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季語道楽(52)必携季語秀句用字用例辞典に驚く 坂崎重盛

  • 2021年6月2日 15:49

この季語用語用例辞典の編者の名に気付いて入手した。︱︱齋藤愼爾。

もう四十年ほど昔になるだろうか、新宿御苑の近くの古い建物の二階にAという居酒屋というかスナックがあった。そこをきりもりしている女性の、素朴な印象ながら知的魅力があったためか、ゴールデン街からは少し離れてはいたものの、いわゆる新宿文化人に類する客が集まる店として知られていた。

といってもAは、当時のゴールデン街の名物店のような、泥酔系の客はまず寄りつかず、二、三人連れの何組かの客が、くつろいで酒と会話を楽しんでいるような居心地のよい店で、齋藤愼爾氏とはそこで何度か出会っている。

ぼくの若き仕事仲間がAの常連で、やはり、その店の常連の彼から齋藤氏を紹介されたのだが、親しく会話をしたことはない。ぼくにとってAという店はあくまでもヴィジターで、そこの常連さんと話をするのは控えたい気分があったからだと思う。ただ彼が「深夜叢書」という話題の出版社を営んでいることは知ることとなった。

その齋藤氏の名が、何十年ぶりかで、この連載を続けるなかで、甦ってきたのだ。例えば直近では、これは既に記したが、千曲秀版社刊・金子兜太編『現代俳句歳時記』を手にしていたとき、本文扉裏に、極めて控えめ、一〇級ぐらいの文字で「装幀」として氏の名前を認めることができ、金子兜太氏との浅からぬ間柄を推し測ったのである。

 

余計な前フリが長くなったが、その齋藤愼爾・阿久根末忠の共編になる『季語秀句 用字用例辞典』(柏書房刊)の帯を見る、いや、読む。(くり返しになりますが、その書籍の“キモ”は帯に示されている)表の帯のコピーを書き移す。

必携 季語秀句 用字用例辞典 編:斎藤慎爾、阿久根末忠

必携 季語秀句 用字用例辞典 編:斎藤慎爾、阿久根末忠

「収録語彙 六五、〇〇〇語 例句二五、五〇〇句 類書中最大」

創作に抜群の威力を発揮する「歳時記(季語)+国語辞典(用字用語辞典)

とあ、裏の帯には 推薦の言葉として

有馬朗人(国際俳句交流協会会長)︱︱齋藤愼爾氏の編集ならば、この事

典が優れたものであることは疑いない。

金子兜太(現代俳句協会会長)︱︱俳句が醸し出す、日本列島の風土と生

活文化の厚ぼったい雲間をただよう気持。

鷹羽狩行(㈳俳人協会理事長)︱︱季語を後世に伝えることは日本文化の

継承に重要な役割を果たす。

(おっ、やはり推薦者のひとりに金子兜太大人登場、と思ったが、それより「収録語彙六五、〇〇〇語 例句二五、〇〇〇句」の数の多さに驚いた。付録を入れて、本文一、二五四ページ。本文二段組み。

ちなみに「夏来る」(なつきたる)の項を見てみる。例句にドキリとする句ばかり挙げられている。(たしかに歳時記は“例句が命”だな)と改めて思った。

どうしても結社を率いる編者による歳時記は、そこに拠る同人、投稿者の例句を多く採用する傾きがあったりするが、初心者にとって「歳時記選びのコツは」例句を見て、それらが自分にとって好ましい句、感銘を受ける句であるかどうかどうかではないだろうか。

この辞典で「夏来る」は、

なつくる 夏来る 季(かこむ)初夏 時候 夏に入る、夏立つ 立夏。

例句は八句。

金銀の夏は来にけり晩年祭    永田耕衣

おそるべき君等の乳房夏来(ル きた)る    西東三鬼

毒消し飲むやわが詩多産の夏来る  中村草田男

汽缶車の煙鋭き夏は来ぬ      山口誓子

渓川の身を揺りて夏来るなり    飯田龍太

路地に子がにはかに増えて夏は来ぬ 菖蒲あや

夏来ると河口情死のにおいして   宇多喜代子

葦原にざぶざぶと夏来たりけり   保坂敏子

八句のうち、三鬼、草田男の句は、すでにぼくでも知っている句であり、誓子の「汽缶車」は、すでに紹介ずみの、これもまた有名な「夏草に汽缶車の輪来て止る」があり、誓子の、機関車の持つ力量、力感に強く反応しているのが興味ぶかい。誓子は機関車フェチだった?

菖蒲あやの句は戦後の下町育ちとしては実感!

八句の中で、初めて出合って(これは一発で記憶に残るな)と感じ入ったのは宇多さんの句。「情死」に特別のにおいなど、あるわけないが、「河口」が効いて夏の幻想的な物語を生み出している。鶴屋南北? 泉鏡花? の小説世界を十七文字で味わせてくれる。

と、まあ、こんな楽しい読み方もできる辞典。

そう、もうひとつ書き添えておきたいのは、例句のすべて一見目立たないが、藤色で印刷されている、つまり全頁二色刷りだったということ。編者、辞典造りした人の、本造りに対する並々ならぬ楽しい情熱が伝わってくる。

そう、例によって、編者による「はじめに」を紹介しなければならなかった。この「はじめに」は再読、再三読する価値がある。四ページ分、全文そのままコピーしたいくらいだが、そうもいかず、部分部分をピックアップ、引用する。名文と思う。

「はじめに」

正岡子規の俳句革新に始まった現代俳句は、敗戦の炎に焼かれ、「第二芸

術論」の矢に射られながらも、不死鳥のごとく甦り、いま未曾有の隆盛を

迎えている。

この辞典の刊行は一九九七年。この文章での「いま未曾有の隆盛」というのは、もちろん刊行時。また「第二芸術論」の矢、はすでに記してきたように桑原武夫の昭和二十一年、雑誌「世界」に掲載された現代俳句という文芸表現への批判。

(中略)

歳時記は聖書や各種学習参考書に並ぶ隠れたベストセラーである。俳句

作家で歳時記を座右に備えていない人は、聖書を持たないキリスト教徒が

想定できないように、まず皆無といってもいいであろう。

(中略)ところが近年、歳時記は俳人にとどまらず、一般の文学愛好家、

さらには地球環境や自然保護を考えるエコロジスト、海外へ赴任するビジ

ネスマンたちにまで重宝がられている。(中略)私たち日本人が自己のアイ

デンティティや伝統的感性を確認するとき、海外へ赴任するビジネスマン

が「故郷喪失」という病を内に抱えながら、望郷の歌をうたおうとすると

き、歳時記が彼らの感情の後背地を形成するものとして座右におかれる所

以である。

(中略)

山本編纂本を始め現今の歳時記が、「今日の私たちの生活に迂遠と思われる

季題を省いた」だの「例句のない季題の大部分は削除した」と「凡例」に

録し、ただ使用されていないというだけで旧季語を貝殻追放しているとき

に、その欠を補うべく最大限努めたつもりである。

現代日本人の生活から、かつての季節感が失われたからといって、季語そのものを歳時記から消し去ってしまう傾向に、「貝殻追放」という古くギリシャの言葉を用いて、その異を唱える。膨大な季語、用語の収録はその考えの反映である。

ところが編者は、この季語、歳時記を盲信的に崇めたてまつるのではなく、厳しく相対化する。重要な言説だ。

季語が一度典型化され美化されると、その理念は制度として人々の想像力

を拘束することとなる。歳時記は俳句を骨がらみ規定するパラダイムと化

し、俳人の感受性、世界観、コスモロジーを支配するということである。

次の一節が、この「はじめに」の締めとなるが、ここで、この辞典の編集意図、また、他の類書にない意識的な企てが表明される。少し長い一節だが引用する。

本辞典を編集しながら、私たちは擡頭する新世代俳句作家たちの声にも

耳を傾けた。「短詩型に託されるのが、日記風の季節感だけだとしたら、た

いへんおそまつな話だ。季節感を突きぬけた世界観や宇宙観、あるいは人

間観が問われないと詩などは、滅亡すればよい(夏石番矢氏)―ーその内

的衝迫の有無があるいは従来の歳時記と本書を分かつ差異と言えるかもし

れない。詩的連想の広がるキーワードや無季俳句を多く収録したことは本

辞典の一画期と自負する。

 

