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新・気まぐれ読書日記 (42) 石山文也  オライオン飛行

  • 2016年10月13日 17:57

どんな風の吹き回し?と言われるかもしれないが、久しぶりに恋愛小説を紹介しよう。あれ、苦手ジャンルじゃなかったの?と問われれば、読むのはいいけどここに書くのは、とはぐらかしておく。『群像』連載中から話題になった高樹のぶ子の『オライオン飛行』(講談社)は9月末に単行本化されたばかり。新刊コーナーで「第二次世界大戦前夜、日本に墜落したフランス人飛行士と歴史の闇に隠された恋―恋愛小説の名手が史実を基に大胆に描く時空を超えた恋のミステリー」という帯に惹かれた。

高樹のぶ子著『オライオン飛行』(講談社刊)

高樹のぶ子著『オライオン飛行』(講談社刊)

オライオン(Orion)は星座の王者・オリオン座で知られるギリシャ神話の巨神オリオンの英語読みである。初冬に真東からあらわれ、冬の間は南の空高く全天を支配し続け、春になると真西へ沈んでいく。中心は日本でも昔から名高い二等星の「三つ星」が一直線に並び、これを囲むようにふたつの一等星とふたつの二等星が平行四辺形をつくる。天文マニアならアルファ、ベータ、ガンマ、カッパなどの名前とそれぞれの位置まで言い当てるかもしれない。オリオン神は海の上を陸上と同じように自由に歩くことができたことから星座になっても<天上を駆ける狩人>とされた。

1936年(昭和11年)フランス人冒険飛行家で32歳のアンドレ・ジャピーはパリ―東京間を100時間以内で到達できるかを競う空の賞金レースに参加していた。28歳で飛行機の操縦資格を取ったアンドレは翌年早くもパリ―アルジェ間のタイムレースを制し、パリからオスロ、チュニス、サイゴンまでの各レースでも新記録を達成してレジオン・ド・ヌール勲章を受けた。使用機は本来の青色を赤色に塗りかえたコードロン・シムーンで、11月15日の日曜、間もなく日付が変わる夜の11時46分、パリ郊外ル・ブルージェ空港を飛び立った。ちなみにシムーンというのは型式名でサハラ砂漠を吹く熱風を意味する。『星の王子さま』の作者として知られるサン=テグジュペリがリビア砂漠に墜落したときに操縦していたのも同じ機種である。

空冷式6気筒エンジンは排気量8千CC、220馬力の4人乗り単発プロペラ機。木製で全長8.7m、布張りの主翼の面積は16㎡、両翼間の幅は11m、重量は1,240キロだった。テグジュペリの機には整備士が同乗していたが、あらゆる故障に対応でき、天測の技術があったアンドレは整備士を乗せず懸賞飛行には有利な単独飛行を選択した。今回もコックピットの中は操縦席以外の座席を取り払って燃料タンクに改造し、給油目的の着陸を最小限にすることを狙った。最高時速は350キロ出せたが巡航速度を270キロに抑えても毎時50リットルのガソリンと1.25リットルのエンジンオイルを消費する。シリア・ダマスカス、パキスタン・カラチ、インド・アラハバッド、ベトナム・ハノイを経由して香港に着陸したのは3日後の18日午後5時10分、パリからの合計時間は55時間と15分だった。

ここで季節外れの台風に遭遇して一晩の足止めを食う。運命の19日朝、ようやく暴風は収まったものの強風下を日の出1時間半前に離陸した。台風を避けるため海岸に沿って6時間後に上海上空を通過、ここから東シナ海を一気に横断して日本をめざした。とはいえ逆風に阻まれエンジンの出力を最大限にしてもなかなか進めない。アンドレは少しでも風の影響を減らすため海面すれすれ10mほどを飛ぶことを選んだ。海面にたたき落とされれば助かる見込みも機体の発見も難しい。香港を発ってようやく10時間後に長崎県の野母崎半島を確認したが、絶えざる風との格闘で、どう計算しても燃料は東京まではもたない数値であることが判明した。

東京からの無線のやりとりでやむなく福岡県の雁ノ巣飛行場に着陸して給油することを選んだが、その手前に立ちはだかったのは佐賀・福岡県境にある脊振山(せふりやま)だった。厚い雲に視界が阻まれたのと乱気流に巻き込まれて高度が稼げなかったのかは不明だが機は午後4時ごろ山頂付近に墜落した。もちろん作中ではここまでの苦闘や、墜落直前までの状況などを臨場感たっぷりに紹介する。立木をなぎ倒した機体は大破、足の骨折や頭部に裂傷を受けたアンドレは気絶、機体に挟まれて身動きできなかった。幸運だったのは燃料に引火しなかったのと山中にいた炭焼きの村人が轟音を聞いていたこと。急報を受けた消防団員や医者も追いかけるように現地へ向かった。夜間にもかかわらず機体が赤色だったのも発見を助けることになった。

「これってどこまでが史実なの?」と盟友の歴史ライター・蚤野久蔵に聞いたところ「昭和11年か。2・26事件と前畑ガンバレのベルリンオリンピック、それと例の阿部定事件が起きた年だね。ちょっと調べてみる」といつもの調子で答えて小一時間ほどして返事があった。

