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池内 紀の旅みやげ(31)四つ割りの南無阿弥陀佛ーー岐阜県東白川村

  • 2013年7月18日 17:20

大きな石に「南無阿弥陀佛」と太い字が彫りこんである。いわゆる「名号碑」であって全国にごまんとあるだろう。しかし、よく見ると石のまん中に上から下へ筋が走っている。石がタテに割れたぐあいだが、横にまわると、こちらにもタテ一文字に割れ目がある。上から見ればピッタリ十字の形に割れていて、自然にできたとも思えない。実際、そうであって、人間がした。四つに割って、四切れの石にし、土に埋めたり、橋の土台に用いた。

所は岐阜県加茂郡東白川村。村役場の前に小さな杉木立があるが、その中に四等分されたのが元どおり合わさって立派な土台石にのっている。人よんで「四つ割の南無阿弥陀佛」。先祖の蛮行のせいで、世にも珍しい名物ができた。

岐阜県東白川村。「寺のない村」の奇蹟のような南無阿弥陀佛。

岐阜県東白川村。「寺のない村」の奇蹟のような南無阿弥陀佛。

いや、必ずしも蛮行ではなかったのだ。お上(かみ)に命令されて、泣く泣く分割に及んだまでと思われる。それが証拠に放置したように見せかけて、ちゃんと親から子へと居どころを伝えておき、のちにきちんと復元した。まんまとお上の鼻をあかしたぐあいである。

明治初年、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が全国に吹き荒れた。明治政府は強引に神道国教化を押しすすめ、神仏分離、寺、仏像、仏具の破棄、破壊を命じた。廃藩置県により大名が知事に登用された矢先で、知事布達のかたちをとった。

命令は伝えても、実行に関しては土地ごとにちがいがあったようだ。なにしろ千数百年に及ぶ信仰の拠点をぶっ壊せときた。由々しい事態であって、真宗をはじめ寺の門徒の強いところは、手かげんするしかなかっただろうし、明治政府に反感をもつ大名は、おいそれとは動かなかったと思われる。

岐阜県の白川村は世界遺産になった合掌造りの民家で知られている。東白川村は名前からして東どなりみたいだが、距離はうんと離れており、白川村は飛騨だが、東白川村は美濃である。江戸時代は苗木藩といって、現・中津川市苗木に城をもつ藩の一部だった。石高わずか一万石。地理的にいえば美濃よりも信州に近い。

小藩の宿命だが、お上に逆らっては生きていけない。新政府からの命令に対して、ひときわ厳密に実行させたのではあるまいか。当時、村には主だった寺が二つあったが、どちらも廃寺にして取り壊し、僧侶は村を去った。以来、東白川村は現在も「寺のない村」である。

もよりのJR駅は高山本線「白川口駅」。白川村の入口と思って下車する人があとをたたない。駅近くは白川町なので、なおのことまちがいやすい。東白川へはバスで三十分ほど揺られていく。たえずつきそって流れているのが白川だ。平行して赤川、黒川も流れている。川底の色合いから命名されたとみえる。

世界遺産ではなく、そもそも観光の目玉になるようなものは何もないが、空気が澄んでいて、水がきれいで、風音が聞こえるほど静かな、いい村である。「日本の最も美しい村連合」といって、合併で大きくなろうとなどせず、小さいながら自立をめざし、独自の行政に励んでいる町村の組織があるが、それに加わっている。加盟にはいくつかの条件のほか、二つの特産を求められ、東白川村は六百年の伝統をもつ白川茶と、ヒノキ材のブランド・東濃(とうのう)ヒノキがきめ手になった。「寺のない村」は一つの特色だが、これは特産というわけにいかない。

村役場からバス停で二つばかり西の山の斜面に、雄大な石垣がのこされている。「幡龍寺(ばんりゅうじ)趾」の標識から、これも廃仏毀釈のツメ跡かと思ったが、幕末に先立ち、寺と集落とのイザコザがあって廃寺となったのだそうだ。もしかすると村には、寺を厭う何か理由があって、毀釈が徹底して実践されたのかもしれない。

権力への無言の抵抗は奥が深い。この石の節理に添って闇がどこまでもつづく。高遠の石工の仕事が今も残る。

権力への無言の抵抗は奥が深い。この石の節理に添って闇がどこまでもつづく。高遠の石工の仕事が今も残る。

制度としての寺は廃しても、名号入りの石を立ち割った記憶は負い目のようにのこっていたのだろう。天保六年(一八三五)、施主の求めにより、信州高遠の石工伝蔵という者が制作した。知事布達で打ち砕くべしと命じられたとき、村は再び伝蔵にゆだねた。その際、ひそかなやりとりがあったのではなかろうか。石には「節理」というのが通っていて、これに添って割れば全体は損なわれず、のちに合わせると元通りになる。四つ割りを役人に見届けさせ、埋めたり土台に利用。百年後の昭和十年(一九三五)、あらためて四つを集めて建立した。息の長い知恵が、歴史の証言役を生み出した。

【今回のアクセス‥文中に述べたとおり、JR高山本線白川口駅よりバス。駅近くの白川橋は巨大なワイヤーの橋で、大正十五年(一九二六)架橋。「土木遺産」に指定されている】

季語道楽(16)ラテンを聴きながら、心は柳橋か神田明神か 坂崎重盛

  • 2013年7月18日 16:49

いつの間にか梅雨が明けて、七月に入ってからの連続の猛暑日は、気象台の観測はじまって以来、だそうですが、どうもこのごろ「統計をとりはじめて以来」ということが多くありません? 異常気象が、こうも続くと“異常”が通常になってしまう。