現代俳句における詩語としての季語、歳時記を、極めて自覚的に意識して編まれた齋藤愼爾・阿久根末忠による季語、歳時記、用語辞典にまで至ったので、このへんで一段落としようと思ったのだが、見やれば壁の傍らに、単巻歳時記関連の本が積まれている。キリもないので、これらの本についてふれることは省略して、次の、各社が社の威信をかけて競作したと思われる複数刊の歳時記に移って、この長かった季語、歳時記巡礼の旅を終えたいと考えていたのだが、やはり、どうも気になる。それらに一言もふれずにスルーしてしまっては、何かそれら歳時記たちに申し訳ない気がしてきたのである。これらの一冊一冊は、神保町古書店散歩や、気ままに立ち寄った古書展などで出会って入手してきた本である。今日、ぼくの手元にあるのも、なにかのご縁といえる。

やはり、手に取って、一言くらいずつ紹介しておこう。いわば季語、歳時記供養、そのほうが、こちらの気もおさまる。

順不同でゆく。

すでに紹介ずみの、大正十五年、集栄館書店刊版・曲亭馬琴著『俳諧歳時記栞草』と同じような気配を放っている一冊を手にする。

昭和大成 新修歳時記 著:宮田戌子

昭和大成 新修歳時記 著:宮田戌子

○『昭和大成 新歳時記』・宮田戊子著(昭和七年 近代文芸社刊 六七〇頁)。布製で扉は石版刷りの趣き。戦前んp歳時記によくあるように、文人趣味の読者に向けての、口絵に「王子の田楽」(東都歳時記所載)、壬生念仏(年中行事大成所載)の折り込み図版。序として露月山人(石井露月・子規・虚子との交流あり)と、庄司瓦全(内藤鳴雪、渡辺水泡、露月に指導を受ける。季語の解説も文語体。例句、もっとも新しいものでも虚子の前期の時代で、これはこれで参考になる)。ところで、この縮冊本(昭和八年刊)も持っていた。こちらは九一六頁。つい、ダブってしまう。

こちらも、戦前の歳時記。

○『新修 俳諧歳時記』・小島伊豆海(昭和十三年刊・洛東書院・二八六頁)

新修 俳諧歳時記 著:小鳥伊豆海

新修 俳諧歳時記 著:小鳥伊豆海

「はしがき」に︱︱最も合理的に訳注作例、を簡約して一般俳人諸君のためスピート的に目的を達し、事に臨んで変化をふくむ様に心掛け編輯した︱︱。こちらも解説は文語調。“スピート”がいかにも昭和戦前? 編者の略歴は不明。

○『俳句歳時記』・永田義直編(昭和四十七年・金園社刊・九四四頁)・著者は公立高校の教諭。校長を勤めたあと俳句関連の著作活動に。「はしがき」に︱︱「歳時記」は一党一派に偏した我流的なものであっては、ならないと信じました︱︱とある。ここには、有力な結社主催者と門人による“党派的”歳時記への批判の目が光っている。それにしても本文、ざっと数えても四〇〇字ヅメ原稿用紙を二、五〇〇枚は超える。歳時記づくりは大変な作業だ。ましてや、一人での執筆、編集とすると。

春夏秋冬 俳句歳時記 編:永田義直 金園社

春夏秋冬 俳句歳時記 編:永田義直 金園社

○『日々の歳時記』・広瀬一朗著(昭和五十五年・東京新聞出版局刊・五〇八頁)巻頭に山本健吉による「本書を推す」という一頁足らずの“お付き合い”的文章。この歳時記の特徴は、春夏秋冬(新年)の区分けではなく、日めくりカレンダーのように(月)日から一頁ずつ、十二月三十一日に終わる構成となっている点で、随筆的歳時記。著者は東京新聞の論説主幹。巻末「あとがき」によると、この歳時記は二年余にわたって東京新聞に連載したものを再構成したものという。謝辞として、師の戦後社会性俳句を唱えた沢木欣一や、松瀬清々に師事、沢木夫人の細見綾子の名が見える。

『辞典』や『事典』と題するもの。

○『季語辞典』・大後美保編(昭和四十三年・東京堂出版刊・六六〇頁) 著者は東京大学農学部卒。成蹊大学教授・農学博士。『農業気象学通論』『季節の辞典』他、農業と四季に関わる著作を持つ。「序」によると、著者は気象庁に勤務、三十年にわたって「季節学」を研究。この辞典は︱︱俳句の季題やきごにとらわれないで、季節に関係のある言葉を科学的になるべく正しく検討しなおしてみる必要があるということを痛感︱︱それが、この辞典を編む動機となったという。季節の自然を重点としたため、世の歳時記と異なり、年中行事などはかなり割愛と断っている。たしかに、この『季語辞典』は、もう一冊、普通の歳時記を傍らに置くべきだろう。奥付を見ると初版から五年間で八版を記録している。

○『季語 語源成り立ち 辞典』・榎本好宏著(二〇〇二年・平凡社刊・三九六頁)。

季語 語源成り立ち 辞典 著:榎本好宏 平凡社

季語 語源成り立ち 辞典 著:榎本好宏 平凡社

著者は森澄雄に師事、句集の他に『江戸期の俳人たち』『森澄雄とともに』他の著作がある。「はじめに」で、この辞典の成り立ちに関する記述がある。︱︱ここに掲載した季語は、「別冊太陽」(平凡社)の『日本を楽しむ暮らしの歳時記』(全四巻)から選んだものに、新たに八十余の季語を加えた︱︱としている。そして、この季語辞典の特異なところは例句が一切挙げられていない点である。季語のみの解説辞典。この著者が師事した森澄雄編による簡便にして親切な入門書である。にしても例句をあげないとは、なんと大胆な編集方針。

○『名句鑑賞事典︱︱歳時記の心を知る』・森澄雄編(一九八五年・三省堂刊・二六四頁)。

名句鑑賞辞典 歳時記の心を知る 編:森 澄雄

名句鑑賞辞典 歳時記の心を知る 編:森 澄雄

この新書サイズのハンディな鑑賞事典は、ぼくがなにかにつけ手に取る“読む歳時記”である。その理由のひとつは、改めて思えば、編者・森澄雄という俳人への信頼感かもしれない。

本文の構成は、主な季語四〇〇を選び、一頁二題構成で代表句一句に解説、さらに例句を二句から七句ほど挙げられている。季語、傍題、例句、作者名にはルビがふられ、初学の人に親切な編集。

親切といえば巻末に「俳諧の歴史」「俳句の〇〇」「作者紹介」「年表」が付されているのもありがたい。ぼくなどは、この一冊とあとは用語辞典がわりの季寄せか文庫サイズの歳時記一冊を再三、再四頁を開けば、かなり俳句の世界に通じると思っている。

 

“初心者に親切で”思い出したので書き添えておくと、角川ソフィア文庫(KADOKAWA)の、令和になってから出版された新海均編『季語うんちく事典』と角川書店編『俳句のための基礎用語辞典』も俳句世界への案内書として、ありがたい文庫本である。

俳句のための基礎用語事典 編:角川書店

俳句のための基礎用語事典 編:角川書店

季語うんちく事典 編:新海均

季語うんちく事典 編:新海均

前者の“うんちく本”では、たとえば、有名な春の季語、「山笑ふ」(ル やまわらふ)の出典が示される。北宋の禅画家・郭煕(ル かくき)の『林泉高致』の一節「春山淡治而如笑」(春山淡治にして笑ふがごとく)から、「春の山がいっせいに芽吹いてエネルギーに満ちあふれた明るい感じ」から歳時記に取り入れられたという。例句は、

山笑ふ歳月人を隔てけり    鈴木真砂女

もう一例だけ。「相撲」(ル すもう)。今日では、年六場所なので「いつの季語?」と思われるかもしれないが、俳句では「秋」。なぜかといえば、相撲は宮中で七夕にその年の豊凶を占う神事として行われ、また民間の草相撲も秋祭りのころ行われたので、秋の季語となった。例句は、なんとも絶妙な、

