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季語道楽(23)   坂崎重盛

  • 2019年9月9日 17:44

絶滅寸前の古季語との交歓

『古季語と遊ぶ』宇多喜代子(平成一九年八月 角川学芸出版)

ついには死語という扱いで歳時記から消えてゆく、解説がなけ
れば理解できない、(中略)それをもう一度、死語の淵から引き
上げて、かつて生きてその季語に即した暮らしをしていた人々
に近づいてみようと、古い暮らしに裏打ちされた季語を持ち寄
っての句会を始めたのです。(「あとがき」より)
俳人の宇多喜代子による『古季語と遊ぶ』の動機と目的は、この「あとがき」の中のひと言で明らかにされている。
かつて日本人の生き死にや、身のまわりの自然とともにあり、大切に扱われ磨きこまれてきた、かずかずの言葉が、生活や自然環境の変化(破壊)とともに消滅しかかっている。この状況を前にして、
歳時記からその一つ一つを抜きだして検分してみますと、何気
ないものが、いかに人々の暮らしのための重要な役目を担って
いたかがわかってくるのです。
という思いからスタート、この「古季語と遊ぶ」句会から生まれた即興句会のレポート、冒頭に出てきた古季語は「新年」の季の︱︱「氷様」。
「氷様」? もちろん、見たことも聞いたこともない季題だ。それに、どう読んでいいかもわからない。「こおりさま」? 「ひさま」? 「こおりよう」?……本文の解説をすぐに見るのは禁じてみる。とにかく、手近の合本歳時記などをチェックする、が出てない。では、件(くだん)のハンディな『難解季語辞典』では?
さすがです、ありました! ここでは「氷様奏」。「春」の季語で読みは「ひのためしそう」。
「元日の節に、宮内省から、昨年の氷室の収量、氷の厚薄、一昨年の増減などを奏し、あわせて氷様を天皇にご覧に入れた儀式」とあり例句として「君が徳これも厚きに氷の様(ひのためし)」政信(題林集)。
えーっ、知らなかったなぁ。しかも、元日、宮中で、そんなことを行っていたのですか! 氷室の厚さや量などをあらためたりとか……。興味津々。
そこで、ふと一冊の文庫本があったことを思い出し、本棚の年中行事関係のコーナーからひっぱり出す。『宮中歳時記』入江相政編(二〇〇二年、小学館刊)。入江相政は昭和天皇の侍従長。なにかの催事のとき昭和天皇が居眠りをしたので、天皇の足を蹴って起こしたというエピソードをもつ人物。(事の真偽は未確認)。入江日記は昭和史の第一級資料といわれている。この人の編による「宮中歳時記」だが、「氷様」は載っていなかった。あつかわれているのは主に昭和の御世の宮中行事らしい。
では、ということで、これも人(版元の)からいただいた鈴木棠三著『日本年中行事辞典』(角川小辞典十六 昭和五十二年一二月刊)を手にする。
出てましたねぇ。「歴奏(れきそう)」の付属項目として「氷様の奏(ひのためしのそう)」。「中古、元日節会に、、宮内省から去年の氷室(ひむろ)の氷の模様厚薄の寸法を奏上する儀式」で「氷が厚ければ豊年の兆しとし、薄ければ凶年と占う」。そして、「薄いときは氷池(ひいけ)の祭りという法会が行われる」、つまり凶を吉に変えてしまうというのだ。
そうか、「中古、元日節会に」とあるので、いつのころからか、この「氷様」は行われなくなったのだろう。

