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季語道楽(40)隠れ歳時記の自在さ−3  坂崎重盛

  • 2020年9月16日 12:26

タイトルに歳時記とは銘打ってないものの、なんとなく入手していた俳句本を、手にしてページを開いたら、実際の構成は、歳時記だったりする。今回はまず、森澄雄編『名句鑑賞事典』(一九八五年・三省堂)を見てみよう。

名句鑑賞辞典 歳時記の心を知る 編:森 澄雄

名句鑑賞辞典 歳時記の心を知る 編:森 澄雄

新書版より、わずか大ぶりでソフトカバー、本文、294ページのハンディな本ながら、ぼくは机の一隅に置いて、なにかと、事あるごとに手にしてきた。

タイトルは『名句鑑賞事典』ではあるが、カバーに「歳時記の心を知る」とある。目次を開けば一目瞭然、「春・夏・秋・冬.新年」と、歳時記そのものの構成。

巻頭は、編者・森澄雄のことばとして「名句を読む」。芭蕉の

春なれや名もなき山の薄霞

旅寝して見しやうき世の煤払ひ

の二句を挙げ、その解釈、諸説はあったとしても“自分が、その句から何を、どう受け取るか”ということの大切さを訴えている。

「名句は、意味だけでなく、いい果(おお)せない豊かな表情を持つ」とし、「故に名句、おのおのの心でよみとることも、名句を読む必須の心がまえであろう」と説いている。

つまり、名句への接し方は、単にその句の意味するところ、解釈・鑑賞だけではなく、その句から、自分の心に生じる思いを大切にすることが「名句を読む」心がまえではないだろうか、と記している。

つづけて、本書の構成と季語・季題の重要性について、さらっとふれられている。引用する。

本書は主要季題四〇〇を選んで、その代表の一句に鑑賞を付し、さらに

例句をあげた。季題は単なる季物であるばかりではなく季節感であり、さ

らに一句が一句の世界をもつ重要な要素である。

︱︱と。そして巻末には付録として「俳諧の歴史」「俳句の歴史」俳人百余人の紹介、年表、とさすがに三省堂、実に親切でゆきとどいた本づくりがされている。ヘタな専門書、学術書を編集するより、こういう入門書を作ることのほうが、編集者の力量が要求される。

 

本文を見る。それも、もっとも初学の人が「えっ?」と思う、定番の季語かの句から拾ってみよう。まず「麦の秋」、いわゆる「麦秋(ばくしゅう)」ですね。俳句に無縁な人は「麦秋」という文字を見たら秋の文字が入っているので、当然、秋をイメージするでしょう。ところが「麦秋」とは、麦の刈り入れ時。つまり初夏なのである。

鑑賞の句は、

麦秋(ばくしゅう)の中なるが悲し聖廃墟(せいはいきょ)    水 原秋桜子(みずはらしゅうおうし)

作者が原爆投下を受けた七年後、長崎の浦上天主堂を訪れた時の句。そのころはまだ、天主堂跡には、崩れた煉瓦や天使の像などがころがっていたという。周囲は折から黄色に穂が染まる麦の熟す時期で、物悲しい廃墟と、盛りの麦の色と香のコントラストが俳人の心をとらえた。静謐で、心にしみる鎮魂の一句。

もうひとつ、これも初歩の初歩「夜の秋」。夏の終わり、夜になると秋の気配を思わせる時節もちろん夏も晩夏の季語。素人句会の座であっても、「秋の夜」と混同すると恥ずかしい。ここで挙げられる句は、とても印象的で、一度接したら忘れられない。女人の作る句には、ときどき、こういう傑作がある。

西鶴(さいかく)の女みな死ぬ夜の秋      長谷川かな女(じょ)

解釈は略そう。例句が四句付されているが、そのうちの二句だけ紹介して、次の“隠れ歳時記”移りたい。

家かげをゆく人ほそき夜の秋    臼田亜浪

吊り皮を両手でつかみ夜の秋    原田種茅(たねじ)

 

俳句関連書を精力的に執筆している朝日俳壇選者・長谷川櫂の『日めくり 四季のうた』(二〇一〇年・中公新書)がある。これは「読売新聞」に毎朝、一つずつ句や歌や詩など取り上げ紹介したものを版元の編集部が選択、構成。いわば読売版「折々のうた」か。

日めくり 四季のうた 著:長谷川 櫂

日めくり 四季のうた 著:長谷川 櫂

これもまた歳時記本の一冊だが、四季どころか、タイトルにあるように“日めくり”、つまり一月一日の元日から十二月三十一日の大晦日までの日付ごとに詩歌句が挙げられている。

二日前、コロナ騒動下、うっとうしい長い梅雨が終わり、梅雨明け宣言されたのが、ほんの二日前。例年よりも十一日遅い梅雨明けとかで、この書の「八月五日」は一茶の句、

月かげや夜も水売る日本橋

ここでの水はただの水ではないことが解説される「白玉を入れ、砂糖で味がつけてあった。江戸ではこれを冷や水と呼んで売り歩いた」とある。そして、この一茶の句について「夜風の立ちこめるころ、月光を浴びた水売りの影法師が見える」と説く。

次の「六日」は、旧暦の七夕とあって、

天(あま)の河(かわ)浅瀬しらなみたどりつつ

渡りはてねば明けぞしにける

と紀友則の歌を紹介。

「七日」は、

稲光(いなびかり)男ばっかり涼む也(なり)

という『柳多留』の川柳を取り上げる。「ばっかり」というあたりが、いかにも俗を旨とした川柳。稲光がして雷の音が近づけば、それまで夕涼みしていた女性や子供たちは、あわてて家の中に避難してしまう、しかし、そこは男性、雷ごときにバタバタできるかと見栄を張って、なにごともないかのように夕涼みをつづけている。故に「男ばっかり」となる。

ちなみに、「雷」の季語は夏だが、「稲妻」は秋、稲妻が秋の季語なのは、稲妻の電光が稲を実らせると考えられていたからという。農耕と季語の深い関係をうかがわせる。

一日一話、枕辺において、寝入る前に開いているうちに、日本の豊穣なる詩歌の世界に招き入れられる心地がする。

 

さて、このタイトルの本も歳時記? 高橋治『くさぐさの花』(一九九〇年 朝日文庫)。これが新年から冬まで、四季折々、著者が出会った草花について、それに関わる句を紹介しつつ、作者の思いをつづる。

くさぐさの花 著:高橋 治 写真:冨成忠夫

くさぐさの花 著:高橋 治 写真:冨成忠夫

内容は、いわゆる草花の歳時記なのだが、並の歳時記との差は、さすがに鋭い感性を持ち、それを表現することに心をくだいてきた作家ならではの、一話一話が物語として構成されている。

まず、作者による「あとがき」を見る。この小さな書への作者の思いを知ることができるからだ。

どうやら、著者と俳句(俳諧)と草花に対する愛は、半端ではないようだ。

径二十センチもありそうな山つつじをばっさり切って、ホテルのロビーに生ける花道の家元たちの所業に、

「テメエの命とこの花の命と、地球にとってはどっちが大事だとおもって

るんだ」と叫びだしたくなったとする。

と、強烈なタンカを切っている。

この朝日文庫『くさぐさの花』を著した直木賞作家・高橋治は、東大国文科で近世文学を専攻、卒論のテーマに天明俳諧史を選んだ、とこの書の「あとがき」にある。

天明の俳諧といえば、芭蕉死後、宝井其角を代表とする江戸座の粋や通を喜ぶ遊戯的俳風、また各務支考(かがみしこう)らによる美濃派や、伊勢俳壇の伊勢派といった、ともすれば通俗に流れると言ってよい傾向に対し、“芭蕉に帰れ”という蕉風復興の気運のなか、大島蓼太(りょうた)、加舎白雄(かやしらお)、加藤暁台(きょうたい)、与謝蕪村らが主な俳人として挙げられる。

高橋治、この天明の俳諧史を卒論のテーマにしたというのだから、俳句への思いは一入(ひとしお)だろう。ましてや、この作家“花狂い”(はなぐるい)と自白しているのだから、もう花の歳時記を編むには適任の人である。

また、このハンディな文庫のありがたいところは、その植物写真のリアルでしかも美しいことである。植物写真は、よい条件の草木を、きちんとピントを合わせて撮ればいいだろうと思われるかもしれないが、そんなものではない。

ぼくも多くの植物図鑑を持っているが、そこで掲載されている植物の写真によって、現実の植物を同定するのはむずかしいことが多い。植物はそれこそ、個体差があり、“枝葉末節”で、それぞれ微妙に色や形を変えることが珍しくないし、また撮る側のアングルや接写の距離によって多様に見えてしまうからだ。

『くさぐさの花』の写真家は冨成忠夫。もともとは美校(現・東京芸大)の油画科を卒業、自由美術家協会の会員として公募展に出品する洋画家であったというが、画筆をカメラに持ちかえて、植物写真家として名を成す。(なるほど、対象物をじっと見つめ、細部まで描くように写真を撮ったのか)とぼくは一人合点する。

“花狂い”の高橋治と植物写真のジャンルを確立した冨成忠夫のコラボによる『くさぐさの花』、内容を見てみよう。

「夏」の章で「カンナ」、冒頭は次の一句。

夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり    三橋鷹女

 

千葉県成田の人。この句、新羅万象我慢ならぬことには、敢然と立ち向

かう心意気と読める。(中略)

