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季語道楽(37)柴田宵曲『古句を観る』  坂崎重盛

  • 2020年6月25日 15:44

柴田宵曲『古句を観る』の「後編」ーー『古句を観る』の内容の“こく”

 

このエッセー自体が遊歩人(©文源庫)たるぼくの文章は路地、横町への寄り道が大好きなのだが、好もしい人、柴田宵曲に戻ろう。

俳句界の大巨人とも、魔人ともいえる、あの高浜虚子のもとで、俳誌「ホトトギス」の編集を担いながらも、虚子とはまるで正反対のような生き方をした人。

「権勢に近づかず人に知られることを求めず一生を終えた」「だが残された書は人柄と博識ぶりを伝え」(岩波文庫『古句を観る』表紙より)「決して声高に語ることのなかった柴田宵曲。その文章には常に節度と品格が湛えられている」(岩波文庫『随筆集 団扇の画』表紙より)——と語られる柴田宵曲の仕事『古句を観る』がまたシブい。

古句を観る 著:柴田宵曲

古句を観る 著:柴田宵曲

すでに前回、少し紹介したように、この書、内容は歳時記の構成をとるが、例句が、芭蕉の周辺の人々ではあっても、今日、ほとんどその名を知られない俳人の句が挙げられる。ま、言ってしまえば無名(現代のわれわれにとっては)。

芭蕉、蕪村、其角、嵐雪、去来あたりの句ならば多少は見当がつくとしても、まるで知らない俳人の句など見てもなぁ、と思いつつページをめくってゆくと、自分の浅はかな心得ちがいに、すぐ気づかされる。

著者・宵曲によって挙げられている例句が、じつに魅力的なのだ。しかも、江戸時代の作というのに現代でも、まったく違和感なく味わえる。それどころか、(この句は本当に江戸時代に作られたの? 現代俳人の作品じゃないの?)と思いたくなるような句も少なくない。例によって、この原稿を書いている、いまの季節、「夏」の章から見てみよう。まず、冒頭の一句。

湯殿(ゆどの)出る若葉の上の月夜かな    李千

スッ、と分かりやすい句じゃないですか。この若葉の季節、どこかの温泉にでも行って湯上がりの、仲間との句会ででも出てきそうな句。

この句に対して著者は、

爽快な句である。湯上がりの若葉月夜などは、考えただけでもいい気持

ちがする。(中略)湯殿を出た人はそのまま庭に立って、若葉に照る月のさ

やかな光を仰いでいるのである。

と、この句の気持ちよさを認めている。その後で句の内容ではなく、この作者の号・李千(りせん)がときに、同じ音の「里仙」になっていることにもふれ、他の俳人の例として「珍碩」(ちんせき)が「珍夕」、「曲翠」(きょくすい)が「曲水」などと「同音別字を用いた例はいくらでもある」と、これは今日とは異なる江戸時代ならではの慣行をも伝えてくれる。

もう少し見てみよう。季題は「牡丹」。

薄紙はひかりをもらす牡丹かな    急候

この句の解説に、宵曲の地力、というか長年の蓄積をうかがわせる。本文から引用する。

子規居士の『牡丹句録』の中に「薄様に花包みある牡丹かな」という句

があった。これも同じような場合の句であろう。「ひかり」というのは赫奕

(かくえき)たる牡丹の形容で、同じく子規居士に「一輪の牡丹かがやく

病間かな」という句があり、

と、牡丹の花の存在を言い表わす言葉として「ひかり」「かがやく」があることが、示される。初学のこちらとしては、ありがたい知識を得ることになる。続けて、今度は同じく子規の短歌が掲げられる。

「いたつきに病みふせるわが枕辺に牡丹の花のい照りかがやく」「くれなゐ

の光をはなつから草の牡丹の花は花のおほぎみ」などという歌もある。

蛇足ながら「いたつき」とは古語で「骨をおる」とか「病気する」「世話をする」という意味。次歌の「おほぎみ」は「大君」で、「王」や「王女」で、ここでは牡丹なので当然「王女」だろう。

宵曲は子規の二つの短歌を引いて、先の江戸の急候の句について、牡丹に「ひかり」という強い形容詞を用いたのは、この時代の句として注目に値するけれども」と評価しつつも、子規の歌の「い照りかがやく」「光をはなつ」の方が、「その形容の積極的に強い点からいえば、まさっている」としている。

さらに、「言葉の側からいうと、元禄の句がやや力の乏しいのは、必ずしもこの句に限ったわけではない」とし、試みとして二句と虚子の句を挙げる。(それも、三句とも「牡丹に雨雲」という共通項を選んで。さりげない所作だが、このへんが宵曲の知識量の凄みというか余裕というか)

雨雲のしばらくさます牡丹かな    白獅

方百里雨雲よせぬ牡丹かな      蕉杜

雨雲の下りてはつゝむ牡丹かな    虚子

そして、この一文の最後に、かなり色っぽい句が紹介される。

美しき人の帯せぬ牡丹かな    四睡

ただし誤解してはいけない。これは、牡丹そのものが、帯をしてない美人に見立てたものと思われる、と解説される。(なるほど、牡丹の、あの花のつきようは「帯せぬ美人」か!)と合点されることとなるのだ。