俳諧歳時記

俳諧歳時記

「氷様」︱︱この興味深い、儀式のあらましはわかった。しかし、ものはついでということもあり、ダメもとで平凡社の『俳句歳時記』の「新年」の項にも当たってみる。出てましたね。「氷様(ひのためし)」「氷様奏」。「元日節会(がんじつせちえ)」の傍題(副題)としてある。かなり満足。
ところで︱︱この「氷様」という季語に『古季語と遊ぶ』で初めてお目にかかったことにより、好奇心のまま各種歳時記、季語辞典(『難解季語辞典』も含む)、年中行事辞典、そして文庫本とはいえ『宮中歳時記』まで手に取り、ページをめくることとなった。たった一つの季語で、これだけの探索散歩ができる。これこそ、まさに古季語と遊ぶではないかと、調べごとに熱中して、原稿のなかなか進まないことに、自ら少々あきれつつ、納得したのでありました。
ずいぶん道草を食いましたが、宇多先生の本にやっと戻る。「氷様」の季語のあとにすぐ例句が紹介される。
縄尺をあてたてまつり氷様    西村和子
なるほど、これまで、あれこれ「氷様」の解説を見てきたので、この句はスッと理解できる。続く文章を読むと、宇多先生も「馴染みのものでもなければ、いまの歳時記に採用されている題でもない。なんと読むのか、それすらわからない」と、嬉しいことに、ぼく同様の困惑ぶり。しかし、続いてこの古季語の、きちんとした説明があり、
青檜葉のへばりつきたる氷様   大石悦子
氷様去年にまさる厚氷      宇多喜代子
といった、珍しい古季語にビビルことなく、身にひきよせて、この宮中儀式を見てきたような句にしている。恐るべし! 句を作る人たちの言語吸収力。
「新年」の古季語では、いくつもまったく初見の古季語が紹介されるが、中でも「ひめ始」は、とくに気になった。というのは、「姫始め」ならば江戸川柳の世界では、かなりおなじみのエロティックな言葉だから。
ただし古季語としては、本文でも紹介されるが、この「ひめ始」、「ヒメを飛馬として乗馬始とするとか」「ひめ糊の使用始めとするとか」いろいろ諸説あるようだ。宇多先生の、この句会では、「ひめ始」を「ひめ飯の食べ始める日」として出題している。「ひめ飯」とは「柔らかで、いまの七分粥程度であると察する」とし、例句として、
ひめ始米のとぼしき山国の   茨木和生
母刀自の差配したまうひめ始  大石悦子
を掲げて、「ひめ始」が、正月、吉日の特別な食の行事であったことを反映させている。
ただ……俳諧に近い江戸川柳も、品はあまりよろしくはないが、新年の風習としての一月二日の「姫始め」を重視している。この日は年の始めによい夢(初夢)を見るようにと枕の下に宝船を描いた刷り物を敷くことがあったが、この男女の「姫始め」(秘め始め)と宝船を川柳は、こう詠っている。
女房と乗り合いになる宝船
曲乗りはまず遠慮する宝船
宝船しわになるほど女房こぎ
という、おめでたい和事となり、それを年老いたしゅうと夫婦が理解を示しているのが次の一句。
やかましやするにしておけ姫始め
︱︱こうしてみると、川柳ならではの笑句(破礼句)ではあるが、これもまた人の営みのうちの正月の祝いごとの表現といえる。
ちなみの、正月二日、枕の下に敷く宝船は初詣の神社で配られることもあるが、向島百花園の茶店の売店で常に入手することができる。木版刷り様の隅田川七福神が描かれた宝船が素朴で好ましく、たびたび入手して人に差し上げたりしている。もちろん自分の分もストックしてあるが、これまで宝船の出番があったためしがない。空しく、ファイルの中で舫(もや)っているばかりである。
例によって「夏」の季も見てみたい。一読、いきなり、じつに面白い古季語が出てきた。︱︱「焦螟(しょうめい)」
「句座の誰もが見るのも聞くのも初めて」という。では、といことで頼りにしている平凡社の『俳句歳時記』をみる。ない。そーか……ならば、困ったときの『難解季語事典』で。ありましたねぇ、「蟭
螟(しょうめい)[夏]→かのまつげむし「蚊の睫(まつげ)に巣(す)をくう虫なりといふ。(中略)小き事たとへん方なき虫といへり。故に蚊の睫(まつげ)に集まり居るといへり」とあり
「「せうめいのはらわた探る荘子哉(かな)」其角(題林集)。
嬉しいですね、この『難解季語事典』。いつ買っておいたのかしら。それはともかく、この「焦螟」という虫が面白いじゃないですか。あの小さな蚊の睫に巣を作る虫、だなんて。ミクロの生態圏ですね。しかも、ここに挙げられた例句が、そんな小さな虫のはらわたを超俗派の元祖・荘子が探る︱︱というのですから、ナンセンスもここにきわまれり! さすが其角宗匠。
焦螟のあらましがわかったところで宇多先生の本文をあらためて読む。この虫(もちろん空想上の)、すでに清少納言『枕草子』に「大蔵卿正光という耳敏い人が蚊の睫(まつげ)の落ちる音を聞き取ってしまう」という逸話が出ているという。もともとは、中国戦国時代の道教経典の一つ「列子」の中の挿話らしい。それを江戸人の「蚊の睫に巣を作るんだったら、これは夏でしょ、だから季語は夏! という俳諧ならではの見立にしても脱帽する。
ところが、こんな珍奇な季語が、昭和九年の改造社版の『俳諧歳時記』に収録され、「目をねむって焦螟を見る学者かな」高浜虚子 の例句が紹介されているとのこと。
昭和九年? 虚子? 一冊の歳時記が頭の片隅で点滅する。ガサゴソと虚子の編による『改訂 新歳時記』(三省堂刊)を引っ張り出す。やはり奥付が昭和九年。もしやと思って「焦螟」を探したが、残念ながら無かった。
ならば、ということで岩波文庫『栞草』(馬琴編、青藍補、増補 俳諧歳時記)(二〇〇〇年十月刊)』を手に取る。ありました。「蟭螟(せうめい) 蚊の睫(まつげ)に巣くう虫なりといふ。[伝燈録]仰山洪思禅師に問ふ、如何(いか)に して見性(けんしょう)を得ん。師(し)の云、たとえば蟭螟虫(せうめいちゅう)の蚊の睫(まつげ)にありて巣を作るがごとし」︱︱そして下段の注に蟭螟=「焦螟」。「目に見ぬ鳥」の項参照とある。この原稿入稿のあと、ゲリラ豪雨の中、本置き場として借りている「散漫洞」に行き、昭和八年刊改造社版をひっぱり出してチェック。確かに「蟭螟」の項がありました。そこには前記の虚子の句のほかにもう一句、
蟭螟の目には見えぬ人の顔     雨謁人
が掲げられていました。
こうみてくると、この「焦螟」、成りは微少でもかつてはかなりメジャーな虫だったよう。しかし、こういう愛嬌のある(空想上とはいえ)生き物も世知辛い世となっては、すでに絶滅してしまったか。それを宇多先生の句座に、随分とお久しぶりに登場する。
焦螟のその睫毛にもさらに虫    辻田克巳
焦螟をきわめんという虫眼鏡    山本洋子
焦螟が乗り天秤のわれやまず    澁谷口道
と、いずれも諧謔の効いた即興句で応じている。
それにしても、本家の中国では、この「焦螟」という言葉、まだ生きているのでしょうか。この現代、日本でこの言葉を使って句を作っていることを知ったら、どう思うのでしょうか。
すごいですね。アジア全体の正倉院たる日本の文化装置と日本人の感性。そして、その一典型たる俳句と、その歳時記の世界。その中で、レッドリスト必須の季語を持ち寄り、味わい、楽しみ、ともに戯れてきたのが『古季語と遊ぶ』なのである。これは素晴らしいことではありませんか。
そしてまた、そういう死語に近い言葉、あるいはすでに死語となってしまったかつての日本語を季語として収録してきた歳時記も本当にすごい!