気性の烈しい女性を見ると私はカンナを思い出すが、花言葉に情熱、堅

実な生き方とある。まさに千葉産の女である。そのせいではないだろうが、

鷹女にはカンナの秀句が多い。

ちなみに著者・高橋治も千葉県の出身。“千葉産”の女、三橋鷹女の写真を見ると、平成、令和の時代では見かけない、ぞくっとするほどの、細面の美人である。

この本ではカンナは夏の章に出てくるが季語としては秋。

 

もうひとつ行ってみよう。「朝顔」。

朝顔に島原ものの茶の湯かな

上田無腸、別号秋成、『雨月物語』の作者である。句からは仕事はうかが

えないが、廓(くるわ)の出という艶っぽさを花と茶の澄明感に添えてい

る。さすがは短編の名手の作。

朝顔は江戸(とくに末期)おびただしいほどの園芸新種が栽培される。それにしても、茶の湯に、朝顔の取り合わせがモダンではないか。この本で、著者がたびたび引用する森川許六の『百花譜』では、と。

『百花譜』の雑言。病気がちの美女が、夏の間も月の中二十日ほど頭痛鉢

巻で寝ていたところ、たまたま快晴で気分がよかったのか、薄化粧で姿を

見せたような花だ。持って廻っているが“いえている”ではないか。

と許六の“雑言”を喜んでいる。ここでいう、洒落に飛んだ、持って廻った“見立て”は、今日でも落語家の腕の見せどころでもあります。ところで朝顔の季語は、よく知られるように「秋」。

 

「くさぐさの花」、高橋治の四季折々の花随筆、そして、巻末の宮尾登美子による解説「一花一花に情い情調」でも記されているように「終わりに、写真が非常に正確でかつみずみずしく、思わず手をのばして触れたくなるような美しさ」という感想も、あらためて同感で、幾度も手に取りたくなる一冊である。

 

草木の歳時記、また季寄せは、数多く出版されているが、僕の記憶では、一番最初に手にしたのは、いまはない、社会思想社・現代教養文庫の松田修著『花の歳時記』であったと思う。大学の園芸学部、造園学科に入り、少しは草花のことも知っておかなければ、と思ったのだろう。

花の歳時記 著:松田 修

花の歳時記 著:松田 修

このころ、和歌はもちろん、俳句にも、ほとんど興味はなかった。江戸ものといえば。すでに宮尾しげをの川柳や江戸小咄し本、あるいは三田村鳶魚や正岡容の本は手にしていたものの、このころ、江戸東京懐古への憧れから一転、二十五人しかいない学科の中でもモダンジャズのコンポを結成しようと無謀な行動を始めていたからだ。

とはいえ、庭や植物のことは自分で選んだコースでもあり、興味や関心は抱き続けていた。松田修『花の歳時記』は、そんな学生時代に入手したはず。

ところが、この本を今回、久しぶりに手にして、奥付をチェックすると、初版は三十九年だが五十三年十一刷とある。五十三年なら三十六歳である。そうか! と思った。本文、ほとんどマーカーの跡もないし、フセンも四カ所歯科挟んでいない。つまり、この『花の歳時記』は、ぼくにとって後で改めて買った二代目だったのか。

と、まぁ、他人にとってはどうでもいいようなエピソードが、本と人との関係には生じる。

「はしがき」の宣言がいい。

「花の歳時記」は、和歌、俳句、詩、文学書、古典などをよむ人のため

解説した日本で初めての植物文学事典です。

「日本で初めての植物文学事典です」が堂々として気持ちいい。文庫本本文418頁、索引32頁のボリュームで収録されている植物の数一二五七。著者は1903年山形県生まれ。東京大学農学部卒。植物、とくに花に関する本を多く著している。

この本を手にして、ラインを引いた部分を見る。「アシビ」の項「この葉を食べると足がしびれるという」に赤線が引かれている。馬が食べると酔っぱらったようになるとか、馬酔木(あしび)。ちなみに、この「アシビ」(アセボともいう)では「吾が背子に吾が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり」(万葉集・巻一〇)が挙げられている。

「イタドリ(虎杖)」にもラインがある。築地の場外に、この名の寿司屋があって使い勝手がよく好きな店だった。築地の移転問題があってから、足が遠のいているが健在だろうか。それはともかく「虎杖」とも書いて「イタドリ」。由来はさまざまな説があるようだが、何か嬉しい漢字であり、和名である。紹介五句の中でラインが引かれているのが「虎杖の軒に出てをる芸者かな」(富安風生)の一句。今なら「虎杖や見上げて通る切り通し」(柏若)にもラインを引くだろう。

頁を繰っていくと切りもない。とくに昔手に入れて、ずっと本棚の片隅に置かれていた本を久しぶりに手にすると、寝ころびながらずっと頁をめくっていたい。しかし、先を急がねば。

 

ぼくの本棚に、写真をふんだんに掲載しての文庫判、全七巻の歳時記がある。朝日新聞社刊『吟行版 季寄せ草木花』。“吟行版”と銘打ったのは文庫判でハンディな本づくりをアピールする、ためだろう。七冊のうちの、夏[上]を手にする。〈選・監修〉中村草田男、〈写真〉冨成忠夫、〈解説〉本田正次。説得力のあるチーム編成。ここでも写真は冨成忠夫。この写真歳時記シリーズの特色はなにより植物学者に本田正次による解説。植物には、もともと中国由来の漢名、また、日本各地の異名、同名でありながら、まったくの異種があったりするが、これらについて丁寧にふれられている。

吟行版 季寄せ草木花 夏(上) 選・監修:中村草田男 写真:冨成忠夫 解説:本田正次

吟行版 季寄せ草木花 夏(上) 選・監修:中村草田男 写真:冨成忠夫 解説:本田正次

選の監修の中村草田男は、東大国文科の学生時代から虚子の「ホトトギス」に関わり、戦後昭和二十一年「萬緑」を創刊。この「萬緑」とはもちろん、

萬緑の中や吾子の歯生えそむる

から。この草田男の句で万緑が新たな季語として誕生する。一つの名句によって季語が生まれるという、有名な例の一つ。

もうひとつ草田男には、

降る雪や明治は遠くなりにけり

という、俳句をたしなまない人でも、よく知る代表句がある。ぼくなんかは、(まるで久保田万太郎の句みたいな)と思ってしまう。その作者が、この『季寄せ草木花』の巻末に「現代俳句と季語及び写生」という一文を寄せている。これが美しい写真を添えた一般読者のための植物歳時記には、ふさわしからぬ? 近代短歌と俳句に関わる評論であり、現代俳句への、厳しい提言となっている。

今日でも容易に入手できるものなので、関心のある人は、この文庫を入手してもらいたいが、ただ、結びに近い文章から引いておく。

現在の俳句界も、明治から百年を経て、あらたなる教養主義

に分解、分散化しているように思う。求道ゆえの偏りや硬直な

どを無くしてしまい、うぶうぶしいシロウト臭さなども無くし

てしまい、洗練された芸人(アー  チザン)がお互いに肩を

叩いて、その教養を誇り合って楽しむ、いわゆる「かるみ」の

世界になってきたように思う。

││この一節、なんか、この俳人に叱られているような気になってくる。マジだ。草田男は国文科の前は、もともと独逸文学科に入学、終戦後、あの桑原武夫による「俳句第二芸術論」が出たとき、堂々と正面切って反論したのはこの草田男という。

解説は││先の文章に続く次の三行で、この「解説」は言い終わっている。

そういうことであってはならず、文学を第一義的ないのち(傍

点)の道だと考え、「自然・自己一元の上に」絶対的なものを求

めて、まかり間違ったら死んでもいいという気持ちでいきたい

と思う。

桑原の「第二芸術論」への怒りが、あれから三十年以上たっても収まらぬか、あるいはまた、現代俳句に対する安易な姿勢を叱咤激励せずにはおれなかったか。この求道精神というか純度の高い情熱には、ぼくなど首をすくめてしまうが、貴重な提言だ。

なお、この『吟行版 季寄せ 草木花』は「春」(上・下)は山口誓子、「夏」(上・下)中村草田男、「秋」(上・下)は加藤楸邨、「冬」(上・下)は山口誓子の選・監修による。

 

植物写真をふんだんに使っての歳時記といえば、いま俳句界で一番よく知られた人、あの夏井いつき先生が「この図鑑で、名も知らぬ植物が『出会いたい』季語に変わる!」と帯で推薦する『俳句でつかう季語の植物図鑑』(遠藤若狭男[監修]2019年・山川出版者刊)がある。

俳句でつかう季語の植物図鑑 監修:遠藤若狭男 編:『俳句でつかう季語の植物図鑑』編集委員会

俳句でつかう季語の植物図鑑 監修:遠藤若狭男 編:『俳句でつかう季語の植物図鑑』編集委員会

ページを開くと、すぐにこの図鑑歳時記の使勝手の良さが伝わってくる。草木一種(見出し季語)が一ページか半ページに収められ、季語の下に傍題と、その読み、植物の種類、花期、名前の由来などがとても読みやすくレイアウトされている。