 

もうひとつ、敗戦後に幼少期だったぼくたち世代には懐かしい「蚊帳」の季語の俳句。子供にとって、蚊の出る季節になって、蚊帳(家では蚊屋と言っていた)をつるのは楽しいイベントであった。もちろん、子供の我々は実際には、何の役にも立たないのだが、ただ金の輪を持って部屋の隅で立っているだけで、自分の役割りを全うできた気がして、十分、満足だったのだ。

ずっと忘れていたけど懐かしいなぁ、蚊帳吊り。

つり初めて蚊帳面白き月夜かな    言水(ごんすい)

一夜、二夜蚊帳めずらしき匂かな   春武

ぼくたちの子供のころ、家の蚊帳に二種類あり、白い柔らかな生地(上等の麻?)のものと、少しゴアゴアした緑色の“普及版”。この緑色のほうは、寝汗などかくと顔に染料なんかうつって、笑われたりした。春武の句は多分、その、緑色の蚊帳だと思う。蚊帳の「匂い」では、

つり初めて蚊帳の薫や二日程     花虫

の句が紹介されている。宵曲いわく、

花虫の句は一日二日の間、萌黄(もえぎ)の匂いを珍しく感ずるところを

詠んだのである。秋になって蚊帳を釣らなくなる時でさえ、「蚊帳の別れ」

だの「蚊帳の名残」だのという情趣を感ずる俳人が、釣り始めの蚊帳に対

して、普通人以上の感情を懐かぬはずはない。

と記している。

他の季節の句もパラパラと例句や宵曲の解説を拾い読みしているだけで、なにか、心と頭の中が、すうーっと広がってゆく気持ちになる。

深爪に風のさわるや今朝の秋    木因

はつ秋や青葉に見ゆる風の色    巨扇

桐苗の三葉ある内の一葉かな    己双

七夕(たなばた)や庭に水打日のあまり   りん

耳かきもつめたくなりぬ秋の風   地角

火熢からおもへば遠し硯紙     沙明

時雨るゝや古き軒端(のきば)の唐辛(とうがらし)  炉柴

挙げてゆけばキリもない。『古句を観る』、この岩波文庫によって、今日、ほとんど人に知られることのない俳文家の文(と文章からの人柄)に接することができる。

そうなんですよ、数多く出版されてきた俳書や近代俳句の流れを説く書でも、この宵曲にふれたものはほとんどない。

驚くべきは虚子や結社ホトトギスの歴史をテーマとした本でも、宵曲の顔は出て来ずだったりする。「俺が、俺が」「わたしが、わたしが」と自己をアピールすることがない人は、大声の中の小声、なきものと思われてしまうのが世の常とはいえ。

 

ところで自慢を少々。この間のコロナ騒動の、お上の「スティホーム」、「外出自粛」に素直に従って、不謹慎にも、自分にとって、これは「コロナバカンス」ととり、本の大整理、追加処分(本の処分は、いまや日常的ミッション)の好機と、勇躍、実践に励んだ。

その作業の中で、その柴田宵曲の豆本(タバコの箱より少し大きいサイズ)と、箱入り文庫判の限定本を取り出すことができた。

豆本(こうつう豆本)の方は『文学の東京散歩』(全三巻)。箱の貼り題簽は、切手代の銅版画に手彩色、絵柄は浅草ひょうたん池の脇に立つ、十二階。いいですねぇ、この雰囲気。奥付に「昭和五五年・特装版250部の内・第177号」とあり、ぼくの字で、エンピツでうすく2000、と記してある。ちょうど二十年前に入手したものらしい。

上段 煉瓦棟 近代文学覚え書 著:柴田宵曲 / 下段 文学・東京散歩 著:柴田宵曲

上段 煉瓦棟 近代文学覚え書 著:柴田宵曲
下段 文学・東京散歩 著:柴田宵曲

あちこちフセンが貼ってあるが、この豆本、『ぼくの おかしな おかしな ステッキ生活』にもステッキのことでチラッと登場している。

あとがきは「こうつう、豆本」の発行人の八木福次郎によるが、この中に、

柴田さんはよく東京の町を歩かれた。いつも和服に下駄ばきで、冬にな

ると、近頃は見ることも少ない二重まわしを着て歩かれた。

また、

本書の特装版の表紙の写真は、池上浩山人主宰「ももすもも」俳句文学

散歩第一回(昭和三十一年十二月二日)の時のもので、諏訪神社台地から

西日暮里方向に向かって立っておられる宵曲翁——

という一文に接し、出遊を愛した宵曲居士のーー散歩中の貴重な一ショットをじっくり見つめていたとき、その“二重まわし”(トンビとも言った)スタイルの小さなシルエットにステッキの影がわずかに写っているではありませんか! 喜び勇んでわがステッキ文物コレクションの一つとした次第。かつては散歩の伴にはステッキが“鉄則”だったんです。介護用じゃなく。

煉瓦棟 近代文学覚え書 著:柴田宵曲

煉瓦棟 近代文学覚え書 著:柴田宵曲

さて、もう一冊の文庫本サイズの函入り限定本。タイトルは『煉瓦塔』。サブタイトルとして「近代文学覚え書き」。発行は日本古書通信社。昭和四十一年刊。五百部限定発行のうち三五。98/10とエンピツで記されている。二二年前だ。さきの「こつう 豆本」の“こつう”は、古書通信社の“こつう”というわけ。