季語道楽(22)   坂崎重盛

  • 2019年9月9日 17:35

ちょっと変わった季語集・歳時記

◯『難解季語辞典』中村俊定監修・関森勝夫著(昭和五七年二月・東京堂出版刊 三二八頁)
夏井いつき先生の著書にふれた項で、すでにちょっと紹介した変わりだね季語辞典。この辞典で、たまたま遭遇した「従兄弟煮(いとこに)」という、いまでは珍しい季語をチェックでき、「いとこ煮」という季語の由来が「あづき、牛蒡、豆腐、芋、大根、焼き栗、くわいなど」を追い追いに煮てゆく、甥甥(おいおい)に煮る︱︱といったナゾナゾ、言葉遊びから発生したような季語であることを知った。また、このことが江戸の歳時記、滝沢馬琴・青藍による『俳諧歳時記栞草』(略して『栞草』に収録されていることも。
そこで改めて、この『難解季語辞典』を手に取り、ゆっくりとページをめくってみる。まずは、監修を担った中村俊定による「序」にあたる。冒頭から引用、紹介する。
古典俳諧を読む場合、もっとも不便を感ずるのは難解な季語
に出会った場合である。(中略)その季語がわからないかぎり一
句の鑑賞は不可能である。その多くは当時の年中行事や、故事
によって作られたもので、生活様式の変遷にともなって、用い
られなくなったものが大部分である。
とし、「普通の古語辞典では引けない俳諧特有の語」などを「一々典拠を求めて解明しようとしたのが本書である」と、この季語辞典の特色を説明し、「著者の関森勝夫氏は古俳諧の研究家であるが、また現代俳句の作者としても、長年大野林火氏に師事したベテランである」と著者のプロフィールを紹介、「関森氏はその最適任者として私は大いに期待するものである」と、この一文を閉じている。
そこで、監修者の中村俊定と著者の関森勝夫両氏の略歴を奥付他で確認する。中村俊定は明治三三年(一九〇〇年)の生まれ。早稲田大学卒業、同大学他教授。著書に『俳諧史の諸問題』『芭蕉七部集』等。一方、著者の関勝夫は昭和一二年(一九三七)生まれ、早稲田大学卒業、静岡県立大学名誉教授で『文人たちの句境』『近江蕉門俳句の鑑賞』『時季のたまもの︱︱季語35を解く』等。
こうしてみると監修者と著者は同じ早大の卒業生で三十二歳の年齢差があり 、中村は俳諧研究者。収集された俳書のコレクションを早稲田大学に寄贈「中村俊定文庫」となる。中村による『芭蕉俳句集』(岩波文庫)は今でも入手可能。また、著者の関森勝夫は中村の「序」にあるとおり、実作者として俳誌「浜」を創刊、主宰した俳人・大野林火に師事、複数冊の句集を持つ。
では、著者・関森勝夫による「はじめに」を見てみよう。「最近は俳句を作るための歳時記から、読むため、見て楽しむための歳時記に変化してきている」と、「百科事典のようなカラー図説の歳時記」の刊行にふれつつ「現代に合致するように季題が整理」されてしまい「現代では見られなくなった季題を大幅に削除してしまう傾向がある」と指摘。そして、「本書を編んだ意図」を訴える。引用したい。
衣食住の生活習慣が変化し、行事が廃止され、自然破壊によっ
動植物が消滅し、これらを代表する言葉が現代に通じなくなる
ことはあっても、過去幾多の人が関心を寄せて詠み、磨き上げ
た言葉や、蓄積した時間の構造物を私は見捨てられない。氷山
のごとく、海面下に隠れた文化の重さを尊重するからであり、
これを正しく理解することで、現代を生きる知恵ともなるであ
ろうと確信するからである。
と、この季語辞典編集の意図というか“志”を述べている。
本書の内容を、ざっと紹介すると、本門の他に「凡例」は当然のこと「引用文献解題」「四季別項目一覧(配列は五十音順)」「歳時記等解題」「俳人等忌日表」「季語異名一覧」「絵画字引」等が付されていて、江戸俳諧へのさらなる門戸が開かれていて、かつ、これら難季語の現代俳句での復活に供せられている。
この江戸時代に読まれた歳時記、文献探索とはほとんど無縁で、また、このような古い季語を用いての句作の機会がなかったので、この季語辞典をしっかり読んだ記憶はなかったのだが、小さな付箋がところどころに付いている。なにかのことで、本文の項目を引いた痕跡だ。
秋津虫 あきつむし [秋]とんぼの古名(以下略)  今は、この、秋津虫が「勝虫(かちむし)同様、蜻蛉(とんぼ)の異名であることは承知しているが、この時は知らなかったのだろう、付箋がつけられ、項目にラインが引かれている。
菖蒲酒 あやめざけ [夏] 菖蒲の根に約三センチ程に刻んだものに酒をつけ、五月五日の節句に飲む。邪気を払うといわれた。  この菖蒲酒のすぐ近くの菖蒲の枕(あやめのまくら)にも付箋が付いている。例句として「相伴に蚊もさわぐなりしょうぶ酒」一茶(八晩日記)
安居 あんご [夏] 寺院で、一定期間、僧達に外出を禁じ、購読や座禅に専念させることをいう。安居は夏を第一とした。この言葉にラインを引いたのは、もちろん坂口安吾の名が頭にあって。
しかし、「心安らかに暮らす」「安居」という言葉が、夏の季語というのはこの時初めて知った。例句「夏百日墨もゆがまぬこころかな」蕪村(蕪村句集)この句の「夏百日」は夏期に百日修行する「安居」のこと。
虎杖 いたどり [春] たで科の多年草本。春に宿根から芽を出す。噛むと酸い。茎は中空で節がある。葉は長卵形。煙草の代用とする。時珍本草に曰く。「杖はその茎をいひ、虎はその班をいふ」とあり、例句「虎杖や至来過ぎて餅につく」一茶(九番日記)この「虎杖」は、知らなければ読めない文字だろうが、築地の場外の寿司屋で「虎杖」という店があって、その名で覚えていた。また、ステッキのコレクションをしているので「杖」の字に反応したのかもしれない。
虎杖競 いたどりくらべの季語もあり。
他に、稲の殿 いねのとの [秋] 稲妻の異名。ただし雷(かみなり、いかづち・はたはた神)は夏。隠君子 いんくんし [秋] 菊の異名。白朮花
うけらがはな[夏]菊科の多年草本。蒼朮を焚く そうじゅつをたく あるいは卯杖 うづえ[春]
中古、正月の卯の日に、桃、椿、梅などの木を五尺三寸(約一六〇センチ)に切り、三本または四本を一木として天皇、皇后、東宮、中宮に大学寮・衛府から奉ったもの。年中の悪鬼を避けるといわれた。これなども「杖」に関連した季語としてチェックしていたようだ。等々とかつての日本文化のあれこれになんとも好奇心を刺激される辞典である。まさに座右の一巻。
◯『俳句難読語辞典』 宗田安正(二〇〇三年一一月 学習研究社刊 二六六頁)

