート」、つまり歳時記。引用をつづける。

私は昔から、俳句の歳時記をときどき開いてみるのが好きだった。べつ

に俳句を作るために開くのではない。俳人たちがこの書物を実用的に読む

ところを、私はしごく趣味的に読んだというに過ぎない。

あちこち読んでいるうちに、私は歳時記というものが一千年以上にわた

って持ちつづけてきた美意識と生活の知恵との、驚くべき集大成だという

ことに気づいたのである。

と、ひとことで歳時記の存在意義をのべ、このあと季語に関する少々専門的、学問的な考察がされるが、この一文は次の言葉でしめくくられる。

私の歳時記に対する興味には、二つの面があることになる。それは国語と

国土という二つの言葉に帰着する。

——なるほど、「おふたりで音読して」、なんのさしさわりのない、日本人のための良書のようだ。じつは、わたし、まだ本文をほとんど読んでいない。改めて通読せねば。

ただ、読まずとも、この俳書からは、俳諧の「俳」(この字は「人に非(あらず)」。「俳」の字を左右入れ替えれば「非人」となる)や「謔」(調和する。おどけたわむれる。ユーモア(諧謔(ぎゃく))といった雰囲気は、あまり伝わってこない。

日本の伝統文化の中の「美しい日本の私」を再認識することはできるだろうが、また、やはり日本の伝統文化の重要な一要素である滑稽(ユーモア)やなんせんすといった、上下(かみしも)脱いだ庶民文化の、生きる楽しさ、切実さといったものはあまりかんじられない、とつむじまがり的な気分を抱いてしまう。

山本健吉の季語論については、彼が編集したライフワーク、俳句歳時記のなかで、少しくわしく見てみることとして、お待たせしました! 所期の、金子兜太の関わった歳時記を手にしよう。

季語道楽(43)いよいよ「季寄せ」「歳時記」本の本丸へ① 坂崎重盛

  • 2021年1月28日 16:19

吟行などの携帯のための「季寄せ」は後でふれるとして、いわゆる「歳時記」本(歳時記的事典や辞典も含めて)には、本造りの形として、大きく分けて二種類ある。

一巻完結編集もの(仮に単巻歳時記、単巻本と呼ぶことにする)と、われわれがよく目にして入手、利用する文庫版によるような「春・夏・秋・冬」の四冊型と、それに「新年」が加えられての五冊型である。(これを、複刊歳時記、複刊本と呼ぶこととしよう)

と、いうことで、まずは単巻歳時記から見てみることにする。手元の各種歳時記関連本のなかから単巻歳時記を抜き出し並べてみた。ざっと二十一冊ある。ページ数でいえば千二百ページを超えるものから、もっとも薄い歳時記でも三百ページ近く。仮に平均五〇〇ページとしても一万ページ。もちろん全巻読破、などという無謀にして酔狂なことはしない。いやできないし、意味もない。

ただ、この際、一巻一巻わが手に取って、ページをめくり、ぼくの関心のある個所や掲げられている例句をチェックしていきたい。

まずは四六判でドカンと分厚い単巻本から。

  • 石田波郷・嶋芳次郎 共編『新訂現代俳句歳時記』(一九八八年 主婦と生

活社/全1216頁)

新訂 現代俳句歳時記 石田波郷・志摩芳次郎 共編

新訂 現代俳句歳時記 石田波郷・志摩芳次郎 共編

新訂 現代俳句歳時記 石田波郷・志摩芳次郎 共編

新訂 現代俳句歳時記 石田波郷・志摩芳次郎 共編

『広辞苑よりは、ちょっと判も小さく、重さも少し軽い。しかし手にしていると、つらくなる重さだ。机上に置いてチェック。この、分厚い歳時記本のカバー絵や扉絵が、なんとも洒脱で軽みのあるイラストレーション。戦後、政治家の似顔絵で人気を博した文人的漫画家・那須良輔の禅味のあふれた画である。

本文を見てみよう。じつは、ぼくは各種歳時記の「序文」や「あとがき」を読みたいがために、あれこれ入手してきたフシがある。

この際時記の序文は加藤楸邨による「二人の友人のこと——新訂版の序にかへて」と題する一文。書き出し二行目から、引用する。

実は私は序文は書かないことにしてゐるので、今度も辞退したのだが、

社と志摩(注・芳次郎)君の方から強っての話だったので、今は亡き波郷

(注・石田)との永い交流も考へた上、序文といふやうなあらたまったも

のではなく、両君との間の気楽な気持ちでの随想とでもいったらよいやう

な小文をかかせてもらふことにした。

と、歳時記の「序文」というよりは、年長の加藤楸邨と、この歳時記編者の石田波郷・志摩芳次郎の思い出というか、楸邨以下、三者の交流の逸話を紹介している。これはこれで興味深いが、しかし『歳時記』らしい序は、次の波郷による「初版のはしがき(抄)」にある。

俳句は自然と生活との調和の上に成立する詩だと言う考え方は、もっと

も広く認められている。

と、この一文は書き出されている。

先の明治三十八年生まれの楸邨の文と大正2年生まれの波郷の文章の差に気づかされる。楸邨の文は旧仮名づかいに対し、波郷は、今日の文のように新仮名である。ただ、波郷の文は昭和三十八年記。

楸邨の文は、それから二十五年もたっての昭和六十三年の記なのだ。旧い文体と今日の文体が時間的ネジレ現象を起こしている。時流は変わっても、易々と新仮名に移行しない楸邨の人柄がうかがえて興味深い。

ま、そんなことはともかく、波郷の「季語」に対する考えを見てみよう。引用する。

季語として採択されるには、次の三つの条件を備えていなければならない。

イ、季節感があること  ロ、普遍性があること  ハ、詩語としてすぐ

れていること

とし、

洗練され安定した季語たるには、厳しい選択の目をくぐらねばならないの

である。長い歴史を持つ季語は三条件をそなえ、万人の深い共感を呼ぶの

である。

と定言する。そして歳時記が「俳人だけのものでなく」「私たち日本人の伝統的な生活史を背負って、豊かな遺産の宝庫であるという意味こそは大きい」と語り、「その意味では、むしろ高校生位の若い世代から歳時記に親しんでほしい」と望んでいる。波郷による、平易でまっとうな、初学の人向けの序文といえる。

「あとがき」は波郷より五歳ほど年上でありながら波郷に傾倒した志摩芳次郎による。はじめに、共編者であり、師であり、この新訂刊行時には、すでに世を去っている波郷へのあいさつがあり、結語近くでは、一文の結びで俳句歳時記への思いを強い言葉で訴える。

 

俳句に携わる携わらないにかかわらず、俳句歳時記は国民必読の書であ

ると叫びたい。それゆえ、本歳時記が数おおくの人びとの座右の書となる

なることを望む。日本および日本人がほろびないためにも。

と。

本文を見てみよう。例によって、この原稿を書いている正月、新春の季語で気になるものを眼で追ってゆく。「食積(くひつみ)」、「礼者(れいじゃ)」、「寝積(いねつ)む」といった、ほぼ死語に近い季語に目が止まる。

