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あと読みじゃんけん(4)渡海 壮 天才

  • 2016年2月25日 14:55

新聞に「下4段ブチ抜き」の広告が先日来、何回か掲載された。深刻な出版不況といわれるなかでは極めて珍しい。石原慎太郎『天才』(幻冬舎)は書籍広告には付きモノの「迫真の(か、どうかは別にして)ノンフィクションノベル」だという。「反田中の急先鋒だった著者が、今なぜ<田中角栄>に惹かれるのか」「人間は情と金で動く」の大活字が躍る。それにしても石原慎太郎がなぜ、しかも、あの<角さん>を!がぜん興味が湧いた。

石原慎太郎著『天才』(幻冬舎)

石原慎太郎著『天才』(幻冬舎)

書店にはこの『天才』とSTAP騒動で話題となった小保方晴子の手記『あの日』(講談社)が店頭の目立つ場所に競うように並べられていた。真っ白い表紙の小保方の手記の帯には「真実を否めたのは誰だ?STAP騒動の真相、生命科学界の内幕、業火に焼かれる人間の内面を綴った衝撃の手記」とある。『天才』よりわずか8日遅れの1月28日の発売だが、ともに「4刷」と肩を並べている。もちろん迷わず『天才』を購入したがカバーには文藝春秋が撮影した鏡を見ながら目を細めて裁ちバサミで鼻髭を整える田中の写真が大きく使われている。「石原慎太郎が田中角栄に成り代わって書いた衝撃の霊言!」と帯にある。

「それにしても、なぜ」が気になる方には16ページにわたる「長い後書き」から読むことをお薦めする。「世間は今更こんなものを書いて世に出すことを政治的な背信と唱えるかもしれぬが、政治を離れた今でこそ、政治にかかわった者としての責任でこれを記した。それはヘーゲルがいったように人間にとって何よりもの現実である歴史に対する私の責任の履行に他ならない」から始まる。「人間の人生を形づくるものは何といっても他者との出会いに他ならないと思う」という著者は、政界を共にした多くの政治家を挙げながら、「田中角栄ほどの<異形な存在感>などありはしなかった。歴史への回顧に、もしもという言葉は禁句だとしても、無慈悲に奪われてしまった田中角栄という天才の人生は、この国にとって実は掛け替えのないものだったということを改めて知ることは、決して意味のないことではありはしまい」と、自身と田中との運命的ともいえる出会いを書いている。対して、田中の石原評は「あいつはもともと物書きだからな、仕事として書くのは当たり前だろうよ。第一、俺はあいつに金なんぞ一文もくれてやったことはないからな」だったそうで「私としては角さんの金権の相伴に与ったことが全くなかったことにつくづく感謝したものだったが」と書き添える。

私、渡海の耳に残る田中が自身をさす一人称は「わたしゃあねえ!」という「わたし」と「あたし」の中間のあのしわがれた肉声である。いや私だけでなく<国民的記憶>のはずである。全編を貫くことになるのだから当然ながら著者も思案を重ねたろうが「成り代わって」書かれた本文は「俺はいつか必ず故郷から東京に出てこの身を立てるつもりでいた。生まれた故郷が嫌いという訳でも、家が貧しかったからという訳でも決してない。いやむしろ故郷にはいろいろな愛着があった」と「俺」で始まる。

博労(ばくろう)だった父親は、ともかく馬好きの道楽者。極みは北海道月寒(つきさむ)に大牧場を持つのが夢で、手持ちの山林を売り払いオランダから乳牛ホルスタイン3頭の輸入を企てる。米が1俵6、7円の頃、1頭が1万5千円もしたのに新潟まで運ばれてくる途中、暑さと疲労のため2頭が死に、かろうじて生き残った1頭も間もなく死んで、家はそれから傾いたが道楽もそれで止むことはなく、持馬が競馬に出るのに付き添って年中家をあけた。挙句、親戚の裕福な材木屋からの借金を父に代わって借りに行った俺は「お前の親父も金の算段の後先も考えずに駄目な男だなあ」と言われ、金の貸し借りというものが人間の運命を変えるだけではなく、人間の値打ちまで決めかねないと悟らせられたこと。幼少の頃からのドモリを克服するきっかけになった学芸会で『勧進帳』の弁慶を演じて満場の大喝采を浴びたのは、劇に伴奏音楽をつけて芝居の展開がリズムに乗るようにし口上をしゃべりやすくしたことで事前の仕掛けや根回しが必要なことを学んだ。後年、上京する時、母親から「大酒は飲むな。馬は持つな。出来もしないことはいうな」と諭された俺はこれを終生忘れなかった。