難読語辞典

難読語辞典

手帳サイズのハンディな、難読と思われる俳句関連の言葉を収録した初心者向けの俳句辞典。監修者・宗田安正による「はじめに」には「たとえば、礁(いくり)、溶岩(ラバ)、瞑(めつむ)る、簷(のき)といった語も一般のどれだけの人が読み、理解できるであろうか」とあり、この小辞典が「難読語・難語の類を集め、意味と例句を付し、さらに読めない漢字は総画字引から調べられるよう配慮したもの」。
例によって、すでにラインの引いてある項目をチェックする。まず「気象」関連から。秋黴雨(あきついり)秋秋入梅とも。秋の長雨。秋霖。「夕景のやゝに明るく秋黴雨」柴田白葉女、「秋黴雨咳(しわぶき)落し家を出て」角川源義。
糸遊(いという) 春 かげろう。「糸遊をみてゐて何も見てゐずや」斎藤玄、「糸遊へ誘われたまふ仏かな」澤木欣一。
海市(かいし) 春 蜃気楼。「海市立つ噴ける未来のてりかへし」加藤郁乎 「海市消ゆ恍惚として子守唄」八木三日女。
虎が雨(とらがあめ) 夏 陰暦五月二八日の雨。曽我兄弟の兄十郎の愛人・虎御前の涙雨による。「家にゐることの珍し虎が雨」宇多喜代子 「グラビアにピカソの背中虎が雨」皆吉司 などなど、難読語、難季語が収録されているが、例句のほとんどが現代俳人によるのが、 読んでいて楽しいし、親しみやすい。
紹介すると、きりがないのでこのくらいにするが、[虎が雨]の例句作者、宇多喜代子の名が出たので、次回は、難季語に関連する彼女の著作『古季語と遊ぶ』からさらに、手元の、変わり種、俳句辞典を紹介したい。

季語道楽(21)   坂崎重盛

  • 2019年9月9日 17:17

ゼツメツキゴシュウ(絶滅季語集)を楽しむ

夏井いつき先生の『絶滅寸前季語辞典』の本文をさらに覗いてみよう。「歌詠鳥(うたよみどり)」が「鶯」の副題(別の呼び名)であったり、「貝寄風(かいよせ)」が陰暦二月二十日前後に吹く西風のことであったり、「風信子」がヒヤシンスの別名、などと、それこそ「クイズ雑学選手権」の問題に出そうなことがどんどん紹介される。
しかも、それら絶滅寸前季語の解説が、いつき先生ならではの頓智の効いた(この、とんち、という言葉も、ほとんど死語? 人の口から、この言葉を聞いたが、まったくない。戦後、NHKの放送で『とんち教室』という超人気のバラエティ番組がありました。また、筑摩書房から、この「頓智」という言葉を雑誌名にした出版物がありましたが……)軽妙なエッセイとなっているのである。
例えば「風信子」の項では、季は初春、植物、の注があり「ヒヤシンス」の別名、の後に、こんな文章が続く。紹介させていただきます。
『大歳時記』には、「風信子」「夜香蘭(やこうらん)」「錦百合
(にしきゆり)」が副題として載っている。こうやって見ている
と、植物系季語における和名とのギャップは、なかなか面白い
問題だ。
そんななかで、「風信子」という和名は、楚々としたヒヤシン
スのイメージをかすかに引き継いであるように思え、ワタクシ
的好感度は高かった。
と、ここまでは、かなりまともな感想。しかし、続く一文がなつき先生の本領、というか地が出て、ついニンマリさせられる。
が、自作の一句「遺失物係の窓のヒヤシンス」を「遺失物係
の窓の風信子」と置き換えてみたら、風に吹かれて迷子になっ
た妖怪・子泣きジジイが窓口に座っているような気がして、な
んだかガッカリ。
例えが凄いですよ。「風に吹かれて迷子になった妖怪・子泣きジジイ」なんて。水木しげるの、あのキャラクターを読者が先刻承知のもの、と大胆にも判断しての表現なのだ。
(わかる人にはわかってもらえる、わからぬ人はそれはそれでいい)という俳句の世界の人ならではの、フットワークの効いた、また思い切りのいい俳諧精神の発露の文と言えるでしょう。
で、最後に、
泣き虫のわけを知ってる風信子   夏井いつき
と、なにやら可愛い句で、この一文をしめている。
だいたい本文全体が、こんな感じのユーモラスにしてエスプリに富んだ解説文なのだが、今の季節は夏なので、その季語をチェックしてみよう。
「安達太郎(あだちたろう)が「雲の峰」の副題で積乱雲の異名で、坂東太郎、丹波太郎、比古太郎も同様という。「妹背鳥(いもせどり)は「時鳥(ほととぎす)」の異名とのこと。「時鳥」が「ほととぎす」であることは知ってはいたけど「妹背鳥」などという雅(みやび)な別名をもっていることは知らなかったなぁ。それにしても「ほととぎす」は、あれこれ別の名で表されますよねぇ。正岡子規の「子規」は結核で血を吐いたことから「泣いて血を吐く子規(ほととぎす)から子規と号したといわれるし、「不如帰(ふじょき・ほととぎす)」は徳富蘆花の人気小説で、そのタイトルによって一般の人たちにも「不如帰」の文字が知られるようになった。
この物語の「あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ!千年も万年も生きたいわ!」という、結核を病む悲劇の女主人公・浪子の吐くセリフはなぜか子供ごころにも記憶があった。
浪さんのセリフはさておき、この「ほととぎす」︱︱「杜鵑」「杜宇」「蜀魂」「田鵑」「沓手鳥」「霍公鳥」などと表記されるかなりメンドウな季語なのだ。さらに、その非道で“犯罪的”ともいえる子育ての生態(杔卵)を知ると、ほととぎすを憎む人がいても不思議ではない。(興味のある人は「托卵」についてチェックしてみてください)。
