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書斎の漂着本 (39)  蚤野久蔵 人肉裁判  

  • 2014年8月6日 18:41

大正13年(1924)4月に東京市神田区表神保町の三星社出版部から発行された「新訳名著叢書」の一冊、セキスピア作『人肉裁判』である。

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これがすぐにシェイクスピアの『ヴェニスの商人』のことだとわかるのはよほどの外国文学、いや、ズバリ<シェイクスピア通>ではないだろうか。題名にまずギョッとした私は手にとって『ヴェニスの商人』だと確かめたことを告白しておく。
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我々、団塊世代が親しんだ『ヴェニスの商人』は岩波文庫の中野好夫訳と新潮文庫の福田恒存訳が双壁だったが、これは太宰衛門訳となっている。「序」には「文豪沙翁が世界文学の上にいまなおどんな地位を占めているかを詮議するのは野暮であろう。そして彼の詩劇を散文訳して名声を後世に垂れたチャールス・ラムと其妹メリーの二人が英文学史中、見逃すべからざる巨匠であることも言をまたない。まことに彼ら兄妹ありしが故に、沙翁の詩劇は全世界に流布されたりというも過言ではない位『沙翁劇物語』は全地球を蔽うて普及されて居る。しかも兄妹の文章は後世なお何人を以てするも到底遥かに及ぶことの不可能な予感を強ゆるに十二分な壮麗と雄渾とを示して居るのである。全世界の読書子が一度はまず兄妹の沙翁劇物語を手にせざるものなきもむべなるかなだ。さて、沙翁の力作四十余編、ラム兄妹はその中から二十編を訳出して居る。そして本書では二十編の中、更にベニスの商人外三編を選び、本叢書中沙翁劇物語の第一巻とすることにした。我々は更になお八編位を選んで第二巻、第三巻を続刊する計画を立てて居る」とある。

巻末の「新訳名著叢書」の出版広告には他に『枕草子』『源氏物語』『芭蕉七部集』『老子』『荘子』『紅楼夢』『ファウスト』『ナナ』『小公子』が並んでいると思えば『種の起源』『力の哲学』もある。『種の起源』はダーウィン、『力の哲学』はニーチェだからごっちゃというか、バラエティに富むというか。新書とほぼ同じ三六判でいずれも1冊50銭。シリーズの統一テーマは「現代は総てに要領を得ざるべからず」とうたっている。ここでの要領とは要点を意味するから「抄訳」ということになる。

セキスピア=沙翁、つまりシェイクスピアの力作四十余編の中から二十編を訳出したのはラム兄妹で、訳者=太宰衛門はその中から四編を訳した。続いて八編位を選んで続編にするという。抄訳だからといってそれなりの難しさはあるだろうからかなりの力量のある訳者だったか。『紅楼夢』も同じ太宰衛門訳だからなかなか器用な人物である。まさか太宰治の別名ということはないだろうが、古書ネットで検索して1冊だけ在庫があった昭和4年版の『人肉裁判』はなぜか吉田耕舟訳となっているので、ひょっとするとこの太宰衛門と同一人物かもしれない。

ベニスの商人アントニオは友人の青年貴族バッサニオの願いを聞いて金貸しのシャイロックから3,000兩を3カ月の約束で借りてやる。間もなく彼の持ち船が入港するので積みこんだ荷物が売れればすぐに返すという約束だった。アントニオはバッサニオが止めるのも聞かず「もし返済が一日でも遅れたら自分の体の好きなところから肉を切り取ってくれても異存はない」という証文をシャイロックと交わした。ところがその船があろうことか難破してしまう。日ごろからアントニオはシャイロックをひどく軽蔑していた。人間でないとののしったり、野良犬でもあるように足蹴にしたりしていたからシャイロックは絶好の復讐機会がきたと裁判に訴えた。アントニオは牢につながれ裁判を受ける。シャイロックは勝訴を確信して持参したナイフを舌なめずりしながら研ぐ。判決はシャイロックの予想通りの勝訴で、証文通り「アントニオの体から肉を切り取ってよい」というものだった。アントニオ絶体絶命・・・その先はあえて書かないがまさしく「人肉裁判」である。ああ、そうだったとストーリーを思い出す方も多いだろう。

『人肉裁判』に入っているのは他に『僭王の幻(=マクベス)』、『三人の姉妹(=リヤ王)』、『真夏の夜の夢』で、どれかでもないかと本棚を探したら岩波文庫版の『ヴェニスの商人』が運よく見つかった。平成5年(2003)の第80刷、第1刷発行が昭和33年(1939)だから実に60年以上再版され続けている。中野好夫訳はいまも<健在>だから、そうなると70年以上である。中野訳がそのまま舞台で演じられるいわゆる上演用台本の「ト書き」スタイルになっているのとは違い、太宰訳は普通の物語文である。

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ちょっと比べただけでも題名も違えば地名表記や人物名も違う。中野にしても昭和48年の「改版に当たって」のなかで「拙訳は別に学術的翻訳というのでもなければ、といって、上演用台本のつもりでもない。一応は日本人の舌に乗る日本語にしたつもりだが、同時にまた原文と併読する読者のことも考えて、あまり原文脈を飛び離れることは避けた。多少二つの椅子の間に転げ落ちた感もないではないが、この種の文庫本としては致しかたなかろうか。固有名詞のカナ書きについて、旧版では英語の発音をなるべく忠実に写すつもりで、かなり面倒な表記をした。が、こんどはごく大まかなカナ書きにした。どうせカナで原発音を正確に移すなど、所詮不可能なことと思い直したからである。また固有名詞のカナ書きも、必ずしも英語に従わず、ギリシャ、ローマ古典からのものなどは、かなり大まかな言語読みにした。もっとも、きわめて厳密にそうだともまいらぬ」と書いている。

太宰訳『人肉裁判』と中野訳『ヴェニスの商人』で一例をあげると地名:ベニス(中野訳:ヴェニス)、人名:アントニオ(アントーニオ)、バッサニオ(バッサーニオ)、単位・金額:兩=両(ダガット)、同・重量:磅(ポンド)あたりをあげておく。「兩」は両の旧字で、「磅」はポンドが読みである。大御所の中野も自分の訳を「ごく大まかにした」と言っているから<重箱の隅をつつくが如し>ではあるけれど、抄訳とはいえ江戸時代じゃあるまいし「両」はなじまない気がする。やはり当時の単位である「ダガット」でないと。