高等小学校を卒業した俺の最初の仕事は土方で毎日朝から夕方までトロッコを押して1日75銭、ひと月20円足らずだったのに腹が立ちやめてしまった。それが親戚にすすめられて応募した柏崎の県土木派遣所の職員として工事現場の監督になった途端、村の業者とはそれまでの立場が逆転し平身低頭されたことで世の中の<仕組み>を学んだ。軍隊での酒保担当では賄賂の効用という別の人間関係を学び、隠れて勉強した早稲田大学の建築に関する専門講義録が除隊後に始めた建築設計や工事請負などの仕事に役立った。戦時中は田中土建工業を年間施工実績で全国50社に発展させ、戦後は「若き血の叫び」を掲げて2回目の挑戦で俺は晴れて代議士になった。

54歳で総理大臣に登りつめる政治家としての立身出世ぶりは詳しく語られる。造船疑獄、日本列島改造論をぶち上げた真の狙い、角福戦争の内幕、日米繊維交渉と沖縄返還、なかでも1972年(昭和47年)の日中国交正常化で毛沢東と会った際に毛主席が挙げた四つの敵がソ連、アメリカ、ヨーロッパに次いで中国だったことは、後の文化大革命を引き起こす伏線だったと明かす。そして金脈問題からロッキード事件に始まる長い裁判と「闇将軍」と言われた日々、脳梗塞との闘病のあとの政界引退・・・。

「俺」のプライバシーも余さず語られる。若いころから部類の洋画好きだったこと。結婚のいきさつと5歳で夭折した長男や娘の眞紀子のこと。後年、秘書として切っても切れない仲になる佐藤昭(昭子)との出会い。神楽坂で知り合って結ばれ三人の子をもうけた辻和子。それぞれの家族との確執や胸に刺さる出来事のいろいろ・・・。75歳だった1993年(平成5年)12月15日、瀕死の容態を伝え聞いた辻からの電話を看護婦が取り次いでくれ、終えたあと昔見たアメリカの恋愛映画『裏街』の最後のシーンを思い出す。翌日の午後、かけつけた家族の呼びかけに応えてただ「眠いな」と答え、そのままもっと深く永い眠りに落ち込んでいった。

さまざまに「俺」の口から語られる「人を動かす極意」の究極にあった先見性に満ちた発想の正確さは石原の評する独特の文明史観をさえ持っていたことを裏付ける。唯一「俺」が語らなかったのは<自身が天才である>ということ。その「金権主義」を政治の場で最初に批判し、真っ向から弓を引いた政治家・石原慎太郎が、作家として田中角栄に成り代わって書いた本作は話題性も含めて歴史に残るはずで、皮肉な言い方をすれば執筆・題名を考えた作家・石原慎太郎もまた間違いなく<天才>なのではあるまいか。

書斎の漂着本(81)蚤野久蔵 花の木登り協会

  • 2016年2月16日 12:39

予備校まで暮らしていた広島の実家の庭先には大きな柿の木があった。直径60センチほどの幹は「ピサの斜塔」くらい傾き、高さ2メートルほどのところで「ねじれたT字形」になった2本の太い枝が横に伸びていた。小学生のころには「危ないからすぐ降りなさい」と叱る祖母がいないのを見計らってははずみをつけて駆け登り、近所の悪童連と枝の分岐あたりの<特等席>に腰掛けて列車見物を楽しんだ。すぐ5、60メートル先を山陽本線が走り、その間は水田と畑で、実家は石垣で一段高い位置にあったから木に登るとさらに北東側、大阪方面からの下り列車が近づいてくるのがよく見えた。お目当ては長い貨物列車を引く蒸気機関車「D51」や特急列車の「C62」で、手を振ると機関士がこちらにも手を振ってくれ、たまには警笛の<特別サービス>もあった。イーデス・ハンソンの『花の木登り協会』(講談社、1976)の表紙を見て真っ先に思い出したのがわが「木登り少年時代」である。

『花の木登り協会』(講談社)

『花の木登り協会』(講談社)