まず「食積」は正月料理を詰め合わせたもの。今日風に言うと「おせち」。例句に、

食積みに添えたる箸も輪島塗   上野たかし

食積の蒔絵の塗りに映える顔   會津龍之

食積の黒豆だけがのこりけり   本土みよ治

「礼者」は三か日の「年賀客」。新年のあいさつだけを玄関先からして辞するのを「門礼者(かどれいじゃ)」、また、女性の年賀の客を「女礼者(おんなれいじゃ)」といい、花柳界の芸妓の新年のあいさつまわりも含まれる。

病床をかこむ礼者や五六人    正岡子規

一門の女礼者や屋にあふれ    石田波郷

「寝積む」。「元旦に寝ること」。昔、正月は縁起をかついで、病気で寝込むことを連想する寝(いね)という言葉をきらって、「寝(いね)」が稲と同音であることから「稲積む」としたという。今日、ほとんど死語。

寝積や布団の上の紋どころ    阿波野青畝

寝積や煙草火つくり独言     角川源義

この「寝積」=「稲積む」の季語に少し興味を持ったので、すでに紹介した夏井いつき先生の『絶滅寸前季語辞典』にあたってみる。「稲積む」でありました。

「秋の季語だと勘違いする人が九割いても不思議ではない」「収穫した尾根を積み上げていくさま」と思ってしまうからと説明したあとで、「このところ稲積み損ねてばかりいるせいか」という夏井先生の愚痴的(というか、当たりちらし的自句を例として挙げている。

稲積みたしかれこれ二十時間ほど

二十時間も稲積みますかぁ。しかし、夏井先生の句にはユーモアがあるなぁ。

次の単巻歳時記にうつろう。

  • 山本健吉『基本季語五〇〇選』(一九八九年 講談社学術文庫/全千二十頁)

    基本季語五〇〇選 著:山本健吉

    基本季語五〇〇選 著:山本健吉

文庫本という判型と基本季語五〇〇 というタイトルのためか、この季語集がいつも本棚で目にしていながら千頁を超える大著とは、とくに意識していなかった。考えてみれば季語五〇〇だって相当の数だ。紹介されている例句を見れば、少なくても平均二〇句、いや平均三〇句はあるか、仮に二〇句としても、一万句だ。

著者・山本健吉は和歌や俳句といった短詩系文学に少しでも関心を持つ人ならば、親しい著述家で、著書の一冊や二冊は書棚にあるだろう。とくに俳句歳時記、季語の成立に対する考察は説得力があり、今日も一つの定説の位置を得ている。

本書を開く。「序」や「まえがき」「凡例」の類いはなく、いきなり「春」の季語から始まる。しかし、例によってぼくは、この原稿を書いている新年・新春のページから、とりあげられている季語と例句をちぇっくすることに。

ところが、新年の章は季語が「新年」、「初春」、「去年」、「初日」、「初風」、「初富士」、「若水」、「初詣」などと、当然のことながら、あまりに伝統的な季語が並び、少々、新鮮みに乏しい。

では、ということで、少し先の「初春」の章をチェックする。最初に登場するのが「春浅し(はるあさし)」。傍題、つまり関連季語として「浅き春」、「浅春(せんしゅん)」が示されている。解説文の一例を見てみたい。引用する。

二月ころ、春になってもまだ寒く、春色なを十分にはととのわぬ季節

である。

季語としてはある新鮮な語感があり、江戸時代には見かけない季語だ

った。(中略)子規派で初めて季語として立てられたのだろう。

と碧梧桐(河東碧梧桐)や鬼骨(?)の句が紹介され、さらに『新撰朗詠集』からの白楽天の詩が引用され、俳句の季語としては比較的新しいものの、

詩語や短歌には古くから意識されたとしている。そして、解説の〆(しめ)は、

早春、初春(しょしゅん)とほぼ同じ時期を現すが、「浅し」と言った

ところに、特殊な感情が籠る。

と、季語とそれ以前の詩語の関係に心を配りつつ、親切で香気のある文で解説される。例句は十三句挙げられ、山本健吉による歳時記や伝統の詩歌解説書が多くの読者を獲得したのも得心がゆく。

つづく季語は「冴返る(さえかえる・さえかへる)。傍題は「冱返る(いてかえる)」・「しみ返る」・「しみ返る」・「寒返る(かんかえる)」・「寒もどり」。

解説は、この「冴返る」の類似した季語として「冴ゆる」を挙げる。ところが、こちらは冬の季語で、

「光、光沢、色、音響、寒気などが澄みとおることで、そこから転じて

頭脳や面貌やわざのあざやかさなどにも言う。冬の季語とされているの

は、特にあざやかな寒気や冷気について言ったので、光や色や音につい

て言う場合も、冷たさが伴っている。

とし、対し「冴返る」は、

春になって、いったんゆるんだ換気が、寒波の影響でまたぶりかえすこ

とがある。余寒、春寒を意味する。

と解き、ここでも和歌の藤原家隆や藤原為家の歌を紹介と、時代は下って、連歌の時代には一月(初春)のもの、あるいは二月あたりまで季題とされたと記されている。例句は、こちらも少なく十八句。うち、

神鳴や一むら雨のさえかえり    去来

三日月は反(そ)るぞ寒さは冴返る 一茶

衰へし命を張れば冴返る      草城

冴え返る面魂(つらだましい)は誰にありや  草田男

といった句が目にとまったが、中でもぼくが面白いと思った句は、楸邨の、

冴え返るもののひとつに夜の鼻

であった。「夜の鼻」とくるかぁ、と脱帽した次第。掲げられている例句の中から勝手に自分で選句遊びをするのも歳時記を読む楽しみのひとつ。

寒中から早春にかけての季語「猫の恋」も人気のある季題で、素人句会でもよく題として出される。解説では、

生活の上ではきわめて親しい季題でよく、和歌、連歌では、このような

卑俗な世界は忌避(きひ)されていた。(中略)「妻恋う鹿」が和歌の題、

「猿の声」が詩の題、「猫の恋」が俳諧の題と、それぞれのジャンルの特

質を見せている。

と、これまた季題の歴史をふまえた、ありがたい解説。掲げられている例句は二十四句。

寝て起て大欠(あくび)して猫の恋   一茶

色町(いろまち)や真昼ひそかに猫の恋   荷風

恋猫の身も世もあらず啼きにけり     敦(安住)

という句が目にとまったが、耕衣(永田)の有名な、

恋猫の恋する猫で押し通す

が、やはり脱帽。また「木場」として春樹(角川)の、

恋猫や蕎麦屋に酒と木遣節(きやりぶし)

も、下町の気配が横溢していて、うれしい句である。

「白魚」も、この季節の題で、解説も例句も心ひかれるが、キリもないのでこのくらいにして、「あとがき」をさっとチェックして、次の歳時記本に移りたい。しかし、じつは、この山本健吉による「あとがき」季語の成立にとっての重要な姿が浮かび上がってくる。

「あとがき」より。

私は前に、季語の集積が形作る秩序の世界をピラミッドに喩えたこと

がある。頂点に座を占めるのは、いわゆる五個の景物(花・月・雪・時

鳥・紅葉)であり、それから順次に、和歌の題・連歌の季題、俳句の季

語と、下降しながら拡がってゆく。これだけで数千項目が数えられるが、

それらは日本の風土の客観的認識を目ざしたものであることはもちろん

ながら、それに止まらず、それは日本人の美意識の選択であり、しばし

ば美意識が客観的認識に優先することがあるということだ。

と説き、また

季語を季題と化すものは、ある作者によって名句が詠まれたかどうか(傍

点、坂崎)ということで、芭蕉が新しい季の詞の一つも見出すのは後世

へのよき冥加と言ったのは、新しい季題で人の口に上るほどの名句を一

句でも作り出すのだ。

と芭蕉の言葉をひきつつ、新しい季語誕生の消息について語り、つづけて、

そのときそれは、新しい季題として正式に登録される(傍点、坂崎)の

であって、近代

の例では、「夜の秋」「万緑」「春一番」「釣瓶落とし」「乗込鮒(のっこみ

ぶな)」その他、幾つかの例が挙げられるはずだ。

としている。この中の「夜の秋」は、秋の季節とする説もないわけでもなかったが、いまや(というか原石鼎の「粥すする杣が塀の腑(ふ)や夜の秋」を虚子が夏の句と定めたことによって)、好もしい夏の季語として定着したようだ。例句三十二句のうち石鼎の句は当然として、

手花火の香の沁(しむ)ばかり夜の秋   汀女

簪屋(かざしや)と向きあふ小寄席(よせ)や夜の秋   寒々(?)

