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新・気まぐれ読書日記(36)  石山文也 忍者の教科書

  • 2016年3月16日 18:57

ここのところ教科書を読みながら眠りにつく毎日である、と書き始めると「えっ、学校にでも通い始めたの?」と突っ込みを入れられそうだ。はまっているのは伊賀忍者研究会編の『忍者の教科書』(笠間書院)。ブックレットほどの大きさだからベッドに持ち込むにはかさばらないし、軽くてちょうどいいのもありがたい。

伊賀忍者研究会【編】『忍者の教科書』(笠間書院)

伊賀忍者研究会【編】『忍者の教科書』(笠間書院)

「なんでまた?」と聞かれる前に明かしておくと、書斎に眠っていた忍術関係の本を、研究会を主宰する池田裕氏に進呈した際にいただいた。池田氏は三重県の伊賀を拠点に活動する忍者愛好グループを<束ねる>「上忍」で忍者文献の解読やフィールドワークによる学術研究、国内外での講演やイベントなどで広く活動している忍者研究家である。どこで会ったのかというと伊賀の山中、は冗談だが私の自宅がある大津市内の某所で落ちあい色々な話を聞いた。<忍者>だけに、職業、住居地などは秘しておくが年齢は40歳前後とお見受けした。

ちなみに「忍者」は歴史的には「しのびのもの」が正しい読み方であるが、昭和初期から人気となった小説や映画、ドラマなどで「にんじゃ」が使われ、一般的になったから史実に基づいて書かれたこの本も「にんじゃの」と読む。標題下の新萬川集海(しん・まんせんしゅうかい)とは江戸時代に書かれた『萬川集海』(国立公文書館蔵)をベースに、現代風にわかりやすく紹介するねらいを込めている。<忍びの根拠地>である伊賀と北隣りの滋賀県甲賀には「伊賀甲賀四九家」という49流派があったと伝わる。『萬川集海』は「万の川の流れを集めた大海」という意味で、甲賀に隠棲していた忍者頭領の藤林保武が書いた序文に延宝4年(1676)の年号が残っている。「上忍」を分かりやすくまとめたカットが<巻物風>になっているので紹介する。真の忍者とは、姿を見せず、音も立てず、名はもちろんのこと、勇ましくて強いという評判すら残さない。しかし、天地を造るかのような偉業を成し遂げるという意味という。


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池田氏の解説は「忍者の主な仕事は情報を収集することで、情報を得るためには、敵に知られないよう、目立たずに行う必要がありました。だから忍者たちは常に歴史の舞台裏にいました」と。「私もなれるでしょうか」と尋ねたら笑って答えなかったのは「単に好奇心旺盛なだけの人物」と見抜かれていたからかもしれない。

堅い話はこのくらいにしておくが、近年はなかなかの忍者ブームで「忍者・忍術」を冠した町おこしイベントがどこでも大人気である。そういえば、ニャン・ニャン・ニャンで「猫の日」と思っていた先日の2月22日は、ニン・ニン・ニンで「忍者の日」にすっかり“変身”したようで市役所職員らが忍者装束で勤務するニュース映像が流れていた。

教科書だけに「忍者の歴史」、「忍術と忍具」がくわしく紹介されている。息抜きには「松尾芭蕉忍者説」、「観阿弥忍者説」などのコラムや特別寄稿の「忍者エッセイ」もおもしろい。なかでも吉丸雄哉・三重大人文学部准教授は『NARUTO』と『ONE PIECE』を取り上げ『NARUTO』がハリー・ポッターシリーズに似ているとすれば『ONE PIECE』はトム・ソーヤーと似たヒーロー像であると分析する。『NARUTO』の世界は日本とは明言されていないが、忍者が登場するので日本と同じく伝統のある世界を背景にしている。海賊少年ルフィが“ひとつなぎの大秘宝”を求めて大海原を巡る『ONE PIECE』は、新世界的なヒーロー。父的な存在が不要、あるいは拒否するアメリカン・ヒーローで、スーパーマンもバットマンも親や先輩、先生は助けてくれないなかでそれぞれ魅力がある。人間には独立心や自立心があるが、その一方で、自分のあこがれとなる人を設定して、その人に近づきたい、その人から学びたいという気持ちがある。多くの人にとってのスターがいるはずで自分も『NARUTO』に出てくるSENSEIである大人として頑張らないといけないと。

現在は注文して届いたこの『忍者の教科書2』(同)を<学習中>だが、末尾には「忍者になるための十カ条」が掲げられている。

伊賀忍者研究会【編】『忍者の教科書2』(同)

伊賀忍者研究会【編】『忍者の教科書2』(同)

その8.マラソン(42.195km)を完走できる脚力をつける。

その9.スマートフォンを駆使し、あらゆる情報を収集する

その10.英語力をつける

とあって英語力については「忍者は世界のNINJAなので、英語を使いこなし海外に情報発信、情報収集をする」とある。そういえば池田氏からいただいた『忍者の教科書』にある「現代版 忍者十ヶ条」に

その4.言葉に堪能になる!

