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新・気まぐれ読書日記 (51)  石山文也 牛車で行こう

  • 2017年9月20日 10:29

購読紙の書評を読んで行きつけの書店に注文したら珍しく「版元重版待ち」とのこと。次はこれ、と意気込んでいた『牛車で行こう!』(京樂真帆子著、吉川弘文館刊)は副題に「平安貴族と乗り物文化」とあるから地味でマニアックな分野と思ったのが外れた。著者は私が住む滋賀県の県立大で人間文化学部の教授をつとめる。地元のチェーン店とはいえJRの駅を利用する際に立ち寄る小ぶりな書店なので新刊が必ず店頭にあるとは限らない。それにしても版元にもないとはよほど書評が<受けた>からなのか。この「読書日記」で書評子を紹介したことはなかったが入荷まで数週間待たされたので<勝手な思い込みかもしれないけれど>と断った上で清水克行・明治大教授(日本中世史、社会史)と明かしておく。見出しも「間違いだらけの車選び」。自動車評論家として活躍した徳大寺有恒の「間違いだらけのクルマ選びシリーズ」を思わせる。和歌でいえばまさに<本歌取り>、全国紙だけに私と同じような購買行動に走った?歴史好きが多かったのではあるまいか。

京樂真帆子著『牛車で行こう!』吉川弘文館刊

「職場での地位もそこそこ上がって経済的に余裕もできた。そろそろ憧れの牛車でも買って平安貴族のようなカーライフを満喫しようかというセレブにオススメな本がついに刊行された」と始まる。【車種】、【乗り心地】、【乗り方】、【マナー】と続くが【車種】を例に取ると、まず大事なのは車種選び。唐車(からぐるま)はベンツ、檳榔毛車(びろうげのくるま)はクラウン、網代車(あじろぐるま)はアクア。清少納言は檳榔毛がイチオシのようだが、やはり自身の分を弁えて、愛車はしっかりと選ぼう。それぞれの注意点を平安時代風にいうと面白おかしく「へうげて」続き、最後は「牛車を買おうという気のない人でも、牛車をめぐる悲喜劇を読むだけで十分に楽しめるだろう。また同時に古典や日本史の理解も深まること請け合いである。牛車は高価な買い物だが丁寧に扱えば数世代にわたって乗れる。買ってから後悔しないよう、購入を検討している人は、ぜひ事前に本書を熟読してほしい」と笑わせる。

 

ところが届いた本を実際に読んで意外だったのは「ベンツ、クラウン、アクアのたとえ」は著者が実際の授業で牛車の車種を学生に説明するときに使っていた。何だ、そうだったのか!その愛車はクラウンと同じトヨタのアクアというから、これも現代っ子たちには分かりやすく人気授業であるに違いない。

 

あらためて「車を選ぼう」で車種と身分・階層について。

そもそも牛車に乗ることができるのは、中流以上の貴族であって、逆に言うと、牛車に乗ることが貴族身分を表すことになる。荷車ではなく人が常用する車が広まっていったのは(=平安時代のはじめ)9世紀頃と考えられている。牛が引く車に乗るという習慣はまず女性貴族から始まり、徐々に男性貴族に広まっていった。牛車の中でも最高級車は唐車で唐庇車(からびさしぐるま)とも呼ばれ屋根の形に特徴があり今で言う高級外車のようなもので天皇や皇后、摂政、関白が乗るものだから平安京内でもそう簡単に遭遇できる車ではなかった。

 

次のランクは檳榔毛車で毛車(けのくるま)ともいった。うちわなどにも使われた檳榔という植物の葉を裂いて糸状にしたもので車体を編んだ車で糸を煮沸するので色素が抜け車体は全体に白っぽくなる。車体側面に窓=物見がないのも特徴で、四位以上の位を持つ大臣や大納言、中納言といった上級貴族の公卿たちが乗ることを許された。次が糸毛車、中宮や東宮、女御などが乗る車で車体全体が色糸で覆われており、模様が散らされている。1953年、大映のカラー映画『地獄門』(衣笠貞之助監督)では京マチ子演じる袈裟という後白河法皇の姉の上西門院のお付き女性が敵の目を欺くために身代わりとなって唐車を走らせまんまと成功する。追手が「あ、上西門院様のお車だ」と言って追いかけ始めたのは、車種がそのまま身分・階層を示すものだったからで時代考証的にも正しいという。毎年10月に行われる京都の時代祭に登場する牛車である。

 