海わたる魂ひとつ夜の秋         信子(桂)

などが目にとまったが、以前からこの季題で好きなのは、

西鶴の女みな死ぬ夜の秋         かな女(長谷川)

である。「西鶴の女みな死ぬ」がすごい。とここまで書いて、かな女の、西鶴の句については、すでに一回紹介したかに気づく。

それはともかく「夜の秋」と並んで挙げられている「万縁」、これが新しい夏の季語として認知されたのは中村草田男の、

万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初(そ)むる

によって「たちまち全俳壇的に共感されて」意向、多くの俳人から数々の句を生むこととなる。ちなみに草田男は、戦後創刊した自らの句誌名を『万緑』としたーーというのも俳句に親しむ人たちの間ではよく知られたこと。

芭蕉の先に紹介した「新しい季の詞の一つも見出すのは後世へのよき冥加」という言葉ではないが、草田男は「吾子の歯生え初むる」で「万緑」を新しい季語として今日に残したのである。

恐るべし、一句の名句の誕生。

この山本健吉による単巻、一冊本の歳時記の傍らにハンディーな「季寄せ」(昭和四十八年・文藝春秋)があるが、こちらは上・下巻本なので、今回はとりあげず。また、複刊本となると、歳時記の決定本のひとつ『最新俳句歳時記』(全五巻)や、『地名俳句歳時記』(全八巻)があるが、これらについては、この後の山と積まれた複刊歳時記について総覧するときにふれてゆきたい。

さて、次は金子兜太へんによる『現代俳句歳時記』と兜太・黒田杏子・夏石番矢といった現代人気俳人の編となる『現代歳時記』を見てみたい。

前衛俳句運動を牽引してきた、また「銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく」「おおかみに鶯が一つ付いていた」といった句を作る俳人の季語感を知りたいじゃありませんか。

興味津々。

 

 

 

 

季語道楽(42)またもや寄り道—文人俳句の妙にふれる  坂崎重盛

  • 2021年1月26日 01:31

前々回、室生犀星の句に接し(あの、犀星の句集はどこへ行ったのかなぁ)と思案していたところ(もしや……)と思ったところから出てきました。内田百閒や夏目漱石の復刻版・漱石俳句集といっしょに、透明のプラスティックケース(A4サイズ一〇〇円ショップで調達)の中にありました!

久しぶりに手にする。記憶では戦中戦後の、仙花紙を用いての、わびしい造本だった。奥付を開いてみて、おや! と思った。版元はあの櫻井書店ではないか。社主は櫻井均で、戦前から美しい装丁の文芸書や趣味性の濃い本を刊行し、古書マニアの中には、櫻井版の本を収集するご仁もいると聞く。しかし、この『犀星発句集』(著者の自装)は、かなり寂しい。そのはずだ、戦中、昭和十八年初版で、この本は敗戦直後の昭和二十一年の刊行。

犀星発句集 櫻井版 著:室生犀星

犀星発句集 櫻井版 著:室生犀星

内容は作句年順ではなく、「新年」「春」「夏」「秋」「冬」「雑」と歳時記的に章立てされている。巻頭に短い「序文」が付されている。引用する。

ここに集めた発句は私の発句としてはその全部である。抹殺したのもか

なりある。十八九歳の頃からの句もあれば五十を過ぎた句もあるが、発句

で堂に入るといふことはもう私などには到底出来そうもない、はるかな遠

い道であった。これからも私はふたたび堂にはいろうとは思わないもので

ある。

発句ではただ一つの道をまもり、そこを歩きつづけることができたかど

うかも問題である。私は一つの奥をきはめたことすら、甚だ覚束ないと考

へてゐる。

 

ずいぶん謙虚な姿勢だが、これは作者・犀星の、かなりの本音とみていいでしょう。

本文、いつ読んだのか、あちこちにフセンが貼ってある(本の奥付裏に0508〇・四とエンピツで小さいメモがある。十二年前に四〇〇円で入手したようだ)。例によって、この文を書いている夏から秋への部分をチェックする。

夏やせと申すべきかや頬あかり

蛍くさき人の手をかぐ夕明かり

青梅の臀うつくしくそろいけり

なんか色っぽいんですよ、犀星の句。もっとも、そんな句を選んでこちらがフセンを貼っているんですけど。

もちろん、ぼくの好きな、

あんずあまさうなひとはねむさうな

も。これに似た句に、

あんずあまそうな雑木の門がまえ

もある。犀星の句集には、ときどき、こういう類句がある。並べて挙げて、選は読者にゆだねようという思いがあったのか。

おっ、芥川龍之介の有名な句が載っている。

風呂桶に犀星のゐる夜寒かな

これに犀星が付けたのが、

ふぐりをあらふ哀れなりけり

犀星の付け句も、なかなか俳諧味だが、ふと気になったのは芥川の句の上五「風呂桶に」——。ぼくの記憶では「据ゑ風呂に」である。さっそく、岩波文庫・加藤郁乎編『芥川龍之介俳句集』にあたる。巻末に「初句(上五)索引」があるのでありがたい。やはり「据ゑ風呂に」であって、「風呂桶に」はとられていない。

芥川竜之介俳句集 著:芥川竜之介 編:加藤郁乎

芥川竜之介俳句集 著:芥川竜之介 編:加藤郁乎

ところで、この句と同じ見開きページに凄い句が目に入った。知る人ぞ知る犀星の句。

鯛の骨畳にひらふ夜寒かな

さすがに犀星、鋭い感覚、強い視線と秘めやかな動きだ。

かと思うと、「秋人」と題して、

石段を叩いてのぼる秋の人

といった、なにかホノボノとした句もある。この「秋の人」は、もちろん「女人と見てよいだろう。先の「蛍くさき人の手をかぐ夕明かり」の「人の手」も、当然、女性の手。こまったひとですねぇ、犀星さん、しっかり艶隠居してます。

まあ、あの『女ひと』『蜜のあわれ』の作家ですから。

俳句もよくした、室生犀星という人は、どうやら筋金入りの不良老人だったようだ。愛娘の朝子さん(杏っ子と呼ばれた)による著書『晩年の父犀星』を読むと、共に暮らし、四六時中、ぴったりと寄り添うように生きてきた娘ですら、まったく気がつかなかった、犀星のまさに完全犯罪的(犯罪ではありませんが)秘めごとについて書き残されている。

その、呆然とするような知能犯的隠蔽工作の細部については、関心のある方は、ぜひ『晩年の父犀星』を手にとってみて下さい。人間犀星のしたたかな“愛のあわれ”が実感できることと思います。(拙著『「秘めごと」礼賛』に、この犀星の項を加えてなかったのは、自分の至らなさであった!)