豪華本というものではない。しかし小判ながら、なんとも美しい本だ。装丁がが、“明治懐古”といったら、この人、木版画家の川上澄生によるレンガ塔の絵柄。小口は天金。タイトルは子規の「市中の山の茂りや連歌塔」に由来するという。本文は先の豆本同様、ほとんどが一ページにも満たない一口話。これがまた、古老の昔ばなしを聞く心地がして嬉しい。

ペラ一枚ほど(二〇〇字)の文章だが、この一カ所だけでも、どうしても引用、紹介したい。題は「露店」

「梵雲庵雑話」によると、明治初年の浅草見附あたりの露店では、錦絵を

選り取り一枚一銭で売って居った。その中には写楽の雲母摺なども慥かに

まじっていたゐたそうである。「本の話」(三村竹清)には天草版の「伊曽

保物語」を神田新石町の露店で見かけたが、それは大沼枕山に買われてし

まった、といふ話が書いてある。吾々はこの種の話を決して謔だとは思わ

ぬ。たゞ少し時代が遠いので、暗中の選考を見るやうな感じがするだけで

ある。

と、まあ、これだけの話なのだが、この短い文章の中に登場する「梵雲庵雑話」「写楽の雲母摺」「三村竹清」「伊曽保物語」「大沼枕山」という文字を見るだけで、それこそ、遠く過ぎ去った過去の時間。「暗中の閃光を見るやうな感じがする」のだ。ディープな愛書家だったら、うおーっと声を上げるだろう(たとえば、この春急逝した坪内祐三さんだったら)

ところで、野暮を承知で記せば、署名、登場人物については興味があればぜひ、それぞれ検索していただくとして、「雲母刷」は「きらずり」と読みたいし、「伊曽保物語」は、あの「イソップ物語」である。どこか地方の温泉町の歴史本ではありません。

じつは、この『煉瓦塔』スペシャル・サプライズの“おまけ”がついていた。なんと宵曲大人の生原稿付!

封筒の印刷に、

「煉瓦塔」に著者の署名が入る筈のところ、御病気のためそれが出来なく

なりました。

「煉瓦塔」「紙人形」「漱石覚書き」の著者自筆原稿一編を添付して署名に

替えさせていただきます。

と発行者の言葉がある。宵曲の生原稿ですよ! これを自慢せずに、わがヨレヨレの俳句関連の雑文など書いていらりょか、という気持ち。もともとは柴田宵曲にさほどの関心のなかったはずのぼくが、なぜか二十年も前に、限定本を手に入れていたのかも不思議だし、自慢したい。

煉瓦棟 原稿

煉瓦棟 原稿

 

ところで、コロナバカンスの間、ほとんど連日、本の処分と整理の格闘を続けてきたのですが、その戦果は、やっと五分の、いや八分の一ほどかな。

お上や学者先生から言われなくっても、これから、このまま「コロナと共生したい」気分なんです。というのは、心おきなく本との、(心身ともにタフな作業ではあるが、心楽しいイベントが続けられるからである。

ただし、それで生活ができればーーという、いまさらながらの思い、と現実の、ジレンマはあるのですが。

 

 

 

 

 

 

 

季語道楽(36)穏やかにして厳格な巨人  坂崎重盛

  • 2020年6月24日 16:41

柴田宵曲『古句を観る』を観る︱︱とその前に急拠増刷の山本健吉の『こ

とばの歳時記』を

 

高浜虚子の「ホトトギス」のもとにあって、メジャー、大御所の虚子とは、正反対ともいえる学究的句人、柴田宵曲。宵の曲とはなにやらロマンチックめかした俳号だが、自分の生き方が、どうにも消極的なので、その昔からショーキョク的=宵曲としたという、いかにも超俗的俳人らしい話を、どこかの本で読んだ記憶がある。

なにかと表に立つこと、目立つことが苦手だったようで、これまた、どこかに出ていたエピソードだが、大正十一年、関東大震災の直前、丸ビルが建ったとき、虚子は、なんと、その、トレンドの先端、話題の丸ビルに「ホトトギス」の編集部を設けることにした。

そのとき、この柴田宵曲、「ホトトギス」を脱会する。その理由(の一つ?)が、「あんな新名所みたいなモダンなビルに、自分のような、いつも下駄ばきの人間が出入りするのはおかしいでしょう」と言ったとか。

これもまた、ぼくの好きな宵曲の関わるエピソード。まあ、ひと言で言ってしまえば、「じつにシブイ人。また、懐かしい感じのする人」。

 

この宵曲の著作が岩波文庫に六冊収められている。うれしい。

古句を観る 著:柴田宵曲

古句を観る 著:柴田宵曲

まず、この『古句を観る』続けて列記する。『評伝 正岡子規』『俳諧随筆 蕉門の人々』『新編 俳諧博物誌』(小出昌洋編)『随筆 団扇の画』(〃)『子規居士の周辺』(〃)。