やはらかに人分けゆくや勝角力    (高井)几董

後者の『俳句のための基礎用語辞典』は、より俳句実作者向け。仮にも句界の席に加わり、投句、選句でもしようとする人への“これくらいは”という用語が平易に見開き二頁に整理されて解説される。よき入門書というものはいつもそうだが、こちらの知識や理解のムラや偏りを補い、ただしてくれる。

章立ては「Ⅰ 俳諧」「Ⅱ 俳句史」「Ⅲ 作句法」。「Ⅰ 俳諧」では、明治の子規以前の俳諧連歌の世界の用語「Ⅱ 俳句史」では子規以後、虚子に始まる近代俳壇の運動史とそこから生まれキーワードとなった、さまざまな用語、また「Ⅲ 作句法」では、句作りにおける姿勢、また基本的ルールなどが解説される。俳句の世界が一望できる恰好のサブテキスト。

この二冊の俳句文庫本、さすが“俳句の角川”と、うれしく思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

季語道楽(51)”角川一家”の歳時記の傑作を… 坂崎重盛

  • 2021年5月19日 16:56

ぼくが初めて手にした歳時記は誰の編のどんな本だったのだろうか。おぼろげな記憶をたどってみることにした。

新潮社の文庫版の歳時記は、その時々の句会の用のために、その季節の分(春るなら春の巻)をバラで入手したはずだ。

三省堂刊の「ホトトギス」?の歳時記は、シットリとした革装が気に入って、人にも差し上げたくて、神保町の本店まで買いにいったことが、二度、いや三度ほどあったはず。ところが、いま、その歳時記が手元に見当たらない。

机の前の本の間にはさまって薄い背を見せている季寄せは、ずいぶん前から手にしてきた。奥付を見ると昭和六十年刊とある。編者は角川春樹。正式タイトルは『新刊 季寄せ』とある。(元本は昭和五十一年刊)

角川春樹といえば、すでにご存知のように初代・角川書店の角川源義(ル げんよし)の息子で父の角川書店を継ぎ、新しいイメージの角川文庫、また角川映画でヒットを飛ばした出版界の風雲児。

父・源義は俳人としても著名だったが、春樹もまた俳句の世界で「読売文学賞」「蛇笏賞」を得ている俳人である。この春樹の編になる単巻歳時記にふれたい。本棚の一隅に“角川家”関連の文庫版の歳時記が積んである。

ちょっと興味があって、手元に積み直して高さを計ったら、ゆうに二十センチは越えていた。ちなみに、それら文庫本のタイトルを並べて、をメモしておこう。先に紹介した『新版 季寄せ』は略。

  • 『新版 俳句歳時記』(春・夏・秋・冬・新年の五巻)。元本は昭和三十年

初版、「新版序」は角川源義、昭和四十七年の記。源義による歳時記への思いに接することができるのはありがたいが、あとでふれることにしたい。

  • 『合本 俳句歳時記 新版』(昭和四十九年初版・角川書店刊。これは右記

の『新版 俳句歳時記』の合本。しかし、この新編集の合本には角川源義による「序」はない。

同じ歳時記で合本もダブって入手するのは……と思いつつも、ときとして、こういう微妙な違いがあるから歳時記集めは気が抜けません。

同じ合本ながら、編集部編ではなく、角川春樹、個人名での編が、

  • 『合本 現代俳句歳時記』(一九九八年 第一刷・角川春樹事務所 発行)

この単巻歳時記については、このあと、すぐに少しくわしくふれるつもり。

  • 『俳句 歳時記 第四版増補』(春・夏・秋・冬・新年の五巻・角川学芸出版編 平成十九年 第四版初版発行 角川学芸出版刊)「序」も編集部による。
  • 『今はじめるひとのための 俳句歳時記 新版』(平成二十三年 新版初版KADOKAWA 発行 角川学芸出版編)これには、いわゆる「序」のようなものはなく、無記名の凡例に近い「はじめに」が一ページあるだけ。巻末の付録として「句会をやってみよう」「俳句Q&A」「古典の有名句」など、たしかに“今はじめる人のための”歳時記として編集されている。

ただ、余計なことながら、このサブタイトル的な題は、黒田杏子著『今日からはじめる俳句』(一九九二年・平成四年 小学館ライブラリー刊)を思い出してしまった。

もう一つ余計なことかもしれないが、すでに挙げた歳時記を“角川一家”の、と表したのは、はじめ角川書店版、つづく角川春樹事務所、角川学芸出版、そしてKADOKAWAと、角川系ながら、それぞれが版元が変わっていて、当然のこと、その編集方針も個々別々である。

ただ、ぼくなどの、句界やその周囲の状況にくわしくない人間にとっては、(やはり、源義、また春樹氏あってのお家芸、角川歳時記だな)という印象を持つのである。

さて、本題、その角川歳時記の「序文」、「まえがき」を見てみたい。単巻歳時記の『合本 俳句歳時記・新版』には、すでに記したように旧版にあった角川源義による「新版序」がないので、旧版による。源義氏の歳時記論と見ていいだろう。

「序」は、こう書き出される。

「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」と詩人科学者寺

田寅彦が言った。

冒頭に寺田寅彦の言葉が引用されているのが嬉しい。寺田寅彦はよく知られているように、夏目漱石の子弟であり、著名な物理学者であり、若い時から俳句にも親しむ文人肌の科学者

で、彼の随筆を愛読するファンが今日も少なくない。「天災は忘れたころにやってくる」は寅彦の言葉とされているが、彼が東京帝国大学の地震研究所にいたころのエピソードだろう。

寅彦の句には「煙草屋の娘うつくしき柳かな」の句などは、句会などでは失笑を買っても仕方がない“大甘な”句で、「徒に凍る硯の水悲し」の“悲し”がぼくなどには気になるが「哲学も科学も寒き嚔(ルくさめ)かな」「炎天や裏町通る薬売」「雲の峰見る見る雲を吐かんとす」だったら、いただきます。とくに「雲の峰ーー」の句は、科学者ならではの観察の視線を感じる。

この寅彦の絵というかデッサンがまた、実にいいんですが、話を歳時記に戻さねば。寅彦の言葉に続く角川源義の「新版序」における季語論。

季語には日本の風土に生きて来た日本人の生活の知恵がある。季節感はも

ちろんのこと、倫理観、美意識、ありとあらゆる日本人の感情が短い文言

に収約されて季語となっている。

このあと、季語が連歌から俳諧に引きつがれ、芭蕉の時代では千にも満たなかった季語が、今日、その百倍にもなっている―ーと季語の増殖、新季語の誕生に言及している。

また、この角川『新版 俳句歳時記』が、昭和三十九年刊行の『図説俳句大歳時記』によって改訂、増補されたことを告げている。

序の文末で源義さんは胸を張る。

季語解説の補訂はもちろんのこと、例句は斬新であり、異色あるものと

なり現代の代表的俳人の代表作品をここに挙げることができたのは、限定

された文庫本のページのなかで、もっとも誇示してよいであろう。

―ーここまで書かれれば、この歳時記に例句として挙げられた作者は、大家はともかく、若手、中堅は自らの句を、それこそ“誇示”したく、この歳時記を求め、友人、後輩たちに配ったのではなかろうか、さすが角川の創業者、販売戦略にもたけてる、と邪推したくなる。

この源義のあとを継ぐ、角川春樹の編になる歳時記『合本 現代俳句歳時記』は、さらに春樹氏ならではの熱度が高く、ぼくの好きな歳時記の一巻でもある。その特徴にふれてみたい。

角川春樹編『合本 現代俳句歳時記』一巻を手にする。サイズは文庫版ではあるが、どっしりとボリューム感が手に伝わる。

巻末の、中国と日本の七十二候を並記した詳細な「二十四節気七十二候表」(これがありがたい)や「忌日一覧」、そして「総索引」を含めると、全千五百ページ余。

「序」のページを開く。編者の角川春樹による記。冒頭の一行目から、筆者の熱情が伝わってくる。ぼくが期待して集めてきた歳時記の「序」の文章の気配だ。引用したい。

日本の伝統文芸、特に詩歌や俳句にもっとも造詣の深かった山本健吉先

生が亡くなられて、今年で十年の歳月が流れた。その存在が大きかっただ

けに、残念でならない。

と。

すでに山本健吉についての部分でふれたように、俳句関連をはじめ、なにかと角川書店と縁の深かった、この文芸評論家に哀悼の意を表している。歳時記の「序」とてしは、珍しいことではないだろうか。