 

先に紹介した『犀星発句集』と同じケースの中に、フランス文学の出で江戸漢詩にも通じる作家・中村真一郎『俳句のたのしみ』(新潮文庫)と、関森勝夫(近世文学専攻で俳誌『蜻蛉』の主宰者)による『文人たちの句境』(中公新書)が収められていた。

文人たちの句境 漱石・龍之介から万太郎まで 著:関森勝夫

文人たちの句境 漱石・龍之介から万太郎まで 著:関森勝夫

中村真一郎の『俳句のたのしみ』は、江戸の俳人にふれている「俳句ロココ風」と「文士と俳句」の二本立て。前項には炭太祇。大島蓼太、建部凉袋、堀麦水、高桑闌更等々といった名が並ぶ。加藤暁台、三浦樗良、高井𠘨菫、加舎白雄、そして小林一茶という名も見える。俳聖・芭蕉の後の、著者いうところの「小詩人」の俳諧師たち。

第二部「文士と俳句」の項では、夏目漱石、泉鏡花、永井荷風、芥川龍之介、久保田万太郎、室生犀星の句が語られる。

おっと、巻頭には「柴田宵曲のこと」が述べられている。しばらく前にふれていた柴田宵曲のことにふれられているのが嬉しい。著者は「ほとんどの者が、一度も耳にしたことのない名前であると記しているが岩波文庫のおかげで宵曲の著作が手軽に読める。

そして、巻末に「樹上豚句抄」として、著者自身の人生の流れとそこから生まれた句とエッセイ。この文庫本、たかだか二〇〇ページほどだが、じつに読みごたえあるが、つぶさにふれる余裕がない。次の『文人たちの句境』に移る。

目次には「Ⅰ 常住坐臥」、「Ⅱ 温故知新」、「Ⅲ 哀」、「Ⅳ 女人讃歌」、「Ⅴ     存問」とある。ここに登場する文人の名は、會津八一、芥川龍之介、泉鏡花、内田百閒、尾崎紅葉、久保田万太郎、久米三汀、佐藤春夫、寺田寅彦、中勘助、永井荷風、夏目漱石、三好達治、室生犀星、森鴎外等々が五句以上の解説。

その他に北原白秋、幸田露伴、小島政二郎、太宰治、横光利一他の名も見え、索引によって彼らの句をたどり、味わうことができる。引用句がもっとも多いのが漱石、つぎが久保田万太郎、三番目が尾崎紅葉の順で、これは文人俳句としての世の評価でもあり、また著者の関心の深さを示す順と見ていいだろう。

文人俳句の好もしいところは、いわゆる結社や俳誌を主宰する専門家的俳人や、その弟子の俳句への姿勢と異なり、きわめて自在、私的、あるときは気ままであるところだろう。また、鑑賞するこちらとしては、作家その人への関心と句が相まって興味が湧くこともある。

文士同士の交流から生まれる句が多いのも文人俳句の特徴の一つかもしれない。例えば自死した芥川龍之介の追悼、追善の句は、室生犀星、久保田万太郎、内田百閒、徳田秋聲、小島政二郎といった文学仲間が多く献辞している。

「女人讃歌」の句も、その作家ならではの色彩がうかがえたり、意外な感じを受けたりして、楽しく接することができる。

吾妹子(わぎもこ)に揺り起こされつ春の雨

これは、意外や? 夏目漱石句。

浮世絵の絹地ぬけくる朧月(おぼろづき)

泉鏡花と知れば(なるほど)と納得の句だろう。

影ふかくすみれ色なるおへそかな

かなりキテますねぇ。佐藤春夫の句。ただし生身の女体でではなく、ミロのヴィーナスを見ての句、というが、もともと、素地にその感性なくして、この句は生まれない。

臍(へそ)といえば、

あんぱんの葡萄(ぶどう)の臍や春惜しむ

という三好達治の句もある。他の文人の句も本書より選び列記してみようか。

明眸の見るもの沖の遠花火    芥川龍之介

香水の人を忘れず軽井沢     田中冬二

梨剝いて其皮妹が丈に等し    巌谷小波

稲妻や湯船に人は玉の如     寺田寅彦

また、

萩の露こぼさじと折るをんなかな

これが、あの幸田露伴の句とは。露伴では「おぼろ月素足の美人のくさめかな」という句も挙げられている。隅におけませんねぇ。あの謹厳と思われる露伴先生。

あと三句だけ。

雪ふるといひしばかりの人しづか 室生犀星

瘻咳の頬美しや冬帽子     芥川龍之介

まめなりし下女よあらせて冬ごもり 森 鴎外

皆さん、なかなかのものではありませんか。“文豪”などと肩肘張った教科書的印象だけで作家を見ていては損をしますね。文人俳句の興趣ぶかいところでしょうか。ま、一筋縄ではいかないところが作家というものでしょうから。

俳人漱石 著:坪内稔典

俳人漱石 著:坪内稔典

漱石俳句集 著:夏目漱石

漱石俳句集 著:夏目漱石

 

ケースの中には、岩波文庫、(大正六年・岩波書店刊の小型変形本、布装、天金の『漱石全集』の復刻本)坪内稔典編による『漱石俳句集』、また、同じ著者による『俳人漱石』、また、漱石の弟子筋にあたる内田百閒の『百鬼園俳句帖』(一九三四年 三笠書房刊)、『百鬼園俳話』(      )等が一緒にあったが、それぞれの句をほんの一部だけ紹介するにとどめて、本道の季語、歳時記に戻りたい。

俳諧随筆 著:内田百閒

俳諧随筆 著:内田百閒

まず漱石となると、

蜻蛉や杭を離なるゝこと二寸

叩かれて昼の蚊を吐く木魚哉

有る程の菊抛げ入れよ棺の中

百閒の句。

冬籠り猫が聾(つんぼ)になりしよな

薫風や本を売りたる銭のかさ

ちなみに漱石の俳句の編者となった坪内稔典の句も挙げておこう。なにやら心の余裕から生まれる、トボケていてユーモラスな句のある、ぼくの好きな俳人。

三月の甘納豆のうふふふふ

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

東京の膝に女とねこじゃらし

 

さて、いよいよ、各種の歳時記本の峰々を踏破することにしたい。息切れせずにすむだろうか。

 

 

季語道楽(40)隠れ歳時記の自在さ−3  坂崎重盛

  • 2020年9月16日 12:26

タイトルに歳時記とは銘打ってないものの、なんとなく入手していた俳句本を、手にしてページを開いたら、実際の構成は、歳時記だったりする。今回はまず、森澄雄編『名句鑑賞事典』(一九八五年・三省堂)を見てみよう。

