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書斎の漂着本(97) 蚤野久蔵 日本と世界の人名大事典

  • 2017年1月30日 22:58

この角度なら題名のように<大事典らしく>見えるから不思議だ。実際のサイズは縦15センチ、横10.5センチのA6判だからA4コピー用紙の四分の一の大きさ、厚さは3センチで全826ページ。もっとも「縮刷版」とあるのだから細かいことは抜きに「掌にすっぽり収まる小型本」だけで良かったか。谷山茂編『日本と世界の人名大事典』(むさし書房刊)は長らく事典や図鑑、辞書類の棚の隅に眠っていた。奥付をみると昭和49年3月10日発行の12訂刷で、定価は1,300円だからリーズナブルな値段だとしても新刊で買ったとは思えないからやはり古書店で見つけたのだろう。値段も数百円か、せいぜい5百円止まりだったはずだからいつどこの古書店で入手したのかも忘れてしまった。そのうえせっかく手に入れたのに他に日本人、外国人などに分かれた人名事典がそれぞれ何冊かあるので引いてみる機会もなかった。まさに「不遇な漂着本」だったわけだが前々回、前回と小型本を取り上げたので、ついでの機会に3冊目を、となった次第である。

谷山茂編『日本と世界の人名大事典』(むさし書房刊)

谷山茂編『日本と世界の人名大事典』(むさし書房刊)

あらためてこの本のどこに関心を持ったのだろうと考えてみる。なぜ買う気になったか?ですね。でも単に安かったからではなさそうで、そりゃそうだ。何かのわけがあるはず・・・。このカットはどこかで見たような・・・。ギリシャ彫刻・・・そうか、ミロのヴィーナスだ!それは間違いないけど、これに魅かれたわけじゃないし・・・ウーム・・・。理由をあげるならやはり冒頭に紹介した小型本なのに大事典とあるところ。もうひとつは、人名事典は同じ出版社でも日本人名、外国人名と別々になっているのが普通なのに、この1冊で両方が引けるというのが面白いと思ったのではなかったか。世界的大ヒットとなったあのピコ太郎のPAPPほどではないが<ありそうでなかった組み合わせ>である。私見であるが人名事典が分かれているのは編著者の専門分野が大きく日本史、世界史にジャンル分けされるのと、例えば図書館に納入するにしてもあわよくば両方買ってもらえるとすれば出版社の営業政策からみても有利なのではあるまいか。

編者の谷山茂は表紙に大阪市立大学名誉教授、文学博士とあるだけなので他の人名事典で調べてみると明治43年(1910)生まれ、岡山県出身、京都帝国大学文学部国文科卒。大阪市立大学の助教授、教授を歴任、定年退官後に京都女子大の学長をつとめた。中世和歌文学とくに藤原俊成・定家研究の第一人者で、日本学術会議会員、『新編国歌大観』代表編集委員。『新古今集とその歌人』で角川源義賞を受賞、平成6年(1994)に亡くなっている。

谷山博士は「はしがき」で選考の基準について述べている。
古代から現代にいたる世界の歴史は、休むことなく進んでいる。本書はその歴史をつくる人間の中から、人類文化の発展に、民族国家の興亡に寄与した人物を、政治家・科学者・武将・経済人・芸術家・宗教家などあらゆる方面から古今東西に求めて、その実績を記述し、適切な解説をほどこしたものである。その大部分は私たちの処世の範となる偉人英才であるが、なかには、ふたたびこのような人が現れないことを人類のために祈りたい人物もある。正と不正、善と悪といった固定観念によらず、ある時代、ある世代の歴史を作り、時代を動かし、また世に影響を与えた人物約六〇〇〇名を挙げた。

「ふたたびこのような人が現れないことを人類のために祈りたい人物」ですか。古くは帝政ローマの暴君・ネロ、血の粛清の旧ソビエト連邦のスターリン、ユダヤ人大虐殺のナチス・ドイツのヒトラー、隋の煬帝(ようだい)、カンボジア、クメール・ルージュのポル・ポト将軍、文化大革命の下放政策で多くの犠牲者を生んだ中国の毛沢東、人食い大統領と言われたウガンダのアミン大統領・・・。このなかでポル・ポトとアミンはなかったが、まだまだあるのでしょうねえ。ちなみに「あいうえお順」なので【あ】は江戸末期の儒者で水戸学の代表的思想家、会沢正志斎(あいざわ・せいしさい=1782-1863)から始まる。続いて古代ギリシャの詩人、アイスキュロス(前525ごろ-前456)。ギリシャ悲劇の代表『アガメムノン』で知られる。3人目が大正・昭和期の詩人、会津八一(1881-1956)、4人目がアメリカの軍人・大統領、アイゼンハウアー。「アイク」の愛称で呼ばれた。水戸学、アガメムノンの解説などがあってこれでちょうど1ページである。いちばん最後は【わ】の完顔阿骨打(わんやんあくだ=1068-1123)で中国(満州)金の初代皇帝。女真族の出身。契丹(きつたん)の遼(りょう)の支配から独立し、1115年ハルピン付近の会寧府(かいねいふ)に都して、国号を金と定めた。のち宋と結んで、遼の勢力を満州から駆逐することに成功した。