そして山本健吉の「日本文芸の根底に、詩歌がある」という言葉を紹介しながら、彼が特に、「短詩型文芸のよき理解者」であり、その信念のもとに「昭和の短歌・俳句の隆盛、発展に大きく寄与された」と顕彰する。

そして、ここからが、この歳時記の編者・角川春樹本人ならではの言葉だ。

私自身、まさしく詩歌こそ日本の文芸の根本だと思っている。私は永年、

実作者として俳句に携わってきた。作る立場から歳時記と携わってきた。

この人が、季語について語る。

俳句にいのちを与えてくれるのは、季語である。季語こそ普遍的ないの

ちであり、たましいであり、個性そのものである。

と、「一句の中心をなすものは季語である」と季語の存在意義を力説し、さらに、作句作法として、

俳句作品の出来、不出来の七〇パーセントは、季語の用い方に負うと言っ

ても言い過ぎではないだろう。

と言い切る。その季語を「選択し、分類し、そして集成、体系づけたものの歳時記である」と、“季語・命”歳時記の本質を端的に要約する。

編者の“歳時記愛”は並ではない。

たとえば、タイムカプセルに入れる本を一冊あげよ、と問われれば、人

によって聖書と答えるかもしれない。また国語辞典や、自分のもっとも好

む小説をあげる人もいるだろう。私の場合、一冊をあげるとすれば、それ

はもちろん歳時記である。

と。

こういう編者が主導した歳時記︱︱「実に多大な時間を費やしたが」「例句の豊富さと優れた作品の収録において」「もっとも参考になる歳時記ができたと自負している」。

きちんとした歳時記編集の労苦は、その編集担当者が等しく「序」や、「後記」で述懐するところではあるが、加えて、この歳時記がぼくに訴えかけるのは、

その季語にとってもっともふさわしい名句については、編者の判断で一句

だけ選び、例句の上にアステリスク(✻)を付けた。(傍点、坂崎)

と「編者の判断で」というところである。

多くの歳時記同様、例句の選択や季語解説は共同執筆者に負うとしても、その例句の中から「編者の判断で」あえて一句だけ選びとったというところが編者の“誠”として受けとれるのだ。ちなみにその季語にあたってみよう。

「浴衣(ル ゆかた)」。もちろん夏の

「人事」の項。傍題で、異名、関連語として「湯帷子(ゆかたびら)」「古浴衣(ふるゆかた)」「初浴衣(はつゆかた)」「貸浴衣(かしゆかた)」「糊浴衣(のりゆかた)」「藍浴衣(あいゆかた)」「踊浴衣(おどりゆかた)」「宿浴衣(やどゆかた)」。

︱︱古語でしょうか、“ゆかた”のみなもとの言葉、「湯帷子」は、ともかくとして、すぐにでも俳句につくりたいような季語がならぶ。古浴衣、貸浴衣、また、宿浴衣。

例句をザッと見てみる。十二句あるが、そのうちの気になる五句のみ、掲げます。

1 浴衣着て少女の乳房高からず

2 借りて着る浴衣のなまじ似合いけり

3 張りとおす女の意地や藍ゆかた

4 夕日あかゝゝ浴衣に身透き日本人

5 ゆるやかに着ても浴衣の折目かな

1の「少女の乳房」は、一瞬、ドキッとしますが、これは虚子の子が娘だけだったことのことでしょうか。だからか、虚子は俳句に向かう、女性を大切に育て、世に出そうとする。『立子へ』だ。これは、類いまれなプロデューサー能力である。

2 は「借りて着る」が肝(ル きも)でしょうね。

3 は「張りとほす」と「藍ゆかた」かな。

4 これは、句としては、? ですが「日本人」とあると、海外、たとえ

ばハワイとか?

5 気持ちのいい句ですね。とくに「ゆるやかに」が、なんともーー

ぼくのコメントなど、どうでもいいことでした。この句の中で、編者・角川春樹が丸印をつけた一句は、「借りて着る」の句、さすが久保田万太郎でした。

作者を記す。

1は高浜虚子、2万太郎、3杉田久子、いかにも、4中村草田男、5大槻紀奴夫、ぼくの好きな句です。

こんなことをしていたらキリもないのだけれど、もうひとつだけ、これまた夏の季語。「夏帯」といきましょう。8句あります。“そのうち五句を。

1 どかと解く夏帯に句を書けとこと

2 単帯かくまで胸のほそりけり

3 たてとほす男嫌ひの単帯

4 夏帯や一途といふは美しく

5 夏帯を解くや渦なす中にひとり

1の「どかと解く」もすごいけど、「句を書けと」で男性の句とわかる。作者は虚子。ーーさすがに、のうのうとノロケている。2も男の視線。どうも、男の句は、ともすると胸とか膝へ視線が行く。どなたが言う。“久米仙(人)俳句”でしょうか。

3これは逆に、凛としてます。しすぎているとも言える? ここまで句にすることはないのでは。そう、先の彼女の句の姉妹編の烈女・杉田久子。

4こちらは、道に迷った大女人の句でしょうか。“道行きの気配も、うっとりと。銀座で酒舗「卯波」を営んだ。鈴木真砂女。

5帯の「渦なす」が少々オーバーとはいえ、お手柄の自己観察、表現。この「渦なす」で、一篇の情痴小説でも生まれる磁力が野沢節子。春樹編者はこの句に。

ーーと、まあ、この春樹歳時記は例句の中、春樹さんが一句に限定して選んだことにより、“読む”楽しみが何倍にも増す。自分も対抗して選句している気になれるから。とても臨場感あふれる歳時記なのだ。しかもフェアーな雰囲気を受ける。

ぼくは、俳句の、頼りにする参考書の一冊として、この歳時記を傍に置く。もちろん、コレクションの対象としての、あれこれの歳時記は、それはそれで、おりふし撫でたりさすったりしていますけど。

ところで、たまたま神保町の古書店の店頭で、目にとまった角川春樹の『「いのち」の思想』を手にする。帯の背には「最初の随想集」とある。帯のコピーに導かれて「あとがき」を読む。

冒頭ーー(すべての文章の冒頭は大切。とくに短詩型実作者の書き出しは連句における“発句”にあたる。)ーーは、こうだ。

俳句は合わせ鏡である。

俳句は「見事に、作者の全人格を写し出してしまう」という。そして、続く言葉がカッコイイ。

俳句の方が、人間よりもしたたかなのであろう。

ご本人が、したたかで、謙虚な人間でないと、こういうつぶやきは生まれ出てこない。この書の「あとがき」は、こう終わる。

「いのち」の思想と気恥ずかしい題をつけたのは、切実で豊かな生き方

をしたいと思う願望に他ならない。

この書の中での編者・角川春樹の俳句実作の方法論を要約したい。

一 俳句は五七五のリズム感が大切。

二 映像が目に浮かんでくるような句。

三 作者の視点、思い、つまり自己の投影、感動はどう伝わるか。

そして、「櫻の魔性—-野性とロマン」の項で、自身の句を披露している。

御仏の貌美しき十二月

立春の不動明王艶めくよ

いっぽんの大きく暮れて花の寺

男来て花雪洞を下ろしけり

人骨散布いま深吉野は花得たり

「立春のーー」以下の句は、吉野への吟行で作られたもの。季節はもちろん春。

「父から受け継ぐ形で俳句を再開したとき、私の結社を“昭和のホトトギス”にしたいとしんじつ思った」角川春樹の絶唱といっていいのではないでしょうか。

父・角川源義〜〜角川のもとで俳句世界に深く関わり大きな影響力をもった山本健吉ーーそしてその流れを継いだ角川春樹ーーこの、“季語・命”の角川俳句に対し、前衛派の、季語依存への疑問をはじめ、反発があるのもまた、俳句のもつダイナミズムと考えられる。

俳句という、たった五・七・五、十七文字の極限の短詩型詩歌は一粒の小石であったり、巌であったり、さらには岩盤であったり、また、一粒の涙であったり、草の露であったり、池水であったり、さらには地球をおおう大海であったり、極小から極大であったり、際限がない。