「日本語をしっかり学習し、英語を使えることで、多くの情報が入ります」があった。現代の上忍には英語が必須条件なのかもしれないがひょっとして池田氏は英語のSENSEIかも。

ではまた

あと読みじゃんけん(6)渡海 壮 人は死ねばゴミになる

  • 2016年3月16日 12:44

「ミスター検察」と呼ばれた元検事総長・伊藤栄樹(しげき)のがん闘病記『人は死ねばゴミになる』(新潮社)は昭和63年(1988)6月に発行された途端に大きな話題となった。なかには「死ねばゴミになるとは何事か」と題名に批判の矛先を向けた人たちも多かったが販売半年間ながらこの年のベストセラー10位に食い込んだ。これは話題本を読むのをなによりの楽しみにしていた父の蔵書の一冊である。8月20日発行ですでに11刷。地方住いだったのでなじみの書店に注文はしたものの<増刷待ち>だったのかもしれない。

伊藤栄樹著『人は死ねばゴミになる』(新潮社刊)

伊藤栄樹著『人は死ねばゴミになる』(新潮社刊)

3か月前から書き始めた『あと読みじゃんけん』の6回目をどうしようかと考えていたら、前回取り上げた宮崎学の『突破者』と同じ「事件・犯罪・その他」の棚にこの本があった。分類からいうと事件関連本も、それを裁く裁判官、検事に対する弁護士なども、法医学、犯罪心理学関係も同じ棚に置いている。しかも新刊から古書まで混在しているけれどあくまで自分流だから<これでいいのだ!>である。

検事総長就任のインタビューで伊藤は「特捜検察の使命は<巨悪退治>です。巨悪と闘う武器は法律であって検察官たるもの<遠山の金さん>のような素朴な正義感を持たなければなりません」と語ったことから「巨悪を眠らせるな」が時の流行語になった。伊藤は十年来、年中行事にしていた6月の人間ドックは多忙のためこの年は1か月遅れになったが、レントゲン検査、エコー(超音波)検査などは異常なしだった。ところが10日後に右下腹部の痛みがひどいので別の病院に入院し「虫垂炎の疑い」で昭和62年(1987)7月に開腹手術を受けた。点滴、流動食、五分粥と順調に回復し、東京高裁で田中角栄元総理を含むロッキード事件丸紅ルートの控訴審判決の出た同月29日の水曜日には病院から最高検察庁(最高検)にある検事総長室に登庁した。

共同記者会見を終えて病院に戻ったその夜、主治医の部長から小腸末端から大腸にかけての回盲部にがんが見つかり組織培養の結果でもすでにリンパ腺と腹膜に転移があることが判明したという告知を受けた。さらに「それはともかく、今回の手術に関しては、もう治っていますので、いつでも退院してがんに対する手当を続けることにして下さい」と淡々と告げられた。このような場面に平素は冷静なつもりの伊藤も、さすがに部長の姿が一瞬遠くなったり、近くなったりするのを禁じ得なかった。翌日、退院前に再び部長に会い、「最良の場合、何年位生きられるでしょうか。私は楽天家なので、それを目標にがんばりたいと思いますが」と尋ねたが「個人差が大きいので、何ともいえませんが最善を尽くしますからがんばってください」という答えしか返ってこなかった。

がんであることは、余計な心配をかけ、波風を立てたくないのでごく限られた人たち以外には内緒にしておくことにして人生設計をやりなおすことにした。確たる根拠はないが、若干の欲目を加えて、昭和63年5月頃まではいのちがあるものと<盲断する>ことにし、検察人事の立案にあたる法務事務次官にも早期勇退を申し入れた。妻の康子を「康ベエ」と呼んで来たが、いちばんの難問は死後、残された妻である。退職金をつぎ込んでやっと払える計算となる終の住処も間もなく完成するがここ一年ばかりの間に地価の上昇は著しく、ある程度の相続税を納めるとなるとそんなお金はどこにもない。昭和24年以来、検事として、馬車馬のように仕事ばかりに打ち込んできた。仕事の忙しさにかまけて40年間、ほとんどほったらかしにされて、さびしい思いをしてきた康ベエだったが、毎日いつも自分の隣に夫の顔がある生活は、あこがれの的だったと思う。それもだめになってしまった。それでも「あなたといのちを取り替えたい」という声がはらわたにしみとおる。

