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蚤の眼 大世界史 365 ❾ 9月9日

  • 2010年9月16日 18:08

大宝律令ができる。(701年・大宝1年)
まあ諸説ありますがこの日にむかい8月頃からいろいろやってきて、二官八省ができた。中央集権体制ができたというわけです。奈良時代の人口は推定で550万人というからなかなかのもんです。それで、お役人が偉そうにしていたのはこの頃からってわけだ。
正午を知らせるドンはじまる(1871年・明治4年)
毎日お昼を知らせる号砲が江戸城から響き渡った。ドーンとなったから、どんといわれた。日曜日のことはドンタクといったので土曜日のことを「半ドン」といた。おそらく、半日休みにして半分ドンタクで、半ドンとなったのだろうか。池田弥三郎さんによれば「半ドンは午後のドンだ」と思っていたという。もちろん東京の人だけが聴いていたので全国ではどうだったのだろうか。結局、このドンは半世紀にわたって鳴り続けた。

蚤の眼 大世界史 365 ❽ 9月8日

  • 2010年9月15日 16:46

明治改元(1868年・明治1年)
前年の慶応三年一月九日に践祚した睦仁親王は慶応四年八月二七日日に即位式をあげ、この日に改元した。実際に明治天皇が京都を出発して東京に向かうのは九月の二十日である。七月の一七日には江戸は東京と改称されたために、江戸城も東京城となっていたそうだ。ここに二か月のブランクがあるのは会津戦争の陥落の様子を見ていたようだ。少年たちの必死の抵抗とはこの時代にとってなんだったのだろう。
サンフランシスコ講和条約調印( 1951年・昭和26年)
世界の52カ国によって4日から開かれていた講和会議により調印された。吉田茂を主席として6名で構成された。(49カ国が調印)。同時に日米安保条約に調印した。なんだかどさくさにまぎれてこちらもやってしまったようだ。日本がアメリカ極東軍に基地を提供し、作戦行動を認め、かつまた日本の自衛力を養成するという意味を持っているわけである。 待ったなしに事態だけは前へ前へと進んでいくのだから、情報が本当の意味で開かれているかというとそんなことはないと言わざるをえない。

蚤の眼 大世界史 365 ❼ 9月7日

  • 2010年9月9日 16:43

木曽義仲、兵をおこす(1180年/治承4年)
8月に平氏討伐のために挙兵した源頼朝に続き信濃国で立ち上がった。

蚤の眼 大世界史 365 ❻ 9月6日

  • 2010年9月7日 17:24

星新一さんが生まれた(1926年・大正15年)
星製薬の御曹司として豊かな家庭に育ち、東京大学を卒業、大学院に在籍中、父星一の急死によって会社を継ぐが経営状態が最悪のため倒産、債権処理に苦労を重ねた後、作家デビュー。ショートショートの分野を確立した。SF小説の普及の点でも特筆される。全ての世代に愛読される稀有な作家である。その飄々と
した姿は、人間の俗世間にあらわれた天使のようであった。けれども、心の奥深くには大きな苦悩も抱えていたことが偲ばれるのである。
警視庁、ニセ千円札届けに3.000円の謝礼(1962年・昭和37年)
昭和36年末に始まった偽札事件「チ-37号事件」は38年までに343枚発見された。全国22都道府県での捜査も、めどが立たずこの日に、警視庁が有力な手がかりに謝礼を出すことになった。犯人につながる有力な情報に対しては1万円から100万えんの謝礼を出すことまで決定した。銀行協会まで100万円の提供を申し出た。しかし、この偽札はまれに見る程精巧なもので、遂に迷宮入りとなってしまった。「最高の芸術品」なんだそうである。芸術品ならばどこかにかざって国宝級のレッテルをつけたらどうだろう? 日本銀行が創れば本物、自分で勝手につくったら偽札ってわけだ。

蚤の眼 大世界史 365 ❺ 9月5日

  • 2010年9月6日 19:04

ポーツマス講和会議(1905年・明治38年)
8月の10日からアメリカのポーツマスで開かれていた日本とロシアの講和会議で、この日、日露講和条約が調印された。日本全権大使は小村寿太郎、ロシアはウィッテであった。8月29日の講話条件に関して、日本は大幅に譲歩し、軍事賠償金要求を全面撤回、樺太の南半分だけで妥協したことに世論が憤激した。大阪毎日新聞は”天皇陛下に和議の破棄をたまわんことを請ひ奉る”と叫んだ。東京では講話反対集会が 荒れ日比谷焼き討ち事件まで発生、翌日は戒厳令が公布された。
平和的なノーテンキ風を装ってはいるけれども、この国の人間は本当のところ、かなり好戦的なんじゃなかろうか、としか思えない事例が、過去の事件の形にものすごく表れている。すぐいきり立つんだよね、気をつけなくちゃ。
自民党、所得倍増政策を発表(1960年・昭和35年)
安保改定をめぐって日本は大混乱をしたこの年の前半が終わると、大役を終えた岸信介首相は去り、池田勇人首相が就任。早速ぶち上げました。高度経済成長と完全雇用を必ずやりますときましたね。国民総生産を二倍にして、生活水準を欧米並みにするっちゅうわけだ。 頑張れば外国旅行だって夢じゃない。馬車馬並みの奮闘の時代だったんだね。結局、疲れたねぇ。