日本文化は、日本の言葉は、この俳句という、季語、季題をよりどころとして、とてつもない表現形態を得たものである。そして、さまざまな考え、反撥はあるにせよ、その索引、インデックスが歳時記なのである。

翻って考えれば、同じ短詩型とはいえ、近現代の詩の世界に、俳句歳時記のような、四季の移り変わりや、その自然、時間のなかでの、人の営み、感情を総集した、イメージの索引、辞典、事典があっただろうか。

日本文化は歳時記を得た。

 

 

 

季語道楽(50)水原秋桜子と山口誓子  坂崎重盛

  • 2021年5月19日 16:18

虚子の「客観写生」「花鳥諷詠」にあきたらず「ホトトギス」のもとから飛び立った「四S」の一人、水原秋桜子と、それに呼応するように行動を共にした、「四S」の中のもう一人、山口誓子、この二人の歳時記と、彼ら、それぞれの理念や作風にふれてみたい。

まずは秋桜子。手元の『新編 歳時記』を取る。奥付、昭和四十二年、大泉書店刊。もちろん秋桜子編。

新編 歳時記 編:水原秋櫻子

新編 歳時記 編:水原秋櫻子

例によって、「序」(元版)をみる。

まずは、この歳時記の成り立ちから。

  • 「自分を監修の立場に置いて、執筆には加はらぬはことにした」。その理由は「季題の解説に当るには、いま最も旺んなる作句力の持ち主が適任と信じたから」。
  • 「私は馬酔木の作者の中から四人の適任者を選び、この仕事を担当することを依頼した」。その四名とは、篠田悌次郎、能村登四郎、林翔、澤聰。
  • 「解説は明治大正時代の科学的解説が廃れ、現今では一般に文学的解説が行われている」が「なほ不備なのは例句と解説が離ればなれになり、密接な関係をもっておらぬことである」。
  • 「そこで今度は例句を一層精選して解説との関係をもたしかめ」「しばしば解説の中に例句を挿入し」「或は古句と現代句との覘(ル うかがい)いの相違を説明」−ー―で、「これらは明らかに新機軸」とアピール。
  • もう一つ、この秋桜子編・歳時記では「季題の所属季節変更」。例として、これまで春期とされてきた「鳥の巣」を「確信をもって初夏に」。また、「巣立鳥」を初夏に。「蜩(ル ひぐらし)」は秋とされて来たが「正しい観察にしたがい、これを晩夏に編入」したとする。
  • そして、この歳時記が「季節的の随筆集として見ることも出来るだろう」「俳句作者ならぬ人にも親しみ読まれるかもしれない」と「期待を抱いて」いる。

その本文を読む。たしかに解説が、短い一篇の随筆の趣きがあったりする一例だけ取り上げてみよう。「麦秋(ル ばくしゅう)」

麦秋 麦の秋

俳句の季節には俳句だけに通じる秋などもその一例で、仲々含みのある

言葉である。(中略)麦が黄色く熟れる頃で、右畑などに近づくとむっと

熟れ麦の香がする。淡い人の体臭に似て、稲の熟れた頃と又感じが異な

ふ。この頃は麦秋特有の曇った日があって風がなく、じっと汗ばむ様な

暑さを感じる。

「麦秋」が「秋」という文字が入っているにもかかわらず夏の季語というのが、俳句と無縁な人は、とまどうことだろう。また、この解説では「淡い人の体臭」といった表現など、俳句の解説文としては珍しいのでは。

例句として、八句が掲げられているが、ぼくは、四句に限って選んでみる。

雑巾の乾く月夜の麦の秋      静塔

麦の秋一度妻を経て来し金    草田男

麦秋や書架にあまりし文庫本    敦

そして秋桜子が、被爆した長崎・浦上天主堂に対したときの

麦秋の中なるがかなし聖廃墟

が印象に残った。

 

もっといろいろな季題も紹介したいが、先を急がねば。

秋桜子歳時記を脇に置いて、彼による俳句随想を訪ねてみたい。『俳句作法』(昭和六十年・朝日文庫)。

俳句作法 著:水原秋櫻子

俳句作法 著:水原秋櫻子

秋桜子の文章ー―。

「菖蒲(ル しょうぶ)」のところでは、「明治神宮の神苑に咲く菖蒲を拝観したことがあるが、その美しさに打たれて句のことは考えずに帰った」。「私はかつて手入れの行届いてしかも気品の高い庭を詠んでみたいと思って苦労したが、それは結局徒労に終った。捉えどころがなくてむずかしいのである」と語り、四つ木の菖蒲園での、

門川に咲けるものありて菖蒲園

「という句を作ったら、同行のうち三人までが同想の句を作ったのに驚いたことがある」

と、それこそ、彼の歳時記の「序」ではないが、“随筆的”解説をしている。

また、「紫陽花(ル あじさい)」では「紫陽花は初夏から咲きはじめ、秋の半ばまで保っているが、その間に花の色が青、紫、薄赤などいろいろ変化する。そこで紫陽花のことを「七変化」とも呼んでいるが、いやな別称で俳句には使いたくない」と、秋桜子個人の美意識というか、感性を披露している。ぼくも今後は「七変化」は使うのは止めよう。

秋桜子の文章は、きっぱりとした物言いではあるが、どこか優しく、やわらかな印象を受ける。好き嫌いを言っても、句作の指導をのべていても、ゆったりと厳格というより、説きくどくような口調となる。

「ホトトギス」の単なる「客観写生」からの、平板な「自然模倣主義」ではなく、心情をこめたこころよい調べを旨とした秋桜子の理念が、このような『俳句作法』にも表れていると思ってよいのだろう。

 

これと対称的なのが、秋桜子と同時に、虚子の「ホトトギス」を離れた山口誓子である。誓子の文体を見てみたい。神保町散歩でタイミングよく入手した『誓子俳話』(昭和四十年・東京美術刊)。

誓子俳話 著:山口誓子

誓子俳話 著:山口誓子

巻頭の一章が、これまた秋桜子の『俳句作法』同様、「作法」という言葉を使っている。その中の「我が主張・我が俳論」。

俳句は如何なる詩であるか。

俳句は「自然の刺激によって感動する詩」である、と私は定義する。私

のほしいままの定義じゃない。

いきなり真剣である。そして、芭蕉の「風光の人を感度せしむる」を援用し、「風光」は自然である、とする。さらに、ライシャワー、本居宣長、道元、斎藤茂吉、平福百穂、ロダン、ドナルド・キーン、そして元の師の虚子の言葉まで引きつつ、「我が主張・我が俳論」を展開する。

ほとんど文芸評論的俳論であり、知的読者を想定しての硬度? いや高度な文章である。

この項の末尾に誓子がもっとも言いたかったことが集約されていると考えられる 。ちょっと理屈っぽいかと思われるかもしれないが引用したい。

自然の物と物とをメカニックに考える私は、俳句の内部構造を強く主張す

るのである。

私は無心で自然の物をよく見る。その物から想像力によって他の物に飛

躍する。その二つの物の関係に感動が起る。

それは組み立てるのではない。直感的な感動がそういう二つの物に分析

されるのである。

なんか、実験物理のレポートの一節みたいな文章と思ってしまう。そして、このあとに続く一節が、なんとヘーゲルの弁証法の概念が登場する。

わたしはそれを図式で表して、

 

 

合    ←

だとする。「正」は一つの物、「反」は飛躍した他の物、その二つの物がそ

のまま「合」として統一されているのである。「正」と「反」とは、読者の

理解できる限度まで、掛け離れている方がよい。それによって「合」は高

められているのである。

現代に生を享けたために私はそういうメカニズムを強調するのである。

 

うあぁー、こんな誓子の言葉に接すると、あだやおろそかで、五七五など作れなくなってしまうのではないでしょうか。しかし、この『誓子俳話』は、文芸評論集としても読みごたえがありそう。改めて、じっくり読むことにする。ちなみに先の優しい口調の秋桜子の出身校と職業は、現・東京大学医学部卒で、宮内庁の産婦人科医。誓子は同じく東京大学であるが法学部卒。大阪住友合資会社に入社。

二人の句を紹介しておこう。すでに既出もいとわず。まず秋桜子。

来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり

梨咲くと葛飾の野はとの曇り

啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々

滝落ちて群青世界とどろけり

誓子の句。

ピストルがプールの硬き面にひびき

かりかりと蟷螂蜂のかほを食む

スケートの紐結ぶ間もはやりつつ

海に出て木枯らし帰るところなし

 