監修者の遠藤若狭男は鷹羽狩行に師事、『狩』同人、多くの句集や俳句評論集を持つ。例句は、主に現代俳句が多く、初心の人にも理解されやすい句を選んだ配慮がうかがえる。

また、いわゆる文人俳句も取り上げられ、たとえば、ぼくが敬愛する室生犀星の句が取り上げられたりして、つい嬉しくなる。たとえば「菫」(すみれ)の季題では、

うすぐもり都のすみれ咲きにけり

あるいは「桜桃の花」(おうとうのはな)では、

さくらごは二つつながり居りにけり

と、平明な句風。そういえば犀星の代表作は「杏っ子」であり、『庭をつくる人』というタイトルの随筆集がある。また、薄っぺらい造本の『犀星発句集』も入手にしているが、いま手元に見当たらない。ぼくのなかで犀星の句といったら、まずは、「あんずあまそうなひとはねむそうな」である。とにかく、犀星は植物、庭、そして俳句には縁、浅からぬ文人なのだ。

ところで監修者自身の例句に接して、ぼくはちょっとした“邪推”をしてしまった。季語は「薔薇」(ばら)、若狭男の例句は、

薔薇圓のすべての薔薇を捧げたし

││うーむ、この句は漱石の、

あるほどの菊投げ入れよ棺の中

を、思い起こしてしまう。よく知られるように、この句は親交の深かった美貌の女流歌人・大塚楠緒子(くすおこ)が三十五歳で亡くなったときの追悼句。

さらに連想と言えば、この句はまた、加藤登紀子が歌った「百万本のバラ」も頭に浮かんでしまう。

といったことなどに心が遊ぶのも、この季語図鑑の編集が見ていて、とても快いからではないだろうか。

ここで取り上げられる草木、約400種、季語約1400というのだから、存分にありがたい。俳句に親しむ人はもちろん、日本の植物とそれに関わる言葉に関心のある人のためのビジュアルなガイドブックでもある。

 

 

 

 

季語道楽(41)一寸寄り道歳時記・季語集  坂崎重盛

  • 2020年9月11日 16:48

あるテーマに特化した歳時記・季語集を巡ってきたが、そろそろ、いわゆるオーソドックスな歳時記の世界を訪ねて、大団円としたい。と、思ったすぐあとに(まてよ、いわゆる“食”をテーマとした歳時記にふれてなかったな)と。気がついた。

歳時記の本丸に攻め入る前に、行きがけの駄賃、食関連の歳時記をサラッと撫でてゆきたい。本棚を眺める。おやっ、こんな文庫本が目に入ってしまった。ちょっとだけ寄り道をさせていただく。『山の歳時記』(岡田日郎・編 昭和五十年 現代教養文庫)。

山の俳句歳時記 編:岡田日郎

山の俳句歳時記 編:岡田日郎

つい先日、八月十日は祝日で、これが「山の日」だったという。そんな祝日なんて、あったんだぁ、という思いがするが2016年1月の改正祝日法で新設されたという。本来は八月十一日と決まっていたのだが、オリンピックの都合で十日となったという。

なんか、せっかく新たに設けられたのに、日をズラされたりして気の毒な気がしてくる「山の日」。そんなことはともかく『山の俳句歳時記』を開いてみる。序文は水原秋桜子、タイトルには「清浄感に満ちた俳句歳時記」。引用、紹介する。

大正時代から昭和時代の初めにかけて、真に山を愛し、名作

を多く残したのは、前田普羅氏一人だけだと思うが、現代では

山を愛して四季の別なく登山をくり返している俳句作家はおそ

らく十指を屈するほどあるだろう。

とし、

本書の著者岡田日郎君とその師福田蓼汀君とは、そういう人

びとの中にあっても特に清浄な感じを人に与える作家だと

思う。

この秋桜子の「特に清浄な感じ」という言葉が、この『山の俳句歳時記』にふさわしい。山に接し、山に登る人のイメージが禁欲的、かつロマンティズムを感じさせるのだ。

若いころ、友人たちを見ていて、大きく二つのタイプに分かれることを知った。夏休みなどのとき、海へ遊びに行く派か、山へ行く派か。「海へ行く派」はどちらかというと軟派系というか、享楽的で海岸で女の子たちと知り合い、青春を無駄に謳歌するといったタイプ。

一方、「山派」は海派の連中よりも勉強ができストイックで品行方正、しかもロマンチストという、海派からしたら付き合いにくいタイプ。身につけるファッションも海派は流行に敏感で、いわゆるオシャレ。対する山派は質実剛健、あるいは優等生的正統派。

われわれ下町育ちの悪たれどもは、圧倒的に海派が多く(たまには低い山に登ったりもしたが)、山派のロマンチストの雰囲気を陰で笑ったりしていた。

山派といえば、僕らが若いころ、戦後はやった山派の唄のいくつかを思い出す。

ダークダックスが歌ってヒットした「山男の歌」(恥ずかしい歌詞だ)。「アルプス一万尺」、うたごえ喫茶などでさかんに歌われた甘、あまな「山の娘ロザリア」。もう少し古いところでは「山の人気者」、「山小屋のともしび」などなど(歌の題名は記憶違いがあるかもしれません)。『山の俳句歳時記』を手にしていたら、ダメな我らが青春の日々を懐かしく思い出してしまった。

 

山派の、しかも山の俳句の世界は、そんなチャラチャラしたものではない。本格的な登山が厳しい姿勢を要求されるように、峻厳な山岳やその自然に対する人の句は凛としたものになる。

草刈が入りてかへらず登山径    前田普羅

髭白きまで山を攀ぢ何を得し    福田蓼汀

北アルプス七月おぼろ月夜かな   岡田日郎

水原秋桜子の序文にあるように、俳句界では、山の句といったら、まずは前田普羅であり、福田蓼汀は、この書の著者岡田日郎の師である。

著名な作家の句も拾ってみよう。

火の山の裾に夏帽振る別れ    高浜虚子

強力ののそりと昼寝より立てり  能村登四郎

念力のゆるめば死ぬる大暑かな  村上鬼城

夏山を統べて槍ヶ岳真蒼なり   水原秋桜子

夏の季題から拾ったが、もちろん植物や動物を読んだ句も収録されている。たとえば、高山植物といえば、まずこの「駒草」。

駒草に石なだれ山匂い立つ     河東碧梧桐

駒草に落石一つ渦の風わたる    高田貴霜

「日光黄菅(きすげ)」では、

日光黄菅とその名覚えてまた霧へ  加藤楸邨

きすげ野や暗き至仏は西の方    豊田みち子

小動物にも当然出会う。「沢蟹、山蟹」。

さびしさの極みの赤き蟹つまむ   石谷秀子

沢蟹の死を見てのぼる山淋し    平岩武一

「斑猫、道おしえ」。ハンミョウは美しい甲虫で、人の行く先をピョンピョンと飛ぶので「道おしえ」ともいう。

道おしへ我は墓場に行くにあらず  横山萬花

斑猫の飛びて馬籠の坂嶮し     所 山花

山の魚といったら「山女(やまめ)」と「岩魚(いわな)」だろう。

錆落とす山女魚なりけむ水の翳   篠田悌二郎

穂高真ッ向ふにして岩魚釣     石橋辰之助

こうして『山の歳時記』に収録の句を書き写していると、ちょっと、この都会の猛暑を忘れる気分になってくる。すでに記したように、この小歳時記の刊行は昭和五十年、このころはまだ一般の日本人が各地の山に強い関心を持ち、登山もブームの一つとして人気を保っていたのだろう。日本人の多くがロマンチストだったことの証かもしれない。

 

『山の歳時記』も、かなり特殊な歳時記だが、自然をテーマにしたものには、自分は入手しなかったが『海の歳時記』や『雲の歳時記』といった書を神保町で見かけた覚えがある。ジャンル別の歳時記のしんがりに『食の歳時記』の存在に軽くふれておこう。

歌人の塚本邦雄『味覚歳時記 木の実、草の実篇』(昭和五十九年 角川選書)。著者の名と繊細でリアルな装画に惹かれて、即入手したはずだが、残念ながら今回のテーマとは一致しない。確かに歳時記ではあるが、例句ではなく、短歌が掲げられているから。

であるから、内容の一部でも紹介することは差しひかえて、一人でひそかに豊潤な塚本ワールドを楽しむことにする。

こちらは、ちゃんとした句のある歳時記。箱入りながら文庫サイズの『味覚歳時記』(大野雑草子篇 1997年 博友社刊)。著者は一九三二年愛知県の生まれ。「ホトトギス」同人。俳句、俳句評論の他に陶芸や工芸の分野での活動もある。すでに紹介した『俳句外来語事典』の他、『俳句用語用例事典』のシリーズ(「味覚」「住居」「ファッション」「気象」「海洋」などと)を執筆。味覚歳時記 大野雑草子 編

 

夏の季語から自分の好きな食べ物をチェックしてゆく。「穴子」。

観能を中座してきし穴子めし    伊藤白潮

魚河岸の女等午後を穴子割く    大石よし子

「観能を中座」が初心者では、なかなかできませんね。歌舞伎も同様。こういうときの穴子めしはまた格別でしょうね。軽くビールかお銚子を一本つけたりして。

「烏賊(いか)」いきましょう。

沖漬けの烏賊は輪切りに地酒くむ  宮前苑子

この作者、女性ながら、かなりいける口ですね。頼もしいし、いかにも旨そう。

烏賊そうめんダイアカットの鉢に盛る 石川慶子

イカそうめんの透明感とダイアカットの器が涼しげ。すりおろした山葵でツルツルと。冷酒に合います。

烏賊干して出雲神話の古港     樹生まさゆき

旅先での一景でしょう。旅館の膳に乗ったら旅情はいやますことでしょう。

植物系もいってみよう。「胡瓜(きゅうり)揉み」。

好き嫌いなき子に育ち胡瓜もみ   嶋田麻耶子

胡瓜もむ旅の前夜はみなやさし   久保田慶子

胡瓜もみ母の酢加減想ひ出す    鈴木喜勝

胡瓜もみという食べ物のありようだろうか、平凡な日常を大切にする句が挙げられている。

︱︱と紹介していったらキリもない。ただ言えるのは、食べ物の句は読んでいて、嬉しくなってしまう句が少なくない。食は人間の幸の源泉であり、また、人と人を結びつけ、人への思いの縁しとなる。