岩波書店の『近代日本総合年表』には「11.19 パリ・東京100時間懸賞飛行のフランス機、佐賀県脊振山山中に墜落」と2行しか載っていなかったけど、遭難翌日の20日に東京日日新聞(現・毎日新聞)が「号外」を発行していたよ。見出しを紹介すると「沸機佐賀縣下で墜落、ジャピー氏重傷を負う」、「脊振山中で機體は滅茶々々」、「ゴール目前に壮図挫折す」、「立木に衝突して墜落、重體だが生命別条なし」、「驚く沸大使館」、「海上横断の冒険?ジャピー氏のコース」とあるよ。見出しは旧字体で「ゴール目前に」は右から左だ。「重傷のジャピー氏」という説明の顔写真は、ヘルメットにゴーグル姿でなかなかの美男子じゃないか。俳優のジャン=ポール・ベルモンドみたい。これが事故後の写真だったら包帯ぐるぐる巻きだろうけどね。救出から佐賀市にあった九州帝大第二病院(現・佐賀県立病院)での治療経過なども各新聞にさまざま取り上げられて、当時としては大ニュース、美談てんこ盛りだよ、と相変わらずの<茶々入れ>だ。おまけに恋の話はどこにも書かれてないけど、面白そうだからその本を貸してね!と約束させられてしまった。

アンドレの操縦ぶりやレースに賭ける思い、着陸地でのさまざまなできごとはともかく、ここまでは「紛うことない史実」であることがわかった。では「史実には書かれていない恋」とは何か。

アンドレが搬送された九州帝大病院には日本語がわかる宣教師や長崎から来たフランスの領事らが手術に立ち会うなどものものしい緊張感が漂った。手術も含めて担当看護婦となったのが18歳の桐谷久美子、一年後輩で女学校時代からの友人の島地ツヤ子がサブをつとめることになった。そして恋に落ちたのは久美子だった。ツヤ子は「恋人争い」を演じたのか?いやふたりの恋の<すべての秘密>を抱えてその後の人生を生きた、とだけ書いておく。

久美子の弟の娘がひそかで、里山家に嫁ぎあやめを授かったが、あやめが16歳の時に自宅の階段から転落してあっけない最後を遂げた。あやめは生まれつき股関節の変形が原因で足が不自由なことから恋愛や結婚という<人並みの幸せ>をとっくに諦めている。福岡市内の短大を卒業後は父の再婚を機に実家を出て、いまはイタリアンレストランに住み込んでスフレケーキづくりの腕を磨く26歳である。母の遺品のなかに懐中時計と何枚かの写真があった。白衣姿で写真に写る久美子はなかなかの美人で子どものときから母から写真を見せられるたびに「自慢のご先祖さま」という思いを強くした。久美子は戦後も看護婦を続け、弟を大学にやった。まさにキャリアウーマンのはしりだったがあやめが生まれる前に亡くなった。なかでも写真の1枚にはドキリとした記憶があった。久美子はベッドサイドにタオルのようなものを胸に抱えて立っていて、ベッドには上半身を起こした首の長いハンサムな外国の男がいた。男は久美子と同時に笑ったような気配で、二人ともカメラを見てはいるのだが二人の間に通う親密な空気が写真の中に立ちこめていた。シャッターを切る瞬間にはお互いに顔を見つめて会話していたのではないだろうか。写真の裏にはアンドレ・ジャピー、1936年とメモがあって母からフランス人よと聞いた記憶がある。写真の中のアンドレ・ジャピーは手に懐中時計を持っていた。いまこの時計はあやめの持ち物になっているが数年前からは動かなくなっていた。

あやめは犬を散歩させる途中にある鉢嶺時計店に修理ができるかどうかを聞いてみることにした。66歳の店主、一良は腕のいい時計職人だったが2年前に妻を亡くしてからは閉店を先延ばしにしている。懐中時計の修理など何十年ぶりだから自信はなかったもののあやめの真剣さに心が動き、預かって金庫に仕舞っておいた。一方のあやめは休みの日に実家に帰ってあらためて母の残した写真類を探した。記憶にあった写真とともに見つかったのは多くの新聞記事やフランス大使から病院の主治医に当てた感謝の手紙などだった。記事は概ね美談で飾られていた。さらに銀行勤めの父親に頼んで調べてもらった九州大学の資料から島地ツヤ子の住所が判明し、孫が同じ場所で眼科医院を経営していることがわかった。ツヤ子本人は認知症をわずらって介護施設に入院していた。見舞いに行ったあやめが唯一、聞き出せたのは「ニワトリノハコ」というひとこと。それが医院に奇跡的に残されており、ツヤ子への書簡や久美子の日記が見つかった。それからも多くの偶然に助けられてあやめは「80年前の秘密」を探っていく。行き先だけ明かしておくとアンドレの故郷、フランス東部のボークールである。時計の修理に一役買った一良も介添え役として同行することになった。

読者はいくつもの情報のピースを頭に入れてあやめたちとミステリーの旅に出る。天才飛行家と美人看護婦がお互いに言葉が通じないなかでまさぐるように燃えた生涯で一度きりの、命がけの恋と別れ。読み終わったいまも久美子がアンドレに懸命に教えようとした日本語「セ・ツ・ナ・イ」が心に残る。

ではまた