 

 

 

 

季語道楽(49)虚子中心、俳句運動史のおさらい 坂崎重盛

  • 2021年5月19日 16:02

大正から昭和前期、日本の俳壇に「ホトトギス」王国を築いた観のある、その主導者・高浜虚子の「客観写生」「花鳥諷詠」にあきたらなくなり、それに反旗をひるがえすことになる水原秋桜子と、それに呼応した山口誓子の歳時記にふれるまえに、季語、定形に関わる「子規以後の俳句運動史」を、ざっと、たどってみたい。

 

江戸末期の俳諧世界の、通俗的、知的遊戯に傾いていた句を―ー天保以後の句のほとんどは卑俗、また陳腐で見るに耐えない。これを「月並調(ル つきなみちょう)という――と正岡子規は批判、俳句革新にのりだす。

これまでの連句は、“座の文芸行為”であり、“個人の創造活動ではない”として、子規は連句の第一句・発句を独立させ、「俳句」とすると主張。また作句の基本的姿勢を、抽象的イメージの表出や言葉遊びではなく、自然や事物に対する「写生」を重んじることを提唱した。

江戸俳諧から近代俳句への夜明けである。子規の主宰する「ホトトギス」には彼の俳句観、活発な行動に共鳴した若い才能が集まってくる。同郷・松山の高浜虚子と、その学友であり、同じ部屋で暮らすほどの親友でもあった河東碧梧桐。子規より年長だが、子規によって俳句の道に入る内藤鳴雪や文芸仲間の夏目漱石や鈴木三重吉ら。

とくに虚子と碧梧桐は、子規のもと、「ホトトギス」の「二俊秀」と目されるが、虚子が漱石の文学―ー(「吾輩は猫である」は「ホトトギス」に連載)―ーに影響され、俳句から離れ小説の創作に没頭する間、一方の碧梧桐は、「写生」一辺倒の句から脱却した「新傾向俳句」と呼ばれる俳句運動をおこし、俳壇で大きな勢力を得ることとなる。

これに危機感を抱いた虚子は、ふたたび俳句の世界に立ち戻り、「客観写生」さらには「花鳥諷詠」をスローガンとして復帰をはたす。

碧梧桐の近くには萩原井泉水がいた。碧梧桐より一まわりほど年下の井泉水は、碧梧桐による「新傾向俳句」の影響下にあったが、明治四十四年に句誌「層雲」を創刊、「自由律俳句」を唱えることとなる。碧梧桐もこれに加わるが、のちに離脱。井泉水の下からは、尾崎放哉、種田山頭火という、今日も熱烈なファンを持つ、異能の俳人を輩出する。

「新傾向俳句」を看板に、俳壇を制したかに見える碧梧桐らの活動に、小説の筆を置いて句界に復帰、危機感を抱いた虚子は、これを看過することはできぬ、と、ふたたび「ホトトギス」を拠点に、自ら「守旧派」と名乗り出て、伝統的俳句の精神の必要を情熱的に訴え、旺盛な活動に専念することとなる。

そのスローガンの二本柱が、すでに記したように「客観写生」であり、さらに「花鳥諷詠」となる。

 

これまでの俳句運動の流れの中での登場人物と、組織した結社や主宰句誌、そのスローガン、キャッチフレーズ、また例句のほんの二句だけ挙げておこう。

  • 正岡子規 一八六七年(慶応三年)〜一九〇二年(明治三十五年) 「ホトトギス」のもと「写生」を提唱。陸羯南(ル くがかつなん)を主筆とする新聞「日本」の俳句欄の選者で「日本派」として明治俳句界をリード。

鶏頭の十四五本もありぬべし

若鮎の二年になりて上りけり

  • 河東碧梧桐 一八七三年(明治六年)〜一九三七(昭和十二年) 虚子と

ともに子規の二大弟子の一人。子規の没後、新聞「日本」の俳句選者を引き継ぐ。しかし、虚子の客観写生の姿勢を、ともすれば、単に目に入った自然、光景を写しとっただけの内容のないものとなるとし、個性の発揮、現実生活への視点を重視する「新傾向俳句」をスローガンに全国を歴訪、大きな運動をまきおこす。大正二年、虚子の俳壇への復帰を機に虚子と対立、その後、定形の句から脱する「自由律俳句」へと進む。大須賀乙字、萩原井泉水、井塚一碧楼らを輩出。

赤い椿白い椿と落ちにけり

弟を裏切る兄それが私である師走

  • 高浜虚子 一八七四年(明治七年)〜一九五九(昭和三十四年) 碧梧桐

とともに子規のもとの双璧。子規の没後「ホトトギス」を継承。すでに記したように一時、漱石の影響もあり、小説の創作に専念するが、碧梧桐らの「新傾向俳句」に対し、伝統俳句を死守すべく大正二年俳界に復活。有季、定型の「客観写生」また「花鳥諷詠」を強力に提唱、女流俳人のプロデュースを含め「ホトトギス」を再興、たちまち俳壇の中央を占める。

春風や闘志抱きて丘に立つ

遠山に日の当たりたる枯野かな

  • 萩原井泉水 一八八四年(明治十七年)〜一九七六(昭和五十一年) 碧

梧桐の「新傾向俳句」に先立つ明治四十四年に「層雲」を創刊、これに年長の碧梧桐も参加、「自由律俳句」運動をリード。ここから尾崎放哉、種田山頭火が出る。

月光ほろほろ風鈴に戯れ

たんぽぽたんぽぽ砂浜に春が目を開く

ちなみに、放哉は

咳をしても一人

いれものがない両手で受ける

山頭火は

わけ入っても分け入っても青い山

うしろすがたの しぐれてゆくか

の句で、今日も一般に知られる。

と、ここまで明治以後、子規から碧梧桐、虚子、井泉水とたどってきたが、大正、昭和の俳句界に君臨したドンといえば、やはり虚子だろう。その大虚子に反旗をひるがえす俳人が昭和前期に登場するが、それを計らずも準備したのが虚子率いる「ホトトギス」王国の「四S」の存在だった。

「四S」とは「ホトトギス」にあった水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝(ル せいほ)、高野素十(ル すじゅう)の四人。とくに秋桜子と誓子は、東京大学出、秋桜子は医学部、誓子は歯科を専攻。二人とも卒業後、医療の現場の要職を歴任しながら「ホトトギス」での活動にもめざましいものがあった。この二人のうち、先導を切ったのが秋桜子。

直接のきっかけとなったのが、師・虚子の「客観写生」の忠実な信奉者・高野素十の「草の芽のとびとびのひとならび」の句を評価した虚子に対して――素十のこの句は単なる瑣末主義の「草の芽俳句」だ―ーと「ホトトギス」の写生俳句を批判、虚子と決定的に対立、虚子の下を離脱することとなる。この秋桜子の行動に、もう一人の「ホトトギス」の「四S」の一人、誓子も行動をともにし、「新興俳句」誕生の因となる。

秋桜子の句として、

来しかたや馬酔木(ル あしび)咲く野の日のひかり

啄木鳥(ル きつつき)や落葉をいそぐ牧の木々

誓子の句

ピストルがプールの硬き面にひびき

かりかりと蟷螂(ル かまきり)蜂のかほを食む

海に出て木枯帰るところなし

 

ここで、大正、昭和初期の俳壇史における、虚子の名プロデューサーぶりの一例を記しておきたい。それは女流俳人の輩出である。

大正二年、虚子は「婦人十人集」と題しての欄を設け、婦人俳句会を発足させる。このなかから、長谷川かな女、竹下しづの女(金子兜太さんがファンだった)、阿部みどり女、高橋淡路女(ル あわじじょ)、そして情熱の俳人・杉田久女、らが俳壇の内外に名をとどろかせる。

後の、キャッチフレーズにならえば、この五俳人、すべて俳号が「女」で終わっているので、「五J」といいたくなる。

それはさておき、彼女たちの例句を一句ずつだけ挙げておきたい。

長谷川かな女

羽子板の重きが嬉し突かで立つ

竹下しづ女

短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(ル すてちまおか)