いかにも一家言ありそうな顔が鈴なりの表紙は、井上陽水、高田渡など多くのフォークシンガーのジャケットや作家・沢木耕太郎の新聞連載挿絵を手がけたイラストレーター・グラフィックデザイナーの小島武。表紙と同じ薄緑色二つ折り冊子「花の木登り協会を推す」には、交友のあった井上ひさし、小松左京、田辺聖子、筒井康隆、星新一が名前を連ねているのもさすがである。それぞれが作品と「ハンソン女史」のことを面白おかしく推薦していて、これがまた<サスガ>なのである。その一部だけでも紹介しよう。

井上ひさし:後半にいたって作者の筆は奔放に跳ねて飛びまわり、読者を遊戯性の世界へ哄笑と共に誘い出し、そして一気に開放する。これは巨大な管理機構下で息もたえだえのわたしたちの前へさがってきた酸素マスクである。一文の得にもならない木登り愛好癖、その愛好者たちの小さな動きが、大きく激しく日本を揺すぶる。

小松左京:私が常日ごろ一目も二目もおいているハンちゃんは二人いて、一人はSF仲間の半村良であり、もう一人がハンソン女史である。実をいうと、本名清野平太郎の「半村良」というペンネームは、ハンソン女史の名前からつけられた、という伝説が、われわれの間である。「良(イ)イデス・半村(ハンソン)」というわけである。

田辺聖子:鋭くてユニークな見識と知性ある彼女だが、私が好きなのは、お茶目で楽しい人だからである。私のうちへ飲みにきて、時間が早いので、市場をうろつき、いわしのみりん干し、揚げたポテト、太いチクワに濁り酒を一本買ってきた。いいセンスをしている。語学は天才的で、日本人より正確な日本語を話し、書くが、食べ物に対する感覚もまた、そうであった。「これは手でたべる方がおいしねん」と、指でチクワをつまんで杯を傾け、青い目をうっとりさせて飲むほどに「月の法善寺横丁」など唄うのであった。

筒井康隆:ナンセンス小説の骨法を心得た、とても処女作とは思えぬおもしろい作品だ。ナンセンスだけで長篇を書くのは困難である。緊張と興味を持続させることが難しいからである。まったく意外な人が意外な小説を書いた、としか言いようがない。作家イーデス・ハンソンのファンが大量に発生するかもしれない。

星新一:かつて私たちは、まじめ尊重で深刻愛好の国民性といわれていた。最近はかなり笑うようになってきたというものの、電波媒体に限られていた。それがこの作品によって、小説の分野にまで拡大された。電波媒体のなかで活躍しながらも、周囲を醒めた眼で観察し続けてきたハンソンさんの才能の結実といえそうである。

ハンソン本人も木登りの魅力を語っている。

やァ、冗談抜きに、木登りってものすごく楽しい。子供の時分、ママゴトやなんか、女の子らしいとされている遊びに目も向けず、私はもっぱら木登りに専念していた。今でも年に一回アメリカへ母の顔を見に行ったときだけは、家の裏に大きくデーンと立っている木(アメリカつが)と自由に遊べるので、他の都会人と比べて、まだマシな方だろう。見晴らしはいいし、そよ風がやって来るたびに、ふわーふわー、しゃーしゃーとやさしく揺れて、別世界のような感じである。冗談じゃなく、木登りは本当に素晴らしい。

「冗談抜きに」、「冗談じゃなく」と重ねて書いている本人の木登り姿がこちら。当時流行した裾の広がったパンタロン風ジーンズがなつかしい。

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寄り道はこのくらいにしてプロローグはこうだ。

『木登り協会』という有名なグループがあったのは、昔、むかし、オオムカシ、ある東洋の国で、1976年(その国では昭和51年とも言っていたが)の1月の第2木曜日であった。それまではただ木登りの好きな仲間が時々寄り集まって、木の多い地方へ出掛け、2泊3日で木に登ったり酒を飲んだりして楽しんでいただけで、組織というようなものはなかった。

つまり『木登り協会』ができたのは「ある東洋の国」だから、登場する場所や人物すべてが断りを入れなくてもフィクションなのである。じゃんけんの真剣勝負で初代会長に就いたのは薬局チェーンの中年社長で、就任のあいさつは「団体旅行は人数が多ければ多いほど安くなるわけだから、お互いに助け合う意味で、先ず会員の人数をドンドンふやすよう、みんなで努力シマショー。目標!ヨンヒャクニジュウナナ人!」どこかで聞いたような。

