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池内 紀の旅みやげ(44)名寄教会─北海道名寄市

  • 2014年8月20日 16:25

北海道を道南、道東、というぐあいに、方角によって区分したりするが、道北は北の果て稚内を頂点とする三角であって、名寄(なよろ)市はそのエリアの中心都市である。古い世代は大相撲の名寄岩でなじんだものだ。「老雄名寄岩」といったのは、四十をこえ、髪が薄くなっても土俵に上がったからだ。あだ名が「怒り金時」で、にらみ合うほどに、まっ赤になり、形相ものすごくブチかました。ただし、土俵を下りるとやさしいおじさんで、とりわけ子どもたちに人気があった。ほんのしばらくだが、大関までいったと思う。「名寄岩物語」といって映画にもなった。さして恵まれないからだで、努力一筋の関取として、人気の点では横綱だった。
そんなことを思い出しながら、駅前通りをブラブラ歩いていった。名寄岩の銅像があるらしいが、「まちなかマップ」には出ていない。「怒り金時」を覚えているような人間の骨董品は、お呼びではないのかもしれない。
北海道の町の特徴だが、道路がきちんと碁盤目につくられていて、見通しがいい。「名寄第一電気館」の標識につられて右に折れた。まっすぐのびた道路は人っこひとりいなくて、遠近法の原理にともない、目のとどく先っぽが一つの点になっている。名寄は明治三十年代に町づくりがはじまったそうで、主に山形、福島、富山からの開拓団が入った。当時、道北の原野は一面の深い森で、まず木材業が基幹産業になった。名寄岩は少年のころ材木運びをしたので、それで足腰が強くなった。
「電気館」というのは初期の映画館につけられた名前である。うれしいことに名寄には、それが残っている。稚内に映画館ができるまでに、ながらく日本最北の映画館と称したらしい。「第一」というのは映画産業華やかなりしころ、ほかにも電気館があったからだろう。現在は第一のみで、「仕事は快速、恋は各駅停車、旅するハートフル・コメディ」を上映中。
手づくりの看板のキャッチコピーがどこかしら懐かしい気がするのは、いかにも正統派のつくり方で、映画好きの館主は、もしかするとわれらと同輩の骨董組かもしれない。駅から離れているのに、ビジネスホテルが一つ、二つとあらわれた。北海道では車がメインの乗り物であるからで、駅前につくる必要はない。とするとアメリカ式のモーテルが発達しそうなものだが、日本人は機能一点張りではなく、たとえビジネス用であれ、「展望風呂付き」といったのが好みに合うようだ。
もういちど碁盤目を右に折れると市役所のわきに来た。市民会館の向かいの木立の中に、シャレた建物がのぞいている。西田直治郎といって、当市きっての木工場の共同経営者だった人が大正十一年(一九二二)に建てたとある。和洋折衷で、イギリス積みのレンガと、ドイツ風片流れの屋根、そこに和風が巧みに組み合わせてある。

北国の名寄市に立っている明治時代の「名寄教会」いい雰囲気ですね。おとぎばなしに出て寄贈。

北国の名寄市に立っている明治時代の「名寄教会」いい雰囲気ですね。おとぎばなしに出てきそう。

そこからすぐのところだが、市立図書館の向かいに、ひっそりと名寄教会の会堂が控えていた。こちらはさらに古く、明治四十二年(一九〇九)の建築。しっかりした木造りで、正面は切妻破風、上が丸いタテ長の窓。ポーチ状の玄関の天井に鐘が二つ吊るされていて、ためしに綱を引くと澄んだ音を立てた。
「どなたでもおこしください 牧師 R・N・ウィットリー」
日曜の礼拝には、二つの鐘が軽快に打ち鳴らされるのだろう。木工場経営者たちを中心にしたキリスト教徒の寄付でできたという。原野を切り開いて基幹産業を確立するにあたり、仏教ではなくキリスト教精神が大きな支えになったことがみてとれる。教会であれば宗教活動のセンターだが、講演会や講習会にもあてられたのだろう。半地下の構造で、教会とホールを合体させたスタイルになっている。濃いグリーンの壁に赤い屋根。赤レンガの煙突が美しいアクセントをつくっていた。

名寄教会の中の鐘。自分で引いて撞けるというのはなんだか不思議な気分になりそう。

名寄教会の中の鐘。自分で引いて撞けるというのはなんだか不思議な気分になりそう。

「怒り金時」は、このような風土のなかで成長した。ブチかまして押す戦法をリチギなまでに守っていた。だからはたかれたりすると、あっけなく倒れたが、それでも自分の戦法をつらぬいた。子どもたちはそれなりに見るべきところを見ていたわけだ。
駅にもどる道筋で、名寄新聞社の建物に行きあった。北海道は北海道新聞一色と思っていたが、地元の小新聞社が頑張っている。小さな二階建てながら、近年に新築されたとみえてデザインがシャレている。しばらく足をとめて、しみじみとながめていた。
若いころはジャーナリスト志望で、新聞社の就職を考えていた。それも全国紙でも県紙でもなく、いわば「町の新聞」にあたるもの。記者・営業マン合わせて十人か、せいぜい二十人でやっている。現在は知らないが、当時は各地にそのタイプの新聞社があった。明治の自由民権のころに創立された由緒ある新聞もあって、きちんとした主義主張をもち、土地にしっかり根を下ろしていた。ヨーロッパでは今もそれが主流で、発行部数三万なり五万なりがおおかたである。何百万もの部数をかぞえるのは、スポンサーつきの御用新聞か、ハダカとスキャンダルが売り物系ときまっている。
そろそろ就職を考えだしたころ、小新聞社から会社概要を取り寄せたりした。北海道と信州をねらっていたのは、住みたいところと考えたからで、おおかたは旅行気分だった。リンゴの実る町で新聞記者になり、リンゴのような頬の娘と恋愛をして、腕を組んで散歩する──その程度の就職志望であって、おもえばノンキな時代だった。

【今回のアクセス‥名寄教会まではJR宗谷本線・名寄駅から徒歩十分】