 

もう一冊、歳時記を並べてある一番端に、いつのころからか屹立しているのが、いわゆる大歳時記サイズの『味覚の歳時記』(昭和六十一年 講談社刊)。美麗な写真満載、編は講談社ではあるが、執筆陣が俳人、歌人、詩人、ナチュラリスト、食評論家などを動員。

味覚の歳時記 編:講談社

味覚の歳時記 編:講談社

例句を多く挙げる歳時記というよりは、食の解説と写真で構成された図鑑の趣き。机の上で広げてページを来るのは楽しいが、とにかく手にするには重く、めったに利用することがない。

重厚長大の豪華歳時記も、つい買い揃えたくなるが、自分の趣味としては、巨木のしだれ桜のような豪勢な巻ではなく、小さな菫のように小体な歳時記や季寄せは、いっそう好ましく感じるものである。

 

さて次回からは、各一流出版社が、社の威信をかけて、あるいは俳人、俳句評論家が自らの誇りをかけて編集あるいは監修した、いわゆるオーソドックスな歳時記の揃い踏みを拝観することとしたい。いざ、いよいよ本丸へ。

季語道楽(39)隠れ歳時記の自在さ(その2) 坂崎重盛

  • 2020年8月5日 16:05

“死”と“笑い”の歳時記

 

前回、太宰治、久保田万太郎の忌日が、夏の季題になっていることにちょっとだけふれて、先に進んでしまった。市販の一般的な季寄せや歳時記を手にする人なら周知のことながら、巻末の「付録」の項目の中に「年中行事一覧」や「二十四節気表」などとともに、歴史上の人物、著名文化人、作家、俳人等の亡くなった日“忌日”の一覧表が掲載されている。(本によっては「宗教」の項目の中にあるものも)その人の“忌日”が、そのまま季語になったわけである。

ところで、ふと思い出して、本棚の俳句関連の本をチェックすると、ありました! 文学者の忌日だけを収録したものが。佐川章『文学忌歳時記』(一九八二年・創林社)

文学忌歳時記 著:佐川 章

文学忌歳時記 著:佐川 章

著者の佐川章(さがわ・あきら)は、ぼくにとって初の名だが、略歴によると一九四一年茨城県生まれ。法務省を経て、この本を出した時点では都立紅葉川高校で国語の教諭。論文として「長塚節の『家意識』に関する一考察」「太宰治『津軽』考」がある。

この『文学忌歳時記』(ハードカバー、204ページ)の概要だが、例によって、本を手にして帯を熟読する。その著作のあらましを紹介するときに、その本づくりを担当した編集者(ときには著者自身)が文案を考え、作成した帯の文を引用するというのは、いかにも安易なことのように思われるかもしれないが、同じく本づくりをしてきた人間としては、まったく、そうは思わない。

帯の文章は、そんなに軽々しいものではない。そこには著作の執筆における真意、本全体の構想、力説したい部分などや、編集者、出版社側としては読者にどうにか手に取ってもらい、購読してもらいたい、という気持ちがつづられているのだ。

まあ、オーバーにいえば帯(腰巻きともいう)は“切れば血の出る切実なコピーである、”とぼくは思っている。ということで『文学忌歳時記』の帯を見てみよう。表①では、

樋口一葉から向田邦子まで、今は亡き代表的文学者二六五名の、

死因、最後の言葉、縁故者の回想、墓所などを、死亡月日別に

網羅した初の本格的点鬼簿。(付∕主要文学忌案内、埋葬墓地一覧・

死因ベスト五五他)

とあり、表④帯には、

 

ぶっ倒れても、

ペンと紙は忘れるな、

地べたの上で、血でもって、

豆のような字で、

書きつづけろ。

 

みんなそうして書いて、

書いて、

みんなそうして、

死んだのだ。

(高見順「自らに与える詩」より)

 

と、作家・高見順の言葉を引用、掲載している。では、本文を見てみよう。例えば八月の項。

8月2日 三富朽葉忌。

“天才象徴詩人”。大正6年(一九一七年)のこの日、友人の

今井白楊(詩人)と千葉県犬吠埼君ケ浜で遊泳中、溺れた白

楊を助けようとしてともに波にのまれ溺死。二十八歳。死亡

時刻、午後2時。

8月3日 吉田健一忌

評論家・英文学者・小説家。昭和五十二年(一九七七年)

のこの日、東京・新宿区払方町の自宅で肺炎による心臓衰弱

により死亡。六十六歳。死亡時刻、午後6時0分。(中略)

墓・横浜市久保山の光明寺。

この二人の忌日の記載の少々特異なところは、死因や埋葬されている墓地名はともかく死亡時刻までも言及しているところである。そして、もうひとつ、忌の歳時記とはいえ、生まれ年や生地についてはほとんど触れていない。その人が何年生まれだったのを知りたければ、死亡年から年齢を引かなければならない。

もうひとつ興味深かったのは、帯にも記されていた「文人死因ベスト5」。もちろん、この本の出版された一九八〇年頃までのことになろうが、第1位は癌、2位は結核、3位は自殺、4位は肺炎、5位は脳出血となっている。ここで目にとまるのは3位の自殺。これによって、かつて文学は、自らの命を賭した格闘だったことがうかがえる。

その他、「夭折の文人一覧」「長寿を保った文人」「文人二世一覧」など他の忌日記では、あまり目にしないデータも掲載されている。

ただ、惜しむらくは、“歳時記”をタイトルとしてうたいながら、その忌日に因んだ例句が一切掲げられていないことである。

たとえば、他の歳時記では芥川龍之介の「河童忌(かっぱき)」(「我鬼忌」とも)では、

河童忌の庭石暗き雨夜かな     内田百閒

河童忌や河童のかづく秋の花    久保田万太郎

河童忌や表紙の紺も手ずれけり   小島政二郎

娼婦来てベッドに坐る我鬼忌かな  角川春樹

といった印象ぶかい句が紹介されている。(角川春樹編 『合本現代俳句歳時記』一九九八年 角川春樹事務所)

つまり、佐川章による、この『文学忌歳時記』は、文学者の“死の博物誌”に近く、俳味のある歳時記とは無縁というところが少々もの足りない。ただ「あとがき」にあるように、「取材からはじまって脱稿するまで二年の歳月を要し」、取材した文学者は遺族の方々をはじめ「二百六十余人を数えた」という労作である。

 

さて、次に控えている歳時記は、矢野誠一『落語︱︱長屋の四季』(昭和四七年・読売新聞社刊)。ぼくが手にしているのは、ハードカバーの元本だが、のち『落語歳時記』と改題。和田誠のカバー画による文春文庫が入手しやすい。

落語 長屋の四季 著:矢野誠一

落語 長屋の四季 著:矢野誠一

では「死」のあとに「笑い」の歳時記を、ちょっとのぞいてみたい。例えば、いまの季節、「夏」の章では「酔豆腐」「鰻の幇間」「船徳」「洒落小町」「大山詣り」といった落語の演題とともに「短夜」「蚊帳」「暑さ」「祭」「川開き」「井戸替え」といった季題が並ぶ。

自らも俳号・徳三郎として俳句に親しむ(銀座の歴史あるタウン誌「銀座百点」の「銀座百点句会」の席で、何度かお目にかかっている)、いま、落語、講談など古典芸能ものを書かせたら随一といわれる、この粋人の粋筆を味わってみよう。

にしても、ご自身の俳号を、色男の代名詞みたいな、「「徳三郎」とするあたり、さすが洒落がキツイ方ではある。

矢野誠一の『落語——長屋の四季』の夏の章。ぼくも子供のころから聞いていて、馴染みぶかい『酢豆腐』。これが季語の「短夜」と付けられている。

冷蔵庫などなかった時代は、豆腐なども夜の短い夏の季節、一晩でダメになってしまう。そこで季題は「短夜」。「甘酒」が夏の季語であることはふれたはずだが、かつては「一夜酒(ひとよざけ)」といった。夏の時期は、やはり一晩米麹が甘酒となるからだ。

ところが“酢豆腐”――甘酒はショウガなどをすって美味しい飲み物となるが、すえて酸っぱくなった“酢豆腐”なんて、もちろん、食べられたものではない。これを、かねてから気障(きざ)と思われている少々浮世離れした若旦那の知ったかぶりにつけ込んで食べさせてしまおうという噺。

ぼくは八代目文楽・黒門町の師匠で聞いていた。文楽演ずる気障な若旦那、町内の若い連中から見れば、鼻持ちならない存在ではあったとしても、演じる文楽の人柄だろうか、さほど嫌味な人物ではなく、むしろ、こんな人物が町内に一人くらいいたほうが、罪のない話題のタネになるという、印象を受けた。

知ったかぶりをしたために、カビが生えて腐りかかった豆腐を食べざるをえなくなった若旦那は、気障と思われても、むしろ世間知らずのお人好しという、愛すべき、とまでは言わないにしても、同情に値するキャラクターなのだ。