小康を得て役所に出るようになり、最高裁判事の葬儀では検事総長として、また大学、軍隊、司法修習を共にした友人として弔辞を読むが万感胸に迫る。手術前から大相撲の親方、横綱らと約束していたゴルフ、康ベエの誕生日に思い立って出かけた箱根プリンスホテルへの一泊ドライブは、紅葉の季節にまた一泊するつもりで予約を入れた。ところが10月6日には胃が痛むので翌日、入院して検査を受ける。結果はがん再発。心配された腹水がたまり始めているので早急に入院することになる。一日だけ点滴を止めてもらいこっそりと検事総長室へ。もう来られない場合を考えて机やロッカー、本棚の中の整理。これまで一度も職場を見たことのない妻と娘も同道、最後に一度だけ「職場」を見せかたがた手伝わせる。帰途、家に寄り、書斎の机の引き出しなどの整理。本箱、書庫の本のたぐいの整理方針は娘に言い置く。午後、病室へ戻る。康ベエが洗面所にブランドものの男性用の石鹸を置いてくれている。毎朝の洗顔と風呂・シャワーに使うことになるが、随分大きいので、多分死ぬまでこいつと付き合うことになるのではないか、わが人生最後の石鹸になるのではないかと思い妙な気持ちになる。そんなことをとりとめなく考えているうち、ぼつぼつ一番大事なことに決着を付けておかなければならないと思い至った。つまり、私自身、間もなく間違いなくやってくる自分の死をどのように納得するかということである。前回の退院前の「告知」以来、おぼろげに考えていたことをベッドのそばに座ってくれている妻を相手に整理する。

僕の家も多くの日本の家と同じように檀那寺を持ってはいる。しかし、仏教という宗教を信じているわけではない。僕は、神とか仏とか自分を超えたところに存在するものにすがって心のなぐさめを得ようという気持ちには、とうていなれそうにない。それに、四十年も、冷静、客観的に証拠を科学的に追い求め、そこから過去にあった事実を再現、認定する仕事を続けてきたせいだろう、僕の頭は、生命科学などといった分野のことは暗いながら、科学的、合理的な思考の方が受け入れやすくなっている。

僕は、人は、死んだ瞬間、ただの物質、つまりホコリと同じようなものになってしまうのだと思う。死の向こうに死者の世界とか霊界といったようなものはないと思う。死んでしまったら、当人は、全くのゴミみたいなものと化して、意識のようなものは残らないだろうよ。

死んでいく当人は、ゴミに帰するだけだなどとのんきなことをいえるのだが、生きてこの世に残る人たちの立場は、全く別である。僕だって、身近な人、親しい人が亡くなれば、ほんとうに悲しく、心から冥福を祈らずにはいられない。それは生きている人間としての当然の心情である。死んでいく者としても、残る人たちのこの心情を思い、生きている間にできるかぎりこれにこたえるよう心しなくてはなるまい。

康ベエには大いに不満の残る私の独り言であったろう。でも、涙を浮かべながらも、じっと逆らわずに聞いてくれていた。「ごめん」

伊藤がいかにして「がん告知」とその先にある死を受け入れたか、という題名にかかわる部分をくわしく引いた。

その後、病状は一進一退を繰り返す。10月30日、妻が、家の蔦(つた)がこんなにきれいに紅葉したといってニ、三枚持ってきてくれたのに触発されて、駄句二つ、として

腸腐る病に伏して蔦紅葉
点滴具連れて歩めばそぞろ寒

鼻から挿入したチューブで看護婦さんたちに腹水やガスを抜いてもらうのを

空也忌に鼻からはらわた抜いている

空也忌は11月13日である。体調に小康を得て

小春空もすこし生きていたくなる

再手術で人工肛門を取りつけたが順調に回復して年越し。元旦に行われる宮中の新年祝賀の儀には不参せざるを得なかったが一句を

病室の窓明けゆくや去年今年

突貫工事で進められた自宅も完成して何度か宿泊することもでき、1月には仕事にも復帰して3月に退官した。共同記者会見や何日かかけて関係各所への挨拶を済ませ、皇居にて退官御挨拶の記帳のあと、東宮御所で皇太子殿下に御挨拶、首相官邸で竹下総理に挨拶。翌日は最高裁長官と日本弁護士会会長に挨拶してすべての公式行事を終えた。

本書は『新潮45』に「人は死ねばゴミになる―私の発病から死まで(上)(中)」と発表されたものに、体力が落ちて家族に引き継がれた5月3日から死に至るまでの同じく『新潮45』の(下)を「付録」として挟んだ体裁になっている。

5月25日、盲腸がんとがん性腹膜炎のため永眠。63歳であった。

*伊藤栄樹『人は死ねばゴミになる』(小学館文庫、1998)