「霍乱(かくらん)」というのも妙な雰囲気の季語だ。季は「晩夏」。
「暑気中(しょきあたり)、食中毒によって起こる、吐いたり下したりする症状の総称」とある。簡単に言ってしまえば今日の「急性胃腸カタル」が一般的だがコレラや「日射病」をも「霍乱」といっていたという。と、なると最近取りざたされている「熱中症」なんかもふくまれるのかしら。
この「霍乱」、ぼくなどは「鬼の霍乱(おにのかくらん)」という言葉で頭の中に入っている。「ふだんは鬼のように丈夫な人が病気になること」とおもって、近況報告の手紙などで、季節にかかわらず、体調を崩したときなど、自嘲気味にこの言葉を使ったりしていたが、正しくはなつ、それも晩夏限定の言葉だったのですね。知らなかったなぁ。
もうひとつ、その実態を知って、つい笑ってしまったのが「土瓶割(どびんわり)」。なんだぁ、この季語は? しかも「夏」でしょう? これが実は「尺取虫」の異名という。あの妙な動きをする尺取虫をなぜ「土瓶割」などというのか? その理由が笑えるのだ。
あの尺取虫、じっと木の枝の途中などで静止しているときは、色といい、ピンと張った形といい、まるで細い枝、そっくり! その細い枝の擬態に、そそっかしいのが土瓶を掛けようとし、当然、土瓶は落ちて割れてしまう││から、「土瓶割」という次第。
落語的見当世界のオカシサですね。そこで思い出したのが季語ではないが、「半鐘泥棒」。これは、やたらと背の高い人を、からかって、こう呼んだりした。背があまりに高いので火の見櫓の鐘を盗める、という見立て。かつては、こんな言葉そびの世界が生活の中で生きていたのですね。
「土瓶割」、イッパツで覚えた「夏」の季語となりました。
以上は『絶滅寸前季語辞典』からの紹介だが、この続刊と言える『絶滅危急季語辞典』も見てみよう。こちらも「夏」の季語をチェックする。「牛の舌」が魚の「舌鮃(したびらめ)」、「金砧雲(かなとこぐも)」が「雲の峰」同様の「積乱雲」、「高野聖(こうやひじり)」が、なんと水の中に棲む凶暴な昆虫のタガメ、「こころぶと」は「心太」と書いて「ところてん」などと、こちらも難解季語や珍季語が列挙されているが、ぼくが好きなのは「三尺寝(さんじゃくね)」「昼寝」の副題という。もちろん、これも知らなかった。夏の日足が三尺(約九〇センチ)動くあいだほどの昼間の短い眠り、というわけ。なんか粋ですね、たとえの表現が。
心中のやうに愚妻と三尺寝    徳永逸夫
という例句も「心中のやうに」という言葉がかえってユーモアというか、心ゆるした夫婦のおだやかな関係を伝えてくる。
「夏の霜」もきれいな季語だ。これは「夏の月」の副題。「月の光が地上を照らしている夜景を、霜が降りたと見立てたもの」とある。「夏の霜」という季題そのものが、すでに装飾的な言葉なので、いつき先生は「危険性」があって「近づきたくない」といいつつ、
夏の霜いま林立の摩天楼
という、ブロードウェイのミュージカルの一シーンのような情景の句を添えている。
「はたた神」の「はたた」は「霹靂(へきれき)」とかかれ「晴天の霹靂」、つまり「雷」の副題なのだが、いつき先生はここで、高校時代の憧れの先輩との出会いと、この「はたた神」、つまり「雷」との遭遇によって、その淡い(というか、たった二日の)小さな恋は、あえなくも幕を閉じたことを、オモシロオカシク回想している。で、先生の例句が、
はたた神には恋してはなるまいぞ
などと、もう、全文紹介したいくらいなのだが、それではまるで完全パクリになってしまうので、このくらいにしておこう。上・下巻二冊、ご自身で入手して楽しんで下さい。
と、下巻の『絶滅危急季語辞典』のページを閉じて、ふとカバーの帯のコピーに目が行った。「アレも季語 これも……季語?」とだけある。(うん⁉︎ ハハーンこれは、多分、あの歌詞のパロディか! いや絶対そうだ)と勝手に確信した。
もう四十年ほど前? 松坂慶子がテレビドラマの中で妖艶なタイツ姿で歌った「愛の水中花」(五木寛之先生作詞!)の「🎵あれも愛 これも愛」という一節。ま、どうでもいいことですが、いつき先生の文章に接していると、頭脳が妙な活性化を示し、あらぬことに神経が反応する。
ところで、いつき先生の著書を楽しんでいるとき、「週刊朝日」の人気連載、林真理子の「マリコのゲストコレクション」につい最近、夏井いつき先生がゲストとして登場、林真理子とのトークを披露していた。(二〇一九年五月二四日号)
例の「プレバト」の俳句コーナーのことを中心に、いつき先生の俳句への思いが、あの、飾らぬ口調で語られる。「あんなヘタクソな句を添削したことがないんです(笑)」「梅沢さんは、向こうが突っかかってくるから、払わないわけにはいかないので」「俳句はつくることも楽しいけど、読み解くことが楽しいんですよ」「ポケット歳時記」を持っている生活と、持っていない生活は「ぜんぜん違いますよね」(etc)
いやー、いつき先生の、人間力そして、俳句への愛、素晴らしいですよね。そして、古来より俳諧の重要な根幹のひとつ、自由と遊びの精神!
その、いつき先生が、今日のようにブレークする二十年近く前から、俳句を楽しむための活動から結実した『絶滅寸前季語辞典』、『絶滅寸前季語辞典』、快著にして、怪著、いや疑いなく名著であると確信するのです。
いやー、買っててよかった!