この落語の存在があって、国語辞典に「酢豆腐」という言葉が載り、「知ったかぶりをする人、きいたふう、半可通」などと解説されている。

著者は「酢豆腐」をめぐって、それこそ「酢豆腐」を地で行った国語辞典の説明や、この演目の東西のバリエーション、改作などを紹介、季語「短夜」として、次の四句を紹介している。

みじか夜や金商人の高いびき     正岡子規

薄化粧して短夜の女客        𣘺本静雨

明易き夜の夢にみしものを羞(は)ず 日野草城

短夜のあけゆく水の匂ひかな     久保田万太郎

子規の句は、現実に、どこかの旅の宿で体験したことか、いや、小説の一シーンから? 三句目の草城は、ここでも女人(新妻?)にこだわる。「羞(は)ず」なんて言ってますが、本気で羞じてなんかいません。いわば、ノロケているんです、夢の中のことまで。

次の万太郎の句は、「水の匂ひ」で、いかにも点が入りそうな句。それにしても繊細な感覚ですね、あの蟻のような微小な筆跡同様。さすが「湯豆腐や命のはてのうすあかり」「鮟鱇も我が身の業も煮ゆるかな」の作者。

「短夜」といえば、他の雑誌で永井荷風の世界を“理系感覚の人”の営みと見立てての連載をスタートさせたが、毎回、荷風作品のタイトルを読み込んだ句を小見出しがわりに作っている。次号は『問わずがたりに』ふれたので、「短夜や問わず語りの杯二つ」という駄句を掲げた。

 

さて隅田川、夏の噺となれば『船徳』。これもまた黒門町の師匠の持ちネタ。ダメな若旦那を演じさせたら、やはりこの人でしょうね。

噺はポンと、「四万六千日、お暑いさかりでございます。」で、この季節と舞台を浮かび上がらせる。季語はもちろん「四万六千日」、浅草観音で「鬼灯市(ほうずきいち)」が開かれる。

矢野大人の解説から、

落語という芸は、ぎりぎりに煮つめられた、言葉の選択がなされている

ところに、魅力がある。余分な、わずらわしい表現を嫌うのである。その

へんに、同じ話芸でありながら、この芸が、講談や浪曲とは明確な一線を

画している理由がひそんでいる。

と、落語という芸の特質にふれたあと、

そうした、無駄のない、見事な手法がこの『船徳』の、

「四万六千日、お暑いさかりでございます」

という、原稿用紙にしてたった一行におさまる言葉による、あざやかな

場面転換にうかがえる。

という。そして挙げられる句は、「四万六千日」といったら、まず、この句。久保田万太郎の、

四萬六千日の暑さとはなりにけり

そしてもう一句は、悪徳と欲望の人間関係を描いたら、この女流作家・山崎豊子の、

四万六千日の善女の一人われ

自分を「善女」と言う、意外なほどの無邪気さがあったのですね、この作家には。

二句だけでは、ちょっと寂しいので、他の歳時記から引く。

炎立つ四万六千日の大香炉       水原秋桜子

鬼灯市に遭いし人の名うかび来ず    石田波郷

鬼灯市夕風のたつところかな      岸田稚魚

三句目は、夕方となって、やっと境内で売られる鬼灯の葉や実がゆれる風がわたる、猛暑の中の涼の気配をとらえている。

 

『鰻の幇間』は、世間ずれしているはずの野幇間(のだいこ)(略して“ノダ”)が、旦那とおぼしき人物(?)から「うなぎ」をネタに、ひどい目に合う、という、聞いていて、笑いつつも(悪どいなぁ、こいつは!)とあきれた気持ちにさせられる噺。

と、詳しく紹介したいところでは、ありますが――「おあとがよろしいようで」――。

誠一旦那の次の歳時記本に移りたいので。

この著者の︱︱『志ん生のいる風景』『戸板康二の歳月』『文人たちの寄席』『大正百話』『三遊亭円朝の明治』『荷風の誤植』と言った著作は、タイトルを知ったと同時に入手している。

ところで、先の“落語歳時記”と並んで、同じ著者によるもう一冊、『芝居歳時記』(平成七年・青蛙房刊)についても少しふれておきたい。「初芝居で酔うて顔見世を心待ち」——春なら『道成寺』、冬には『夕鶴』。芝居にだって旬はある︱︱と帯に。

芝居歳時記 著:矢野誠一

芝居歳時記 著:矢野誠一

例によって、この原稿を書いている季節の「夏の部」を見てみよう。ところで、今年の梅雨、なかなか明けなくて、コロナははびこるし、部屋は湿っけるし、手書きゆえの原稿用紙も文章も、なにやら湿りがち。

まっ、そんなことはどうでもいい。目次をざっと眺める。著者と違って芝居通ではないので知らない演目もある。まずは、おなじみのところで、『東海道四谷怪談』。季語は「蚊帳」、もちろん夏。

旅の温泉宿で「よかったら、蚊帳をお吊りしましょうか。久しぶりに蚊帳を吊って寝たいなんてお客様もいらっしゃるんですよ」と旅館の人に言われた著者は、“蚊帳の季節には少しばかりはずれていたので”と「ご遠慮」して惜しいことをしたと後悔した、と記したあとに、

わが影の身を起こしたる蚊帳の裡(うち)  山口誓子

「なんて気分を味わってみるのも悪くなかったはずである」

と述懐している。

仮にですよ、このとき、仮にですけど、著者がお忍びの女性連れだったら、どうだったかしら。

いいじゃないですか! 色っぽくて、蚊帳! でも、女中さんの手前、下心が見透かされそうでと、やっぱり「けっこうです」とか断ったかもしれませんねぇ。ぼくだったらそんなスチュエーションの場合、根が素直なものだから「はい、喜んで」とか、どこかの居酒屋の店員さんみたいな応えをしただろうなぁ。

そう、話は「東海道四谷怪談」

蚊帳を舞台の小道具として効果的に使った芝居として、すぐ

に思い浮かぶのが『東海道四谷怪談』。ご存知鶴屋南北の名作で

ある。この芝居のハイライトというべき、雑司ヶ谷の民谷伊右

衛門の浪宅の場面で上手に蚊帳が吊ってある。

この蚊帳は質草のためにはずされてしまうのだが……ここからが、ご存知、毒薬で変貌してゆくお岩のコワーイ怪談話となる。

矢野氏、この怪談、あまりにも有名ということもあってか、「昨今の質屋さん、こんなものでも預かってくれるのかしら」とさらっと収めて、

濡れ髪を蚊帳くぐるとき低くする   𣘺本多佳子

旅の蚊帳書架すれすれに吊られたる  稲柴 直

の二句を掲げている。

 

夏の季節なので、もう一つ怪談で行ってみよう。こちらもおなじみ『牡丹燈籠』。もちろん三遊亭円朝の作。

もとは中国、明の時代の怪奇小説『剪燈新話』。これを、日本の仮名草子『伽婢子(おとぎぼうこ)』がうつしかえ『牡丹燈籠』としたものを、圓朝が自身の見聞なども交えて怪談話として高座にかけたという。このあたりのウンチクは高座での“マクラ”で語られたりすることもある。

ところで、この圓朝の『牡丹燈籠』の聞き書き本(速記本・明治十七年刊)が、当時のベストセラーとなる。江戸の戯作文より、さらに話し言葉に近い言文一致の文体ここにはじまる、ということは日本近代文学史的には、かなり有名な話。

著者は、

いまさら幽霊でもという時代だが、いやそんな時代ならこそ、

夏は怪談がふさわしい。

とし、牡丹を季語とする三句を挙げている。

夜の色に沈みゆくなり大牡丹    高野素十

あしたより大地乾ける牡丹かな   原 石鼎

黒髪を男刈りせり牡丹咲く     殿村莵絲子(としこ)

三句目の「黒髪を……」の句がちょっと気になるが、深追いせず。

 

和物の演目ばかりではない。「競馬」は季語としては「くらべうま」で夏の季語。というのは、毎年五月五日、京都・賀茂神社では、五穀豊穣、国家安寧を祈る神事として「賀茂競馬」が行われる。また、今日、全国競馬ファンが手に汗にぎるダービーも、五月末の日曜日開催のため、当然、夏の季語とされている。この本の演目では、「競馬」は賀茂神社の「くらべうま」でも日本のダービーでもなく、本場イギリス、アスコット競馬場での『マイ・フェア・レディ』である。ご存知のごとく、オードリー・ヘップバーン主演で大ヒット、その後、日本の舞台にも。しかし、紹介の三句はいずれも「くらべうま」

くらべ馬おくれし一騎あけれなり    正岡子規

競べ馬一騎遊びてはじまらず      高浜虚子

競べ馬賀茂の川風樹々縫いて      日高曲人

因みに手元の『俳句外来語事典』(大野雑草子編・博友社刊)のダービーの項をチェックしてみると、

ダービーの蹄駆け来るラジオの中    富永寒四郎

銀座雑踏ダービーに湧く群れもゐて   河野南睦

の二句があった。

もう一つ、洋物で『ベルサイユのばら』。で季語は「巴里祭」。一七八九年七月十四日は、パリの市民がバスチーユ監獄を襲撃フランス革命の幕が開く。この歴史上の事件を背景に、漫画家・池田理代子が『ベルサイユのばら』を発表、それを宝塚歌劇団が舞台に上げ、空前の「ベルばらブーム」が起きる。

