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蚤の眼 大世界史 365 ⓭ 9月13日

  • 2010年9月27日 17:30

乃木大将殉死す(1912年・大正1年)
7月20日明治天皇崩御。30日には皇太子嘉仁が践祚し大正となった。この日大喪の儀が東京青山で行われた後、乃木大将夫妻が割腹自殺した。武士の鑑と謳われ、号外が出た。殉死の是非について世論が沸騰、「中央公論」は特集を組んだ。5日後、森鴎外は『興津弥五右衛門の遺書』を執筆して、その意味を問うた。直接的な部分は後ほど、かなり書き換えているけれども殉死の意味を考える重要な動機となった。歴史に材をとる小説『阿部一族』『渋江抽斎』など一連のものが発表されきっかけになったのではなかろうか。
砂川基地拡張反対闘争始まる(1955年・昭和30年)
東京都下・砂川町で立川基地拡張反対総決起大会が開かれ砂川闘争が始まった。町民ほとんどが加盟するという「砂川基地反対同盟」が結成され,立ち入り調査を拒否したが、第一次強制測量が行われ反対派と学生に負傷者がでる、流血の事件となった。立川基地の滑走路を広げて大型ジェット機 を飛ばそうという目論見が結局、反対闘争のあまりの激しさに挫折した。五日市街道の砂川7番のあたりの野っぱらに面影が少し残っている。今見ると昭和公園などと平和風な場所に変わって、まぁいいんでないのなどとのんきに思うけど、町中によくまあ、飛行場を広げようなんて、いい気なもんだったわけだ。

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