なんてことを書いても頭がボーッとしている。喫茶店の二階にいるのでクーラーは効いているのだが、窓から外を見ると、白熱したような炎天。日傘の人の影がネットリと濃い。街路の植込みのタチアオイの花が、なにか道行く人を嘲笑うかのように咲いている。

梅雨どきは「我こそ季節の花」と咲き誇っていたアジサイも、この猛暑でたちまち干上がって枯れてしまった。夏本番の到来。

梅雨どきは「我こそ季節の花」と咲き誇っていたアジサイも、この猛暑でたちまち干上がって枯れてしまった。夏本番の到来。

BGMが眠けを誘うのか、店内、少し前まではハービーハンコックかなんかのクロスオーバー系がかかっていたのに、今日は、ラテン、タンゴだ。実は好きなんですよ、子供のころに聴いていた、このての音楽。「ラ・マラゲーニア」とか「ジェラシー」とか。いまかかっているのは「アモール・アモール」か……。気持ちよくて、眠くなる。

半分寝惚けた状態で歳時記のページをめくっていく。ま、これもまた盛夏の昼下がり的な気分といえましょうか。

省エネの推奨植物、ゴーヤ(ニガウリ)の棚。すでに小さな黄色い花をつけている。正式名はツルレイシ(ウリ科)。

省エネの推奨植物、ゴーヤ(ニガウリ)の棚。すでに小さな黄色い花をつけている。正式名はツルレイシ(ウリ科)。

閑話休題、夏の季語。夏負けせぬよう食欲系からいきますか。

「麦飯」これが夏の季語。麦飯なんて秋でも冬でも食べるぞ、などと言っても、これは夏の季語なのです。理由? ないわけではない。

最近はヴィタミン剤の普及で、あまり聞かなくなりましたが、脚気(かっけ)、この脚気予防として夏に麦飯を食べる。で、夏の季語。

「鮨」だって、いつで結構、いただきます、といいたいところですが、こちらも夏の季語。鮨はかつては保存食だから、夏。

例句を見てみよう。

蓼添へて魚新たなり一夜鮓   三宅孤軒

鯛鮓や一門三十五六人      正岡子規

鮓押すや貧窮問答口吟み    竹下しづの女

やはり、この鮨は押し酢ですね。握りでは季節感が出ない。一句目、旨そうですね。蓼(たで)を添えるあたり。鮎かなんかの川魚の鮨でしょうか。

子規の句は、なんか目出たい感じがしますね。鯛鮓だからか、いや「一門三十五六人」の賑やかさだろう。

しずの女の句の「貧窮問答」は、もちろん、万葉歌人・山上憶良の「貧窮問答歌」。これを口ずさみながら鮓を作るというところに、そこはかとないユーモアを感じてしまうのはぼくだけでしょうか。

鮓をつくるつもりではないのに、この季節、ご飯がすえて、においを生ずることがある。「飯すえる」は季語になっている。もう少し俳味を感じるのが「飯の汗」

今日は、炊飯器ですぐにご飯がたけてしまうので「飯すえる」の

実感がなくなりました。子供のころ、少しすえたご飯は水で洗って臭いをとってからたべたものです。なんか懐かしい。同じ「洗い飯」「水飯(みずめし、すいはん)」いずれも夏の季語。

夏といえば、ビール(麦酒)。もちろん、夏の季語です。ビールといえば、かつては、ビヤホールは別として、生ビールは夏しか飲めなかった居酒屋がほとんどでした。だから一年中、生ビールが飲める店は貴重で、人を連れていって自慢したりしたものです。たとえば湯島天神したのTとか。

ところで「焼酎」、これが夏の季語。なぜって? これも理由がある。つまり「暑気ばらい」。日本酒ではだめなんです。暑気ばらいといえば、キュッとアルコールの度数の高い焼酎でなければ。

かと思うと「甘酒」も、この季節の季語だから、知らないと間違ったりする。かく言う自分も、また肌寒い梅見のときや雛祭りに、甘酒が出たりするので、つい早春あたりの季語かなと思っていました。

もともと甘酒は、夏の季節、麹に粥を加えて発酵させ(6〜7時間ほど)甘味を出す、これを沸騰させて飲む。ひと晩でできるので「一夜酒(ひとよざけ)」ともいう。

本来は、甘酒はあたたかい飲み物なのだが、甘酒といえば神田明神の鳥居脇の甘酒屋・天野屋糀店(こうじてん)では涼し気なグラスに入った冷やし甘酒を飲むことができる。女性に絶対喜ばれます。

「にんきや」の閉店にショックを受け神田明神の「天野屋」へ冷やし甘酒を求めて。その外観と冷し甘酒(450円)。このモロミもうまい。こちらは500円。

「にんきや」の閉店にショックを受け神田明神の「天野屋」へ冷やし甘酒を求めて。その外観と冷し甘酒(450円)。このモロミもうまい。こちらは500円。

冷やし甘酒、です。

冷やし甘酒、です。

そうか! この稿はこれくらいにして、人を誘って冷やし甘酒といくか! いや、この季節、柳橋の「にんきや」の白玉も、いいなぁ。この店、安藤鶴夫先生のごひいきでした。

——ということで白玉求めて柳橋に向かったのですが、念のためと、途中から電話を入れてみたら通じない。なになに!? ブログに「閉店」の書き込みが……。しまった!

「いつまでもあると思うな親と老舗」。

淋しいじゃないですか。そうか……ということでリベンジ気分で足はーー。