ところで宵曲に俳句関連以外に、もうひとつの隠れた顔がある。あの江戸話の大家、江戸をテーマとする学者、研究者、あるいは江戸の時代物作家で、この人の本のお世話にならなかった人など百%ない、といえる︱︱三田村鳶魚、この人の著作の多くが、柴田宵曲による聞き書きによって作られたもの、という。

 

そんな宵曲による『古句を観る』︱︱タイトルは江戸の古い句の紹介本かと思われるが、これがじつは歳時記本でもあった。もっとも、本を手にして目次を見れば一目瞭然、目次は、「新年 春 夏 秋 冬」と巻末解説の森銑三による「宵曲とその著『古句を観る』と、編著・小出昌洋『俳人柴田宵曲大人』のみ。

 

と、ここまで書いて気分転換のため、近くの書店へ。文庫本の棚の前に立つと平台に一冊の俳句本が。山本健吉著『ことばの歳時記』(角川ソフィア文庫)。

ことばの歳時記 著:山本健吉

ことばの歳時記 著:山本健吉

この山本健吉の文庫、すでに持っていたはず。ところが帯に「上皇陛下と上皇后陛下がおふたりで音読している本︱︱宮内庁「上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)より」とある。

ご皇室の人が「ことばの歳時記」とは題されているものの、俳句を、おふたりで音読!? 和歌ならわかります。しかし、滑稽や諧謔を源とする俳諧とは! 新年「御歌会始め」が催されることはよく知られるところではありますが、「新年投句会」などということは聞いたことがない。(ほう、ご皇室も、ここまで開かれたか! あるいは?……)と、新しい帯によって、がぜん、この文庫に、あらためて興味がわくこととなった。

しかも、巻末の解説が、字多喜代子さんではないですか! まさに、本は人を呼ぶ。『古句を観る』を脇に置いて、『言葉の歳時記』を手にとらずにはいられなくなった。

くりかえしになりますが、ご皇室で俳句? 話はちょっと飛ぶが、ある時から、お茶や華道は、上流、中流家庭の婦女子のたしなみと思われるようになったが、とくに茶道などはもともとつわものどもの武士、あるいは豪商などがもてあそぶものであって、貴人の公家や、まして、やんごとなき宮中の方々が関わるものではなかったはずだ。

もとより、歌道は雅びだろうが、俳諧は俗をもってよしとする世界であった。茶道が、侘び寂びと言ったって、その大元に刀による、しのぎのけずり合い、あるいは命のやり取りそのものがある。豪商の趣味としても“豪”の文字が付くように、物や金の収奪の結果でしょう。

 

ご皇室と俳諧︱︱このへんのところ、一度、知り合いの歴史学者に聞いてみようか。いや、「余計なことを考えるな、日本の伝統や、四季の風物への思いがあって文化のひとつとしてご皇室が俳句の世界にふれて何が悪い」と一蹴されるかもしれない。

もちろん、“悪い”などとはまったく思っていません。ただ意外の感を抱いたまでのこと 。もう少し言わせてもらえば、日本の伝統文化というのなら川柳などはいかがなものかしら。それも、破礼句(バレ句)だったりしたら、江戸以来の庶民の赤裸々な姿、下々の情にふれることができると思うのですが。

戦後の粋人仏文学者・辰野隆先生や、仏文学者で川柳の事典の編集もされていた田辺貞之助先生、専門は中国文学の奥野信太郎先生、あるいは民俗学の池田弥三郎先生のような、下情に通じた碩学の方々が、この令和の世にいらしたら……。

 

閑話休題(あだしごとはさておき)、山本健吉『ことばの歳時記』にふれてみたいと思ったが、巻末に著者による「歳時記について」という、重要な一文もあることから、やはり、後の山本健吉の項で、他の歳時記関連の著書とともに紹介することとしたい。

またまた、すっかり道草を食ってしまったが、本題の柴田宵曲の名著であり貴書である『古句を観る』を見てみよう。

この本のあらましを手っ取り早く知るには巻末の書物の話といったらまず、この人、森銑三による解説に頼ろう。

書き出しがいい。一行目の冒頭︱︱

宵曲子は奇人だった。

いいですねぇ、囲碁か将棋の第一手。ピシリ! と石か駒を置いた感じ。

(この項つづく)

季語道楽(35)春夏秋冬、名句60句をめぐる   坂崎重盛

  • 2020年3月25日 16:58

字多喜代子著『名句十二か月』(角川学芸出版刊)

この著者の俳書はすでに一冊、この連載で紹介している。同じく角川選書に収められている好著『古季語と遊ぶ』である。この本では、珍しい季語と例句、そして遊戯的センスに富んだ実作の例句と文章を楽しませていただいたが、この『名句十二か月』も著者ならではの“実感的エッセイ”の中に、季節ごとの名句が数多く(約六百句)はさみ込まれ紹介、解説される。

 

この『名句十二か月』の最初に登場する季語は「去年今年(こぞことし)」、もちろん新年、一月。去年今年となると、それはもう高浜虚子の、

去年今年貫く棒の如きもの

でしょう。この句は俳句と無縁の人でも知っている人が多いのでは。種々の歳時記の新年、一月の項で、この虚子の句が載っていなかったりすると、ぼくなどは(ほう……)と、かえって、その歳時記の編者に妙な関心を抱いてしまったりする。