阿部みどり女

空蝉のいづれも力ぬかずゐる

高橋淡路女

散り牡丹どどと崩れしごとくなり

杉田久女

旅つぐやノラともならず教師妻

 

大正期の女流俳人のあと、昭和前期、それを引きつぐかたちで、ふたたび虚子の「ホトトギス」から新しい感覚の才能が登場してくる。「ホトトギス」女流俳人の俊英「四T」である。

三橋鷹女(たかじょ)、橋本多佳子(たかこ)、中村汀女(ていじょ)、星野立子、の四人。例によって彼女たちの句を。

三橋鷹女

夏痩せて嫌ひな物は嫌ひなり

橋本多佳子

白桃に入れし刃先の種を割る

中村汀女

外にも出よ触るるばかりに春の月

星野立子

父がつけしわが名立子や月仰ぐ

この星野立子はもちろん虚子の愛娘。虚子の著作に「立子へ」と題する、虚子の俳句への思いを伝える、虚子を語るとき、よく引かれる一冊がある。

その立子のこの一句。「父がつけしわが名立子や月仰ぐ」——すぐわかるように虚子の提唱した定型、五七五ではない。定型にしようと思えば、すぐに可能な句である。「父つけしわが名立子や月仰ぐ」としてもよい。しかし、彼女は五七五ではなく、ご覧のように、敢えて、六七五とした。

虚子はどう思ったのかしら。興味ぶかい。

それはともかく、女性俳句作家たちの誕生までプロデュースした虚子、また、ひとくせも二癖もある男性の俳句創作者たちをも含めて、「ホトトギス」を拠点として、たばねて、リードした虚子の組織力、また経営力は想像を絶する、といってもいいだろう。大悪人、大頭目の大虚子、とも言いたくなる。

 

子規と虚子がいなかったら、今日の俳句は、また歳時記はどうなっていたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

季語道楽(48)好戦的俳人?いや、俳人的哲学者  坂崎重盛

  • 2021年5月19日 15:31

九冊の虚子文庫本の拾い読みを楽しんだ。そして、虚子のことを、ほとんど知らなかったことを思い知らされた。ぼくが知る虚子とは、その俳句の代表句のごく一部と、子規とともに俳句にかかわってからの、ほとんどがエピソード的側面のみ。たとえば︱︱

  • 虚子は同郷・松山の子規に誘われて俳句に関わるようになるが、最初のき

っかけは、野球に熱中する子規が碧梧桐とともに高濱君(のちの虚子)を野球の仲間として呼びこんだことから。

  • はいごうの「虚子」は本名の清「(きよし)」を子規が音をそのまま「虚子

(きよし)」とした。このエピソードは子規の俳諧、滑稽気分を示していて楽しいし、さすが見事なコピー感覚である。

  • 子規は主導してきた「ホトトギス」を、自分の後継者とし愛弟子、虚子に

引き継いでもらおうと話を持ちかけるが、これを、子規のような学級肌ではないことを自覚している虚子が断り、子規をがっかりさせている。いわゆる「道灌山事件」。

  • 子規のもと、同郷の松山で学生時代からの親友で俳句を共に学んだ河東碧梧桐とは、子規死後ののちに俳句に対する理念の違いから厳しく批判、生涯のライバルとなる。
  • その河東碧梧桐は、虚子が一時、俳句より小説の創作に情熱を注ぐ間、季

語や五七五の定型にこだわらない、より自由で新興的な俳句、“自由律”の世界を提唱、旺盛な実作や全国を踏破しての普及活動によって世の支持を受けることになる。句界は新興俳句ブームを迎える。

  • この、碧梧桐をリーダーとする“革新的”伝統逸脱の俳壇の状況に強い危

機感を抱いた虚子は、小説創作の世界から、再び俳句の世界に舞い戻り、“客観写生”“花鳥諷詠”の二本柱の理念を死守して、また多くの後進を育てて俳句界の領袖的存在、大虚子となる。

  • 虚子の下で学んだ、水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝、高野素十は名の頭文字が「ホトトギス」の「四S」と呼ばれたが、水原秋桜子と山口誓子は、共に「ホトトギス」を離れ、より近代的な感覚の新たな道を進むこととなる。

︱︱と、いったあたりだろうか。

虚子の世界のアウトラインを知るためには、当たらず遠からずの知識だったかもしれないが、今回、心おもむくままに虚子本のページをめくってゆくと、改めて虚子の存在のスケールというか懐の深さ、ファイトスピリッツ、また詩作の柔軟さ、言語扱いの妙などを知らされることとなったのである。

当然といえば当然のことながら虚子は、単にエネルギッシュな、世間や社会に対し押し出しの強い、上昇志向だけの表現者ではなかった。俳句という一事を生涯にわたって考えつづけ、実作し、後進を育て上げ、また、その理念、言葉を磨き上げつづけた、一面、実践的哲学者の貌(かお)すらうかがわせるのである。

ぼくに、このような思いに立ち至らせてくれた虚子文庫本を、一冊ずつ、サラッとおさらいしてみたい。精読でも熟読でもなく、気ままなチラ読みですが。

 

  • 『俳句へのみち』

    俳句への道 著:高浜虚子

    俳句への道 著:高浜虚子

この「序」に

この書に輯(あつ)めたものは私が従来しばしば陳(く)べ来ったも

のをまた言を改めて繰り返したものに過ぎぬ。私の俳句に対する初心に

変わりはない。

と、ことわりつつも、

しかし時に応じ物に即して筆を採ったものであるから、今の俳句界に対

して無用の言とはいえないであろう。(傍点、坂崎)

と、晩年(昭和二十九年)でも、気力の衰えは見せない。この虚子の俳句語りは、次女・星野立子の句誌『玉藻』に連載、自論の“客観写生”や“花鳥諷詠”を、初心者をも意識しつつ語った貴重な記録とされている。

虚子文庫本、まずはということで『俳句への道』を、飛ばし読みするつもりでページを開いたら、この一冊が虚子の俳句理念をすべて(しかもくり返し)語っていることにすぐ気がついた。この一冊がきちんと読めれば、虚子の思いを汲むことは可能となるはずだ。

「俳句」と題する項、まず、“客観写生”が語られる。「客観写生(客観写生︱︱主観︱︱客観描写)」と題する一文。引用したい。

私は敢えて客観写生ということを言う。それは、俳句は客観に重きを

おかねばならぬからである。

俳句はどこまでも客観写生の技倆(ぎりょう)を磨(みが)く必要が

ある。

*

その客観写生ということに努めて居ると、その客観写生を透(とお)

して主観が浸透して出て来る。作者の主観は隠そうとしても隠すことが

出来ないのであって客観写生の技倆が進むにつれて主観が頭を擡(もた)

げてくる。

︱︱なんか、仏門の問答のようで、こういう言葉に接すると、ちょっと戸惑うのではないか。虚子はさらに言葉をつづける。

客観描写ということを志して俳句を作っていくという事は、俳句修行

の第一歩として是非とも履(ふ)まねばならぬ順序である。

ま、仮にそれを了承したとしても、では、その「客観写生」」という耳慣れない“虚子用語”は何を意味することなのですか? と問いたくなる。老練なる論客・虚子は、すでに説明を用意してある。

客観写生ということは花なり鳥なりを向こうに置いてそれを写し取る

事である。自分の心とはあまり関係がないのであって、その花の咲いて

いる時のもようとか形とか色とか、そういうものから来るところのもの

を捉(とら)えてそれを謳(うた)う事である。

と説明し、さらに簡潔に、

だから殆ど心には関係がなく、花や鳥を向こうに置いてそれを写し取る

というだけの事である。

と断定。(え? 俳句という表現に心は関係ないの?)といいたくなるが、早合点してはいけない。

そういう事(✻花や鳥を写し取る)を繰り返してやっておるうちに、そ

の花や鳥と自分の心とが親しくなって来て、その花や鳥が心の中に溶け

込んで来て、心が動くままにその花や鳥も動き、心の感ずるままにその

花や鳥も動き、心の感ずるままにその花や鳥も感ずるという事になる。

(中略)