名句鑑賞辞典 歳時記の心を知る 編:森 澄雄

名句鑑賞辞典 歳時記の心を知る 編:森 澄雄

新書版より、わずか大ぶりでソフトカバー、本文、294ページのハンディな本ながら、ぼくは机の一隅に置いて、なにかと、事あるごとに手にしてきた。

タイトルは『名句鑑賞事典』ではあるが、カバーに「歳時記の心を知る」とある。目次を開けば一目瞭然、「春・夏・秋・冬.新年」と、歳時記そのものの構成。

巻頭は、編者・森澄雄のことばとして「名句を読む」。芭蕉の

春なれや名もなき山の薄霞

旅寝して見しやうき世の煤払ひ

の二句を挙げ、その解釈、諸説はあったとしても“自分が、その句から何を、どう受け取るか”ということの大切さを訴えている。

「名句は、意味だけでなく、いい果(おお)せない豊かな表情を持つ」とし、「故に名句、おのおのの心でよみとることも、名句を読む必須の心がまえであろう」と説いている。

つまり、名句への接し方は、単にその句の意味するところ、解釈・鑑賞だけではなく、その句から、自分の心に生じる思いを大切にすることが「名句を読む」心がまえではないだろうか、と記している。

つづけて、本書の構成と季語・季題の重要性について、さらっとふれられている。引用する。

本書は主要季題四〇〇を選んで、その代表の一句に鑑賞を付し、さらに

例句をあげた。季題は単なる季物であるばかりではなく季節感であり、さ

らに一句が一句の世界をもつ重要な要素である。

︱︱と。そして巻末には付録として「俳諧の歴史」「俳句の歴史」俳人百余人の紹介、年表、とさすがに三省堂、実に親切でゆきとどいた本づくりがされている。ヘタな専門書、学術書を編集するより、こういう入門書を作ることのほうが、編集者の力量が要求される。

 

本文を見る。それも、もっとも初学の人が「えっ?」と思う、定番の季語かの句から拾ってみよう。まず「麦の秋」、いわゆる「麦秋(ばくしゅう)」ですね。俳句に無縁な人は「麦秋」という文字を見たら秋の文字が入っているので、当然、秋をイメージするでしょう。ところが「麦秋」とは、麦の刈り入れ時。つまり初夏なのである。

鑑賞の句は、

麦秋(ばくしゅう)の中なるが悲し聖廃墟(せいはいきょ)    水 原秋桜子(みずはらしゅうおうし)

作者が原爆投下を受けた七年後、長崎の浦上天主堂を訪れた時の句。そのころはまだ、天主堂跡には、崩れた煉瓦や天使の像などがころがっていたという。周囲は折から黄色に穂が染まる麦の熟す時期で、物悲しい廃墟と、盛りの麦の色と香のコントラストが俳人の心をとらえた。静謐で、心にしみる鎮魂の一句。

もうひとつ、これも初歩の初歩「夜の秋」。夏の終わり、夜になると秋の気配を思わせる時節もちろん夏も晩夏の季語。素人句会の座であっても、「秋の夜」と混同すると恥ずかしい。ここで挙げられる句は、とても印象的で、一度接したら忘れられない。女人の作る句には、ときどき、こういう傑作がある。

西鶴(さいかく)の女みな死ぬ夜の秋      長谷川かな女(じょ)

解釈は略そう。例句が四句付されているが、そのうちの二句だけ紹介して、次の“隠れ歳時記”移りたい。

家かげをゆく人ほそき夜の秋    臼田亜浪

吊り皮を両手でつかみ夜の秋    原田種茅(たねじ)

 

俳句関連書を精力的に執筆している朝日俳壇選者・長谷川櫂の『日めくり 四季のうた』(二〇一〇年・中公新書)がある。これは「読売新聞」に毎朝、一つずつ句や歌や詩など取り上げ紹介したものを版元の編集部が選択、構成。いわば読売版「折々のうた」か。

日めくり 四季のうた 著:長谷川 櫂

日めくり 四季のうた 著:長谷川 櫂

これもまた歳時記本の一冊だが、四季どころか、タイトルにあるように“日めくり”、つまり一月一日の元日から十二月三十一日の大晦日までの日付ごとに詩歌句が挙げられている。

二日前、コロナ騒動下、うっとうしい長い梅雨が終わり、梅雨明け宣言されたのが、ほんの二日前。例年よりも十一日遅い梅雨明けとかで、この書の「八月五日」は一茶の句、

月かげや夜も水売る日本橋

ここでの水はただの水ではないことが解説される「白玉を入れ、砂糖で味がつけてあった。江戸ではこれを冷や水と呼んで売り歩いた」とある。そして、この一茶の句について「夜風の立ちこめるころ、月光を浴びた水売りの影法師が見える」と説く。

次の「六日」は、旧暦の七夕とあって、

天(あま)の河(かわ)浅瀬しらなみたどりつつ

渡りはてねば明けぞしにける

と紀友則の歌を紹介。

「七日」は、

稲光(いなびかり)男ばっかり涼む也(なり)

という『柳多留』の川柳を取り上げる。「ばっかり」というあたりが、いかにも俗を旨とした川柳。稲光がして雷の音が近づけば、それまで夕涼みしていた女性や子供たちは、あわてて家の中に避難してしまう、しかし、そこは男性、雷ごときにバタバタできるかと見栄を張って、なにごともないかのように夕涼みをつづけている。故に「男ばっかり」となる。

ちなみに、「雷」の季語は夏だが、「稲妻」は秋、稲妻が秋の季語なのは、稲妻の電光が稲を実らせると考えられていたからという。農耕と季語の深い関係をうかがわせる。

一日一話、枕辺において、寝入る前に開いているうちに、日本の豊穣なる詩歌の世界に招き入れられる心地がする。

 

さて、このタイトルの本も歳時記? 高橋治『くさぐさの花』(一九九〇年 朝日文庫)。これが新年から冬まで、四季折々、著者が出会った草花について、それに関わる句を紹介しつつ、作者の思いをつづる。

くさぐさの花 著:高橋 治 写真:冨成忠夫

くさぐさの花 著:高橋 治 写真:冨成忠夫

内容は、いわゆる草花の歳時記なのだが、並の歳時記との差は、さすがに鋭い感性を持ち、それを表現することに心をくだいてきた作家ならではの、一話一話が物語として構成されている。

まず、作者による「あとがき」を見る。この小さな書への作者の思いを知ることができるからだ。

どうやら、著者と俳句(俳諧)と草花に対する愛は、半端ではないようだ。

径二十センチもありそうな山つつじをばっさり切って、ホテルのロビーに生ける花道の家元たちの所業に、

「テメエの命とこの花の命と、地球にとってはどっちが大事だとおもって

るんだ」と叫びだしたくなったとする。

と、強烈なタンカを切っている。

この朝日文庫『くさぐさの花』を著した直木賞作家・高橋治は、東大国文科で近世文学を専攻、卒論のテーマに天明俳諧史を選んだ、とこの書の「あとがき」にある。

天明の俳諧といえば、芭蕉死後、宝井其角を代表とする江戸座の粋や通を喜ぶ遊戯的俳風、また各務支考(かがみしこう)らによる美濃派や、伊勢俳壇の伊勢派といった、ともすれば通俗に流れると言ってよい傾向に対し、“芭蕉に帰れ”という蕉風復興の気運のなか、大島蓼太(りょうた)、加舎白雄(かやしらお)、加藤暁台(きょうたい)、与謝蕪村らが主な俳人として挙げられる。

高橋治、この天明の俳諧史を卒論のテーマにしたというのだから、俳句への思いは一入(ひとしお)だろう。ましてや、この作家“花狂い”(はなぐるい)と自白しているのだから、もう花の歳時記を編むには適任の人である。