次回は、これまた、不思議な歳時記、季語辞典、季語集の類をズラリと紹介したい。たとえば沖縄の俳句歳時記ですよ。いやいや、沖縄どころにではなく、ハワイ歳時記もあるんです。しかも、かなり立派な造本の。

季語道楽(20)ゼツメツキゴシュウ(絶滅季語集)を愉しむその

  • 2019年7月23日 13:54

夏井いつき先生の『絶滅寸前(傍点)季語辞典』を都心の大型書店の俳句コーナーで見かけたとき、なにかと、めんどうくさがり屋のぼくが、つい手を棚に伸ばし、この本を手にしたのは、いま思えば理由があったようだ。
ひとつは、この本が、ぼくの好みの「ちくま文庫」であったということ。そして、もうひとつの、この本のタイトルからは、なにやら“面白オーラ”が発しているように感じたのだろう。
もちろん、カジュアルな季語辞典、歳時記を見ると、つい入手してしまう性癖からのことだったのかもしれない。
さて、ページをパラパラとめくって飛ばし読みしてみると、予感した面白オーラは勘違いではなかったことに気づかされる。
しかつめらしい季語の解説書などではなく、忘れられつつある季語をネタとしつつ、遊び心満載の言語遊戯のエッセー集であったのだ。その、洒脱にしてシャープな数例を紹介してゆきたいが、その前にまず「まえがき」を見てみたい。
前回、さらっと、この「まえがき」部分を紹介したが、夏井先生の俳句への姿勢というか、“思想”表明がされているのであらためて引用、紹介したい。
その冒頭、一行目の書き出しが、
要は、歳時記を読むのが好きだったという単純な動機から、
すべてが始まった。
嬉しいですねぇ、この書き出し。ちょっとも偉そうじゃないし、まるで俳句初心者のぼくらと同じスタートラインに立ってくれている。
そして、この自著に対して、
読んでも役に立たないことにかけては、右に出るものはないの
かもしれない。
といいつつ、
が、もともと俳句なんぞは役に立つはずのないものであって、
むしろ役に立たないものとしての誇り(傍点)を胸に、堂々と
詠まれ続けてゆくのが俳句だと思っている。(傍点、坂崎)
と、サラッと俳句というものの、本来の姿、価値(無価値の価値)を訴えている。カッコいいですねぇ。毅然としているじゃありませんか! で、「まえがき」の肩書きが、
絶滅寸前季語保存委員会委員長       夏井いつき
とある。この「まえがき」と、著者の肩書きで、本文の内容が十分に期待できる。
本文を開く。季寄せ、季語集、歳時記の類は「新年」から始まるものが多いが、この本は「春」からだ。
まず第一番目に出てくる絶滅寸前季語は「藍微塵」(あいみじん)。なんだ、なんだ? この藍微塵とは? あのサックス奏者にして、微塵子(ミジンコ)研究者の坂田明(広島大学・水産学部卒)さんの好きな? 藍色をしたミジンコのこと? あるいは中国大陸の奥の砂漠から吹いてくる粒子の細かい藍色の青い砂塵?。
いや、いや、じつは、これは「忘れな草」の別名だそうな。英語で(forget-me—not)を直訳したのが名の由来、ということを知っている人も多いだろう。
ぼくらの若い頃「♫別かれても 別れても 心の奥に〜」と歌いだす「忘れな草をあなたに」という青春歌謡がありました。歌っているのが、手こねハンバーグのようなカンジの菅原洋一(ソフトな声で「知りたくないの」「今日でお別れ」などをヒットさせた)さんが、妙に心に響きました。
そこで紹介される句が、
百人の恋な忘れそ藍微塵     おののき小町
続いて︱︱「愛林日」(「緑の週間」の副題)、「青き踏む」(「踏青」の副題で、春に戸外で楽しく過ごすこと)、「翌あすなき春」(「四月尽(しがつじん)の副題で「四月の最終日」などとあるが、少し飛ばして、「従兄弟煮(いとこに)」といういかにも絶滅寸前、いや、ここしばらく発見者がなく、すでに、ほぼ絶滅してしまったかのような季語が登場する。
「従兄弟煮」、いとこ煮?
なんだか、新宿二丁目あたりのマッチョな男二人がやっているオカマバーで出す、自慢の手づくりの煮物? なんて感じなんだけど、もちろん、本当の意味は、まったく分からない。
さすがの夏井先生もギブアップ?、先生が常に愛用しているという『カラー版新日本大歳時記全五卷』(講談社刊)を引くことに。
「従兄弟煮」とは「事始(ことはじめ)の副題で、「事」は祭事をいみする、という。で、農事を中心とする考えでは、二月の八日が事始で、そのときに供せられる食べ物が「従兄弟煮」であり、「従兄弟煮は醤油汁」とのこと。しかも『大歳時記』にも「例句が載っていない」という。
う〜む、まさに“絶寸季語”! いや、“絶寸完了”季語? 夏井先生はこの季語を前に呆然と立ち尽くし、また、先生、頼りの『大歳時記』にも例句の紹介がない︱︱となると、俄然、好奇心が刺激されたぼくは、この「従兄弟煮」なる季語を、自分もちょっと調べてやろうと思い立った。
『大歳時記』ですら、例句が載っていないというのだから、あたりまえの歳時記を何種類チェックしても無駄だろう。
しかし、前回の稿でちょっと触れたが、ぼくの手元に『難解季語辞典』(東京堂刊)がある。ずいぶん昔、入手したはずだが、ほとんど読んだことも使ったこともない。(珍しい季語辞典だなぁ)と思い入手したんだろう。
「従兄弟煮」あるかな、ページをめくってゆく。
おっ! あったじゃないですか! すごいぞ『難解季語辞典』。引用する。
従兄弟煮[春]芋・大根・人参・などの菜、赤小豆、豆腐、
蒟蒻などを入れて煮込んだみそ汁、またはすまし汁。正月事
始め、事納めなどの行事に食した。(中略)雑煮と同じ風習で
ある。
とあり、しかも「いとこ煮」の言葉の由来が、それらの野菜や豆腐を煮込むとき、“おいおい”(追い追い、徐々に)煮る、“おいおい”(甥々(おいおい、つまり従兄弟)というわけ、とか。つまりは駄洒落、江戸好みの言葉遊びが由来だったとは。
ところで、この解説の最後に︱︱(栞草(しおりぐさ))︱︱の文字が。
(栞草)は曲亭馬琴編、青藍補の『俳諧歳時記栞草』の略記。江戸時代、嘉永四年(一八五一)の刊で今日の歳時記の元祖であり、本家のような存在。
文末に(栞草)とあったとなると、この『俳諧歳時記栞草』に「従兄弟煮」が出ているはず。
ぼくは手元の岩波文庫、全二巻の「栞草」に当ることにした。こうなると、まるで季語探偵、いや季語ストーカーじみてくる。
「栞草」(下)の巻末、季語字引で「従兄弟煮」をチェックする。出てない。では、春の季語というので「事始め」の項目でさがす。やはり、ない。
そういえば、先の解説の中で、関連用語のひとつとして、地方によっては「事納め」ということもあるとあったので「冬の部」の「事納め」のページを開く。
あった、あった! 「従兄弟煮」でも「事始め」の稿にもなかった「いとこ煮」の解説が「栞草」の「事納め」の項に。『難解季語辞典』に記されていた。「従兄弟煮」と、ほぼ同様の解説があったのだ。
夏井先生の信頼篤く、愛用されている『大歳時記』では「醤油汁」とあり、「この醤油汁が、どんな場面でどう使われ、どう食されるのか、チンプンカンプンである」とされていた「従兄弟煮」のことが三五〇ページに満たない『難解季語辞典』で説明され、さらに出典の『俳諧歳時記栞草』で、どのような行事のときに食され、その食材から「いとこ煮」の言葉の由来まで解説されていたのである。しかも『大歳時記』の説明にある「醤油汁」だけとは限らず、「みそ汁」で供せられることにも、ふれられている。
『大歳時記』ならぬ、ハンディな小歳時記の存在も馬鹿にならない。雑多(?)な歳時記集めの労が報われた気がして、ぼくは(だろ!)と、ひとり納得し、ほくそ笑んだのである。
ま、そんなこんなで夏井先生の奇書にして貴書、絶寸季語辞典読みを楽しんでいると、(おや?)ということに気づかされた。
各季語の説明のあとには、毎回、例句が示される(夏井宗匠の創作句が圧倒的に多い)のだが、他の人の句の、その作者の俳号を見ていると、……「黛まだか」「寺山修辞」「大福瓶太」「キム・チャンヒ」「尾崎ほうかい」「たかが修行」「石田ハ行」「夏目僧籍」「坪内でんねん」「徒歩」といった号に接することになる。(ナンダコリャー?)という気になる。そう思いませんか。つい、ニンマリしてしまう。
どうでもいいことだが、ここに夏井先生の、また、この本の豊かな遊戯性が示されていると思われるので、ちょっと蛇足してみよう。
「おののき小町」︱︱これは「枕草子」の小野小町。可愛い。
「黛またか」︱︱黛まだか? って、もちろんこれは人気俳人の「黛まどか」のもじり。しかも黛まどか氏は夏井先生の師匠筋にあたる方ではないですか!いいんでしょうか、こんなイタズラをして。
次の「寺山修辞」︱︱はもちろん、詩人にして、その短歌や俳句にもファンの多い、また劇団・「天井桟敷」の主宰者、「寺山修司」から。にしても、「修辞」がいかにもピタッとはまってます。
「大福瓶太」︱︱これは、ちょっと難易度が高いかも。まえの二者のような人の名前からかと思うと、由来がわからない。わかりますか? これは、この氏名を単純に読み下してみる。「大福瓶太」︱︱「おうふくびんた」。つまり「往復ビンタ」。人の左右の頬を平手で叩く例の行為。しかし、かつての軍事教練や、今日、体罰が禁じられている教育の場では、これはご法度になっている。つまり、「往復ビンタ」という言葉そのものが死語というか絶滅に近くなっているのではないか。ま、それはそれで結構じゃありませんか。あまり、歓迎されない言葉でもありますしね。
続く「キム・チャンヒ」︱︱はもちろん「キム・キョンヒ」、金正日の妹で今日、北朝鮮の最高指導者、金正恩の叔母。
「尾崎ほうかい」「たかが修業」「石田八行」「坪内でんねん」︱︱は、それぞれ人気の著名俳人……といえば、少しでも俳句の世界に親しむ人なら、すぐに分かるでしょう。「「尾崎ほうかい」は「尾崎放哉」、「たかが修業」は「鷹羽狩行」、「石田八行」は「石田波郷」、「坪内でんねん」は「坪内稔典」
上手いですねぇ、とくに「たかが修業」とか、石田八行」とか「坪内でんねん」も、つい笑ってしまいます。
「夏目僧籍」「徒歩」もいいですねぇ。禅寺で座禅を組んだ漱石が「僧籍」。
あの中国の、唐の時代の詩人・杜甫の「春望」と題する「国破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心……」︱︱「国やぶれて山河あり 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす︱︱」の一節はあまりにも有名ですが、その杜甫にちなんでの「徒歩」。まさに、自在の言葉遊びをやってのけています。これぞ、俳諧精神の発露。