澪パセリ廚にひかり巴里祭       大町 糺

濡れて来し少女が匂う巴里祭      能村登四郎

巴里祭や神父の草の赤ワイン      戸板康二

と、さすがに三句ともハイカラな雰囲気。

以上、『芝居歳時記』から夏の季語とその演目を四つばかりピックアップしてみたが、はたして春夏秋冬、全部で何項目について語られているのか? 目次で数えてみた。七十二項目。つまり七十二の季語と、それに関わる七十二の演目。

この矢野誠一旦那の、いつものことながら、たっぷり時間と体験を積み重ねてきた人ならではの大盤振る舞いの随筆的歳時記の一冊である。

 

 

 

 

季語道楽(38)”隠れ歳時記”の自在さを楽しむ(1)坂崎重盛

  • 2020年7月29日 14:22

「歳時記」とは銘打つものの、単なる随想、エッセイ集だったりする本も、まま、あるが、一方、エッセイ集かなと思いつつも手に取ってみると、これが、きちんと四季折々の句が添えられていて、歳時記のバリエーションとして、無視できないこともある。いわば“隠れ歳時記”。

こういう事情は、目録やインターネット上での紹介ではなかなか、そこまではわかりにくいだろう。手に取って、本を開いてチェックするしかない。また、このように街を歩き、書店や古本屋さんの棚の前に立たずみ、本と接するアナログ感というんですか、身体感が、漁書の楽しみ、醍醐味でもあるでしょう。

手元にある、二、三例を挙げてみた。

 

  • 『やじうま歳時記』(ひろさちや著・平成六年 文藝春秋・平成九年 文春文庫・刊)

    やじうま歳時記 著:ひろさちや

    やじうま歳時記 著:ひろさちや

まず、失礼ながらこのタイトルで本が出版されたというのが、今日の出版事

情を知るぼくなどにとっては驚きである。刊行は1994年、二十六年前。もちろん著者に固定ファンがいたということでもあるだろうが、まだまだ出版界にパワーがあったということだろう。

閑話休題、今のその『やじうま歳時記』を読む。例によって、今の季節の章を開く。——夏——。扉には「夏はただ昼寝むしろに夜の月 成美」 とある。

「成美」とは、もちろん夏目成美(せいび)のこと。江戸後期の俳人で、五代目井筒屋八郎衛門という浅草の札差、今日でいう金融業の人でありながら粋人として、また生涯、小林一茶(一茶より十四歳ほど年長)を援助しつづけたことでも知られる。

この『やじうま歳時記』の章扉の「夏はただ昼寝むしろに夜の月」も商人らしからぬ(いや、だからこそか)小ざっぱりした好ましい句だが、さらに「のちの月葡萄の核のくもりかな」「魚くふて口なまぐさし昼の雪」といった、ほのかに優艶ともいえる印象的な句も残している。

 

いきなり夏見成美に寄り道したが、『やじうま歳時記』の本文を訪ねる。

面白い。たとえば「紅一点」と題する項。「紅一点」という言葉はもちろん誰もが知る日常語だが、その「紅」について語られる。

女性に対してのたとえとされる、その「紅」とは? 紅梅ではなく、バラ? でもなく牡丹、芍薬でもない、

となると︱︱その紅とは、中国宋代の詩人、王安石を引きつつ、柘榴(ざくろ)の花という。

一説にインド、(この場合は印度と書いた方が感じが出るか)、原産とされるザクロ、punica granatumの花は、ご存知のように初めて口紅をぬった乙女の、くちびるのように紅い。

王安石の「詠石榴詩」の、これも知る人多き「万緑叢中紅一点︱︱」が出どころ。この紅き柘榴の花の季語は仲夏。

五月雨にぬれてやあかき花柘榴    野坡

さあ来いと大口明けしざくろかな   一茶

花は夏、実は秋の季語としても、この紹介の二句、ぼくだったら、感じはわかるけど、いや、わかりすぎるから、取りませんね。

 

「鮎(あゆ)」の項。この字が中国ではナマズを指すことを導入として、話はすぐにアイナメとなる。表記には「鮎魚女」あるいは「鮎並」とされるらしい。

さらに話は横スベリして、アイナメが「魚偏に“69”と表記するのだそうだ」と、不審なことを記している。で、“六九”より「 “69”にしたほうがいいですね」と、おっしゃる。ああ、例のシックス・ナインか、とガクッ! とくる。

この『やじうま歳時記』、“目うろこ”のウンチクが語られると思えば、所々に、かくのごとき色っぽいサービスもある。

気をとりなおして、「名月」の項を見てみよう。ここで掲げられるのは、まず芭蕉の、

名月や池をめぐりて夜もすがら

これに対して、「江國滋氏は、芭蕉でさえこの程度の句しか読めないのか、と慨嘆しておられたが」とあり、「たしかにそうだ。むしろ其角の、

名月や畳の上に松の影

のほうがいい」とおっしゃっている。

う〜む。芭蕉の「名月や〜」の句、当然、“名月を句にするために「夜もすがら」苦吟したと思うのがあたりまえだろう”が、別の考えだってなくはない。

この五七五だけで、他の情報がまったくないとすれば、名月の下、池をめぐって、男と女(もちろん男と男、女と女でもいい)、月の光を浴びながら、何ごとかを語り合い、一晩中、池をめぐり歩いてもいいわけでしょう。つまり、恋の句でもいいわけだ。

ついでに、著者にほめられた其角の句だが「名月や畳の上に松の影」って、ちょっとした浮世絵にありそうな絵柄。それこそ“月並み”じゃありません?

って、ツッコミを入れますが、そんなことまで書きたくなるくらい、この『やじうま歳時記』は読んでいて楽しい。「夏」の部で他の本に移ろうと思っていたのが止められず「秋」の部「名月」から「熱燗」「年惜しむ」といった「冬」の部まで読みつづけ、コロナ下の自室で一日を過ごしてしまった次第。

 

そうこうしてはいられない、次の『美酒佳肴の歳時記』(森下賢一・一九九一年徳間書店刊)をざっと見よう。

美酒佳肴の歳時記 著:森下賢一

美酒佳肴の歳時記 著:森下賢一

ところが、これが困ったことにまた力作で面白く、じつにためになる。

ぼくの記憶ではこの『美酒佳肴の歳時記』の著者、森下賢一氏とは、二、三度しかお会いしたことがないと思う。ただ少なくとも一回は、よく記憶している。それは、浅草の類さん(吉田)の句会に呼ばれてのことだったから。

もう二回は、それよりも前、たしか誰かのイベントかトークショウか何かの時だったのでは。

もちろん氏の名は存じあげていた。外国文学に通じ、銀座をはじめとして洋酒やBarに精通しているお方。こちらは、居酒屋での安酒と、ちょいとしたアテがあれば満足で、スコッチやカクテルなど、あまり普段は呑まないほうで、いわゆる守備範囲が異なるで、きちんとは話したことがない。

ただ、この森下氏が、いわゆる“洋物文化”ばかりではなく、俳句に対しても関心をもっていて、類さんの誘いではあったにしても、こういう素人中心の句会に顔を出すご仁であることに、意外な感を抱いたことである。類さんの交友範囲の広さ、深さを再認識するとともに、森下氏のフットワークの軽るさを知ることとなった。

 

その森下氏の「浅く酌み低く唱! 四季折々の酒と肴をうたって今日も酔う」と帯にコピーのある、つまりは“浅酌低唱“『美酒佳肴の歳時記』。

「春の章」から始まるが、本文に入るまえに「あとがき」をのぞいてみたい。まず、冒頭の書き出し、

「歳時記に聞きて冬至のはかりごとーー松本たかし」という句があるが、

歳時記には、たんに俳句の季節の説明や例句が並んでいる、俳人のための

参考書ではなく、日本的なライフ・スタイルのガイドブックのような一面

をあわせもつ。(中略)人生の大きなたのしみである飲食についても、人は

歳時記を読んで、自分がこの人生でまだ見逃している、ひじょうに多くの

飲み物、食べ物や、その飲み方、食べ方、味わい方があることを知ること

ができる。

と、この、酒と肴に特化した歳時記を自己紹介、そして俳聖・芭蕉にも酒の句は多いとしながら、

俳句とは、花鳥風月とか、神社仏閣などを、きれいごとで詠むだけのもの

でなく、酒を飲みながらでも、また、悪酔いしながら、二日酔いに苦しみ

ながらでも、作り、鑑賞出来るものであることを知ってもらえれば、ぼく

として、これ以上に嬉しいことはない。

と、酒飲み俳人ならではの、心強い(?)決意表明をしていらっしゃる。

 

本文を拾い読みしつつ、夏の「ビール」の項に至る。ここで著者は、ビールについてのうんちく(傍点)を傾ける。日本におけるビールの歴史と、その製法と味の限られた特長。さらに、ベルギー、ドイツ、イギリス、アメリカ、オランダ、さらにメキシコやフィリピン、タイといった世界のビールをガイドする。ちょっとしたビール事典の一項目。(これは歳時記かぁ?)といった力の入れようなのだ。

そして、その後に挙げられる例句の量もまた、特大ジョッキなみにたっぷり。数えてみたら六十二句あった。すべて書きうつす、気持ちも、気力もない。失礼ながら選句するつもりで、これはと思う句に・印をつけてみたら十一句になった。さらにふるい落として六句をえらんでみた。行きます!