最も一般的に乗用されたのは檜皮(ひわだ)や竹を薄く削り、あるいは細く割った板を網代(あじろ)に組んだものを車体に取り付けた網代車で、貴族が広く日常に使った。今でいう大衆車に相当し、女性が乗る「女車」、男性用の「男車」、はたまた身分を隠すためにいずれかを装ったものとさまざまあったからこれに乗るだけでは個人の特定はまず不可能だった。表紙に使われた京都府宇治市の「源氏物語ミュージアム」に復元されたのがこれにあたるそうだ。

 

『牛車で行こう!』はいよいよ佳境、平安貴族になったつもりで牛車に乗るシミュレーションに移る。まず大切なのは「牛車は後ろ乗り、前降り」というルール。後ろから乗るのはわかるとして前には牛がいるではないかと思われるかもしれないが、目的地に着くと降車のためにまずは牛を車から外して、少し離れたところに移動させる。これを「車かけはずさせ」といい、降車の邪魔になる牛をいったんどかせる。失敗例として挙げられたのは源平合戦の時代、北陸道を制圧して上洛した木曽義仲は官位を得て公家と同じように振舞おうとしたが生まれて初めての経験だったから大失敗をしてしまう。西国に落ちのびた平宗盛が京に残した牛車を使ったが後白河法皇の御所でそれを従者の雑色が教えてくれたのを無視し「いかに車であろうとも素通りなどすべきではないよ」と言い、後ろから降りてしまう。これが『平家物語』に書かれて、田舎者の武士は常識知らずととんだ笑いものになってしまった。

 

定員は4人乗り。『蜻蛉日記』などを引用して牛に近い前方が上座で前列右側が一番上席、その左側が二番目、後方左側が三番目、右が四番目となるが一人で乗車する際はふんぞり返ってまん中、ではなく前方左側が定位置になると解説する。身分の高い人と同乗する際に席順を間違えたりしたらとんでもないことになるし、嫌な人物と乗り合わせても用意してくれた人の手前もあるからひたすら我慢すべしと。さらに道で貴人の車と行き合ったらまず車を道端に停め、牛を外して車体を貴人の車に向けて傾ける。乗っている人全員が直ちに車を降り地面にひざまずいて心からのお辞儀をするのが礼儀という。車列が通り過ぎたら牛を元に戻して再度、乗り込むことになるが運が悪いとこれを何度も繰り返すことになる。それでも牛車に乗ることはステータスであり、決まりごとを守るのが当時の貴族の日常だから<歩いて行った方がマシ>とはならなかった。

 

車を引く牛にも詳しい。牛の着脱が牛車の運行の<鍵>であって車に牛をつけることを「車をかける」、牛を外すのを「車をおろす」と表現した。その牛にもランクがあり、とくに黄牛は「あめ牛」といい高級とされた。清少納言は『枕草子』にあめ牛が荷車を引くなど似つかわしくないと書き、このエンジン(=牛)は性能(=車を引く力)だけではなく見映えまでが評価の対象となったことがわかる。清少納言のお気に入りは、額は少し白みがかかっていて、腹の下、足、尾が白い牛。好みの牛飼童は大柄で髪が豊かで、赤ら顔の才気走った者であるという。才気走った者というのがいかにも「らしい」ですねえ。ところで近年の時代祭などに登場する牛は例外なく黒毛和牛である。牛飼童役も赤ら顔の若者なんていないからこちらも当世風のイケメンが選ばれる。

 

余談ながら『牛車で行こう!』というタイトル、私も一時熱中した電車運転シュミレーションゲーム「電車でGO!」を真似て『牛車でGO!』ならもっと面白いのにと思ったが(もちろん商標登録の絡みもあるからから無理だけど)著者は「あとがき」で、車は助手席ではなく運転席のほうが好きであるし、電車に乗ると運転席の後ろに陣取りたくなる。飲み会の後で教え子に連れられていった水戸のゲームセンターで「電車でGO!」を初めて体験した時には、学生にその席を譲ることなく熱中したものだったと書く。平安時代研究者としてリアルに牛車を描きたいという思いで書き綴ったこの本の根底にはわたしの乗り物好きがあるのだろう。平安京に暮らすように歴史を語りたい、というのはわたしの研究者としての信念でもあると結ぶ。こちらもお名前(=京樂)を<平安「京」を「樂」しむ>と覚えておくがなかなかお茶目というか、オモシロ真面目な方であろうと想像する。

ではまた

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