残念ながら私、最初の会沢正志斎もこの完顔阿骨打も知らなかった。紹介したのは最初と最後だけだったが日本人、外国人が混在しているところが面白い。しかも何ページにもわたって日本人名ばかりが続くところや外国人名ばかりのところもある。フランス国王もルイ9世、11世、12世、13世、14世、15世、16世、18世は載っているが8世までと10世、17世はどんな国王だったのか気になる。まあ8世までは特筆すべき事象はなかったのかもしれないが「喧嘩王」と呼ばれたルイ10世はわずか1年半の在位中、ブルゴーニュ公国やイングランドとの争いが絶えず、24歳の若さで急死した。もう一人のルイ17世はフランス革命で父のルイ16世と王妃マリー・アントワネットが処刑されるとパリのタンブル塔に幽閉されたままわずか10才で病死した。谷山博士はこの二人を外したのでこちらも他の人名事典で調べてわかった。

ここまで書いて、好奇心旺盛な私、そもそも縮刷版に先行する「元版」があったのでは、と酔狂にも版元の㈱むさし書房に問い合わせてみた。京都・大阪を結ぶ京阪電車沿線の大阪市阿倍野区美章園にある。以下がその報告である。

現在の代表者は『日本と世界の人名大事典』の発行者だった稲橋兼吉氏のご子息、俊治氏で事典類からは撤退したが学習参考書などの出版を手がけておられることがわかった。俊治氏の話では元版は昭和39年8月1日に発行、昭和60年代まで版を重ねたそうだ。大きさは縮刷版の倍のA5判、活版印刷で定価4,500円だった。一方の縮刷版は学生や社会人が気軽に引いてもらえるように内容はそのままで堅牢なビニール加工の表紙をつけて企画したが、最盛期はこちらの方が何倍も売れたという。人名事典は業界大手といわれる岩波書店や平凡社、三省堂などいずれも東京で、それに対抗して「大阪の出版社ここにあり」とがんばったものですと。なかでも当時は<人名事典のタブー>とされていた現存の人物も含まれていたため、改訂のたびに生没を調べたり、在庫を出荷する際に亡くなっている人物は同じ活字を使って手作業で没年を印字したりしたそうだ。「倉庫に何冊かあったはずだからよろしければ差し上げましょうか」というご厚意でいただいたのが下の写真左(昭和60年6月10日、改訂16版)である。

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「縮刷版を頼んでいた印刷所の火事で刷版が焼けて作り直したり、何でこの人物が入っていないのかとねじ込まれたり、ここが違うと熱心な読者から指摘を受けたり、色々あったようですけどすべて父の時代でした。いまは事典や辞書はみなさんネットや電子辞書で検索する時代ですからこれもいい思い出です」という俊治氏の声が耳に残った。

書斎の漂着本(96)蚤野久蔵 五分間演説集

  • 2017年1月10日 21:36

有名人といえども「スピーチが苦手」いう人は意外に多い。英国王・ジョージ6世も吃音(=どもり)を克服するまでは大変な努力を重ねたことをアカデミー賞の作品賞など4部門を受賞した映画『英国王のスピーチ』(2010年)で知った。「スピーチ下手の国民」と言われる日本人ならなおのこと悩みは尽きなかったろうから多くのハウツー本が出版された。先日、京大前の古書店で見つけて思わず購入した雄辧研究會編『祝辞挨拶五分間演説集』もそんな一冊である。幅9センチ、高さ14.5センチのほぼはがき大で336ページの外函付。昭和4年9月に大阪の村田松榮館から定価60銭で売り出されている。

雄辧研究會編『祝辞挨拶五分間演説集』(村田松榮館刊)

雄辧研究會編『祝辞挨拶五分間演説集』(村田松榮館刊)