やうやくに目処のつきたる麦酒かな    西山 誠

なんの技巧も見せぬようでいて、ビール好きには共感がわく。仕事に区切りがついて、仲間とでも、ひとりだとしても、「お疲れさま!」と杯をほす。こういう一見、素直な句を作るのは力量がいる。

ビールほろ苦し女傑になりきれず     桂信子

ビールと「女傑になりきれず」の妙。

大ジョッキ奢りし方が早く酔ふ      田川飛旅子

川柳風味のユーモアというか、なるほど! という“うがち”がある。俳号の「飛旅子」は本名の「博」から。

ビール酌む共に女の幸知らず       風間ゆき

ほろ苦い味の句だが、「共に」と一人ぎめしてよかったのだろうか? ことによると相手の女性は密かに「幸」あったりして。

生ビール運ぶ蝶ネクタイ曲げて      池田秀水

いかにも繁盛しているビアホールの一景。黒い蝶ネクタイを見るだけで、ビールが1・5倍は美味くなる。ビアホールの句では「天井が高くて古きビヤホール」も捨てがたかった。二句とも銀座七丁目の「ライオン」を思い出させてくれます。

うそばかりいふ男らとビール飲む     岡本眸

この句は、どこで見たのか、前から知っていて、ぼくのメモでは「嘘ばかりつく男らとビール飲む」とある。まあ、どちらにせよ、慣れた技巧で作ろうとして作れる句ではない。「男ら」と複数型が効いていますね。しかも、作者の世間智というか、したたかな社会的経験をうかがわせる。「男ら」は彼女に見すかされています。

と、ビール六句中、三句が女性の句だったのに、自分でもちょっとびっくり。森下氏の挙げた六十四句の中には、石田波郷、大野林火、久保田万太郎、山口誓子、石原八束、石塚友二、山口青邨、石川桂郎、楠本憲吉、富安風生、日野草城、平畑静塔等々、錚々たる俳人の名がならぶが、ぼくの選んだのは以上の六句でした。日本酒ならともかく、ビールはあまり好みじゃないのでは? という句や、ビールの、その世界を避けての苦しい句も見られ、なかなか興味深かった。

ビールという、あまりに身近かでイメージがかなり定着してしまっている題は、取り組みやすいようで、意外と難しいのかもしれない。一度、自分も参加している仲間うち句会の兼題で出してみようかな。

 

もう一つ二つ夏の季語から見てみよう。

「蛍」。

先日、仕事部屋近くの小さな酒場で、「蛍狩りをしてきた」というママの話を聞いて「えっ、もう蛍が出るの?」聞いてしまった。ぼくの、旅先での記憶やイメージでは、梅雨時のいまごろではなく、夏休みの真夏の頃のはずだった。

ところが、ママの話によると、この時期に見られるのは、大型のゲンジボタル。その一カ月ほどあとあたりから初秋頃まで飛んでいるのが小型のヘイケボタルという。ホタルに二種の名があることは知っていたが、出る時期や大きさが違うとは、このとき初めて知った。

森下氏の解説にも、もちろん、このことはもっとくわしくふれられている。九月の末の頃まで生きているヘイケボタルは「秋の虫」ともいうらしい。

このあと、夜の銀座通りの森下氏ならではの一行。

今も銀座に出る虫売りは、秋の虫に先立ち、六月にホタルを売る。

と記す。はたして、最近も銀座ではホタルは売っているのだろうか。ちなみにこの本は一九九一年に刊行されている。いまから二〇年ほど前だ。

それはともかく森下氏、「蛍」で六句を例句としている。句だけ転記する。

ほたる見や船頭酔ておぼつかな     芭蕉

蛍火やある夜女は深酔いし       鈴木真砂女

蛍籠酔ひたる父の息かかる       新谷瑠璃

蛍の川酔いのこる脚ひたしけり     後藤隆介

蛍狩一火もみずに酔ひにけり      藤中 和

蛍飛ぶ酔ひたる闇の旅路かな      遠藤帆碗

なるほどなぁ。こう書きうつしていると、蛍と酔うは、よく似合う。

 

夏の季語で「万太郎忌」も「桜桃忌」も挙げられている。例句についてひと言ふたこと言い添えたいが、きりもないので、毛色の変わったところで七月十四日、「パリ祭」。

ここでも、パリ祭についての解説の後半、銀座の話が出てくる。

戦前のパリを知る芸術家や、パリに憧れるインテリなどが、パリ祭と称し

て、銀座などの酒場で騒いだり、クラブやキャバレーが客寄せのイベント

として「パリ祭」を行ったりした。

「汝が胸の谷間の汗や巴里祭 楠本憲吉」は、酒場の冷房の性能もイマイ

チだったその頃の、その日本版パリ祭を詠んだ憲吉畢生の名作。

と楠本氏の句を絶賛。

例句は次の二句。

巴里祭の灯を背に酔語らちもなし    志摩芳次郎

酔えば唄う一曲ありぬ巴里祭      河野閑子

いやぁ、いまでもいるんですよ。パリ祭という言葉を聞いたら、すぐにシャンソンの、二、三曲を大声で唄う、横浜出身、船旅好きの元編集者の友人が。「浅酌低唱」にあらず「深酌暴唱」。彼の前で「パリ祭」「ナポリ」「ファド」という言葉は禁句です。

 

パリ大学で学び、銀座と酒と俳句に親しんだ森下氏は、2013年、八十一歳で亡くなりました。もっとお話をうかがっておけばよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

季語道楽(37)柴田宵曲『古句を観る』  坂崎重盛

  • 2020年6月25日 15:44

柴田宵曲『古句を観る』の「後編」ーー『古句を観る』の内容の“こく”

 

このエッセー自体が遊歩人(©文源庫)たるぼくの文章は路地、横町への寄り道が大好きなのだが、好もしい人、柴田宵曲に戻ろう。

俳句界の大巨人とも、魔人ともいえる、あの高浜虚子のもとで、俳誌「ホトトギス」の編集を担いながらも、虚子とはまるで正反対のような生き方をした人。

「権勢に近づかず人に知られることを求めず一生を終えた」「だが残された書は人柄と博識ぶりを伝え」(岩波文庫『古句を観る』表紙より)「決して声高に語ることのなかった柴田宵曲。その文章には常に節度と品格が湛えられている」(岩波文庫『随筆集 団扇の画』表紙より)——と語られる柴田宵曲の仕事『古句を観る』がまたシブい。

古句を観る 著:柴田宵曲

古句を観る 著:柴田宵曲

すでに前回、少し紹介したように、この書、内容は歳時記の構成をとるが、例句が、芭蕉の周辺の人々ではあっても、今日、ほとんどその名を知られない俳人の句が挙げられる。ま、言ってしまえば無名(現代のわれわれにとっては)。

芭蕉、蕪村、其角、嵐雪、去来あたりの句ならば多少は見当がつくとしても、まるで知らない俳人の句など見てもなぁ、と思いつつページをめくってゆくと、自分の浅はかな心得ちがいに、すぐ気づかされる。

著者・宵曲によって挙げられている例句が、じつに魅力的なのだ。しかも、江戸時代の作というのに現代でも、まったく違和感なく味わえる。それどころか、(この句は本当に江戸時代に作られたの? 現代俳人の作品じゃないの?)と思いたくなるような句も少なくない。例によって、この原稿を書いている、いまの季節、「夏」の章から見てみよう。まず、冒頭の一句。

湯殿(ゆどの)出る若葉の上の月夜かな    李千

スッ、と分かりやすい句じゃないですか。この若葉の季節、どこかの温泉にでも行って湯上がりの、仲間との句会ででも出てきそうな句。

この句に対して著者は、

爽快な句である。湯上がりの若葉月夜などは、考えただけでもいい気持

ちがする。(中略)湯殿を出た人はそのまま庭に立って、若葉に照る月のさ

やかな光を仰いでいるのである。

と、この句の気持ちよさを認めている。その後で句の内容ではなく、この作者の号・李千(りせん)がときに、同じ音の「里仙」になっていることにもふれ、他の俳人の例として「珍碩」(ちんせき)が「珍夕」、「曲翠」(きょくすい)が「曲水」などと「同音別字を用いた例はいくらでもある」と、これは今日とは異なる江戸時代ならではの慣行をも伝えてくれる。

もう少し見てみよう。季題は「牡丹」。

薄紙はひかりをもらす牡丹かな    急候

この句の解説に、宵曲の地力、というか長年の蓄積をうかがわせる。本文から引用する。

子規居士の『牡丹句録』の中に「薄様に花包みある牡丹かな」という句

があった。これも同じような場合の句であろう。「ひかり」というのは赫奕

(かくえき)たる牡丹の形容で、同じく子規居士に「一輪の牡丹かがやく

病間かな」という句があり、

と、牡丹の花の存在を言い表わす言葉として「ひかり」「かがやく」があることが、示される。初学のこちらとしては、ありがたい知識を得ることになる。続けて、今度は同じく子規の短歌が掲げられる。

「いたつきに病みふせるわが枕辺に牡丹の花のい照りかがやく」「くれなゐ

の光をはなつから草の牡丹の花は花のおほぎみ」などという歌もある。

蛇足ながら「いたつき」とは古語で「骨をおる」とか「病気する」「世話をする」という意味。次歌の「おほぎみ」は「大君」で、「王」や「王女」で、ここでは牡丹なので当然「王女」だろう。

