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北国から  石井紀男

  • 2022年12月22日 16:36

石井紀男
昭和十五年一月一日生 北海道上川郡剣淵町出身 中央大学文学部仏文科卒 フリーライターを経て徳間書店に入社、文芸編集部門を担当、退職後コニカミノルタのPR誌『月刊遊歩人』の編集を経て、現在に至る。

 

私の郷里、北海道はもう雪になっているだろう。最近は雪の量も少なくなっているようだから、まだ根雪にはなっていないかも知れない。かつては十二月ともなれば、完全に根雪で、野原も道路も真っ白になる。酒類食品雑貨商という田舎のなんでも商う店が生家だった。
雪の降った朝は、取り敢えず店の前の五十センチ以上ある雪を、お客さんの為によけなければならない。これが毎朝の日課だった。
寒いなんてものじゃなかった。
「雪は、嫌だった」
そんな雪深い田舎で育った。

なにしろ病弱だった。
小学二年生で、大病を患った。肺結核の一種で肺に水が溜まる膿胸が病名だった。
道央の旭川市が一番近い都会だったが、当時は宗谷本線で二時間はゆうにかかった。
近くに入院する病院などはなくて、自宅で寝かされて十カ月。
学校の担任の先生も代わった。友達もいなかった。遊び相手と言ったら、ちょっと太った猫くらい。
少し良くなって、起きられるようになると、近所の同級生の女の子のうちにおもちゃ道具を抱え、学校帰りを狙って、出かけるくらい。おままごとの好きな男の子なんてものは、相手の女の子には迷惑だったかもしれませんね。
この時の私を見てくれていた医者は、北海道大学医学部を出たばっかりの先生で、出来立てホヤホヤだった。のちほど、高校生の頃に偶然この先生の診察を受けることになった。
「君が子供の時は大変だった、今なら抗生物質があるからね、治療は簡単だが、あの頃はやばかったよ。八歳だったか。これは助からない、大人になることはない、それで、目の前で死ぬのを見るのは嫌だったから、怖くなって、僕は病院に帰って、もうダメでした、という連絡が来るのを待ってたんだ。しかし、生き延びたんだ。よかったな!」
まぁ感動の対面だったけど、情けない先生だなと思った。
学校にはなじめず、一人で本を読むか、お絵描きぐらい。
体育の時間ともなると、先生は、私を指さし、ピンと横に振る。列をさっさと離れて、見学しろの合図だった。学校はつまらないし、私という存在もつまらない奴だった。
中学に入ってから、転機がきた。
自家製のスキーを近所の馬橇屋さんで、先端を曲げて、それらしい形にして、皮の尾錠のようなものを。鉄工場の職人さんに作ってもらって、徒歩で一時間はかかる小高い丘のスキー場へ出かける。けっこう滑れた。回転、ジャンプ、平気だった。この手製のスキーはすぐに壊れて。当時最新式のカンダハーというものに変わった。
スケートも、兄に買ってもらったスピードスケート靴で颯爽と滑った。スケートリンクが無かったので、高校生の時には自分達で校庭に水を撒いて作ったりした。
それからは、健康になった。風邪も滅多にひかなくなった、のはなぜだろうか。
雪国も住めば悪くないかもしれない。

春になると東京よりは少し遅い四月、学校の校庭の凍っていた根雪が、少し解け始めると、冷たい雪の上に水の流れができ始める、真っ白い川の上を透明な水がサラサラと流れていく。水蒸気が晴れた空に昇っていくのです。
春の小川?  ちょっと違うけど、まぁそんなものさ。
雪ノ下から、ようやく土が現れる。
こんな時の、新鮮な土の匂いっていいもんですよ。
なにしろ半年ぶりの土なんですから。

『みんな、子供だった』

  • 2022年12月22日 16:35

『みんな、子供だった』

Toutes les grandes personnes ont d’abord été des enfants, mais peu d’entre elles s’en souviennent.
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。」(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)

Le Petit Prince (1943) de Antoine de Saint-Exupéry / 『星の王子さま』 サン=テグジュペリ



「それぞれが生きた時代の出来事や世相や風俗が、まさに少年・少女のまなざしで受け止めてあるだろう。また受け手の背丈に応じて正確に縮小されている。小さな生きものの小さな日常から見えてこないか〜〜そこでは誰もが即席の詩人であり、即席の思想家であり、即席の科学者であって、何が自分にとって必要であり、何が無用か、よく知っている。必要以上は願わない。そんな幼い者たちの生理をなるたけ損なわずに写し取ろうとした。

 

幼い人生の始まり、最初の一歩の行く末をそれとなく暗示している。それがどう進むか。むろん当人にもわからなかった。しかし、実をいうと、あるおぼろげな予感があり、予感こそ正確な手引き役になる。あとになってわかるのだが、最初の一歩が、しばしば最後の一歩になった。」

 

これは、ドイツ文学者で、エッセイストの、池内 紀さんの『みんな昔はこどもだった』という書籍の一節です。

 

誰もが、みんな子供でした。その頃の記憶が残るのは、おそらく5歳くらいからでしょうね。そして、小学校、中学へと。
どんなことがあったでしょうか?
とにかく、遊びです。メンコ、地方によってはパッチともいいましたね。かくれんぼ、鬼ごっこ、ベーゴマ、馬乗り、ケンケン、チャンバラ、花いちもんめ、なんてのもあった。でもこれは、旧世代のものですね。
それから、友達との喧嘩や、仲直りや、初恋やら、転校や、それぞれが体験したことは、ひと様々です。それは、年代によっても、場所によっても違います。まさに、千差万別です。
例えば、この前の戦争(太平洋戦争です)をのあと、どこで生まれ、育ったかによって、大きな違いがあります。都会か、田舎か、はたまた外地かなんてこともあるかもしれません。

 

そこで、私たちが、さまざまな体験したこと。見聞きしたことを、それぞれに、取り出して、書いてみる。それも、せいぜい十代のうちに限ってです。

 

人生の選択や、利害の交換、生き方、行く末がなんとなく気にかる、不安な、暗い、迷いが見え始めるハイティーン、そして学生の頃になると、体験や記述に邪な欲望が生じるのではないかしら。要するに見栄が混じるわけですね。そうすると、自分をかっこよく見せようとし始め、欲得がでる。これは本来の趣旨とずれます。

 

全く無邪気とはいきませんが、やはり、無欲な子供の姿が、中心です。

 

「みんなこどもだった」という形で、エッセイを募集します。八〇〇字から千字くらいの短いものです。稿料は払いません。何しろ勝手ですから。
ホームページのスタイルで、投稿を呼びかけ、それぞれに本人のプロフィールをつけてもらいます。

 

コラム『みんな子供だった』は、それぞれの投稿者の時代、環境、生活空間、場所、世代、性別差、あらゆる要素が複合的にあらわれて、読者にとっても面白いエッセイ集になるものと、思われます。
それに、これは無限大ですから。