また、このハンディな文庫のありがたいところは、その植物写真のリアルでしかも美しいことである。植物写真は、よい条件の草木を、きちんとピントを合わせて撮ればいいだろうと思われるかもしれないが、そんなものではない。

ぼくも多くの植物図鑑を持っているが、そこで掲載されている植物の写真によって、現実の植物を同定するのはむずかしいことが多い。植物はそれこそ、個体差があり、“枝葉末節”で、それぞれ微妙に色や形を変えることが珍しくないし、また撮る側のアングルや接写の距離によって多様に見えてしまうからだ。

『くさぐさの花』の写真家は冨成忠夫。もともとは美校(現・東京芸大)の油画科を卒業、自由美術家協会の会員として公募展に出品する洋画家であったというが、画筆をカメラに持ちかえて、植物写真家として名を成す。(なるほど、対象物をじっと見つめ、細部まで描くように写真を撮ったのか)とぼくは一人合点する。

“花狂い”の高橋治と植物写真のジャンルを確立した冨成忠夫のコラボによる『くさぐさの花』、内容を見てみよう。

「夏」の章で「カンナ」、冒頭は次の一句。

夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり    三橋鷹女

 

千葉県成田の人。この句、新羅万象我慢ならぬことには、敢然と立ち向

かう心意気と読める。(中略)

気性の烈しい女性を見ると私はカンナを思い出すが、花言葉に情熱、堅

実な生き方とある。まさに千葉産の女である。そのせいではないだろうが、

鷹女にはカンナの秀句が多い。

ちなみに著者・高橋治も千葉県の出身。“千葉産”の女、三橋鷹女の写真を見ると、平成、令和の時代では見かけない、ぞくっとするほどの、細面の美人である。

この本ではカンナは夏の章に出てくるが季語としては秋。

 

もうひとつ行ってみよう。「朝顔」。

朝顔に島原ものの茶の湯かな

上田無腸、別号秋成、『雨月物語』の作者である。句からは仕事はうかが

えないが、廓(くるわ)の出という艶っぽさを花と茶の澄明感に添えてい

る。さすがは短編の名手の作。

朝顔は江戸(とくに末期)おびただしいほどの園芸新種が栽培される。それにしても、茶の湯に、朝顔の取り合わせがモダンではないか。この本で、著者がたびたび引用する森川許六の『百花譜』では、と。

『百花譜』の雑言。病気がちの美女が、夏の間も月の中二十日ほど頭痛鉢

巻で寝ていたところ、たまたま快晴で気分がよかったのか、薄化粧で姿を

見せたような花だ。持って廻っているが“いえている”ではないか。

と許六の“雑言”を喜んでいる。ここでいう、洒落に飛んだ、持って廻った“見立て”は、今日でも落語家の腕の見せどころでもあります。ところで朝顔の季語は、よく知られるように「秋」。

 

「くさぐさの花」、高橋治の四季折々の花随筆、そして、巻末の宮尾登美子による解説「一花一花に情い情調」でも記されているように「終わりに、写真が非常に正確でかつみずみずしく、思わず手をのばして触れたくなるような美しさ」という感想も、あらためて同感で、幾度も手に取りたくなる一冊である。

 

草木の歳時記、また季寄せは、数多く出版されているが、僕の記憶では、一番最初に手にしたのは、いまはない、社会思想社・現代教養文庫の松田修著『花の歳時記』であったと思う。大学の園芸学部、造園学科に入り、少しは草花のことも知っておかなければ、と思ったのだろう。

花の歳時記 著:松田 修

花の歳時記 著:松田 修

このころ、和歌はもちろん、俳句にも、ほとんど興味はなかった。江戸ものといえば。すでに宮尾しげをの川柳や江戸小咄し本、あるいは三田村鳶魚や正岡容の本は手にしていたものの、このころ、江戸東京懐古への憧れから一転、二十五人しかいない学科の中でもモダンジャズのコンポを結成しようと無謀な行動を始めていたからだ。

とはいえ、庭や植物のことは自分で選んだコースでもあり、興味や関心は抱き続けていた。松田修『花の歳時記』は、そんな学生時代に入手したはず。

ところが、この本を今回、久しぶりに手にして、奥付をチェックすると、初版は三十九年だが五十三年十一刷とある。五十三年なら三十六歳である。そうか! と思った。本文、ほとんどマーカーの跡もないし、フセンも四カ所歯科挟んでいない。つまり、この『花の歳時記』は、ぼくにとって後で改めて買った二代目だったのか。

と、まぁ、他人にとってはどうでもいいようなエピソードが、本と人との関係には生じる。

「はしがき」の宣言がいい。

「花の歳時記」は、和歌、俳句、詩、文学書、古典などをよむ人のため

解説した日本で初めての植物文学事典です。

「日本で初めての植物文学事典です」が堂々として気持ちいい。文庫本本文418頁、索引32頁のボリュームで収録されている植物の数一二五七。著者は1903年山形県生まれ。東京大学農学部卒。植物、とくに花に関する本を多く著している。

この本を手にして、ラインを引いた部分を見る。「アシビ」の項「この葉を食べると足がしびれるという」に赤線が引かれている。馬が食べると酔っぱらったようになるとか、馬酔木(あしび)。ちなみに、この「アシビ」(アセボともいう)では「吾が背子に吾が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり」(万葉集・巻一〇)が挙げられている。

「イタドリ(虎杖)」にもラインがある。築地の場外に、この名の寿司屋があって使い勝手がよく好きな店だった。築地の移転問題があってから、足が遠のいているが健在だろうか。それはともかく「虎杖」とも書いて「イタドリ」。由来はさまざまな説があるようだが、何か嬉しい漢字であり、和名である。紹介五句の中でラインが引かれているのが「虎杖の軒に出てをる芸者かな」(富安風生)の一句。今なら「虎杖や見上げて通る切り通し」(柏若)にもラインを引くだろう。

頁を繰っていくと切りもない。とくに昔手に入れて、ずっと本棚の片隅に置かれていた本を久しぶりに手にすると、寝ころびながらずっと頁をめくっていたい。しかし、先を急がねば。

 

ぼくの本棚に、写真をふんだんに掲載しての文庫判、全七巻の歳時記がある。朝日新聞社刊『吟行版 季寄せ草木花』。“吟行版”と銘打ったのは文庫判でハンディな本づくりをアピールする、ためだろう。七冊のうちの、夏[上]を手にする。〈選・監修〉中村草田男、〈写真〉冨成忠夫、〈解説〉本田正次。説得力のあるチーム編成。ここでも写真は冨成忠夫。この写真歳時記シリーズの特色はなにより植物学者に本田正次による解説。植物には、もともと中国由来の漢名、また、日本各地の異名、同名でありながら、まったくの異種があったりするが、これらについて丁寧にふれられている。