やがて協会はどこやらの家元制度にならい「木登り大猿流」に生まれ変わる。会員たちもそれぞれの立場によって「先生」と「弟子」に変わり、毎月おさめる会費も「月謝」と呼ばれるようになる。新たに定められた資格も、最もやさしい梅級から松級、猿すべり級、最高位の屋久杉級まで10段階を経て名取の手前まで行くのが一般用試験。その上は<名前をもらえるだけで教える資格がない>通俗名取り試験。先生として商売ができる専門部名取り試験のいずれかを受ける仕組みで、試験のたびに膨大な受験料が集まるので組織も肥大を続ける。この制度もどこかで聞いたような。

ところが時の絶対与党、中田作栄首相が打ち出した「マイホーム劣等感改装論」で住宅用地の買収や国有林をはじめとする山林や森林地帯が盗伐を防ぐために立ち入り禁止となる。この政策もどこかで聞いたような。

テレビでも協会役員を出演させる「うわさの木登り」やホームドラマの「寺内木登り一家」が人気番組となる。MHK(民主主義放送協会)のベテランアナウンサーで年末の「空白歌合戦」や「ふるさとのドンチャン騒ぎ」などでおなじみの味方テロ―がMHKをやめて、夏の総選挙にタレント議員として当選したがその味方を司会者にした「全国木登り縦断」が登場する。これもどこかで聞いたような・・・。

他にも「どこかで聞いたような」という人物や組織がてんこ盛りであるが、具体的な木登りシーンは登場しない。理由は「木登り協会のお話」ですから。そうだ、久し振りにどこかで木登りでもしますか、元・木登り少年や少女に声をかけて。「おーい、木に登りませんか~。木に登る体力のあるかたはぜひ!」なんてね。元・木登り少年としては何だか血が騒ぐなぁ。

新・気まぐれ読書日記(34) 石山文也 カサンドラ

  • 2016年2月13日 01:08

新刊コーナーに並んだ桑原水菜の『カサンドラ』(角川書店)を手にしたのは題名からだ。表紙には客船らしい船が描かれ、帯には「傑作!船上サスペンス―絶海の船上で繰り広げられる、男たちの熱き闘い!」とあるから海洋が舞台なのは明白なのに、頭に浮かんだのはヨーロッパの山岳地帯を走る国際特急列車を舞台にしたあのパニックサスペンス映画『カサンドラ・クロス』(昭和51年、1976)だった。

桑原水菜『カサンドラ』(角川書店)

桑原水菜『カサンドラ』(角川書店)

こう書き始めると、まさに<脱線覚悟>、おっと脱線なんて不吉な用語は鉄道ファンに叱られそうだが、頭に浮かんだ共通の「カサンドラ」が本の購入動機になったのだから勘弁してほしい。というわけで最初に映画のほうを紹介しておく。

急患を装ってジュネーブの国際保健機構に潜入したゲリラが銃撃戦の末、逃走した1人がパリ、アムステルダム経由ストックフォルム行の国際列車に紛れ込む。感染性の極めて強い細菌に感染した疑いもあり、事件の発覚と感染の拡大を恐れた保健機構のアメリカセクション情報部員のマッケンジー大佐(バート・ランカスター)は、千人の乗客ごと列車を闇に葬ることを計画する。列車の爆破計画を察知して乗客を救出しようと奮闘する神経外科医のチェンバレン博士(リチャード・ハリス)、博士の元妻で女流作家のジェニファー(ソフィア・ローレン)らが乗っている。列車は刻一刻、廃線になったポーランドのカサンドラ・クロス鉄橋へと進んでいく。英・独・伊の合作は最後まで息をつかせない迫力はさすがで、私、ロードショーだけでなく、ビデオでも観ました。結末は分かっているのに毎回、手に汗握って。

かくして脳内に「カサンドラ・クロス」のイメージが残像のように残った次第。どういう意味なのか。帯をそのまま引用させてもらうと「カサンドラ=人名・神話:トロイア王の娘。国家の滅亡を予言したが、太陽神アポロの呪いにより、その予言は誰にも聞き入れられなかった」。では表紙の客船の名前が「カサンドラ」なのか?いやいや、そんな(不吉な)ことはありません。