著者の字多喜代子さんも、

高浜虚子の代表句というより、新年の句の代表としてまず思い出すのが、

この「去年今年貫く棒の如きもの」である。

といい、さらに虚子の同じく新年の季語「初空」二句を紹介する。

初空や大悪人虚子の頭上に

初空や東西南北其下に

そして、この二句の解説として、

前句は大正七年の作、後句は昭和三十年の作である。「初空」は元日の空

のことだが、もっと限定して元朝の空のことと思いたい。それにしてもめ

でたい初空に「大悪人虚子」を取り合わせるとは、なんともすごい。

とし、さらに、

そのすごさが歳月を経て自身より空の大きさのほうを立てた違うすごさに

変わってゆく。

と、二句を並べた上での“読み”を披露する。このあたり、著者“うた”(宇多)さんの力量の一辺を垣間見せますね。

ぼくは、虚子の自らの俳号の上に「大悪人」と付けたスタイルに、虚子の余裕というか、自然主義的なスタイルを借りて、その実オシャレなモダニズムをかぎとってしまう。ちょっとやんちゃなナルシズムというか。

 

ちなみに高浜虚子の本名は「清(きよし)」。それを先輩の正岡子規がーー「きよし」だから「虚子」でいいんじゃないーーと命名してしまったとか。俳句界の巨人、虚子のの誕生が、いかにも青春のアバウトな(=俳諧的な)感じがして、好きな逸話だ。

逸話といえば子規が同郷の河東碧梧桐とともに虚子(そのころはまだ清)を自分のもとに誘ったのは、俳句の同人としてではなく、そのころ子規が熱中していた野球のメンバーとして、という話もいい。

ちなみに上野公園の一隅にあるグラウンドには、子規らがプレイした野球場跡という碑が立っている。

 

話が横道に入ってしまった、本題に戻す。

著者・うたさんは先の虚子の二句と、その解説のすぐ後に、松瀬青々(ホトトギス派、ということは子規、虚子を師とする関西俳壇を代表する一人、明治二年生まれ)の、いかにも関西人ならではの剽軽(ひょうきん)な正月句を掲げる。

正月にちょろくさいことをお言やるな

これに対する、うたさんの評がまたいい。

マジナイのような口調の句でとくに名句というのではないが、知っておく

便利である。

「便利である」ってーーなるほどね、「知っておくと便利」な句って、あるんですね。うたさんによる便利な教えでした。

 

さて、この稿を楽しんでいる今の季節は早春、小石川植物園の梅もほとんど終わってしまったが、桜の開花は例年より早いようで、今週末とか。早春から春にかけての句を見てみたい。

まず、「二月」から。

初っぱなに出てくるのが、こんな句だ。すごい!

寒からう痒からう人に逢ひたからう

子規の句だ。前詞が付されている。「碧梧桐天然痘にかかりて入院せるに遺す」。「天然痘」に、失礼ながら、つい笑ってしまった。このころは天然痘という病気がまだ健在だったのですね。

句友というか、子規の弟子、虚子の盟友であり、後のライバルとなる河東碧梧桐(へきごどう)が天然痘にかかり一ヶ月ほど入院した(明治三十一年一月のこと)ことを思いやってのーー見舞い句。

うたさんの解説。

前詞あっての句で、もしそれがなかったら何のことやらわからないという

人もあるが、必要あって置かれた前詞なんだから、ともに吟味したらいい

んじゃないの、と思う。

「いいんじゃないの」が、いかにも“うた節”。自在な精神の文体じゃ、ありませんか。ぼくは、この句、前詞がなくても全然いい。

寒からう痒からう人に逢ひたからう   —

︱︱アトピーの思春期の娘(知り合いの娘さんでもいい)を思いやっての早春の句でもいいじゃないですか。しかし、子規、やっぱりすごいですね。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」だけの子規じゃないね。

 

おや、さっきの河東碧梧桐の句が出てる。

赤い椿白い椿と落ちにけり

これまたぼくでも知っている有名な句である。さすが俳句に写生句の態度を主張した 子規の高弟の句である。うたさんの評。

椿がポトリと落ちる様子を言葉で表現する場合、もうこうとしか言いよう

がないと思われるほどに贅肉をそいだ表現がなされている。

この後の椿の句が、またすごい。この本で初めて出会った。

老いながら椿となって踊りけり     三橋鷹女

一読、ぞくっと鳥肌の立つような、女人俳人ならではの句ですね「老いながら椿となって」がコワスゴイ。作者、鷹女の作句に対する思い、も紹介される。

「一句を書くことは、一片の鱗の剥奪である。一片の鱗は、生きて鑄るこ

との証しだと思ふ」

一片の鱗ですか! 男性の表現者からは絶対に出てこない言葉でしょう。余計なことは書かず、次の句を見よう。これまた、不可解ながら、とても有名な句。

 

梅咲いて庭中に青鮫が来ている     金子兜太

安易すぎる言葉で言ってしまえばシュールリアリズムの絵を見るよう。当てずっぽうに喩えていえばヒエロニムス・ボッシュかブリューゲルの版画と岡本太郎の初期作品の合体のような。ま、これまた半可通のコメントなど控えておいたほうがよいでしょう。

「三月」に入ってみよう。

うわぁ〜、なんか大丈夫? 感じようによっては、やたらエロくないですか?

