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池内 紀の旅みやげ(39)旧連隊門衛─愛知県豊橋市

  • 2014年3月18日 17:34

サテ、何だろう?

門衛とか守衛とかいわれる番人のいるところ。それはすぐにわかる。皇居とか警視庁とかには、正門にあたる所にこの手のものがあり、制服姿がものものしく番をしている。

ただし、コンクリートづくりのこの形は、ある時代の置き土産であって、使われなくなってから七十年近くがたっている。全国の主だった都市には必ずあった。制服のうち、とりわけいかめしいカーキ色の兵隊が銃剣を捧げて直立していた。

愛知県豊橋市の豊橋公園前で出くわした。しばらくわが目が信じられず、しげしげとながめていた。いかにも風雪を経ているがキズ一つなく、台座、踏み石ともしっかり残っている。ともに端が丸みをおびていて、石のような軍靴が何千、何万回となく踏みつけたことがわかる。

なにやらものものしい。歩兵連隊の守衛所というもの。不思議なものを保存しているのはなぜだろう。

なにやらものものしい。歩兵連隊の守衛所というもの。不思議なものを保存しているのはなぜだろう。

明治維新のあと、城は無用の長物となり、おおかたがすぐさま取り壊され、石垣と城壁がのこった。あとの利用法に二種あったようである。一つは学校、もう一つは軍隊だった。どちらも独立した施設の上に、運動場なり練兵場なりが必要であり、その点、堀に囲われて広い城跡は打ってつけだった。豊橋は松平伊豆守七万石。江戸時代には当地は「吉田」とよばれていたので吉田城である。豊川のほとりに築かれ、広重の浮世絵では修理中の城の風景が描かれている。廃城となるやいなや取り壊されて、隅櫓(すみやぐら)一つだけがのこされた。あとに陸軍歩兵第十八連隊が入った。

豊橋には市電が走っている。駅前で乗ると、トコトコと走って公園前で下りた。豊橋市美術博物館というのがあって、そこの古地図展を見るのが目的だった。すぐ隣り合ったところに豊橋ハリストス正教会といって明治期の教会や、昭和初年に出来た豊橋市公会堂がある。それぞれの時代の美意識を煮つめたような美しい建造物で、目を洗われたような気持ちで公園入口にきた。とたんに古ぼけた、コンクリートのへんなやつが目にとびこんできた。

ある世代以上、それも旧城下町の生まれでないとわからないかもしれない。戦後、旧連隊跡が学校になり、兵舎が教室に使われた。私の場合は兵庫県姫路市で、歩兵第三十九連隊が置かれ、正門前には豊橋のものとそっくりのしろものがのこされていた、おそろしく官僚化していた昭和の軍部は、何をつくるにも規格第一で、門衛も全連隊に同一のものをつくったと思われる。中学生の私たちは学校の帰りなど、門衛でひとしきり、しゃちこばった敬礼のまねをしてふざけあった。

公園の説明板には吉田城のはじまりと、その後のことがしるされている。それでわかったのだが、現在に見る城郭をつくったのは池田輝政で、その後「播州姫路に所替(ところがえ)となり、姫路城を造りました」。それと知らず縁の深い城跡の前にきていたわけだ。

おや! 門衛でしゃちこばっていらっしゃるのはどなたでしょうか? なんだか懐かしい風景ですね。

おや! 門衛でしゃちこばっていらっしゃるのはどなたでしょうか? なんだか懐かしい風景ですね。

それはいいとして、城と城下町についてあれこれ述べ、「東海道では駿府城、名古屋城に次ぐ、大変大きな城でした。現在は、本丸、二の丸・三の丸、藩士屋敷の一部などが豊橋公園として利用されています」で終わっていて、第十八連隊のことは一言半句も触れていないのはどうしてだろう? 明治から昭和二十年までの六十余年はまるきりなかったとでもいうのだろうか。その一方で軍隊ゆずりの門衛所は寸分かわらずのこしてある。

首をひねりながら美術博物館を訪れた。江戸後期の吉田藩に柴田善伸という藩士がいて、地理と地図が好きだったらしく、当時、手に入るかぎりの地図を買いあつめるかたわら、丹念に筆写し、自分でも地図をつくった。そのコレクションが展示されていた。地味な展覧会なので、会場はカラッぽ。ただ黄ばんだ絵地図がズラリと並んでいる。吉田藩士柴田善伸は地方(じかた)役で、農政と年貢収納を担当していた。現代でいえば中核都市の税務課長クラスにあたる。コピー機がなかった当時、貴重な地図は借用して写すしかない。大きさ、色まで同一の地図そのものを正確になぞって複製をつくる。人間ワザとも思えないほどの丹念な筆写になり、しかも厖大な数量に及んでいる。地図コピー人間として生まれ、生涯を送ったとしか思えない。お役目の方はどのようにしていたのか不審に思うとろだが、民俗学の宮本常一が述べている。

「もともと日本の官僚社会に事務はなかったのです。税金は庄屋がとりたてて、帳簿をこしらえて来る。勘定方はそれに目を通せばいいだけで、人手はいらないのです」(『旅人たちの歴史・イザベラ・バード』)

すべて請け負わせて「盲判を押すだけ」。吉田藩士は面倒くさげに判を押して、すぐまた大きな地図に見入っていたことだろう。

【今回のアクセス:JR豊橋駅より市電で五分。豊橋公園前下車すぐ】

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