宵曲は子規の二つの短歌を引いて、先の江戸の急候の句について、牡丹に「ひかり」という強い形容詞を用いたのは、この時代の句として注目に値するけれども」と評価しつつも、子規の歌の「い照りかがやく」「光をはなつ」の方が、「その形容の積極的に強い点からいえば、まさっている」としている。

さらに、「言葉の側からいうと、元禄の句がやや力の乏しいのは、必ずしもこの句に限ったわけではない」とし、試みとして二句と虚子の句を挙げる。(それも、三句とも「牡丹に雨雲」という共通項を選んで。さりげない所作だが、このへんが宵曲の知識量の凄みというか余裕というか)

雨雲のしばらくさます牡丹かな    白獅

方百里雨雲よせぬ牡丹かな      蕉杜

雨雲の下りてはつゝむ牡丹かな    虚子

そして、この一文の最後に、かなり色っぽい句が紹介される。

美しき人の帯せぬ牡丹かな    四睡

ただし誤解してはいけない。これは、牡丹そのものが、帯をしてない美人に見立てたものと思われる、と解説される。(なるほど、牡丹の、あの花のつきようは「帯せぬ美人」か!)と合点されることとなるのだ。

 

もうひとつ、敗戦後に幼少期だったぼくたち世代には懐かしい「蚊帳」の季語の俳句。子供にとって、蚊の出る季節になって、蚊帳(家では蚊屋と言っていた)をつるのは楽しいイベントであった。もちろん、子供の我々は実際には、何の役にも立たないのだが、ただ金の輪を持って部屋の隅で立っているだけで、自分の役割りを全うできた気がして、十分、満足だったのだ。

ずっと忘れていたけど懐かしいなぁ、蚊帳吊り。

つり初めて蚊帳面白き月夜かな    言水(ごんすい)

一夜、二夜蚊帳めずらしき匂かな   春武

ぼくたちの子供のころ、家の蚊帳に二種類あり、白い柔らかな生地(上等の麻?)のものと、少しゴアゴアした緑色の“普及版”。この緑色のほうは、寝汗などかくと顔に染料なんかうつって、笑われたりした。春武の句は多分、その、緑色の蚊帳だと思う。蚊帳の「匂い」では、

つり初めて蚊帳の薫や二日程     花虫

の句が紹介されている。宵曲いわく、

花虫の句は一日二日の間、萌黄(もえぎ)の匂いを珍しく感ずるところを

詠んだのである。秋になって蚊帳を釣らなくなる時でさえ、「蚊帳の別れ」

だの「蚊帳の名残」だのという情趣を感ずる俳人が、釣り始めの蚊帳に対

して、普通人以上の感情を懐かぬはずはない。

と記している。

他の季節の句もパラパラと例句や宵曲の解説を拾い読みしているだけで、なにか、心と頭の中が、すうーっと広がってゆく気持ちになる。

深爪に風のさわるや今朝の秋    木因

はつ秋や青葉に見ゆる風の色    巨扇

桐苗の三葉ある内の一葉かな    己双

七夕(たなばた)や庭に水打日のあまり   りん

耳かきもつめたくなりぬ秋の風   地角

火熢からおもへば遠し硯紙     沙明

時雨るゝや古き軒端(のきば)の唐辛(とうがらし)  炉柴

挙げてゆけばキリもない。『古句を観る』、この岩波文庫によって、今日、ほとんど人に知られることのない俳文家の文(と文章からの人柄)に接することができる。

そうなんですよ、数多く出版されてきた俳書や近代俳句の流れを説く書でも、この宵曲にふれたものはほとんどない。

驚くべきは虚子や結社ホトトギスの歴史をテーマとした本でも、宵曲の顔は出て来ずだったりする。「俺が、俺が」「わたしが、わたしが」と自己をアピールすることがない人は、大声の中の小声、なきものと思われてしまうのが世の常とはいえ。

 

ところで自慢を少々。この間のコロナ騒動の、お上の「スティホーム」、「外出自粛」に素直に従って、不謹慎にも、自分にとって、これは「コロナバカンス」ととり、本の大整理、追加処分(本の処分は、いまや日常的ミッション)の好機と、勇躍、実践に励んだ。

その作業の中で、その柴田宵曲の豆本(タバコの箱より少し大きいサイズ)と、箱入り文庫判の限定本を取り出すことができた。

豆本(こうつう豆本)の方は『文学の東京散歩』(全三巻)。箱の貼り題簽は、切手代の銅版画に手彩色、絵柄は浅草ひょうたん池の脇に立つ、十二階。いいですねぇ、この雰囲気。奥付に「昭和五五年・特装版250部の内・第177号」とあり、ぼくの字で、エンピツでうすく2000、と記してある。ちょうど二十年前に入手したものらしい。

上段 煉瓦棟 近代文学覚え書 著:柴田宵曲 / 下段 文学・東京散歩 著:柴田宵曲

上段 煉瓦棟 近代文学覚え書 著:柴田宵曲
下段 文学・東京散歩 著:柴田宵曲

あちこちフセンが貼ってあるが、この豆本、『ぼくの おかしな おかしな ステッキ生活』にもステッキのことでチラッと登場している。

あとがきは「こうつう、豆本」の発行人の八木福次郎によるが、この中に、

柴田さんはよく東京の町を歩かれた。いつも和服に下駄ばきで、冬にな

ると、近頃は見ることも少ない二重まわしを着て歩かれた。

また、

本書の特装版の表紙の写真は、池上浩山人主宰「ももすもも」俳句文学

散歩第一回(昭和三十一年十二月二日)の時のもので、諏訪神社台地から

西日暮里方向に向かって立っておられる宵曲翁——

という一文に接し、出遊を愛した宵曲居士のーー散歩中の貴重な一ショットをじっくり見つめていたとき、その“二重まわし”(トンビとも言った)スタイルの小さなシルエットにステッキの影がわずかに写っているではありませんか! 喜び勇んでわがステッキ文物コレクションの一つとした次第。かつては散歩の伴にはステッキが“鉄則”だったんです。介護用じゃなく。

煉瓦棟 近代文学覚え書 著:柴田宵曲

煉瓦棟 近代文学覚え書 著:柴田宵曲

さて、もう一冊の文庫本サイズの函入り限定本。タイトルは『煉瓦塔』。サブタイトルとして「近代文学覚え書き」。発行は日本古書通信社。昭和四十一年刊。五百部限定発行のうち三五。98/10とエンピツで記されている。二二年前だ。さきの「こつう 豆本」の“こつう”は、古書通信社の“こつう”というわけ。

豪華本というものではない。しかし小判ながら、なんとも美しい本だ。装丁がが、“明治懐古”といったら、この人、木版画家の川上澄生によるレンガ塔の絵柄。小口は天金。タイトルは子規の「市中の山の茂りや連歌塔」に由来するという。本文は先の豆本同様、ほとんどが一ページにも満たない一口話。これがまた、古老の昔ばなしを聞く心地がして嬉しい。

ペラ一枚ほど(二〇〇字)の文章だが、この一カ所だけでも、どうしても引用、紹介したい。題は「露店」

「梵雲庵雑話」によると、明治初年の浅草見附あたりの露店では、錦絵を

選り取り一枚一銭で売って居った。その中には写楽の雲母摺なども慥かに

まじっていたゐたそうである。「本の話」(三村竹清)には天草版の「伊曽

保物語」を神田新石町の露店で見かけたが、それは大沼枕山に買われてし

まった、といふ話が書いてある。吾々はこの種の話を決して謔だとは思わ

ぬ。たゞ少し時代が遠いので、暗中の選考を見るやうな感じがするだけで

ある。

と、まあ、これだけの話なのだが、この短い文章の中に登場する「梵雲庵雑話」「写楽の雲母摺」「三村竹清」「伊曽保物語」「大沼枕山」という文字を見るだけで、それこそ、遠く過ぎ去った過去の時間。「暗中の閃光を見るやうな感じがする」のだ。ディープな愛書家だったら、うおーっと声を上げるだろう(たとえば、この春急逝した坪内祐三さんだったら)

ところで、野暮を承知で記せば、署名、登場人物については興味があればぜひ、それぞれ検索していただくとして、「雲母刷」は「きらずり」と読みたいし、「伊曽保物語」は、あの「イソップ物語」である。どこか地方の温泉町の歴史本ではありません。

じつは、この『煉瓦塔』スペシャル・サプライズの“おまけ”がついていた。なんと宵曲大人の生原稿付!

封筒の印刷に、

「煉瓦塔」に著者の署名が入る筈のところ、御病気のためそれが出来なく

なりました。

「煉瓦塔」「紙人形」「漱石覚書き」の著者自筆原稿一編を添付して署名に

替えさせていただきます。

と発行者の言葉がある。宵曲の生原稿ですよ! これを自慢せずに、わがヨレヨレの俳句関連の雑文など書いていらりょか、という気持ち。もともとは柴田宵曲にさほどの関心のなかったはずのぼくが、なぜか二十年も前に、限定本を手に入れていたのかも不思議だし、自慢したい。

煉瓦棟 原稿

煉瓦棟 原稿

 

ところで、コロナバカンスの間、ほとんど連日、本の処分と整理の格闘を続けてきたのですが、その戦果は、やっと五分の、いや八分の一ほどかな。

お上や学者先生から言われなくっても、これから、このまま「コロナと共生したい」気分なんです。というのは、心おきなく本との、(心身ともにタフな作業ではあるが、心楽しいイベントが続けられるからである。

ただし、それで生活ができればーーという、いまさらながらの思い、と現実の、ジレンマはあるのですが。