戀人は土龍のやうにぬれている    富澤赤黄男

もちろん季語は「土龍(もぐら)」。「戀びと」「もぐら」「ぬれている」︱︱落語、人情噺の傑作「芝浜」が寄席の客から受けた「よっぱらい」「財布」「芝浜」の三つのお題から即興で生み出した三題噺だったように、この赤黄男の句の先の三つのキーワードで、誰か艶笑噺を作れないかしら、なんて考えてしまったりする。

にしても「戀人は土龍のやうにぬれている」、初見ながら一発で憶えてしまう。

 

エロティックといえば、やはりこの人、日野草城。

をみなとはかかるものかも春の闇

ちょっと室生犀星の世界を連想してしまうが、草城、の例の「ミヤコホテル」の連作から。

草城、この「ミヤコホテル」が原因でか、「ホトトギス」同人から閉め出されることになる。昭和十一年、軍靴の音が次第に近づきつつあった時世。

 

この項の最後に、春、四月から。

さまざまの事おもひ出す桜かな    芭蕉

さすが芭蕉、横綱相撲。

うたさんの『名句十二カ月』、読み出したらやめられない止まらない。

 

 

 

季語道楽(34)季語が学べる懇切な実作講座 坂崎重盛

  • 2020年3月18日 17:43

角川書店発行の月刊句誌『俳句』で三年間にわたる連載をまとめた今瀬剛一による『季語実作セミナー』(角川書店刊)

まず、この本の袖に載っている著者略歴を見て、ちょっと驚いた。昭和十一年茨城県生まれ。そのあと、昭和四十六年「沖」創刊とともに参加、能村登四郎に師事︱︱とある。

俳句結社の動向にうとく、興味ある特集のとき以外は俳句専門誌などもめったに入手しないので、この『季語実作セミナー』の著者と『秀句十二カ月』の著者が、句誌「沖」をともに立ち上げた同人で、しかも師弟関係であったとは気にもとめずにいた。ただ、目にとまった歳時記関連本として買いおいた二冊であった。ぼくは、少しでも興味あるテーマの本は、“積ん読派”以前に、とりあえず“買っとく派”なのだ。

ま、そんなご縁があった今瀬剛一の︱︱「季語という俳句のもっとも重要な要素がわかりやすく学べる。総合誌『俳句』の大好評連載、待望の選書化!」と帯に唱われた、この『季語実作セミナー』を開いてみよう。

季語実作セミナー 著:今瀬剛一

季語実作セミナー 著:今瀬剛一

「はじめに」を読む。「五月、いま私の周囲は全くの青葉である」と、始まり、季節の変化の早さにふれてゆく。そして、

こうした自然の変化、季節の移り変わりのなかにいると、俳句は有季定

型の詩であるという主張には全く疑いをはさむ余地はない。たかだか十七

文字の俳句、何もものを言えない俳句という側面に立つとき、この「有季」

「定型」という二つのことが私にどれほどの力を与えてくれるか、このこ

とを考えないわけにはいかないと思うのである。

と訴え、さらに「とりわけ季語には歴史を経てきた力がある。膨らみがある」としたうえで、高浜虚子の、

遠山に日の当たりたる枯野かな

という、たしか教科書にも載っていた虚子の代表句の一つを提示する。そして著者は、

「枯野」の力強さ、広がり、そしてその強さ広がりは単に表面的なものに

とどまってはいない。それは清浄たるかつての人間全てが見聞した枯野、

生きて泣いた枯野、歩き疲れた枯野……、そのような意味から人生そのも

のの象徴の響きも持っている。

と解説する。とても説得力のある読みだ。さらに著者は、

ただ気をつけなくてはならないのは季語に纏(まつ)わる既成概念であり、

そうした意味からは、季語を一つ一つ洗い直してみることも大切であると

思う。

と、この本の目的の一つが“季語の洗い直し”見直しであることを明らかにしている。

さて、本文、第一章は「季節の移ろいを詠む」早春の季語【二月】からスタート。〈︱︱ さあ春だ、句帳を持って外へ出よう〉と始まる。例句として、

春なれや名もなき山の朝がすみ     芭蕉

枯れ枝に初春の雨の玉円か       高浜虚子

を挙げ、解説を付しているが、︱︱「春だなあ」という感嘆の声は芭蕉の作品に比べて静かである。それは作品の背後から聞こえてくる︱︱と語り、つづけて、

山深み春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水

という新古今集、式子内親王の和歌を引き、

古来こうした情景は短歌にも詠まれているが、「円か」とまではとらえて

いない。ここに物を確かに見るという俳句の特性、あるいはもっと大きく

言えば実際に対象を外に出してみているかいないかの違いがあると思うの

である。

と同じ季節感の中で、それを詠むにしても観念でとらえる和歌と、実際の観察を通して表現する俳句の差を指摘する。

次が〈二 春を見よう、聞こう〉ここで著者は「要は自分の目で春を見付けること、自分の耳で春を聞くこと」とアドバイスし、

鎌倉の古き土より牡丹の芽      高浜虚子

みつけたる夕日の端の蕗の薹     柴田白葉女

山川のとどろく梅を手折るかな    飯田蛇笏

の三句を示し、虚子の句に対しては︱︱この作品の全ては「牡丹の芽」を見付けたところから始まっている︱︱とし、白葉女の句には、作者はまず「みつけたる」と直叙した︱︱そして、「蕗の薹」を提示しているだけで、読者のその感動を自由に味わわせている、と解説し、この一文の締めとして、