昭和28年(1953)夏、旧日本海軍の空母を<改装>したアメリカ船籍の豪華客船は、ギリシャ神話の“光の女神”からとった「アグライア号」という船名で横浜港大桟橋に接岸していた。全長170メートル、全幅22メートル、総トン数1万5千トン、主機関は非公開とされていたが最高速力は30ノット、時速に換算すると55.5キロメートルとなる。白亜の美しい客船は仙台港を経由して横浜港と北海道・函館港を往復する3泊4日のお披露目航海のためである。前身は昭和13年(1938)に建造された大型船「さんぱうろ丸」で、有事には空母などに改造できるように設計され、主にブラジル・サンパウロへの南米航路に就航していた。徴用後は階段状の優美な上部構造を撤去して無骨な飛行甲板を載せ、空母「海鷲(かいしゅう)」と改名されていた。多くの徴用船が米潜水艦の雷撃を受けて、ことごとく海の底に沈んでいったなか、数少ない生き残りとして、終戦で米軍に接収された。その後、占領下の佐世保工廠のドックで船体の改造に2年、その後、3年以上をかけてエンジンや操舵設備、係留設備等を取りつける艤装(ぎそう)を終えた。搭載した新型エンジンは極秘工事で、船会社も「これは船の革命だ」と自慢するだけあってこの航海は実力を披露する格好の機会だった。

招待客には通商産業相で民主自由党所属の衆議院議員・児波源蔵、大蔵官僚・中平康隆、商社出身で民政党の衆議院議員・要真、大手重電メーカー丸菱電機社長・祖父江仙三、プラズマ研究の第一人者で物理学者の大学教授・波照間秀樹、毎経日報社長・醍醐万作と懐刀の専務・合田始、GHQ諜報部所属マクレガー中佐、船主セブンシーラインズのオーサー社長、船の新型エンジンを設計したバークレイ研究所のナギノ博士、そのエンジンを製造したエレクトリック・バーナード社のジム・ストーン社長らが乗船していた。児波の警護役が民間護衛会社から派遣されたことになっている主人公の入江秀作で、陸軍中野学校出身。戦時中は上海で諜報活動に従事していた。前年、警察予備隊から改変・発足した国の保安機関・保安隊の情報部にあたる「2部」に所属しているが軍歴を隠して何とか乗り込んだ上海からの引揚船で瀕死の重傷を負っていた同じ諜報員仲間の戦友、佐賀英夫を佐世保に着く直前で失った。入江の真の任務はソ連側スパイに流出しかけている機密情報の流出阻止と持ち出そうとした者の<抹殺>だった。機密情報の暗号名は“カサンドラ”、はたして入江はその流出を防げるのか。

当面の課題はこの船に乗っているという、もうひとりの潜入保安官―暗号名“マルヤ”と接触することだったが翌朝、波照間教授が自身の一等船室で腹部を刺されて死んでいるのをお湯の入れ替えに来たキャビンボーイが見つけた。死因は失血死。同じ日の昼過ぎには上部貨物デッキでマクレガー中佐がピストルによって眉間を撃ち抜かれて殺されているのが発見された。14時30分、船は濃霧に包まれた仙台沖に投錨。接舷した海上保安庁の巡視船に二人の遺体を預ける手はずだったが、タラップから上って来た保安官は「赤雹梯団(せきはくていだん)」を名乗る武装集団で、ブリッジを占拠したあと、目的地を変更してベーリング海峡を経て北極海沿いにあるソ連の軍港、アルハンゲリスクに向かうよう命令した。ところがこんどは船を奪還してアメリカに向かおうとする集団が現れて壮絶な諜報戦と血みどろの死闘が繰り返される。いったい誰が敵で、誰が味方なのか、しかも混乱のさなかに船内に火災が発生する。鳴り続ける非常ベル、やむなく総員退船となるのか、乗客らの運命は。

登場人物の名前をわざわざ書いたのはいささか意味がある。この年は終戦から8年、人々の多くが辛くも生き抜いた過酷な戦争を引きずっていた。野望や<密命>を帯びてこの船に乗っているかもしれない。船には船長以下、多くの乗組員や乗客サービスにあたるスタッフもいるからその一部を紹介したに過ぎない。もちろんミステリーだからこの先は「読んでのお楽しみ」ということにさせてもらうが、“カサンドラ”が何を指すのかがなかなか明らかにされないので、記憶に残る冒頭の映画のシーンと同じく久し振りに<手に汗握って>読了した。「俺はこの国のひとたちを信じたい。日本には日本の、日本だからこそ選べる道があるって!」残された入江がつぶやいた言葉である。

ではまた