蚤の眼 大世界史 365 ❺ 9月5日
ポーツマス講和会議(1905年・明治38年)
8月の10日からアメリカのポーツマスで開かれていた日本とロシアの講和会議で、この日、日露講和条約が調印された。日本全権大使は小村寿太郎、ロシアはウィッテであった。8月29日の講話条件に関して、日本は大幅に譲歩し、軍事賠償金要求を全面撤回、樺太の南半分だけで妥協したことに世論が憤激した。大阪毎日新聞は”天皇陛下に和議の破棄をたまわんことを請ひ奉る”と叫んだ。東京では講話反対集会が 荒れ日比谷焼き討ち事件まで発生、翌日は戒厳令が公布された。
平和的なノーテンキ風を装ってはいるけれども、この国の人間は本当のところ、かなり好戦的なんじゃなかろうか、としか思えない事例が、過去の事件の形にものすごく表れている。すぐいきり立つんだよね、気をつけなくちゃ。
自民党、所得倍増政策を発表(1960年・昭和35年)
安保改定をめぐって日本は大混乱をしたこの年の前半が終わると、大役を終えた岸信介首相は去り、池田勇人首相が就任。早速ぶち上げました。高度経済成長と完全雇用を必ずやりますときましたね。国民総生産を二倍にして、生活水準を欧米並みにするっちゅうわけだ。 頑張れば外国旅行だって夢じゃない。馬車馬並みの奮闘の時代だったんだね。結局、疲れたねぇ。
蚤の眼 大世界史 365 ❹ 9月4日
アメリカ総領事ハリス富士山に登頂す(1860年・万延1年)
これに先立つ7月の21日にイギリス総領事オルコックが登ったので、負けてはならじと頑張ったのだろうか。みんなで行ったので40名に上ったと言う。
”毛唐人じゃと思ふてからに、アメリカ小馬鹿にしゃんすな ぬしを思へば 五千里一里…”てなもんですな。
大村益次郎襲撃さる(1869年・明治2年)
兵部大輔大村益次郎が京都木屋町三条上ルで襲われて重傷を負い11月5日に死んだ。古い時代に残りたいと、過去にしがみつくのも人間の常とはいえ、優秀な人材がこうして失われていって、もたもたするものなんでしょうかね。
砂漠の聖者・アルベルト・シュバイツァー博士死去(1965年・昭和40年)
オルガン奏者にして医学者として僻地での診療、科学者としての完成した人格はもはや現われることはないのかしら。
蚤の眼 大世界史 365 ❸ 9月3日
ドイツがポーランドに進撃を開始(1939年・昭和14年)
こうして第2次世界大戦へと突入して行ったのです
ベネチュア国際映画祭で三船敏郎が「用心棒」の演技で最優秀男優賞を受賞(1961年・昭和36年)
王貞治の本塁打王、アーロンを抜いて世界1位達成(1977年・昭和52年)
この年も絶好調の巨人軍・王選手は8月の31日に通算755号 のホームランを放ち、ハンク・アーロンに並んでいたが、遂にトップに躍り出た。対戦相手はヤクルトの鈴木康次朗で、第二打席カウント2ストライク3ボールで、ライトスタンドへ756号(シーズンでは39号)を打った。時間は19時10分だった。このためテレビ中継が間に合わず、記念のくす玉もちょっと少なかったそうだ。王選手はこの日の試合に両親を招待して、「親孝行」の立派な演出をした。