俳句とは述べるものではない、これは俳句を作るときの鉄則である。

と、われわれ初学の人たちにとって、句作のもっとも重要な“肝(きも)”を伝えてくれている。

二作目の蛇笏の句に対しては、

山々に響き渡る川の轟音(ごうおん)の中、一枝の梅を手折ったのである。

ぽきりという音は小さい音ではあるが確かに轟音のなかに一瞬響いたこと

と思う。その確かな音。

と解説する。なるほどなぁ、春近く雪解けとなる季節、山川の大自然の轟音に対して、手折った梅の枝の、小さな、しかし確かな、生命の証のような音、俳句はたった五・七・五の十七文字で、こんな、真実の、臨場感のあるスケールの世界まで描き出してしまうのだなぁ、といまさらながらの感慨。

そして〈三 春を行動してみよう〉〈四 私の推薦する早春の季語〉〈五 そのたの早春の季語、作句してみよう〉と、実作セミナーは進んでゆく。

また、初心者のための〈こんな作り方はいけません〉〈晩春の作品の失敗例〉〈どんなときに失敗するか〉〈晩春の作品、失敗三つの例〉などと、それぞれ例句を挙げながら、その問題点と改良句(添削句)を示す。

親切な季語活用、まさに実作セミナーとして構成され、同時に歳時記であり、季寄せの俳句入門書となっている。

(この項つづく)

季語道楽(33)下町生まれの歳時記的俳句エッセイ 坂崎重盛

  • 2020年3月18日 17:32

前回、本のタイトルに「歳時記」という言葉は入っていないものの、四季折々の自然や生活、あるいは行事についてふれられ、かつ、例句があげられている俳句関連の本、つまり実質は俳句歳時記の一例として萩谷朴の『風物ことば十二カ月』をとりあげた。

そして、二月の「梅薫る」の項で、ここでは俳句ではなく、俳句の季語の源となる和歌も紹介されていることを示した。もちろん「梅」が季題なのだが、「梅の花散る」さまを「天より流れ来る」「雪」と見る心の動きが、ここでも歌われている。

梅でも桜でも「花」といえば「雪」を想う、この約束事は「散る花」を「空に知られぬ雪」とし、また、「降る雪」は、「春に知られぬ花」ということについて記されている『季語の誕生』(宮坂静生著 岩波新書)を再度、手にとった。

再度といったが、本当のところは、この新書を、この間、再三再四、手にし、ページを開いている。ぼくの心の中では、この『季語の誕生』を、略して“キゴタン”とつぶやいているくらい親しい俳句解説書となっている。

そしてもう一冊が、これもすでに紹介ずみだが、季語の誕生について考えるとき頼りにしてきた井本農一による『季語の研究』(古川書房刊)。ここには、季語の成立に関して、万葉集の、中国詩の影響からやがて「我が国流に発展させた」『古今集』以後の和歌が、たとえば花を眺めるとき「花が散るのをはらはらと心を使いながら眺める」というのが文学的約束事とするようになった、とある。

「花」といえばかつての「梅」から「桜」へ、そして「散る花に心を惜しむ」ことが「花の本意」とされるようになったわけである。

同様に、「恋」といえば、「思いこがれる心」を詠うことに限定され、ハッピーエンド、成就した恋などは和歌の世界では認められない。「切ない慕情」「恨み」「思い切れないやるせなさ」そういった心の動きこそ、和歌における「恋」の「本意」であったという。

和歌の「本意」は室町時代を最盛期とする連歌にも引きつがれるが、下って俳諧の世界となると、たとえば「桐(桐の葉)」という季の題は、和歌や連歌では、きまって「秋」とされてきたが、新たに「桐の花」も登場、これが夏の季題となる。俳諧の時代の文学的自然美の発見、つまり新季語の誕生となる。

萩谷朴の『風物のことば十二カ月』を手に取ったことによって、和歌、俳諧の「本意」を復習したくなり宮坂静生の“キゴタン”、『季語の誕生』と井本農一『季語の研究』“キゴケン”に寄り道、いや、すでに紹介しているので“戻り道”をしてしまいました。

そうそう、この本で(そうなんだ)と知ったこと、連歌の世界では「菜摘」はもちろん春だが、「野遊」となると春とはかぎらないということになるらしい。しかし、今日の俳句歳時記や季寄せでは、「山遊び」「野かけ」とともに、立派な春の季語となっていて、

野遊びの皆伏し彼ら兵たりき   西東三鬼

野遊びのため一湾をよぎ来し   鷹羽狩行

といった句が見える。

 