吟行版 季寄せ草木花 夏(上) 選・監修:中村草田男 写真:冨成忠夫 解説:本田正次

吟行版 季寄せ草木花 夏(上) 選・監修:中村草田男 写真:冨成忠夫 解説:本田正次

選の監修の中村草田男は、東大国文科の学生時代から虚子の「ホトトギス」に関わり、戦後昭和二十一年「萬緑」を創刊。この「萬緑」とはもちろん、

萬緑の中や吾子の歯生えそむる

から。この草田男の句で万緑が新たな季語として誕生する。一つの名句によって季語が生まれるという、有名な例の一つ。

もうひとつ草田男には、

降る雪や明治は遠くなりにけり

という、俳句をたしなまない人でも、よく知る代表句がある。ぼくなんかは、(まるで久保田万太郎の句みたいな)と思ってしまう。その作者が、この『季寄せ草木花』の巻末に「現代俳句と季語及び写生」という一文を寄せている。これが美しい写真を添えた一般読者のための植物歳時記には、ふさわしからぬ? 近代短歌と俳句に関わる評論であり、現代俳句への、厳しい提言となっている。

今日でも容易に入手できるものなので、関心のある人は、この文庫を入手してもらいたいが、ただ、結びに近い文章から引いておく。

現在の俳句界も、明治から百年を経て、あらたなる教養主義

に分解、分散化しているように思う。求道ゆえの偏りや硬直な

どを無くしてしまい、うぶうぶしいシロウト臭さなども無くし

てしまい、洗練された芸人(アー  チザン)がお互いに肩を

叩いて、その教養を誇り合って楽しむ、いわゆる「かるみ」の

世界になってきたように思う。

││この一節、なんか、この俳人に叱られているような気になってくる。マジだ。草田男は国文科の前は、もともと独逸文学科に入学、終戦後、あの桑原武夫による「俳句第二芸術論」が出たとき、堂々と正面切って反論したのはこの草田男という。

解説は││先の文章に続く次の三行で、この「解説」は言い終わっている。

そういうことであってはならず、文学を第一義的ないのち(傍

点)の道だと考え、「自然・自己一元の上に」絶対的なものを求

めて、まかり間違ったら死んでもいいという気持ちでいきたい

と思う。

桑原の「第二芸術論」への怒りが、あれから三十年以上たっても収まらぬか、あるいはまた、現代俳句に対する安易な姿勢を叱咤激励せずにはおれなかったか。この求道精神というか純度の高い情熱には、ぼくなど首をすくめてしまうが、貴重な提言だ。

なお、この『吟行版 季寄せ 草木花』は「春」(上・下)は山口誓子、「夏」(上・下)中村草田男、「秋」(上・下)は加藤楸邨、「冬」(上・下)は山口誓子の選・監修による。

 

植物写真をふんだんに使っての歳時記といえば、いま俳句界で一番よく知られた人、あの夏井いつき先生が「この図鑑で、名も知らぬ植物が『出会いたい』季語に変わる!」と帯で推薦する『俳句でつかう季語の植物図鑑』(遠藤若狭男[監修]2019年・山川出版者刊)がある。

俳句でつかう季語の植物図鑑 監修:遠藤若狭男 編:『俳句でつかう季語の植物図鑑』編集委員会

俳句でつかう季語の植物図鑑 監修:遠藤若狭男 編:『俳句でつかう季語の植物図鑑』編集委員会

ページを開くと、すぐにこの図鑑歳時記の使勝手の良さが伝わってくる。草木一種(見出し季語)が一ページか半ページに収められ、季語の下に傍題と、その読み、植物の種類、花期、名前の由来などがとても読みやすくレイアウトされている。

監修者の遠藤若狭男は鷹羽狩行に師事、『狩』同人、多くの句集や俳句評論集を持つ。例句は、主に現代俳句が多く、初心の人にも理解されやすい句を選んだ配慮がうかがえる。

また、いわゆる文人俳句も取り上げられ、たとえば、ぼくが敬愛する室生犀星の句が取り上げられたりして、つい嬉しくなる。たとえば「菫」(すみれ)の季題では、

うすぐもり都のすみれ咲きにけり

あるいは「桜桃の花」(おうとうのはな)では、

さくらごは二つつながり居りにけり

と、平明な句風。そういえば犀星の代表作は「杏っ子」であり、『庭をつくる人』というタイトルの随筆集がある。また、薄っぺらい造本の『犀星発句集』も入手にしているが、いま手元に見当たらない。ぼくのなかで犀星の句といったら、まずは、「あんずあまそうなひとはねむそうな」である。とにかく、犀星は植物、庭、そして俳句には縁、浅からぬ文人なのだ。

ところで監修者自身の例句に接して、ぼくはちょっとした“邪推”をしてしまった。季語は「薔薇」(ばら)、若狭男の例句は、

薔薇圓のすべての薔薇を捧げたし

││うーむ、この句は漱石の、

あるほどの菊投げ入れよ棺の中

を、思い起こしてしまう。よく知られるように、この句は親交の深かった美貌の女流歌人・大塚楠緒子(くすおこ)が三十五歳で亡くなったときの追悼句。

さらに連想と言えば、この句はまた、加藤登紀子が歌った「百万本のバラ」も頭に浮かんでしまう。

といったことなどに心が遊ぶのも、この季語図鑑の編集が見ていて、とても快いからではないだろうか。

ここで取り上げられる草木、約400種、季語約1400というのだから、存分にありがたい。俳句に親しむ人はもちろん、日本の植物とそれに関わる言葉に関心のある人のためのビジュアルなガイドブックでもある。

 

 

 

 

季語道楽(41)一寸寄り道歳時記・季語集  坂崎重盛

  • 2020年9月11日 16:48

あるテーマに特化した歳時記・季語集を巡ってきたが、そろそろ、いわゆるオーソドックスな歳時記の世界を訪ねて、大団円としたい。と、思ったすぐあとに(まてよ、いわゆる“食”をテーマとした歳時記にふれてなかったな)と。気がついた。

歳時記の本丸に攻め入る前に、行きがけの駄賃、食関連の歳時記をサラッと撫でてゆきたい。本棚を眺める。おやっ、こんな文庫本が目に入ってしまった。ちょっとだけ寄り道をさせていただく。『山の歳時記』(岡田日郎・編 昭和五十年 現代教養文庫)。

山の俳句歳時記 編:岡田日郎

山の俳句歳時記 編:岡田日郎

つい先日、八月十日は祝日で、これが「山の日」だったという。そんな祝日なんて、あったんだぁ、という思いがするが2016年1月の改正祝日法で新設されたという。本来は八月十一日と決まっていたのだが、オリンピックの都合で十日となったという。

なんか、せっかく新たに設けられたのに、日をズラされたりして気の毒な気がしてくる「山の日」。そんなことはともかく『山の俳句歳時記』を開いてみる。序文は水原秋桜子、タイトルには「清浄感に満ちた俳句歳時記」。引用、紹介する。

大正時代から昭和時代の初めにかけて、真に山を愛し、名作

を多く残したのは、前田普羅氏一人だけだと思うが、現代では

山を愛して四季の別なく登山をくり返している俳句作家はおそ

らく十指を屈するほどあるだろう。

とし、

本書の著者岡田日郎君とその師福田蓼汀君とは、そういう人

びとの中にあっても特に清浄な感じを人に与える作家だと

思う。

この秋桜子の「特に清浄な感じ」という言葉が、この『山の俳句歳時記』にふさわしい。山に接し、山に登る人のイメージが禁欲的、かつロマンティズムを感じさせるのだ。

若いころ、友人たちを見ていて、大きく二つのタイプに分かれることを知った。夏休みなどのとき、海へ遊びに行く派か、山へ行く派か。「海へ行く派」はどちらかというと軟派系というか、享楽的で海岸で女の子たちと知り合い、青春を無駄に謳歌するといったタイプ。