というわけで、ひきつづき、もう少し、この、ちくま文庫の『絶滅寸前季語辞典』と続刊の『絶滅危急季語辞典』にふれてゆきたい。

絶滅寸前季語辞典 夏井いつき 著 ちくま文庫

絶滅寸前季語辞典
夏井いつき 著
ちくま文庫

絶滅危急季語辞典 夏井いつき 著 ちくま文庫

絶滅危急季語辞典
夏井いつき 著
ちくま文庫

新・気まぐれ読書日記 (54) 石山文也  話術

  • 2018年5月12日 08:28

行きつけの書店の<新刊文庫コーナー>で見つけた徳川夢声の『話術』は、カバーを装丁した平野甲賀の独特な書体に“手招きされた”ようで、迷わずレジへ。帯にあるような会議、プレゼン、スピーチには最近はトンと縁がないし、いまさら「話し方の教科書」でもあるまいが、ま、それはそれ。巻末に「50年の怠慢を経て名著を読む」を寄せたフリーアナウンサー・久米宏のように<襟を正して読む>ことにした。


徳川夢声著『話術』新潮文庫=新潮社刊

とはいえ、この時期になっても書斎では冬の延長のフリース上着なので正そうにも襟がない・・・などと考えるうち、盟友の歴史ライター・蚤野久蔵が連載『書斎の漂着本』に夢声のことを書いていたのを思い出した。たしかあれは彼の「戦中日記」を引用した作品だったはず、と調べたら昭和26年9月に出版された『負けるも愉し』(二十世紀日本社刊)で49回から3回もの連続なのでよほど面白かったのか。

 

聞いてみると「夢声老の、あ、ごめん、若い頃から老人めいた雰囲気があったからそう呼ばれているのだけど彼の著作の中でいちばん版を重ねたのが『話術』だ。何冊かあるから他にも参考になりそうなのと一緒に届けておくよ」と。何冊も?大論文を書くわけじゃないのに、とは思ったがせっかくなので好意に甘えることにした。

 

徳川夢声(1894-1972)は、島根県益田生れで本名は福原駿雄(としお)。父の庄次郎は地元の警察官だった。三歳のとき、看護師を目ざす母、父方の祖母と上京後、間もなく母は幼いわが子を神楽坂の路上に置き去りにしたまま、年下の恋人のもとへ出奔する。それを知った庄次郎は遅れて上京し協議離婚が成立する。祖母に育てられた駿雄は子供の頃から独学で覚えた落語を教室で披露する人気者だった。東京府立一中(現・日比谷高校)時代には寄席に通い活動写真にも触れる。卒業後は落語家を目ざすが父親の反対で頓挫。「高座に上がるのは世間体が悪いがくらがりで話す“カツベン”ならいい」ということで進路を変えて活動写真の世界へ。見習い弁士・福原霊泉としてデビュー、洋画専門の赤坂葵館に転じたさいに館から「葵」にちなんで「徳川夢声」の名を貰う。慣例だった作品紹介の「前説」を排し、本編も美辞麗句を並べた七五調ではなくリアルな語り口を心がけるアイデアで頭角をあらわした。一方で宣伝誌『週刊アフヒ(=葵)』を創刊すると毎号のように夢声を絶賛する投書が寄せられた。

 

27歳で葵館を辞めてからもさまざまな映画館から引き抜かれ、一方で弁士以外のキャリアにも磨きをかけていく。当時の人気弁士や有名俳優が得意芸を披露する「ナヤマシ会」の世話人をはじめ、ユーモア小説の執筆や試験放送の頃からラジオ出演などを経験した。映画がサイレントからトーキーの時代になると弁士を廃業し、俳優や漫談家、文筆家として活躍の場を広げた。昭和14年(1939年)、ライフワークとなる吉川英治原作『宮本武蔵』を初めてラジオで朗読。戦後は日本初のラジオクイズ番組となったNHK「話の泉」に出演、テレビ放送が始まるとレギュラー番組を多く抱える<元祖マルチタレント>として圧倒的な存在感を示した。その中心となったのは磨き続けた“話術”で生涯に百冊以上の本を出したなかで『話術』はもっとも売れたロングセラーとなった。