さて、つぎの歳時記書籍は︱︱

枕辺に積んである本、数えると六冊、(たしか、他にもあったはずだが……)と思わせぶりをしておいて、まずはともかくこの六冊の著者、署名、版だけでも列記しておこう。

  •  能村登四郎『秀句十二カ月』(富士見書房)

○ 今瀬剛一『季語実作セミナー』(角川書店)

  •  森澄雄『名句鑑賞事典』(三省堂)

○ 宇田喜代子『名句十二カ月』(角川書店)

  •  柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫)
  •  長谷川櫂『四めくり 四季のうた』(中公新書)

 

ざっと、それぞれの歳時記的な本と、その周辺を見てゆこう。まずは能村登四郎の『秀句十二カ月』。版元は富士見書房。千代田区富士見にある出版社なので富士見書房。JR飯田橋近く富士見といえば角川書店のビルが建つところ。

秀句十二か月 著:能村登四郎 富士見書房

秀句十二か月 著:能村登四郎 富士見書房

そう、少しでも出版界を知る人ならば、富士見書房は角川書店と」同系の出版社であることは承知のはず。しかも、その角川書店とそのグループこそは、俳句関連の書籍を数多く刊行、出版界随一と言っていい歴史と実績を持つ。

というのもこれまた、俳句界に関心を持つ人なら、角川出版の創業者、角川源義(げんよし)その人が名の知れた俳人であり、自ら編者となった俳句歳時記も刊行していて、その長男があの角川春樹(この人もあまりにも著名な俳人)、長女が歌人で作家、さらに出版社・幻戯書房を創立、社長となった辺見じゅん(本名・真弓)といったこともよく知るはず。

さて本題の能村登四郎『秀句十二カ月』に戻ろう。著者の能村登四郎(のむらとしろう)は一九一一年、東京生まれ(二〇〇一年没)。水原秋桜子の主宰する「馬酔木」に投句。昭和二十三年「馬酔木」新人賞を得て俳壇デビュー。翌年「馬酔木」同人に。一九七〇年に自らも「沖」創刊、主宰。一九八一年「馬酔木」を辞す。句境は

長靴に腰埋め野分の老教師

春ひとり槍投げて槍に歩み寄る

霜掃きし箒しばらくして倒る

といった教師として、教育の現場から生じたと思われる静謐な思索を感じさせる句や、主宰する句誌「沖」の由来となった、

火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ

など、多くの人に知られる句を持つ。

その能村の『秀句十二カ月』のページをめくってみたい。

二月の「梅と涅槃会」の項。野沢凡兆、中村草田男の句と短い解説のあとに師の水原秋桜子の句、

伊豆の海や紅梅の上に波ながれ

の句が挙げられていて、

この句は、実景というより、光琳蒔絵のように、梅にその上を波を配し

た。構成された美を感じる。リアリズムからくる卑俗性や庶民感情をあえ

て避けて、高貴な精神美を志した作家の代表的な作品である。(以下略)

と解説されている。

二月十五日は釈迦入寂の日、涅槃会である。と記したあと、後藤夜半、永田耕衣、平畑静塔の涅槃像の三句を示し、つづいて「涅槃の翌日が西行忌になる」とあり、

花あれば西行の日とおもふべし

という、角川源義の句を挙げ、

「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」という、あ

まりにも有名な西行の歌の心を踏んだ一句である。この句は「西行忌」と

いうところを「西行の日」として固定化を避けて成功している。「花あれ

ば」も軽い打ち出し方で、表現技術のうまさを見ることができる。必ず

思い出す句である。涅槃会が過ぎるとようやく春のぬくもりが感じられ

るようになる。

 

次は八月、季題は「朝顔」。といっても、この季題は秋。これまた、少しでも俳句に親しむ人なら常識。

「朝顔や宗祇を起こすおもひもの」というこの句は「おもひもの」が「想い者」、つまり葬儀の愛人となると、下司に勘ぐれば、バレ句ともとれる。作者の松江重頼は江戸初期、談林派を起こした西山宗因と同門、松永貞徳にも師事。俳句指導書『毛吹風』を刊行)。登四郎はこの句を紹介したあと日野草城の、

朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ

を引き、

何やら思わせる句だが、表面から見てもうまい句である。そして「ミヤ

コホテル」よりはるかにエロティシズムが匂う。(以下略)

と感想をのべている。なお、「ミヤコホテル」とは、京都のホテル名であり、また

けふよりの妻と泊まるや宵の春

枕辺の春の灯(ともし)は妻が消しぬ

や、

春の灯や女は持たぬのどぼとけ

ちちろ虫女体の記憶よみがへる

などで俳壇に新風(淫風も?)巻き起こした。

この『秀句十二カ月』は四季折々の句とともに、台東区谷中育ちの著者のエッセイがつづられ、同じく下町育ちのぼくとしては、走馬灯のような、かつての東京幻影に出会えて嬉しい読み物となっている。

なお、著者の代表句ともいえる、

火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ

は、焚き火好きだったぼくが今日、生活の中で禁じられてしまった焚き火の句を可能なかぎり集めてみようと思ったときに、当然、収録させていただいている。(「焚き火系」俳句の作品二百句と蛇足的注釈『神保町「二階世界」巡り及び其の他』二〇〇九年・平凡社刊)