この年は前年に起きた「満州某重大事件(張作霖爆殺事件)」での政府責任を追及する野党民政党の動きが不発に終わるなかで、天皇の<不信>により田中義一内閣が総辞職して、浜口雄幸内閣が誕生した。新内閣は緊縮財政を唱える一方では金解禁を実施するなど経済立て直しをスローガンに掲げたがそれは遅々として進まず、世界的な恐慌の波が目前に迫っていた。巷には「東京行進曲」、「君恋し」などが流れ、これらヒットレコードの映画化が進んだ。こうした時代背景が例文にも見られるのが興味深い。

表紙は蝶ネクタイにメガネと髭の「弁士」が握りこぶしを振り上げて熱弁をふるっている。例文の多くにあるように「諸君」から始まる演説そのままをイメージしたカットである。ガラスコップの水はまだ七分目ほどだから最初の一口を飲んだばかりだろうか。いや、題名が「五分間」だから水は単なる<お飾り>だったか。「水をさすのは止めろ!」とヤジが出そうなので本題に戻す。そもそも雄辧=雄弁とは弁論ともいい、歴代首相や多くの政治家を輩出した早稲田大学雄弁会が有名だが、この演説集を手がけた雄辧研究会なるものは正体不明で、書店のお抱え筆者が手がけたのかもしれない。いまどきの「専門ライター」ですね。

「序文に代へて」では「ラジオを聞きながらボロボロと涙を流している人があるかと思うと一方には馬鹿に興奮して聞いている人がいる。これを見てラジオに泣いたり、怒ったりしていると思ったら大間違いである。彼らはその放送された題目のプロット(筋)とリズムとを銘々の境遇に取り入れ、これに共鳴してある者は涙を流し、ある者は緊張するのである。演説もこれと同じだ。話す人は一人で聴者は多い。従って一人の口から出る同一の話によって聴者に多種多様なショックを与えることになるのだ」と演説の意義を強調する。そして「聴者の受け取る感動はラジオや蓄音器よりも深刻だ。それらは単に耳にだけしか刺激を与えないが演説となると話す本尊(=演説者)を前において耳と目の二覚官(=感覚器官)に刺激を受けるからである。話すということは文章よりも、その他あらゆる方法や機関よりも自己を表白する上において最も強い機能を持っている。しかし同じ話すにしてもその話ぶりに巧拙があり、その内容に貧富の差があり、態度やその他の影響も手伝って相手に与える反響に異同があり、時をすると目的と全く反対の結果を招くことがある。これらは話すことの最も下手な例である。ともかく人は巧みに話すことによって、自己の幸福をより多く受け取り得られるのである以上、何人も上手に話したいと望むのは人情である。本書はこうした要求に応じ、最も新しい時代において巧みに話すことを望む人たちに対し、何かの便宜を与えるであろうことを自信して現れた(出版した)ものである」とPRしている。「機関」は当時、情報を受信するための主要な手段だったラジオや蓄音機=レコードを指し、「内容に貧富の差がある」とはそれが「豊かであるか貧しいか」ということだろう。当時も今も変わらないが、こうしたハウツー本は「手に取ったときから<読後の効果>をそそのかすのである」と言ってしまうと身もフタもないか。

「演武場開場祝賀演説」は「諸君、今日の日本は奢侈淫靡の悪気流が渦を巻き、ただでさえ人は文弱に流れんとしているのであります。そこへ加えてあてにもならない平和論を振り回して惰弱の空気を吹き送るから士気の萎靡はほとんど収拾すべからざる有様であります。堂々たる日本男子でありながら白粉(おしろい)をつけ、香水を振りまいて得意然と反り返っているがごときはその現れである。恋愛至上主義だの、享楽気分だの歯の浮くような寝言ともうわ言とも分からぬことを臆面もなく吹き散らし、新しい思想の持ち主らしい顔で高く止まっている変性男子の多いのもその現れの一つであります。そんな奴らを跋扈させておいたら帝国の前途は一体どうなるのか、諸君、思いここに至るは痛憤浩歎、自ら涙のこぼれるのを覚える次第ではありませんか」が前段。「かかる軟体動物性時代において武士道的競技の随一なる柔道の修行を行い、かつこれを宣伝することはそれによって勇猛清廉なる男子的気象を養い、

おっと気象は気性の誤植とここでミスを発見!