 

これ以上は冒頭に紹介した久米宏や解説のライター・濱田研吾の「東京を愛した“雑の人”―徳川夢声について―」に譲るが、夢声が多用した「ハナシ=話」、「マンダン=漫談」の<夢声流表現>はそのままに『話術』の魅力に迫ろう。

 

ハナシというものは、実に実に大切なものです。

どのくらい大切なものか?それはハナシというものの封じられた人生を、よく考えてごらんなさい。

ハナシは、太陽の光や、空気や、水や、あるいは食物(くいもの)や、住居(すまい)や、着ものや、そうした生活に是非とも必要なものと同じように、人間の生活には絶対必要です。

ところが、それほど大切なハナシというものが、あんまり研究されておりません。いや、少しく大袈裟にいうと、まるで放ったらかしでありました。

放ったらかしの一番好い例は、私という、いわばハナシを稼業(しょうばい)にしている男が、実は研究らしい研究は、ほとんどしていなかったということです。

 

と書き出す。食物、住居、稼業にわざわざ振り仮名を添えたのは夢声の話ぶりをなるべくそのまま紹介したかったから。我々団塊の世代ならラジオやテレビを通じて彼の肉声に触れたことがあると思うからでもある。『話術』は総説、各説に分けて誰でもが学べるように微に入り細にわたり展開されていく。決して大上段に振りかぶるのではなくて夢声のあの話ぶりそのまま。ここまで読んだだけで見事に読者である私の心を捉えてしまうが油断はできない。

 

ハナシはだれでもできる。だれでもできるから、研究をしない。だれでもできるから、実は大変難しいものである。総説の第一章「話の本体」はこうまとめられる。だれでもできるから、実は大変難しい。続けて痩せても枯れても、私は専門家、くどいようだが第一人者とか、ときによると大御所なんて声がかかる人物ですぞと言いながらハナシとかマンダンというものは、日本中に名人がザラにいて、第一人者が充満しているわけです、とくる。本職と素人の差は突きつめて言うと「それによって生計を立てるか否かということ」と言うものの「本職はウマくて、素人はマズい」と決まれば問題は簡単だが、それがなかなかそうは行かない。巧拙にしても聞いてみて、これは巧い、これは拙い、と感じるだけで、別にメーターみたいなものがあるわけではない。「天狗は芸の行き止まり」とはいえ、世の中にはテングが充満していて素人の巧い人より、はるかにまずい本職がいる・・・。

 

―ハナシほど楽にできるものなし。

―ハナシほど骨の折れるものなし。

この二つの相反している言葉が、話術の上では、両方とも本当なのである。

 

「座談十五戒」「演説心得六カ条」などいずれも要点をわかりやすく解説するがここでも一見相反する要素が多く紹介される。

 

印象に残ったのはこの挿話。フランスの名優がある有名な劇作家と宴会の席上で「演技が大切か、脚本が大切か」と大激論になった。脚本が俳優の演技より重要だと譲らない劇作家に名優は「ではここのメニューを読んでここにいる諸君を全部泣かせてみせよう」と悲しい台詞の口調で読み始めると満座の人々がすっかり感動して涙を流した。もうひとつの寓話「蟻とキリギリス」も読み方ひとつで蟻に同情させたり、キリギリスに同情させたりできるという正反対の例を挙げて間の取り方、声の強弱、明暗、コトバの緩急などのコツを紹介する。

 

ところで蚤野が届けてくれたのは、昭和22年に秀水社から初めて出版された『話術』(=左)と同じく25年に版元が白楊社に移ってからの『話術』(=右)、翌26年に姉妹編として同社から出版された『放送話術二十七年』で、いずれも初版本。それにしてもよく集めたものと感心する。もう一冊は講談社吉川英治歴史時代文庫の『宮本武蔵(八)』。全8巻のなぜか最終だけなのでその理由を聞くと「揃って届けるとあなたの場合、原稿そっちのけで読んでしまうでしょ。それに佐々木小次郎とのあの巌流島の対決はこの最終巻だから」と。余計なお世話だ。

もっとも『話術』のほうは今回の新潮文庫では漢字や仮名遣いなどが新しくなっているので参考になる程度だな、と思いながら二冊を眺めるうち、秀水社版は終戦直後の物資不足の時代だったのでこれがそのまま表紙だが写真右の白楊社版をめくるとあら不思議、本体は出版社が別なのにデザインはまったく同じではないか。

それがこちら。煙をあげるタバコはショートピース。夢声がいつもくゆらせていたのをそのままデザインにしたのだろうが、それがまったく同じということはいくら多忙を極めていたとはいえ本人も当然、了解済みだったのだろう。

ついでに姉妹編の『放送話術二十七年』も紹介しておくがこちらは別のデザインである。

ラジオ、テレビの草創期に「物語放送」の定番スタイルを創造した夢声は放送台本に青鉛筆で書き込むのを習慣にしていた。それを「眼で読む文章を、耳で聞く文章に替える」と表現する。赤でなく青鉛筆だったのは訂正ではなく自己流の改変だったからか。

 

吉川英治の『宮本武蔵』で巌流島に向う舟で武蔵が船頭と語る場面。

「思い出した―この辺の浦々や島は、天暦の昔、九郎判官殿や、平知盛卿などの戦の跡だの」

眼で読めばこの「思い出した」がオカしくない。しかし私は「思い出した」を「ふーむ」に替える。「ふーむ」という声の響きに、思い出した感じを含ませる。聞いていて、その方が自然なのである。

 

―舷(ふなべり)から真っ蒼な海水の流紋に・・・。

この「流紋」を私は、ただの「流れ」に替える。眼で眺めれば「流紋」とは面白い文字であるが、これが耳で「リューモン」と聞いたとき、おそらくわかる人は幾人もあるまい。

 

―「武蔵か」厳流(=佐々木小次郎)から呼びかけた。彼は、先を越して、水際に立ちはだかった。

これを私は、次のように替える。

―「武蔵か」厳流は、先を越して、水際に立ちはだかった。

なぜかというと「武蔵か」という呼びかけは、声で表されるのだから、呼びかけたという説明の言葉は要らないからである。

 

なるほどなるほど。講談社文庫の『宮本武蔵』を確かめるまでもない。蚤野へは彼の好きな缶ビールでもお礼に差し入れておこう。

ではまた