自分の心持を諷(うた)う場合にも花鳥は自由になる。

客観写生の要点、というか要諦は「俳句は客観写生に始まり、中頃は主観との交錯が色々あって、それから終(しま)いには客観写生に戻るという順序を履むのである」ーーというのが虚子の俳句理念の二本柱のうちの太い一本である。

さて、もう一本の柱、虚子自ら編となる歳時記の表紙に、その四文字を博押しするほどの虚子製キーワード「花鳥諷詠」と題する一文ーー。

書き出しから、いかにもファイター虚子先生らしく、いきなり先制

のパンチをくりだす。

俳句でない他の文芸に携わっている物が「花鳥諷詠」を攻撃するならば聞こえるが、俳句を作っている者が「花鳥諷詠」を攻撃するのはおかしい。

と、ジャブのあとに、力を込めてフック、あるいはアッパーカットだ。

俳句は季題が生命である。尠(ル すくな)くとも生命のなかばは季題で

ある。されば私は俳句は花鳥(季題)諷詠の文學というのである。

花鳥、つまり自然と季語(虚子は専ら季題という言葉を使っている)として用いられる短詩型文芸が俳句だ、といっているのだ。だから、

季題というものを除いては俳句はありえない、それは俳句ではないただの

詩となる。詩としては成り立つが俳句としては成り立たない。

と主張する。とどめの一発、いや、一行はこの言葉だ。そんなに季題に抵抗を感じ、否定したいならばーー

季題の拘束のない他の文芸におもむけばよい。

この俳句という文芸の世界にとどまっている必要などないのではないか、と挑発する。季題に深い思いを抱く、この俳人は、

天然現象(花鳥)に心を留めると忽(ル たちま)ちゆとりが出来る。尠

くとも諷詠しようとする人の心にはゆとりが出来る。

(中略)

自然(花鳥)と共にある人生、四時の運行(季題)と共にある人生、ゆと

りのある人生、せっぱ詰らぬ人生、悠々たる人生、それらを詠うのに適し

たのが我が俳句の使命であると思う。

虚子の花鳥諷詠、つまり、これまでの季題信奉の言に接すると、こちらもなにか幸せな気分となってくる。

昭和初頭、東京のトレンドのシンボル的丸ビルに事務所を置いて、世俗的にはイケイケ派のように見られながらも、その俳句理念は無季語、無定型の“新派”に対して、自らを「守旧派」あるいは「伝統派」と名づけて闘いつづけてきた虚子だったのである。

『俳句への道』は読み飛ばせなくなった。他の虚子文庫をながめつつ、とにかく、この一冊を精読することにする。八十歳に近い虚子の、俳句という特殊な文芸ジャンルを守るための、休みない闘いの記録、記憶がここに語られているからだ。くりかえすが、掲載されたメディア『玉藻』は父・虚子の肝入(ル きもい)りで、娘・立子の主宰する句誌であり、初心者の同人、句の投稿者も少なくなかったという。

そういう読者に向けての配慮を、したたか、練達の虚子が軽視するはずがない。

虚子は、自説の“客観写生”と“花鳥諷詠”について、言葉や角度を少しづつ変えながら、くり返し説明しようとする。「何度でもいうぞ!」という、強い“圧”が虚子の本領である。

「客観写生(再)」の項―—。再度、客観写生のことについて“粘土”という物体の巧みなたとえを使っての印象的な一節だ。

客観写生ということは、客観を見る目を養い、感ずることを養い、かつ

描写表現する技を練ることである。

とまずは端的に断定する。これにつづく言葉は、その説明となる。

客観を見る目、感ずる心、そうしてそれを描写する技、それらを年を重

ねて修練し、その功を積むならば、その客観は柔軟なる粘土の如く作者の

手に従って形を成し、客観の描写ということがやがて作者の志を陳(ル の)

べることになり、客観主観が一つになる。

――と、そして、

客観写生ということを修練した人の俳句と、客観描写をおろそかにした

人の俳句とは直ちに見わけがつく。

“直ちに見わけがつく”とまで師に言われては、後進、塾生、同人はちょっとビビってしまうにちがいない。虚子のカリスマ性発揮。

そして、トドメはこうだ。

客観写生ということは浅薄な議論のように考えて居る人が多い。しかし

自然を軽蔑する人に大思想は生まれない。大自然を知ることが深いほど作

者の心もまた深くなってくるわけである。大自然を外してなんの心ぞや。

 

「極楽の文学」と題する、つい、座り直して読んだインパクトの強い一文がある。引用したい。

私はかつて極楽の文学と地獄の文学という事を言って、文学に二種類が

あるがいずれも存立の価値がある。

ここまではともかく、次の一節がほう! そうだったんですか! と改めて気づかされることとなる。つまり―ー

俳句は花鳥諷詠の文学であるから、勢い極楽の文学になる。

花鳥諷詠イコール極楽の文学ー―は次に説明される。

虚子のもの言いは、必ずしも順序だてた三段論法的表現をとらず、「なぜかというと」という中断をすっ飛ばして断定してしまうことが少なくない。無意識だろうがプロパガンダの手法ではないか。

飛ばした中断がフォローされる。

如何(ル いか)に窮乏の生活に居ても、如何に病苦に悩んでいても、一

度心を花鳥風月に寄することによってその生活苦を忘れ、たとえ一瞬時と

いえども極楽の境に心を置く事ができる。俳句が極楽の文芸であるという

所以である。

 

これまで紹介してきた、最晩年近くの俳話『俳句への道』では、さらに客観写生、花鳥諷詠が語られるが、俳句の“功徳”もたびたび披露される。「俳界九品仏」と題する一文。

私はかつて『俳諧須菩提境』(ル はいかいすぼだいきょう)というものを

書いた。これは仮にも十七字という俳句に接したものは悉(ル ことごと)

く、成仏するということを書いたのです。

「俳句に接したものはことごとく成仏する」︱︱ずいぶん思い切った断定である。いってみれば「俳句教」あるいは「俳句禅」? 虚子の言葉を聞こう。すごいですよう。

立派な俳句をつくる人はもとより成仏する。立派な俳句を作らぬ人でもと

にかく俳句を作った人なら成仏する。俳句は作らないがしかし俳句を読ん

で楽しむ人ならこれまた成仏する。読んで楽しまなくてっても唯(ただ)

俳句を読んだことのある人も成仏する。読まなくても俳句というものに目

を触れた人なら成仏する。また、俳句という名前だけに接しただけの人で

もなお成仏する。成仏するというのは俳句に対して有縁の衆生となるとい

うのである。

まるで「南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ」と唱えれば、それだけで極楽成仏できるという浄土宗の教えの俳句版ではないか。虚子の俳句への確固足る決心がうかがえる言説だ。しかも、俳句は「極楽の文芸」であり、俳句により「成仏できる」というのだから、一心に念仏を唱える「往生要集」ならぬ、俳句専心の『俳生要集』。虚子を教祖とする「俳句教」だ。

皮肉で言っているのではない。ぼくなど、これまでの生半可な予備知識で、この俳句史の壇上にどっかと座るカリスマ虚子に対しては複雑な印象を抱いていたが、この『俳句への道』を読み進むうちに、虚子の人間としての大きさ、懐の深さ、組織力、オトボケ、挑発、また後進への、暖かい眼差しが感じられて快い。

虚子の俳句への思いを知りたければ、まず、この一冊だな、と思い定めた次第。あとは、その虚子の俳句に接するしかない。手ごろなところでは、すでにリストとして挙げた『覚えておきたい虚子の名句200』。

さほど期待して入手した思いはなかったはずだが、一頁一句の紹介とその解説、また巻末の「虚子名言抄」や「略年譜」、そして「初句索引」や「季語索引」と親切な編集・構成。この文庫も結局、「はじめに」から、奥付け対向ページまで完読してしまった。

本文、マーカーによるラインだらけ。憶えのためのフセンがぼうぼうと萌え出る若草のごとし。

虚子編 季寄せ 改訂版 編:高浜虚子 三省堂

虚子編 季寄せ 改訂版
編:高浜虚子
三省堂

虚子編になる『季寄せ』(三省堂寒初版一九四〇年 改訂四八刷)に関しては、その書影だけ掲げて、ここらで虚子離れをして、実際、虚子の下から離れて、別の俳句世界へ旅立った、水原秋桜子と山口誓子のかかわる歳時記と、その理念をたずねてみたい。