一方、「山派」は海派の連中よりも勉強ができストイックで品行方正、しかもロマンチストという、海派からしたら付き合いにくいタイプ。身につけるファッションも海派は流行に敏感で、いわゆるオシャレ。対する山派は質実剛健、あるいは優等生的正統派。

われわれ下町育ちの悪たれどもは、圧倒的に海派が多く(たまには低い山に登ったりもしたが)、山派のロマンチストの雰囲気を陰で笑ったりしていた。

山派といえば、僕らが若いころ、戦後はやった山派の唄のいくつかを思い出す。

ダークダックスが歌ってヒットした「山男の歌」(恥ずかしい歌詞だ)。「アルプス一万尺」、うたごえ喫茶などでさかんに歌われた甘、あまな「山の娘ロザリア」。もう少し古いところでは「山の人気者」、「山小屋のともしび」などなど(歌の題名は記憶違いがあるかもしれません)。『山の俳句歳時記』を手にしていたら、ダメな我らが青春の日々を懐かしく思い出してしまった。

 

山派の、しかも山の俳句の世界は、そんなチャラチャラしたものではない。本格的な登山が厳しい姿勢を要求されるように、峻厳な山岳やその自然に対する人の句は凛としたものになる。

草刈が入りてかへらず登山径    前田普羅

髭白きまで山を攀ぢ何を得し    福田蓼汀

北アルプス七月おぼろ月夜かな   岡田日郎

水原秋桜子の序文にあるように、俳句界では、山の句といったら、まずは前田普羅であり、福田蓼汀は、この書の著者岡田日郎の師である。

著名な作家の句も拾ってみよう。

火の山の裾に夏帽振る別れ    高浜虚子

強力ののそりと昼寝より立てり  能村登四郎

念力のゆるめば死ぬる大暑かな  村上鬼城

夏山を統べて槍ヶ岳真蒼なり   水原秋桜子

夏の季題から拾ったが、もちろん植物や動物を読んだ句も収録されている。たとえば、高山植物といえば、まずこの「駒草」。

駒草に石なだれ山匂い立つ     河東碧梧桐

駒草に落石一つ渦の風わたる    高田貴霜

「日光黄菅(きすげ)」では、

日光黄菅とその名覚えてまた霧へ  加藤楸邨

きすげ野や暗き至仏は西の方    豊田みち子

小動物にも当然出会う。「沢蟹、山蟹」。

さびしさの極みの赤き蟹つまむ   石谷秀子

沢蟹の死を見てのぼる山淋し    平岩武一

「斑猫、道おしえ」。ハンミョウは美しい甲虫で、人の行く先をピョンピョンと飛ぶので「道おしえ」ともいう。

道おしへ我は墓場に行くにあらず  横山萬花

斑猫の飛びて馬籠の坂嶮し     所 山花

山の魚といったら「山女(やまめ)」と「岩魚(いわな)」だろう。

錆落とす山女魚なりけむ水の翳   篠田悌二郎

穂高真ッ向ふにして岩魚釣     石橋辰之助

こうして『山の歳時記』に収録の句を書き写していると、ちょっと、この都会の猛暑を忘れる気分になってくる。すでに記したように、この小歳時記の刊行は昭和五十年、このころはまだ一般の日本人が各地の山に強い関心を持ち、登山もブームの一つとして人気を保っていたのだろう。日本人の多くがロマンチストだったことの証かもしれない。

 

『山の歳時記』も、かなり特殊な歳時記だが、自然をテーマにしたものには、自分は入手しなかったが『海の歳時記』や『雲の歳時記』といった書を神保町で見かけた覚えがある。ジャンル別の歳時記のしんがりに『食の歳時記』の存在に軽くふれておこう。

歌人の塚本邦雄『味覚歳時記 木の実、草の実篇』(昭和五十九年 角川選書)。著者の名と繊細でリアルな装画に惹かれて、即入手したはずだが、残念ながら今回のテーマとは一致しない。確かに歳時記ではあるが、例句ではなく、短歌が掲げられているから。

であるから、内容の一部でも紹介することは差しひかえて、一人でひそかに豊潤な塚本ワールドを楽しむことにする。

こちらは、ちゃんとした句のある歳時記。箱入りながら文庫サイズの『味覚歳時記』(大野雑草子篇 1997年 博友社刊)。著者は一九三二年愛知県の生まれ。「ホトトギス」同人。俳句、俳句評論の他に陶芸や工芸の分野での活動もある。すでに紹介した『俳句外来語事典』の他、『俳句用語用例事典』のシリーズ(「味覚」「住居」「ファッション」「気象」「海洋」などと)を執筆。味覚歳時記 大野雑草子 編

 

夏の季語から自分の好きな食べ物をチェックしてゆく。「穴子」。

観能を中座してきし穴子めし    伊藤白潮

魚河岸の女等午後を穴子割く    大石よし子

「観能を中座」が初心者では、なかなかできませんね。歌舞伎も同様。こういうときの穴子めしはまた格別でしょうね。軽くビールかお銚子を一本つけたりして。

「烏賊(いか)」いきましょう。

沖漬けの烏賊は輪切りに地酒くむ  宮前苑子

この作者、女性ながら、かなりいける口ですね。頼もしいし、いかにも旨そう。

烏賊そうめんダイアカットの鉢に盛る 石川慶子

イカそうめんの透明感とダイアカットの器が涼しげ。すりおろした山葵でツルツルと。冷酒に合います。

烏賊干して出雲神話の古港     樹生まさゆき

旅先での一景でしょう。旅館の膳に乗ったら旅情はいやますことでしょう。

植物系もいってみよう。「胡瓜(きゅうり)揉み」。

好き嫌いなき子に育ち胡瓜もみ   嶋田麻耶子

胡瓜もむ旅の前夜はみなやさし   久保田慶子

胡瓜もみ母の酢加減想ひ出す    鈴木喜勝

胡瓜もみという食べ物のありようだろうか、平凡な日常を大切にする句が挙げられている。

︱︱と紹介していったらキリもない。ただ言えるのは、食べ物の句は読んでいて、嬉しくなってしまう句が少なくない。食は人間の幸の源泉であり、また、人と人を結びつけ、人への思いの縁しとなる。

 

もう一冊、歳時記を並べてある一番端に、いつのころからか屹立しているのが、いわゆる大歳時記サイズの『味覚の歳時記』(昭和六十一年 講談社刊)。美麗な写真満載、編は講談社ではあるが、執筆陣が俳人、歌人、詩人、ナチュラリスト、食評論家などを動員。

味覚の歳時記 編:講談社

味覚の歳時記 編:講談社

例句を多く挙げる歳時記というよりは、食の解説と写真で構成された図鑑の趣き。机の上で広げてページを来るのは楽しいが、とにかく手にするには重く、めったに利用することがない。

重厚長大の豪華歳時記も、つい買い揃えたくなるが、自分の趣味としては、巨木のしだれ桜のような豪勢な巻ではなく、小さな菫のように小体な歳時記や季寄せは、いっそう好ましく感じるものである。

 

さて次回からは、各一流出版社が、社の威信をかけて、あるいは俳人、俳句評論家が自らの誇りをかけて編集あるいは監修した、いわゆるオーソドックスな歳時記の揃い踏みを拝観することとしたい。いざ、いよいよ本丸へ。