頑丈事に堪える壮健なる肉体を作るのみならず、鼻持ちならぬ方今の文弱を押しつぶし、憐れむべき惰眠から叩き起こす痛快なる一大面棒である。かくして初めて我が帝国はその惰弱より救われ、淫蕩より引揚げられ、その尊厳と神聖とが保たれるのである。柔道の道場が開かれるのを見て痛快に堪えず、あえて駄弁を叩いてこれを祝し、諸君の批評に訴えるものである」。ウーム。

「只」や「之」などは平仮名にし、文語表現の一部は現代語に変えたが文弱、奢侈淫靡(しゃしいんび)、萎靡(いび)、跋扈(ばっこ)、痛憤浩歎(つうふんこうたん)、一大面棒(いちだいめんぼう)などは、正直、タイムスリップしてこの演説を聞いただけでは漢字を思い浮かべる自信はないことをおわかりいただこうとそのままにしてある。これが全文であるが率直に言って頭でっかちで龍頭蛇尾の見本のような気がする。

「結婚披露会にて」では大時代的な定型そのものだから失礼ながら皆さん下を向いてアクビしていそう。「本日は目出たき結婚披露会に招待の栄を受け、祝意を表するは私の欣慶措く能わざるところであります」から始まって新郎を「学識において徳望において青年紳士の模範的人格者であり・・・」とか新婦を「女学校在学時よりすでに才媛を唄われ、花の如き美貌と多方面にわたる高尚な趣味と貞淑なる婦道の持ち主で・・・」など誉めちぎって最後は「尾の上の松の幾千代かけて両君の上に幸多からんことを祈り、謹んで祝意と敬意を表する次第であります」と。ま、五分間なら居眠りまではいかないか、というのが意地悪な感想である。

勇ましいタイトル「壇上の獅々吼」として紹介されているのは移民問題、戦争と軍縮、芸術と思想、漢字の難しさとローマ字の普及、軍事演習と兵士の民家分宿批判とさまざまだがまさに雄弁会の面目躍如といったところだから少しばかり紹介しておこう。

「生ぬるい救済」は、当時流行した富豪からの寄付が病院や医学研究にのみ傾いているのをチクリ。「金ができると病気にかかりやすい」という経験からの思いつきかもしれない。せいぜい長生きして現生の享楽に耽溺したい、もし病気にかかった時はできるだけ尽力をつくしたいという人情に対しては非難をさしはさむ余地はない。寄付者に敬意を払うにやぶさかではないが、何ゆえに彼らは病院ばかりに寄付をしたがるのか。病院を建てるとその名は永久に残るからか。諸君、わが国の医療機関は大体において不自由を感じていないのであります。社会公共とか救済のためならばもっと緊急な火の付くようなことがたくさんある筈で、売名的ではなく真に社会を救済したいという精神があるならば火急なるものから順を追って救うことがより意義のある行為ではありますまいか。寒い夜を公園のベンチの上で明かしている幾千の失業者は少しも省みられずして、数年先または十数年先に至って初めて役に立つ救済機関(=病院)に寄付する篤志家の行為は涙ぐましいことではあります。だが、失業者に一杯のうどんを振舞うことは一時的ではあるが、それを知らない篤志家が多い現世相を何と言ったらよいのでしょう。私は売名を予期する公共事業には賛成できない一人であります。私もそう思うからこれには一応パチパチ(拍手)。

「ヤンキーの挑戦と国民の覚悟」では米国海軍が大正14年の大演習以来、ハワイ真珠湾の防備に力を入れ、太平洋艦隊の大部分が入ることができる岸壁や大船渠(ドック)、将校や兵員宿舎の建設を急いでいることを挙げ、米国の軍備論者の着眼点がハワイを中心とした太平洋に置かれ、明らかに日米戦争を予測した企てであるまいか、とブツ。さらに彼=米国は20浬(=かいり、約37キロ)の距離にある一切のものを焼き尽くす威力を持つ死光線を発明し、これを太平洋に配備する準備を進めているのは見逃すことのできない敵対行動であると。死光線とは「死のレーザー光線」の意味だろうが「しかし諸君、今は起(た)つ時ではない。沈勇を誇る日本人はあくまで慎重な態度をとり、満を持して放たざる覚悟を定めることが今の場合、最も大切なことであります」と結んでいる。太平洋戦争の火ぶたを切ったのはこの真珠湾だったが、最後は死光線をはるかに上回る広島、長崎への新型爆弾=原爆の投下だった。

ところで本体はめくったりしたあともほとんどないのに外函だけはひどく傷んでいる気がする。ひょっとして元の所有者は演説のたびに「緊張してあがらないお守りがわり」にこれを持ち歩いていたのでは。まさかそれはないか。